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十一

 思考を展開させることで、周囲のものに対し目を瞑る。

 これまで漠然と、強欲と強情をぶつけるとは考えていたが、それでは具体的に何をどうやってぶつければいいのかと、そろそろ明確にしておかねばならない。

 今のところ思いついていることがないでもないが、これが果たしてうまくいくのかどうかはわからなかった。僕に「何でも話す」と言った彼女が、これから「恋人」になる兄に対してその話をしないとは、とても言い切れない。そもそも彼女がその話を十全にしてくれるかどうかもわからず、つまりは何の保証もなかった。

 思えば送り込むものが「人間」である以上、全て僕の思い通りに行くとも限らない。それはもちろん兄の言動に対しても同様だ。先のことは予想できても、当たるかどうかで言えば五分を下回るだろう。難しいところだった。

 ともかく僕は牧瀬奈々子について知識を得なければならない。

 それだけは、なんにせよ変わらないだろう。


 土曜日。僕と牧瀬奈々子は映画を観に行ったときと同じショッピングモールの中にいた。ファッションに興味がなく、大抵を安いブランドで済ませていたから、彼女が選ぶような服の相場がわからず、僕の財布は旅に出る資金としてあてようとしていたバイト代がみっちり入っている。

 モールの端から端へ歩きながら、時折彼女の要望に応える形で店に入る。高校生が着るには少々大人びたようなものが多く、鏡の前で合わせるだけでその不恰好さに幻滅してしまい、試着に至った服はいまだになかった。

 昼を迎え、ファミリーレストランに腰を落ち着ける。土曜日とあって家族連れからカップルまで、店内は忙しなげに人が出入りしている。

「うーん、何が良いかなあ」

 牧瀬奈々子は届いたパスタをくるくると巻き取りながら思案顔を浮かべる。本気で考えてくれているのかと思えば、多少は嬉しかった。

「牧瀬さんはどういうのが好みなの?」

 僕はハンバーグを切り分けながら、口に入れる前に聞いた。パスタを巻いたままのフォークを皿に預けると、

「すらっとしたのが良いな」彼女は言う。「シメジくん細いし、スキニーパンツは外せないと思うんだけど、どうもね、しっくり来るものがない。メンズのだと、シメジくんにはちょっと大きくてスキニーの良さが出ない感じがして」

「そしたら、レディースでも良いんじゃない?」

「おお、そうなの?」ぱちくりと目を瞬いた。「そういうのに抵抗ないのか」

「ないね。服なんて、何でも良いから」

「もったいない。良い言い方をすれば、スタイル良いのに。持ち腐れだよ」

「どうかな。初めて言われたよ」

「言ってくれる人がいなかっただけだよ」

 彼女は楽しそうにそう言った。まあ、外れてはいない。

 食事を終えるとデザートを頬張る彼女を眺めた。パンケーキは好きではないらしかったが、甘い物自体に興味がないわけでもないらしく、イタリアンプリンを美味しそうに食べていた。何でもそうだが、素直な感情を外に向けられる人間は好意的に映る。僕はそうではない。

 せっかくだからとドリンクバーでもう一杯ずつ飲み物を飲んで、店を出た。今度は女性用のスキニーパンツを求めて、視点を変えてもう一度店を回る。

「これは?」

 言って、黒のパンツを彼女は掲げる。

「うーん。股下に余裕がなさ過ぎないかな」

「ああ。男の子だもんね」そう言ってラックに戻した。「でも女性物だと大抵そうなると思うよ。それにポケットも浅いし、後ろにはなかったりもするけど」

「うーん。そうなると、どうかな」

「財布っていつもお尻のところに入れてるの?」

「うん。出しやすいからね」

「そっか。そうなるとやっぱりレディースは駄目かも」

 堂々巡りを繰り返しながら、結局メンズの中でも一番細く見えそうなものを買った。きつくは感じないが、今まで穿いてきたものよりはぴちっと締め付けられるような感じがあって、違和感を覚える。何事も慣れだろうと、辛抱する。

 今度はそれに合わせるためにシャツを探す。

「夏ももう終わるからねえ。長袖が良いよね」

「そうだね。どうせなら」

 そうして若者向けの店で彼女が選んだものを、試着室を借りて先ほどのスキニーパンツと合わせる。

 カーテンを開くと彼女は楽しそうに笑った。

「そういうシャツ着てる人、久々に見たかも」白を基調にして、胸のところにピンクで英字が書かれている。肩には良くわからないチェーンが繋がっていて、背中には龍が舞っている。「中学生みたい」

 どうやら彼女の冗談だったらしい。

「勘弁してくれよ」苦笑しながらカーテンを閉める。「本当にわかんないんだから。何がいいかなんて」

「ごめんごめん」楽しそうな笑い声が聞こえてくる。「ちゃんと選ぶよ。ちゃんと選ぶから、今度から今日買ったようなやつ揃えて着てね」

 結局、胸にワンポイントの入った白いワイシャツに決めた。それに合わせるワインレッドのカーディガンも同じ店で買う。

 クレープ屋でそれぞれ欲しいものを頼み、僕が会計を済ませる。お礼と言うのが正確かは微妙なところだが、彼女が服を選んでくれたことには変わりがないので、この出費に異議はなかった。近くのベンチに並んで座って、それを食べた。クレープを支点に顔を動かして食べ進める彼女は、あるいは従属性の塊なのかもしれないと、ぼんやりそんなことを考えていた。

 今後のために聞いておくべきことがある。ただそれを切り出すタイミングがわからなかった。

 ショッピングモールを出て、買い物袋を提げた僕たちは駅へ向かって帰り始めていた。人も多く、無料の送迎バスにはあえて乗らなかった。排気ガスと、誰かの煙草の臭いが混じった外気は、甘ったるいクレープを食べたばかりの僕には少々辛かった。

 隣を歩く彼女はそんなことを気にしている風もなく、安いラブホテルに向かう大学生風のカップルを視線で追っている。牧瀬奈々子も、結局は女子高生で、そういうこと自体には興味があるのだろう。

 僕は彼女を突き、その指をカップルのほうへ向け、

「入ってみる?」言ったが、もちろん、冗談だった。「それくらいのお金は残ってるけど」

「はあ?」彼女は慌てて顔をこちらに向けた。「入るわけないじゃん!」

 その様子がおかしくて、思わず笑ってしまった。

「わかってるよ。冗談に決まってる。変な噂が立つと困るんだものな」

「当たり前だよ!」肩を叩かれる。痛がった振りをしていると、でも、と続けた。「いずれは入ることになるのかなあ」

 僕は返事をしなかった。

 送ると言ったが、彼女は遠慮した。改札を抜けたところで別れ、先に彼女のほうの電車が到着する旨のアナウンスが流れると、こちらを向き、軽く手を振ってきた。僕も、振り返した。

 結局、聞けなかった。

 帰りの電車内、狙ったかのようなタイミングの田中氏からのメールで、今日はどうだったのかと聞かれた。別に、良いものではなかったよ、とメールを返す。彼からの返事は開きもしなかった。

 家に着くと兄は僕のほうをちらりと見たが、何も言わなかった。ひとまず、親の前では何もしないところは、変な話徹底した男だと思う。自室に入り今日買った服をハンガーに掛けクローゼットにしまう。

 階下に戻るとちょうど父が帰宅したところだった。

「おかえり」

「やあ、ただいま」視線を向けもせず、口だけでそう言う。「今帰ったところなのか」

「そうだよ、ついさっき」

「珍しいなあ、お前がこんなに遅くまで出てるのも」

「そうだね。昔は、それこそ水泳をやっているときなんかは、よくあったけどね」

「今日の飯、何かなあ」

 そんなことを言いながらリビングのほうへ向かった。僕はそれを追いかける形でリビングを抜け、キッチンで料理に励む母を尻目に麦茶を一杯飲んだ。コップは自分で洗う。

 食卓で並んでご飯を食べる。

「お前、どこ行ったんだ?」

 兄が、僕の部屋へ来るときのような粗悪さをまるきり隠した声音で聞いてくる。

 なるべく意識せず、から揚げを口に運びながら答えると、

「誰と?」

 ついに、針に魚が掛かった。

「友達だよ」

「へえ、友達ね」彼も同じように、当たり前に食事を続けている。「珍しいな」

「ああ、まあね。いろいろあって関わる人が増えたんだよ」

「いろいろ、ね」

 その後はまた、僕と兄の間に会話は生まれなかった。彼は母と話をし、父は今の兄弟の会話さえ耳に入っていなかったかのように、何かにとり付かれているのではなかろうかと疑ってしまうほど真剣に、テレビを見ていた。

 その日の兄は苛烈を極めた。誰となのかを執拗に聞いてくるような真似はしなかったが、そこに何かを感じていることは確かだろうと思った。

 僕は足蹴にされながら、何も進んでいないように見えて、着々と事は進んでいるのだと自覚する。

 お前の、知らないところで。

 その優越が、愉悦をもたらす。

「気持ちわりいな、笑ってんじゃねえよ」

 踏み付けるように蹴られたが、それでも、おかしかった。

 彼の姿が酷く滑稽に見える。

 いつ、僕はこんな余裕を得たのだろう。その根拠はなんだろうか。

 また、舌を鳴らして彼は出て行った。


 学校ではすでに僕たちの関係は公認と言っても過言ではないレベルで、当たり前として認識されていた。特に人目の多いところでショッピングをともにしたことで幾人かの「目撃者」も得られ、順調に交際関係を行っているらしいと、もっぱらの評判になった。「強情ポニーテール」を手懐けたことになっている僕は、影で「やばいやつ」と囁かれているらしい。

 牧瀬奈々子のほうでも、最初に言ってのとおり、あるがままを友人らに話しているらしく、そういう風に日を重ねてもいかがわしいことはしていないと目論見どおりの認識をされているようだ。もちろん、まだ付き合ってひと月弱。どうこうなるには気が早いというものだとは僕は思うのだが、最近の高校生はそうではないらしく、今まで僕に興味を示していなかったクラスメイトたちも、時折いやらしい顔をして性の話題についてばかり興味津々に聞いてくる次第ではある。呆れてものも言えぬ。

 それから何度かデートを重ねるが、肝心のことは聞けないままだった。牧瀬奈々子は早く兄に会いたいと言っていたが、僕の準備が整わない限りそれは叶わない。とは理解しているのだが、どうにも、踏ん切りがつかなかった。それというのも、もし聞けば、この順調そうな交際関係が一転、また連絡も取らない間柄になりかねないからだ。なるべく確信を持って、タイミングを見計らって聞きたい。答えをもらわないことには、優位には立てない。

 牧瀬奈々子の様子が非協力的であるかといえば、そうではなかった。どちらかというと、本当に僕個人の度胸の問題であって、彼女自身には問題はなかった。

 あるいはもしかすると、この、恋人らしい日々に対して、惜しく感じているのかもしれない。

 最近はどうも、牧瀬奈々子の顔を見るとどぎまぎしてしまう自分を、隠せなくなってきていた。それは決戦の日が近づいているから緊張しているのかもしれなかったし、それを行った上で田中氏の言うように彼女を傷つける結果になるかもしれないから不安であるとも言える。これと明言できるほど心の整理はついていない。どうも、この分野は苦手で、同じ事を何度も考え続けてしまう。考え続け、結局洗い流し、またそれを繰り返す。調子が狂って仕方がなかった。

 田中氏とは、余り話をしなくなった。彼が今、このように僕と牧瀬奈々子に関する話が飛んでいるのを、どう思っているのか。話しておいて本当に正解だったのかはわからない。でもそれも、もとあるべき位置に戻っただけで、気にするようなことではないんだと、言い聞かせる。元々一人だった。

 ゆかりんのアイディアに従い、結局はカラオケにも行った。馬鹿みたいな話だが、せっかくだからと「かえるの歌」を歌ってやると、牧瀬奈々子は心底楽しそうにげらげらと笑った。

 そんな日々をさらにしばらく続けて、秋の連休が間近になると、ゆかりんは僕たちを招集した。

 それなりに楽しい偽の恋人を続けていたが、結局はまだ聞きたいことも聞けていない、そんな頃だった。

「泊まりに行ってきなよ」

「泊まり?」驚いたのは返事をした牧瀬奈々子ばかりではない。「何言ってんのゆかりん!」

「もう付き合ってふた月は経つよ。そろそろ良いんじゃないのかなと思うんだよ」

「何が良いって? 良いも何も、私シメジとは何もしないけど!」

「そうじゃないよ」ゆかりんは指を振った。「完全な二人きりの状態で、最終打ち合わせをするんだよ」

「打ち合わせ?」

 僕も牧瀬奈々子も、さぞかしきょとんとしたことだろう。

「これこそ予行演習と言っても良い。シメジン城へ乗り込む前に、事前に話しておいたほうが良いこともあるでしょう。要するに台本を決めに合宿するって感じだな」

「合宿?」言い回しだけはうまいものだなとゆかりんを見る。「またそんなこと言って」

「しないよそんなの」牧瀬奈々子も譲らなかった。「こいつと二人は無理!」

「まあまああんたら」ゆかりんも引かなかった。「だってあんたらは一体いつになったら呼び名をちゃんと決めるのよ。牧瀬さーん、シメジーなんて言ってても周囲からしたら、はあ? って感じだよ。ましてやシメジンの家でそんな呼び名で、それでもお兄さんは何か思うのかもしれないけど、ここまでやったんだ。せっかくだから細かいところもちゃんとやろうぜ」

「それにしたって、僕にはよくわからないんだが、泊まる必要がどこにあるわけ?」

「ゆかりんは来ないの? 参謀でしょ?」

「私は行かないよ。二人で行くから意味があるんだ。そうして二人きりで同じ部屋で、何をしなくたっていいんだよ。そういう親密感を作れればね」ゆかりんはどうしても僕と牧瀬奈々子をくっつけたいようで、そのやり方が酷く露骨になった。業を煮やしたというやつか。「高いところじゃなくていいし、遠いところじゃなくて良い。もし奈々ちゃんが襲われそうになったって言うんなら私がすぐに駆けつけるから、そのくらいの近場で良いんだよ」

「とはいえなあ」牧瀬奈々子を見る。「男女二人で泊まりって」

「んもー、本当にシメジンってばシメジ! じめじめしやがって! 良いから行って来いよ!」

「うーん」

「すっごい変な噂立ちそう」牧瀬奈々子は顔を歪める。「嫌だなあ」

「行くって言わないと、今日は解放しません!」そんな強引な。「さらに言えば、行くって言った以上ホテルでツーショット撮って来るまで私は認めません!」

 誰が強情だって。

 溜息が漏れる。

「そんなに重く考えるなよ。男女が二人で泊まったからって必ず不埒なことが起こるわけじゃないんだから。そう考えている頭がいやらしいよ! まあ私的には一発くらい」

「おい」

「冗談ですけどねー、冗談ですわよー」白々しい。「ともかくいい加減、奈々ちゃんだってお兄さんに会いたくて仕方ないでしょ?」

「まあ……」

「これを最終ステップだと思って!」

「うーん……」

「シメジンだって話したいこと、あるんじゃないの?」

「うーん」

「煮え切らないなあ二人とも、あー煮え切らない! 良いから行って来いって!」

「うーん」

 僕たちは唸ったまま、二人で顔を見合わせた。

 それはもちろん、話をするのには願ってもない機会になることだろうが、それにしても泊まりというのは、どうにも抵抗感が否めなかった。彼女は僕を好いてなど居ないわけで、そんな相手と二人きりというのは、彼女こそ、抵抗感があるだろう。

 しかしつんと顔を背けて、イエス以外の解答は聞きません、という態度のゆかりんを目の前に、今度は二人で溜息を吐いた。

 これは、何度目の後悔だ。

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