二十
「田中」
呼ぶと、校門から出てきた野球部の一群の一人が、こちらに向いた。僕のことを認識すると、連れ立っていた部員たちと簡単に言葉を交わし、近寄ってくる。
「古屋敷じゃないかー」僕を見ると楽しそうに声を出す。「髪、さっぱりしたな」
「うん」
そう言って頭に触れる。昨日切ったばかりだった。
ややあって、なあ、と続ける。
「ちょっといいか?」
彼は時計を確認することもなく、
「いいよ。あっちに公園があるから、そこに行こう」
そう言った。
歩きながら、彼は僕の私服のセンスを褒めてくれた。牧瀬奈々子の手になるものだと言うと、さすがは牧瀬さんだなー、などと、何も知らないような振りをして答えた。
夕飯時ということもあって、公園には子どもはいない。時折犬の散歩をしているおじさんや、ジョギング中の若い男性が入ってきたが、いずれも長居はしなかった。
僕たちは近くにあった自販機でそれぞれ飲み物を買うとベンチに腰掛け、しばらく無言でいた。
お互いにタイミングを見計らっているような、微妙な間だった。
虫の鳴き声がする。
「寒くなってきたよな」
彼はそう言って坊主頭を撫でた。
「あっという間にね」そんなことを返す。「もう季節も変わった」
「そうだな」
一度始まってしまった会話が途切れ沈黙になることが怖くて、僕はすぐに話を切り出そうと思っていたのに、どうにも、実際に彼を目の前にすると恐れが勝ってしまう。
あれから、もう一週間も経っていた。
牧瀬奈々子とは会ってもいないし連絡も取っていない。ゆかりんから、学校を休んでいるという話は聞いたが、返事はしなかった。それでも彼女はわかる範囲で牧瀬奈々子の近況を報せ続けてくれている。
兄は、合法ドラッグに手を染めていたらしい。母は悲観し、父は無頓着だった。馬鹿なやつだなと思った。結局まだ規制に及んだものではなかったらしく、なるべく内々に済ませてしまいたいと言う話に落ち着き、今は更正施設に通っているらしいが、詳細は良くわからなかった。
あの日から日雇いのバイトをこなし漫画喫茶などを転々としていて、家にも近寄っていない。父とだけメールのやり取りをしていたが、彼は何を気にしてか、多くを語らなかった。
缶ジュースを飲み干してしまうと、彼は微笑みをこちらに向けた。
「それで?」
彼らしい、優しい声音に思われる。
「うん」考えながら、言葉を選ぶ。「田中には言っておこうと思って。僕、失敗したよ」
「失敗?」
「僕はやっぱり彼女を傷つけたよ」彼の顔から表情が落ちる。「もちろん、性的なことじゃない。それとはもっと別のところで、彼女を傷つけてしまった。何もかも、失敗だった」
「そう」
「泣かせたよ」
その言葉で、彼が思い出してくれると思った。約束したことを。
でも、田中氏は両手に包み込んだ空き缶を眺めるばかりで、立ち上がって僕の胸倉を掴むことも、もちろん、殴りかかることもしてこなかった。
それに安堵を覚えるわけもなく、
「殴ってくれよ」
そんなことを口走ってしまったが、彼はやはり笑ったままで、
「本当に殴るわけ、ないだろ?」
僕の目を見た。
何も返すことが出来ない。
「殴ったって、古屋敷が安心するだけだ。楽になるだけだ。責められて、罪を認めたいだけなんだよ。でも俺、殴らないよ。お前のこと、責めたりもしない。やりたいことをやった結果なんだろ? 彼女を傷つけるって、最初からわかってたことなんだよな、古屋敷、そうだろ? 俺は止めたよ。でも、お前は止まらなかった。それで、結果がやっぱり良くなかったからって、間違っていたよなんて、都合よくないか? そんなことは、俺がお前にそうだと伝えたときに聞きたかった。もう今更遅いんだよ」
口調は柔らかで、顔も笑顔のままだ。
彼は、悪戯をした子どもを諭しているようだった。
「お前はずっとこの先も、この失敗を胸に刻みつけて生きていかなくちゃいけないよ。それくらいのことをしたんだと俺は思う。具体的には知らないけどね。お前はそうすべきだと思うよ。それでずっと後悔し続けて生きるんだ」
彼が声音どおり、実際に優しいのかどうかは、わからない。
でも、優しさなんてものは、それこそ自分に都合がいいかどうかでしかない。
「わかった」だからか、そう言う。「ありがとう」
「うん」田中氏は一際大げさに相好を崩した。「それでお前、いつ出るんだ?」
「明日か、あさってか。わからないけど近いうちにここを離れるよ。父さんと話して、結局彼にもついていかないことにしたんだ」
「え?」素直に驚いた顔を見せる。「どうして?」
「うん。なんと言うかな。このままじゃ、金魚の糞でいることも認められないんだ、自分のこと。大げさに言えば、自分を変えたいから、ちょっと一人で放浪してみるよ。今みたいに日雇いの仕事探して、適当に旅してみる」
「なんかお前」ぽん、と肩に手を置かれた。「かっこいいな」
「うん」僕も、笑えた。「イケメンだろ?」
しばらく、彼は楽しそうにしていた。
それで空き缶を置くと、
「じゃあそろそろ帰るわ」
「うん」
「見送りには行かないよ。行かなくても、俺のこと忘れないだろ?」田中氏は不適に笑った。「俺も、お前のことは多分忘れないよ、多分ね」
「来なくて良いよ」にやりと笑い返してみる。「ありがとう」
「じゃあな」
「うん」
手を振った。
公園を歩き去っていく彼は、一度も振り返らなかった。
ゆかりんの顔を最後に見ておこうと思ったのは、どんな意図からかはわからない。彼女こそ僕を叱ってくれるのではないかと、そんな淡い期待でもあったのかもしれない。牧瀬奈々子のことをもっと詳しく聞きたいと思ったのかもしれない。ともかく、ここまで付き合ってくれた彼女に挨拶をしないのは失礼に当たるよな、という程度のことは考えていた。
また、いつもの喫茶店だった。彼女は僕の髪型を見て、少し笑った。
「久しぶり」
「うん、久々だね」ウエイトレスを呼んでくれる。「コーヒー、でしょ?」
「うん。ありがとう」対面する位置について、彼女が注文してくれるのを聞いていた。「悪いね、呼び出して」
「いやいいよ。面白いものを見れた」
「面白いとは、失礼だな」思わず、微笑む。「これでもいろいろ気を遣ってみたんだよ」
「良いと思うよ、似合ってるよ」
コーヒーが届いて、砂糖を入れている間、彼女は何も言わずにジンジャーエールを飲んでいた。時折カップを包み込むいつもの仕草を見せ、それがどこか懐かしく、居心地が良かった。
「これからのこと、どうなってるの?」視線をこちらに合わせないまま、彼女は問う。僕は田中氏にしたような説明を彼女にもした。「そう。まあ、近々去るわけね」
「多分、会うのはこれで最後かな」僕も彼女に視線を向けなかった。「今までありがとう。巻き込んでごめんね」
「私を巻き込んだのは、奈々ちゃんなんだろ? それに、楽しかったから、まあ、いいよ」
「助かるよ」
牧瀬奈々子の話を切り出すなら、ここだったのかもしれない。ゆかりんも、同じことを考えたのか、妙な間が生まれた。それを二人でするのは、なんだか、気が重かった。
ポニーテールを切られた彼女が、父との思い出を捨てられた彼女が、今どうして、何を考えているのか。好きだと言った僕のことを、どう思っているのか。
それをゆかりんに話しているのかどうかもわからなかったし、それを僕が聞いて何になるのかも、わからなかった。会いに行って、謝って、それでまた何かが始まるとは、思えなかった。
「ま、あれだな」ゆかりんはわざと軽薄そうな声を出す。「今回のことは、誰に責任があるわけでもないんだ。そんな顔するなよ」
僕がどんな顔をしていたのか、窓と向かい合ってみたが、映らなかった。
コーヒーの味がしない。
「出発する時間が決まったら、連絡くれよ。見送りくらい行くからさ」
「うん。ありがとう」
「田中氏も誘っとくよ」
「いや、彼は来ないって」そう言ってそのときの会話も教えた。「いいやつだよ、あいつ」
「知ってる」言ってから、笑った。「古屋敷くんの親友には勿体無いくらいにね」
「そうだね」僕も笑った。「彼は僕の憧れなのかもしれない。ああいう人間になりたかった」
「なれるよ。今からだって」
「そうかな」
「まだ十七だろ? 何悲観してんだよ。人生これからだよ。どっかに旅に出たからって、死ぬわけじゃないんだ。前から思ってたけど君、爺むさいんだよ」
「そうかもね」
「まあ、最後の最後まで後悔になるようなことはしないようにな」
「気をつけるよ」
「たまには連絡しろよ」言ってから、ゆかりんは小さく笑った。「いや、参謀が参謀らしく最後に君に忠告をしてやる」
仰々しい物言いだった。
こんな場面でも、彼女らしい。
「何?」
「電車に乗ってしばらくしたら、私にメールをしたほうが良い」
「何で?」
「君のためにね」意味は、全然わからなかった。「ま、もう行けよ。見送ってやるから、もう今は行ってくれよ。時間、連絡しろよ」
視線は結局合わないままだった。
「わかった。帰るよ」
コーヒーを一口に飲んで、お金を置いた。
「多いよ」
「最後くらい奢らせてくれよ」
ようやく、こちらを見た。
「わかったよ。しょうがないから奢らせてあげる」
「ありがとう」
「うん」
「じゃあ、行くよ」
「わかった」席を立ちテーブルを離れた僕を、ゆかりんは呼び止めた。僕の頭を指差し、「卑屈ザコシメジは、もう居なくなったと思ってるからね」
少し照れくさそうにして言った。
曖昧に笑みを向け、軽く手を挙げて、店を出た。
駅のホームで、電車を待っていた。わざと平日の昼過ぎを狙ったため、ほかに乗客らしい人は見当たらない。
田中氏には一応メールで、今までの礼を告げておいた。
ゆかりんには一時間ほど前に電車の時間を知らせていたが、返事がなかった。
この駅を使うのもこれが最後かもしれない。結局、自分の部屋からは何をも持ってこなかった。最初から、必要なものなんて、そんなに多くなかったのだと思う。あそこから持ってきたのは、今着ている、牧瀬奈々子が選んでくれた服と、細々とした下着とか、時計とか、その辺だけだった。バッグひとつあれば旅には不足しない。思い出は全てこの街に置いていく。
下りの電車が到着してすぐに、僕が乗る上り方面の電車の到着を告げるアナウンスが鳴った。これに乗って、ひとまずは終着駅まで行ってみよう。それからのことは、そこで考える。
いよいよ電車がホームに乗り込んできた。停止し、扉が開く。
この一歩が、人生にどれほどの意味を持たせる一歩なのかは、多分、青春時代を懐かしむような年齢になれば、わかるのだろう。今は、ただただ、重かった。
空いた車内の隅の席に腰を落ち着ける。
発車を知らせる警笛が鳴る。
扉が閉まる。
と、ほとんど同時に、女性が一人駆け込んできた。
ベリーショートヘアを揺らして、あまつさえ向かい側の扉にぶつかりそうな勢いだった。
息を切らし、こちらを向いたのは、牧瀬奈々子だった。
「え?」
せいぜい、言葉に出来たのはそれくらいだった。
「ああ、疲れた」途切れ途切れに言いながら、何事もなかったかのように僕の隣に腰を下ろした。「良かった、間に合って」
「は?」
「いやあ、向こうからこれに乗り込む古屋敷くんが見えたから、大変焦った」額を拭う仕草をしてから、僕を見た。「あれ、髪切った?」
「あ、うん」呆けていて、ものを考えられる頭ではなかった。「牧瀬さんも」
「うん、切った」
電車が動き出す。
――
純さんに髪を切られ、古屋敷くんに好きだと言われ、私の頭は混乱を極めた。
何もする気が起きず、家に篭もり、ただひたすら眠った。
眠って、泣いて、それに疲れてまた眠り、ご飯もろくに食べず、泣いた。
そうやって何日も過ごした。
喧嘩して以降会っていなかったゆかりんが家に来たとき、そんなことはさしおいて、彼女はどうして鍵を開けられたのだろうかと思ったが、母が貸したんだろうな、なんて、すぐに納得してしまう自分が居た。うぬぼれと言われても構わないが、二人は私の心配をしてくれるんだろうな、と考えていたから。
彼女は私の顔を見て、
「酷いな」
と言って顔をしかめた。
仲直りの言葉もないんだな、そう思って、返事をしないで居ると、
「シメジンとも連絡がつかないから、押しかけてみたよ」そしていつものずけずけと無遠慮の言葉で、「どうなったわけ?」
そう聞くのだ。
私は何も言えなかった。
本当に強引な人だな、なんて考えていた。
「教えないといけないんだよ、奈々ちゃん。いや、教えなくたって良いや。でも、再認識しないと。君は。状況をね」私の不恰好な髪に触れる。「頭の中で反芻するだけでも良いよ。ただ、ちゃんと、放棄しないで、考えないといけないんだ。古屋敷くんは、もうすぐ居なくなる。それで良いのか。奈々ちゃんが、どうしたいのか」
考える?
何を?
わからない。
「奈々ちゃん。君はもう素直になって良いんだよ。意地を張る必要なんてないんだ。強情ポニーテールなんて、もう居ないんだよ」真顔でそんなことを言ってから、少し間があって、彼女は大きく笑い声を立てた。「ださ! やば! 何だ今のセリフ!」
釣られて、笑ってしまう。
それを見ると、彼女は嬉しそうにした。
「シメジンは律儀な人だから、多分、出る前に私に声を掛けてくれると思う。いや、掛けてくれなかったら私って何だったの? って感じだけど。彼と会えたら、ここを出て行く時間がはっきりしたら連絡を寄越すように伝えておく。それをそのまま奈々ちゃんに教える」ゆかりんは、優しい顔をしていた。「奈々ちゃんがどうするかは、奈々ちゃんに任せる。私は、彼に会いに行ってくれたらなと、思うけどね。いつになるかわからないけど、どうするのか、どうしたいのか、ちゃんと、考えておいてね」
――
「どうして?」
「髪?」
「違うよ、いや、それもそうだけど……。何で?」
「何が?」
「何で着たの? 私服だけど、学校は? 何普通にポッキー食べ始めてるの?」
「質問が多いなあ」
電車に揺られながら、早々に広げたお菓子を咥え、彼女は面倒くさそうに言った。
まるでこの数ヶ月の全てを取りこぼしたかのように、まっさらな様子に見えた。
「古屋敷くん、どこに向かうの?」
そうして彼女のほうが質問を投げてきた。
「いや、わからないけど」
「ふうん」ぽりぽりと暢気だ。「私もね、いろいろ考えました」
「うん」
「お兄さんとの日々のことも、古屋敷くんとの日々のことも、どっちも思い出しながら、いろいろ、考えました」そして、食べ進める手を止めて、俯いた。「私、お母さんのようになりたくなかった。意見が定まらず、流されて、それで子どもまで作っちゃって。自分って言うものがないから、自分の意思がないからそうなるんだって、本当は少し、蔑んでもいた」
それは僕の耳にも痛い言葉だった。
でも、言葉は挟まない。
「恥ずかしい話だけど、人を好きになったのは、お兄さんが初めてだったの。中学生のときだったか、新聞に載っていた彼を見て、一目惚れした。名前と顔しかわからないのにね。何でかなんてわからなかったけど、彼のことを本当に好きだって思った。この思いは大事にしないといけないって、そう思ったの。高校に入って、彼の弟が居るって知って、チャンスだって思った。話しかけて、お兄さんと仲良くなって、この想いを大事に育てて行きたいって。でもなかなか踏ん切りがつかなかった。初めてだから、怖かったんだと思う。君から声を掛けられたとき、嬉しかった。うじうじしている私に、神様がチャンスをくれたんだと思った。今思えば失礼なことを言ったなと反省する部分もあるけど、まああの時、結局君も私のことなんて興味もなかったんだから、おあいこだよね」そんなことを言って笑う。「偽物の恋人として古屋敷くんとデートを重ねて、本当にこんなことに意味があるのかなあなんて思いながらも、それでも、男の子と二人で出かけるのってこんな感じなんだなあ、なんて、どぎまぎしている自分も居たりして、でも、それを、錯覚なんだって思い込んだりして。私は母のようにふらふらしない。間違いを犯さないからって、強情になって、お兄さんのことを好きなんだって、何回も、確かめるように考えた。ここで古屋敷くんのことを好きになっちゃいけないんだって。思い込んでた」
僕は、話を聞きながら、場違いながらも、ひとつのことを考えていた。
牧瀬奈々子は、凄く綺麗だ。
「古屋敷くんのおかげ、というのかな、お兄さんと話が出来て、デートが出来て、嬉しかった。結局彼も私のことなんて興味がなかったようだけど、それでも、憧れていた初恋の人と過ごせる時間は、愛おしかった。古屋敷くんのことを考えてしまう自分も確かに居たけど、それは多分、同情とかそういうことなんだろうななんて、封じ込めて」言いにくそうに、間を取る。「……髪を切られて、凄く悲しかった。話したとおり、あの髪型をしていれば今でもお父さんと会えるなんて、子ども染みたことを考えていたのもあるけど、綺麗な髪だと褒めてくれたお兄さんがそれをすることで、本当に私には何にも興味なんてなかったんだって、そうわかってしまったことが、悲しかった。結局、私が抱いていたものは、当たり前なんだけど一方的で、いくらデートをしてみても、それが彼に届くことはなかったんだなって。頭の中が真っ白になって、ただただ泣きたくて、苦しくて、つらくて、わけがわからなくなっていた。だから、古屋敷くんがあの時言ってくれた言葉も、全然、理解なんて出来なくて。ごめんね。ごめんなさい」
「いや、こちらこそ、本当に申し訳なかった」
そう言うと、彼女は、うん、とだけ言って話を続ける。
「ゆかりんは、お節介焼きだからさ、今までも、余計なことばかり言って、正直ちょっと鬱陶しいなって思っていることもあったんだけど、彼女に、どうしたいんだって聞かれて、浮かんだのは、君の顔だった。それまでに重ねてきたいろんな場面での、いろいろな君の顔が、それこそ鬱陶しいくらいに浮かんできた」そして彼女は少し笑った。「ゆかりんがね、私の髪を触って、強情ポニーテールはもう居ないんだよ、なんて言ったんだ」
同じようなことを別のところで言っていたから、ゆかりんは照れくさそうにしたのかもしれない。
卑屈ザコシメジも、もう居ない。
「それで、なんだか、解放された気分になった。そうあらなくてはならないと、私は多分、髪を結ぶときにいつも自分を縛り付けていたのかもしれない。そんなものはもうないんだって、教えてもらったんだと思う」それでね、と、彼女はこちらを向いた。「もういっそ、今までの自分を捨てようと思って、髪を切ったの。こんなに短くしたの、初めてだよ」
彼女が微笑みを見せてくれる。
見れないと思っていた顔だ。
「それで今日、古屋敷くんが出発する時間をゆかりんに教えたメールをそのまま転送してもらって、急いで、着たんだ。会えないのは嫌だって、そう思ったから。本当に、間に合ってよかった」
「そうなんだ」
「なんだか私ばっかり喋ってるな」照れくさそうに、手に残ったままだった半分を食べる。「ねえ」
「ん?」
「もうひとつ、都合のいい女だと思われるかもしれないけど」
「うん」
「大した話ではないんですけど、私と、付き合いませんか?」
どこかで聞いたセリフだった。
「いいよ」彼女を見た。「付き合おう」
二人で、おかしくなって笑った。
もののついでだ。こんなこと、言えるタイミングは、今だけだろうなと思った。
「じゃあ、キスさせてくれるんですか?」
彼女は瞬間驚いたような顔をした。
照れくさそうに周囲を見て、他人の目を気にしている。
それが可愛かったし、却って恥ずかしくさせる。
唇と、唇が、ぶつかる。
不恰好だった。
でもしょうがないよね、初めてだから。
「私、好きじゃない人とはキスしないので」
これからどうするの、と聞いてきた彼女に、とりあえず当てもなく放浪しようと思うと告げると、今すぐについていくことは難しいかもしれないけど、いつか必ず合流するから、と言った。僕は毎日必ず連絡をすると彼女に約束し、彼女も嬉しそうに頷いてくれた。
結局その電車の終着駅で二人で降りて、下りホームに移動して、参謀へのメールの文面を二人で考えて、名残惜しくも、彼女を見送った。また。うん。その挨拶だけで、ただ、余分なくらいに手を振って、僕たちは別れた。
歳をとると、高校時代を懐かしむ。それは唯一無二の謳歌すべき青春時代であり、これを無為にすると成長し多くの後悔を生む。らしい。どこかでそう聞いた。
残念ながら僕の高校時代というやつは二年生の段階で終わってしまった。今思い出しても後悔ばかりが多く胸を占めるが、そんなことは本当のところどうでも良くて、僕が今意思を持ち、前を向きまっすぐに歩いていて、そして、幸せを感じられる心を持っている。それが、大事なのだと思う。
陰湿クソシメジも、強情ポニーテールも、もう居ない。
「強情ポニーテール」というタイトルが浮かび、設定と結末だけ考え、うおーって書き始めたらこうなりました。いろいろ反省点はありますが、大体、想定通りにまとまったかなと思います。お付き合い頂きましてありがとうございます。
構想時全く予期していなかったキャラクタですが、ゆかりんが正ヒロインなのかもしれないです。
今後は「長嶺くんに選ばれたい!」というやつを集中して書いていくので、そちらもよかったら。半ば無理やりですが十万字行ってよかっです。




