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 学校を辞めようと思った、と言うと、少し語弊がある。

 正確には、あらゆることがどうでもよくなって、バイトで稼いだはした金と最低限の着替えや必需品だけを手に、あてのない旅に出ようと思っている。格好付ければ「自分さがしの旅」というやつになるのだろうが、そこは所詮十七歳、僅かに見聞を広めるに留まるだろう。ただ、目的はどうあれ、僕自身に意思があり、抵抗を企てた、ということを、不特定多数に知らしめることが出来ればいいと、その程度の考えだった。

 ともあれ、学校からはこのままフェードアウトしよう、という考えには相違ない。

 歳をとると、高校時代を懐かしむ。それは唯一無二の謳歌すべき青春時代であり、これを無為にすると成長し多くの後悔を生む。らしい。どこかでそう聞いた。

 だからと言うわけではないし、深い意図があったわけでもない。単なる思い出作りの一環として、女子生徒に告白してみようかと、なにげなく、本当になにげなく思った、ただそれだけだった。

 それが、まず、後悔になった。


「強情ポニーテール」という仰々しいあだ名を持つ、C組の牧瀬奈々子は、僕の呼び出しに対し、不審を抱くでもなく大人しくついてきた。昼休み、クラスメイトと話をしているのを中断して、のこのこと後ろを歩く彼女を選んだのは、あだ名の通りの性癖だと期待してのことだった。

 学校から遠ざかり旅に出ようというのだから、ここに何をも残すつもりもない。話はするが、深いつながりなど毛頭もないクラスメイトたちはそもそもそれに値しないし、思い出作りの一環、彼女を本気で作るつもりもない。当然、牧瀬奈々子にしても、断ってくれると踏んでの呼び出しである。

 両手をブレザーのポケットに忍ばせた牧瀬奈々子と、空き教室で相対する。今時、校舎裏など死角にならない。

 牧瀬奈々子の凛とした佇まいは、少々時代錯誤なポニーテールが生み出す物だろうかと、ぼんやり考えていた。

「なに?」

 刺々しい言い方ではなかったが、あだ名のイメージが先行し、やや高圧的な一言に感じる。これは、僕個人の問題だろう。

「大した話ではないんですけど」及び腰は、いつもの癖だった。「僕と付き合いませんか?」

 捨て鉢な思いであれば、微塵も感じていない恋愛感情を急造することも簡単だった。これは結果如何を問わず、この行為自体に意味があることなのだと考えれば、もうこの段階で肩の荷が降りたも同然だ。

「いいよ」

 だからか、一瞬、彼女の返事を聞き逃しそうになった。

 遅れて捉えたが、聞き間違えかとも思った。

 だが、強情ポニーテール牧瀬奈々子は、僕の目を真っ直ぐに見つめ、

「付き合おう」

 明確に言葉としてそう返した。

「は?」

 当然、こんな反応にもなる。

「は? ……って言われても。だから、いいよ、付き合おうって」

「いやいや」なぜ、僕が焦っているのか。「意味わかんないし」

「えー、なんでそんな反応されているんだろうか」牧瀬奈々子はまさしくそのポニーテールを揺らし、首を傾げた。「私も以前から君には興味があった。そんな折、呼び出しを食らって付き合おうと言われた。これはとしたり顔でオーケーするのが、そんなに意味わからない?」

「待って、待ってくれ」

「いいけど、待ったら何かあるの?」

「とりあえず結論が出るから……」

 牧瀬奈々子と僕との間に関連はない。クラスも違うし、共通の友人、いやそもそも僕には友人らしい友人はいないのだが、そういったものもない。共通で受けている授業もないし、僕に興味を持つ点、すなわち機会というものがひとつもない。はずである。

 それが、実際はそうではなかった、ということに当たるわけだが、これが理解できない。

「ごめん、結論出ない」

「えー、待ったのに? 違反だなあそれは。話が違うよフルヤシキくん」

「フルヤシキ?」

「ユアネーム」

 真面目腐った顔で指を差してくるが、残念ながら僕の名前はフルヤシキではない。ただ、これが人違いであった、とすぐに言えないことが問題だった。

「僕は、古屋敷と書いて、コヤシキと読むんです」

「おー、コニシキ!」

 この際細かい突っ込みはよしとする。

「なぜフルヤシキと?」少なからず、僕個人を特定していた。それは間違いない。「話すのも初めてだし、学内で目立った記憶もないですけど」

 牧瀬奈々子はにこりと笑った。

「結論の出ないコニシキくんに私が解答をあげます」そしてドラマに出てくる名探偵でも気取っているのか、指を立て、目を閉じ、くるくると歩き始める。「私は、コニシキくんのことを知っているわけではありません。正確に言えば先ほど言った興味があるという文言も間違いです。私は、あなたのお兄さんに興味があるのです。否、これは恋と言っていい。ええ、良いでしょうこの際。しかし私とお兄さんとは年が三つも違う。大学生の彼に私が会う機会はまるでない。そこであなたを利用して、彼に近づこうと、それが結論です」

 ぴたりと止まると、天井を指していた人差し指が、まさしくこちらに向いた。

 なるほど兄は、以前水泳強化選手として新聞に名前が載ったことがある。当時顔写真まで出していたかはもはや定かではないが、牧瀬奈々子の言い分から察するに、載っていたのだろう。それを見て、彼女は恋をした。らしい。

 そんな相手に「これ決別のため」と、心にもない告白をしてしまった僕の、なんと哀れなことか。

「よし、やめにしましょう。なしです。今のは、ノーカウントで」

「ところがどっこい、男に二言は許されない。世の中そんなに甘くない」

「今どきそんな侍魂をぶら下げた野郎はいないです。申し訳ない。僕はあなたが好きでもなんでもない」そうして告白した経緯を説明する。「わかっていただけます? だから、ノーカウントでお願いします」

「事情はわかった」満面の笑みが崩れないことが、恐怖だった。「なおさら良いじゃないか。コニシキくんは私に興味がない。私もコニシキくんに興味がない。だからさらりとお兄さんに鞍替えしたところで、君にダメージはない」

「と、同時に、今のところ僕には何もメリットが存在しませんが」

 とにかく成功とも失敗とも言えないこの曖昧な状況から逃げたかった。チャイムでも鳴ってくれないと強情ポニーテールは解放してくれそうな気配がない。現状は、彼女にとって万々歳の構図だからだ。

「メリット? そんなもの思いっきりあるじゃないか」

「どこにです」

「謳歌すべき青春に、告白が成功した、その結果それ自体がメリットだよ」恋人が出来た、と言わないところが、頑なに思える。「何か不満が?」

 困らせてみようと思ったわけでもないが、兄を好いている人間を目の前に、少々居心地がよくなかったからだろう、

「じゃあキスさせてくれるんですか?」

 言ってみると、

「そんなの無理だよ!」と笑われる。尤もだ。「好きじゃない人とはキスしないので」

「やはりメリットなんてないじゃないですか」

 こうして応酬を続けていれば、やがて挫けてくれると思っていた。いかにも面倒なタイプの人間である僕を、いかにも面倒そうに解放してくれると思っていた。

 しかしそれは叶わぬ願いだった。

 何せ彼女は「強情ポニーテール」の名を冠する人物である。

 引くわけがなかった。

「とりあえず告白が成功した以上、君はここに残してはならぬ人間を作ってしまった。ということは旅に出ない、つまり金が減らない! すごいメリットじゃない?」

 ああ、と思う。

 そうだ、こんな興味のない女子生徒に時間を割く必要はもうない。思い出作りは終わった。旅に出ればいいんだ。

 それを、まさか眼前の少女が教えてくれるとは思わなかったが、思いついてみれば簡単な話だった。興味のない相手を、僕が「残してはならぬ人間」だと思うわけもないのに。

 途端に、今までの時間を無駄に感じる。

「失礼します」

 まだ何か話を続けていた牧瀬奈々子を遮り、空き教室から出ようとした。廊下には幾人か生徒がいたが、こちらを気にする人はいなかった。

 ドアに手を掛け、今まさに開こうとしたとき、

「残念ながら、ここで帰ると、君にはデメリットが生まれる」

 言われ、振り返る。

 そんなものはない。だが、彼女がどう言うのか、それが気になった。

 強情ポニーテールはふふんと鼻を鳴らすと、まず僕を引き止めることに成功したことで一勝を得たと感じたらしく、緩慢に腕を組んだ。

「君が扉を開けた瞬間、私は悲鳴を上げます」

 吐き出された言葉の意味を理解するのに、しばらく掛かった。

 というより、左肩を少し下げ、組んだ腕の先で器用にブレザーをずらす牧瀬奈々子の動作がなければ、それの意味するところを全く理解できなかったと言って間違いなく、ある意味彼女は親切とも言えた。理解できなければ、一笑に付してドアを開けていたところだ。

 すると彼女の悲鳴を聞きつけ、生徒がざわめき、やがて先生が来る。彼女はしおしおと泣きながら言葉もなく僕を指差すのだろう。とんだ冤罪だが、大抵、冤罪は有罪判決を受ける。彼女の証言に勝るものを僕は用意できない。

 なるほど「強情ポニーテール」とはよく言ったもので、眼前のポニーテール少女は自分の思うようにならないと気が済まないし、そのために自分を曲げるつもりもないらしい。

 そして僕のほうでも、意思がなく、流されるままの人物に育ってしまったのがよくなかった。結局旅に出ようと言う話も、その事実を覆すためのものだったが、個人の性根に染み付いた性癖というのは、無意識に顔を出してしまうものらしく、表面上は溜息を漏らし呆れた風を装ってみても、

「わかりました」

 お手上げに変わりはない。

 牧瀬奈々子は下げたブレザーを元の通りに直し、こちらに近づいてくる。そして今までのやり取りなどまるでなく、場面の最初に戻ったかのように、まるで照れているかのような顔をして、

「どうぞよろしく」

 そんなことを言った。

 その白々しさに、顔では笑いながらも、精一杯の抵抗として、

「この強情ポニーテールビッチが」

 罵ったが、

「強情で何が悪いの? 自分の主義や主張を変えてまで欲しいものがコニシキくんにはあるの? 自分は一人しかいないのに」向こうは友好的に手を差し出してくる。「お兄さんの出方次第だけど、今のところの私にはそんなものないから、私らしく、私の道を突っ走るだけよ。私を認めないなんて、認めないの。それを悪とするやつなんて、轢き殺してでも進むわ」

 僕は牧瀬奈々子の手を握り、

「すでにここに轢き殺された人間がいるわけだけど、それについてはどう思う?」

 なおも追撃してみるが、牧瀬奈々子は僕の髪型を見て、

「うーん、陰湿クソシメジって思う!」

 晴れ晴れとした声音で言った。

 二人ともに、ついには声を出して笑いながら、ギュウと軋むほど握った手にさらに力を加え、何とか相手を破壊できないかと考えている。

 同時に去来するのは、大人しく全てから身を引いておけばよかったという、後悔だけだ。

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