やはりクリスマスというのは最悪
「おーい。桜木ー。」
元気な少年の声が一つ狭い教室に響き届く。
「何?」
ランドセルの中に教科書やらを詰め込んでいた短髪赤髪の少年はその掛けられた声の方に振り向く。
「お前、今日暇だろ?少し、助っ人頼む。今日の試合は絶対に負けられないんだよー。」
手を合わせて頼みを口にする少年。怪我もしていないにも関わらず鼻上に絆創膏を貼っている見るからにわんぱく坊主と言った少年の名はなんと言ったか?
「え、まぁ。いいけど。」
名前なんてどうでもいい。僕は適当に二つ返事をその少年へと返す。実際、予定など大した用はない。
「うおっしゃぁー。桜木がいれば今日の試合は絶対、勝てる。うおっ、しゃぁーーーー!」
「いや、そんな大袈裟な…。」
なんかもの凄いプレッシャーを掛けられているが何なのだろうかその期待は?
とは言え、こうやって頼りにされるのは悪い気はしない。
「じゃぁ、早速。ほら、皆も待ってるし大河原公園にレッツゴーだ。」
「え?ちょっ、待ってよ。」
帰り支度も途中にも関わらずその少年は腕を引っ張る。仕方がないので早々に支度を。僕は急いでその少年と、その皆が待つという公園へと足を動かした。
―
大河原公園。そこは僕が通う北原小学校から数メートル離れた場所に存在する地元では割と大きな公園というにはあまりにも遊戯が少ないがそんな場所だった。
「もう、かっちゃん。遅いよ。ん?その子は?」
丸い眼鏡を掛けたこれまた名前はなんと言ったか。クラスメートの一人は僕の腕を引っ張る少年へと声を飛ばす。
「あぁ。コイツが今日の助っ人。コイツの運動神経の良さはお前も知ってんだろ?」
相当に急いで走った為に口からは荒い息が溢れている。それは僕も同じで息を整えながらそこにいる皆の顔を見て確認する。
「あの、僕…」
言おうとした言葉。だが、それを邪魔するようにと何人かの集団の声と足音がその公園内へと侵入してきた。
「おぉ。早いのな。弱い癖に。くくっ。」
集団の中のリーダなのだろうか。前に出て含み笑いを口から溢すは自分達よりも一年上といったところの男の子だった。
「へっ。そう言ってられんのも最初だけだ。なんたって今日は最強な助っ人がいんだからな。」
言って僕を注目させるはわんぱく少年。かっちゃんと呼ばれたその人物。
「くくっ。冗談。そんな女みてぇな顔した奴が最強。くくくっ。コールドゲームだけは勘弁してくれよ?」
僕を見るなり吊り目が似合う男の子はそう言う。それに応じてか残りの仲間もクスクス笑い声を漏らしていた。
「くそっ。馬鹿にしやがって。」
眼鏡を掛けた少年がを思いっきり地面を踏みつける。それはその行動こそしないが皆、同じようなものだったと思う。事情を知らない僕でさえいらっときた程なのだから。
と、そんなことよりも今は事情が優先である。
「えっと…で、僕達は何をするわけ?」
言うとそこにいる皆が僕を見た。まぁ、当然と言えば当然だけども。
「あぁー。またかっちゃん何も教えずに連れて来たよ~。」
「仕方ねえだろ。急いでたんだから。なぁ?」
「えっと…うん。まぁ。」
同意を求められても困るのだが…
「おーい。そっちはまだか?早くしてくれよ。どうせ早く終わるんだろうけど。」
さっきの声。見るとその子は片手にサッカーボールを所持していた。どうやらやるスポーツというのはサッカーのようだ。
「くそっ。あいつら調子乗りやがって。大体、六年生の分際で大人気ねぇつーの。」
「あぁ。ほんと、ここは俺達の遊び場だったのに。」
との事を聞くからに大体の予測はついた。
どうやらここで始めに遊んでいた僕達五年生の遊び場に突如、六年生が乱入。一年先に生まれた力を使ってこの場を占拠しようとしているのだ。
「あの?桜木君。ごめんね桜木君には何にも関係ない事なのに。」
ポジショニングにそれぞれついたその時。隣から声が掛けられた。見ると眼鏡を掛けた少年がそこにはいる。
「ううん。別に。それより六年生ってのはやっぱ強いの?」
会話を聞くからには対戦はもう何度かしてるような感じではあった。そして今日は
大事な試合とも言っていたのを重ねると今日のこの試合で全てが決まるのだろうと予測できる。
「うん。まぁね。やっぱ、足は速いし。シュートは強いから。」
「あぁー。」
まぁ、そうだわなぁーと思うもそれだけなら勝機が無いわけでもないと思い始める。
「おっと。そうこうしてる間に敵が攻めてきたみたいだ。止めるよ桜木君。」
見れば二人で上手にパスを通しながら六年生チームが攻めてきている。フォワードの僕達はそのボールをカットするのが役割だ。既に二人抜かれている状況で僕達二人が最後の砦という事となる。
「へへ。楽勝。楽勝。」
早くも眼鏡少年を抜き終えた二人。ゴールまでの距離は数メートルと近付いていた。
「ん?くく、お前か?」
前に立ちはだかるようにゴール前に現れた僕を一目。今、現在。ボールを所持している例のリーダー格である吊り目が似合う男の子は笑った。
「行かせないよ。」
言う僕ではあったが正直、サッカーなど殆どやったことがない。体育の授業で今、やっているがそれでもまだゲームはやっていないし。
とにかくボールを奪う。
「おっと…動きが単純だな。くくっ。」
僕が正面からボールを取りに行ったのに対し、六年生はその場で一回転。ボールをキープしながらもゴール前に現れ、そのままボールを思いっきり蹴り上げた。
「くっ…」
ゴールキーパーを務めるかっちゃんと呼ばれた少年は必死にそのボールを止めようとはしたが速く右上に蹴られたボールはそのまま呆気なくゴールのネットに動きを止められた。
「くくっ。やっぱ時間の無駄じゃねぇ?降参してもいいんだぜ?」
開始早々にゴールを決めたのは六年生チーム。その強さは十分に分かった。眼鏡少年が言っていた、ただ速く、強いだけではなく相手はそれなりに個人技が出来る。
「あっ。悪い。ゴール決められた。」
しょせんは小学生のサッカー。ポジショニングはそれぞれあるにしろその場を離れるなというルールは適用されない。僕達は一旦、ゴール前まで集まってどうするかの作戦会議的なものを相手にも何も告げずに開始していた。
「もうっ。早いよかっちゃん。まぁ、僕も直ぐに抜かれたんだけど。」
頬を膨らませて言うは僕と同じポジションを務めていた眼鏡少年。
「でも、どうする。この前よりも強いよ?」
「あぁ、何かシュート力も上がってるし。あいつら僕達を倒す為に相当な練習してるぜ?」
などと話し合う時間がそう長い筈もなく。
「おい。まだかよ?どうせ結果は変わらないんだ。早くしてくれよ。」
確かに今は冬に入りたてとは言え気温はそうとう低い。動けば体は温まるが試合が始まってまだ数分。早くにゲームを始めたいのは分かる。
「くそっ。あいつら、いい気になりやがって。」
さっきからそんな言葉ばかり。結局は何も変わらず、何も話し合わずにただ
「あぁー。ゴール決まったね。六年生うざい。」と伝えあっただけで解散である。それではいつになっても勝てる筈がない。
「あっ、あのさ。ポジショニング。ポジショニングを今度は変えてみない?」
勝てるかどうかはやってみなきゃ分からないというけれど全くのその通りだと僕
は思う。何かをやらなければ変わらない。何かを変えなければ変わらない。
「は?お前、何言ってんだ?俺たちはずっとこの役割でサッカーやってきたんだよ。そんなの変えたって…」
とのこれまた同じクラスの誰だかの言葉だったがその言葉はかっちゃんたる人物に遮られる。
「あぁ。俺はいいぜ。前から、俺も前に出たかったしな。」
「おい。かっちゃん…」
との批判の声もあったが五年生チームのリーダーの承諾が出ると僕の意見は適用された。
―
前半戦は終わり、後半戦へとゲームは進行。そして気になる得点の方だが。
「十点差…さすがにこれは…」
チームの誰かが呟いた今の絶望的な得点。
「くく。もう無理だろ?バスケじゃないんだ。この点差は縮まらねえよ。」
後半戦開始前。六年生チームのリーダー。名前は前野さんというらしい吊目の子はお得意の笑い声を僕達へと聞かせた。
「くっ…悔しいがその通りだ。」
一人の仲間が言った言葉はこのチームの皆の代弁でしかなかった。実際のところ確かにサッカーで十点差を覆すのは無理困難。普通のサッカー試合は四十五分交代のところ僕達は三十分交代で前半。後半と分けて試合をしている。だからつまるところの話。残り三十分で今の点差をひらかせる事無く、尚且つ十点以上の点を取らなければ僕達は負けるということとなる。
「じゃぁ、まぁ。降参もしないみたいだしさっさと始めるか?くく。」
と、後半戦が始まろうとしていたので僕は素早く声を飛ばす。
「あっ、あの少し待って下さい。少しでいいんで話し合う時間を。」
「はぁ~。今更、無駄だと思うがね。いいぜ。」
「ありがとうございます。」
礼を一言。僕は皆を集める。さっきの休憩時間では僕自身の頭の中でしかまとめられなかった。
「んだよ?お前の意見を聞いても負けてんじゃねぇか?実際、お前も大したプ
レーしてねぇし。」
集まって早々に嫌味を言われるが仕方のないことだと僕は思った。
「ごめん。でも、これで勝てるかもしれない。皆は僕が言うポジションについてくれる?」
「は?何を勝手に。お前の意見を聞いて負けてんじゃねぇか。誰がお前の…」
「ちょっと待って。」
全く話を聞いてくれそうにないチームの一人を眼鏡を掛けた少年。智英君が途中で声をはさんでくれて話を進みやすくしてくれた。
「桜木君。何か考えがあるみたいだね。いいよ。僕は君の意見を聞くよ。」
「ちょっ、ひで。何、言ってんだ。実際、こんなにも点差が…」
「俺も賛成だな。桜木は頭もいいし。何か考えてんだろ。ししっ。」
英智君に続いてチームリーダーの和明君も首を動かしてくれる。
「うっ…じゃぁ。いいよ。そのかわり負けたら許さねえぞ。」
広がる賛成の声に始めは大反対の意を唱えていたその子も折れる。
「うん。じゃぁ― 」
「ほー。ポジションまた変えたのか?無駄だとは思うがね。」
相変わらずの含み笑いを口から溢し、前野君は僕を見る。
「今度は僕達が点取る番だから。」
「はは。それはいい。」
笑う前野君は変わらない。会話終了。試合は再開。僕がボールに触ると直ぐに予想通り前野君がボールを取りにきた。
「なっ…」
直ぐに奪えれるとでも思っていたのであろう。素早く、後ろに下げたボールはそこにいた和明君の足に。
が、六年生も対応が速い。すかさず和明君に渡ったボールを二人がかりで取りに来る。しかし、それも予想通り。
「うっしゃぁぁーーーー!」
掛け声を大きく和明君は全力でボールを前へと飛ばす。
「ちっ。時間稼ぎか?」
舌打ち混じりにそう言う六年生だが勿論、時間稼ぎなどではない。時間などないの
にそんな事、するわけがない。
「ナイス。かっちゃん。」
一見、適当に蹴られたと思われがちなボールはチームメイトの足元に。
「なっ…守れ。守れ。」
初めて六年生チームの中にボールがきた。その事実に前に出ていたリーダー。前野君は焦り、自分自身、直ぐにそこに向かう。
が、それも遅い。
「こっち。ボール。パス。パス。」
手を上げて直ぐにボールを貰うようにと合図を飛ばす。その場所は殆ど人がいないコート上の右サイド。
僕は前半戦。多分、たまたまだろうが何故か左サイドにしか人が集中していない事に気付いた。だから、ボールを後ろに飛ばして直ぐにその場所へと駆けていたのだ。
「くっ…護り固めろ。入れさせるな。」
ゴールまでの距離はまだあるにしろ完全に不意を突いたパスの回しに前野君はとうとう余裕がなくなったらしい。大声を上げて後ろにいたミドリフォワード。フォワードに指揮を飛ばす。
「調子に乗るなよ。五年。」
さすがは六年といったところか足が速い。しかし、残念。僕は前半戦にサッカーというものを完全に理解した。
「言ったでしょ。今度は僕達の番だって。」
来る足を素早く避け、ボールを操り、ゴール前へと躍り出る。
「暮林ー。全力で止めろー。」
間に合わなかった前野君は声だけでも後ろから全力で飛ばす。その声を聞いてこの人は悪い人ではない。ただ単にサッカーが好きな人なんだなと分かった。
それでも。いや、そうだから手加減はしない。
どっ。
ゴールからは少し離れた距離からのシュート。ボールは回転を帯びており、その進む軌道を若干と斜めに移動する。
「はは。残念。少し遠かったな。」
撃たれたシュートを後ろから見ていた前野君はこれは本心からの笑いだろうを混ぜた声を後ろから聞かせた。
が。
「うっっし。丁度だ。桜木。」
そのまま行けばキーパーの手に弾かれたであろうボールは元々そこにいたチームメートの一人の頭によってその角度を若干と変えられる。そして結果―
「うっしゃぁぁぁーー!」
後半戦。早々にゴールを決めたのは僕達五年生チームだった。
「すげぇよ。お前、本当に入った。」
先程、ヘッドでゴールを決めた一人が早くに僕に近付いてくる。
「はは。でも、凄いのは僕じゃないよ。」
「はは。またまたー。」
そうは言うが本当の事だ。前半戦で僕が見て得た情報を後半戦で活かしただけなのだ。僕自身はサッカーを理解しただけ。数々のポジションチェンジはそこにあった人材への配置を確実にするため。この人は飛ぶボールに強いだとか。この人はパスコースを読むのが上手いだとか。パスが上手いだとかそんなとこだ。
「でも、まだ点差はひらいたままだよ。次、取ろう。」
「おうっ。」
漂っていた絶望的な空気はたった一度のシュートで綺麗に消えていた。逆にこの空気に流れ始めたのは反撃への志し。
そして後半戦。僕達、チームは激戦を繰り広げ、繰り広げでとうとう同点まで追い上げた。それまで無得点でいられたのは何も中に入られなかった。シュートを撃たれなかったとかそういうわけではない。ゴールを護る守護神が最高な仕事をしてくれたからだ。
守護神。英智君。
彼は決して俊敏な動きが出来るわけではないがボールを見る目が秀でていた。目というかそれは予測に近い。この距離で撃つシュートはどこか?タイミングは?それを大体、頭で理解しているが為に相手がボールを蹴るよりも早くにそこにいるという神がかった事が出来た。眼鏡キャラは伊達ではないとの事だ。
そして始めに決めていた終了時刻。公園内に建てられる柱時計の針が五時を指すのには残り一分を切っていた。
「くっ…五年なんかに。五年なんかに負けるかぁーー。」
始めの余裕は影もない。前野君は必死な表情で僕からボールを奪おうとする。
しかし、僕はもう前野君の動きを完璧に理解。把握していた。そしてボールの操り方も。
ドッ。
前野君を避けて撃ったシュート。それは上に回転を帯びさせたドライブシュート。
「は。力みすぎたな。」
撃ったボールのスピードは確かに速い。だが、ボールはゴールよりも若干と上に飛んでいるようだった。
「ううん。僕達の勝ちだよ。」
ガンっ。
響いた音。キーパーさえもこのシュートは外れた。そう思っていた。
のにだ。
シュッとネットに回転を殺させて、ポンポンポンとリズムよく跳ねたボールはゴールの中。
そう。放たれたシュートはゴールのポストに当たって予定通り。角度、四十五度でゴールの中へと入ったのだ。
「・・・嘘だろ。」
前野君が膝を折るのと同時。僕はチームメートに囲まれた。
公園を賭けた何ともしょーもない試合は僕に初めて出来た友人との遊びだった。そして六年生。僕がその学年になるまでには僕は学年中の皆に声を掛けられるようになっていた。
**************
小学五年生の頃、この小学校に転校してきた僕は友人という友人がいなかった。だが、それももう心配の範疇にはない。
「おーい。雲雀ー。今度はこっちの助っ人、頼む。」
「ダメよ。今日の放課後、雲雀君は私達とお買い物するんだから。」
例のサッカーの事が話題に上がり、僕は男子からはこうやって助っ人を多く頼まれ、女子からも人気が出てきていた。
そして時は十二月二十四日。世間ではクリスマスイブとどこも賑わいをみせている季節。学校でも自分はこんなプレゼント頼んだんだ。だとかの話題で盛り上がりを見せていた。
「なぁ、雲雀はプレゼント何貰うんだ?」
サッカーの時から仲がよくなった和明君が僕に今年のプレゼントを訊ねてくる。
「僕はゲーム機頼んだよ。皆も持ってるやつ僕だけ持ってないから。」
「おぉ。そうか。これで雲雀も一緒に遊べるな。」
和明君は最後にうししと笑いを加えて「で、」と話を切り出した。
「今日も悪いんだがサッカーの試合出てくんねぇか?今日は地元で有名なサッカー部との試合が申しこまれてんだ。お前、無しじゃ絶対に負ける。」
「うん。いいよ。別に…」
との時。ランドセルに吊るしてあるキッズ携帯が振動した。この携帯は親以外にしか繋がらない機能になっている為にその電話主も直ぐに分かった。
「ん?出ないのか?」
「うん。どうせ直ぐ帰ってこいとかそんなんだと思うから。」
初めて出来た友達からの絶対の誘い。それを電話一本で断りたくないと思った。
「ふ~ん。あっ、止んだな。」
「ほら、別に大した用じゃなかったんだよ。」
「まぁ、雲雀がそう言うなら別にいいけどよ。」
僕は頷き、彼とその相手が待つというグラウンドへと向かう。
始めに結論だけ言っておく。試合には勝った。勝ったのだ。それでも失ったモノは。勝利の対価はあまりにも多大すぎた。僕はその日。全てを喪った。
**************
「ただいま。」
安いアパートの一室。そこが当時の僕の家だった。父さんは普通のサラリーマン。母さんも普通の主婦。病弱な妹がいるという点を除けば至って普通の家族構成だと思う。
「あれ?鍵が開いてない。もう、お母さん。まだ買い物から帰ってないな。」
合鍵たるものが無い今、母親が持っていると思われる鍵だけがここに入れる唯一の物。だからここで僕がとる行動は決まっている。
プルルルルル~。
ランドセルから携帯を外し、それを短く操作。直ぐに耳に当てる。
「君。桜木雲雀君だね?何で電話に出なかったの?君の。君のお母さんは…」
「え?誰?」
出たのは誰かも予想も出来ない人物。その声から男のものだとは分かったが誰なのかはさっぱり分からない。
だが、そんな混乱中の僕を差し置いてその人物は焦ったような声を続け、伝える。
「君のお母さんはもう死んでしまったよ。」
「・・・・え?」
何が?何で?なんて言った?言葉が理解できない。その後の言葉が全然、耳に入ってこない。
お母さんが死んだ?
そんなのある筈がない。
「…嘘だ。嘘だ。嘘だ。お前は誰。変な冗談、言ってないでお母さんを出せ!」
冗談だ。嘘だ。そう言い聞かせているのだが心臓の脈打ちは。吐く息は。荒い。速い。
早く。お母さんの声が聞きたい。
が。
「雲雀か?」
「お父さん?」
電話に変わって出たのは父さん。僕はすがりつくようにお父さんに声を通した。捲し立てた。それでもお父さんは言った。
「雲雀。今、お前。家か?直ぐに行くからそこで待ってるんだ。いいな。」
「え?ちょっと、お父さん。お父さん…」
切れた電話。お父さんは最後まで冗談だ。嘘だとは言ってくれなかった。
「嘘だ。そんな。だって今日はクリスマスイブじゃないか。何で…そんな」
もたれ掛かった扉は本当に冷たかった。分かっていた。それが嘘じゃない事。お母さんがそうなってしまった事。始めは聞こえなかった妹の泣き声。お父さんの真剣な声音。携帯電話に掛かっていた何十もの着信歴。切れかかっている携帯の電池。分かっているんだ。
「お母さん…」
それから十数分くらいだろうか。お父さんが来て、僕を病院へと連れていってくれたのは。
見せられたお母さんの姿はただ眠っているようにも思えた。それでも隣の機械が。空気がそれは違うと僕に知らせてくれた。もう、お母さんは一生、目を覚まさないのだと。
「何で…」
改めて溢れた言葉。だが、涙も流す暇もなく大きな泣き声と衝撃が僕に届く。響く。
「お兄ちゃん。何で。何で電話に出なかったのよ?私、電話したのに。どうして…」
涙を流しすぎたのだろう目が腫れている。僕は何も言えなかった。
電話。
その言葉が意味する事は勿論、僕は気付いていた。だからこそ何も言えない。言う資格がない。
「君のお母さんは病院運ばれた時にはもう…」
泣きじゃくる妹に体を叩かれている僕に声を掛けてきたのは始めに電話から聞こえた声の主。
「…そうですか。」
白衣姿をした年も高齢の男性は少なくとも悪い人ではなさそうだった。助かる見込みがあったのならきっと手を尽くしてくれただろう。
と、そこで疑問を感じた。
何で、直ぐに救急車を呼ばずに妹は僕に電話を掛けたのだろうか?
「お母さんはな。血を流しすぎたんだ。だからお母さんはまずはお前に電話するように百合に言ったんだろう。」
僕の心を読んだのかお父さんは答えてくれる。
「血をながしすぎた?そうか…」
僕は。そしてお父さんも知っていた。お母さんは稀にいるといわれるCE抗原系を全く持たないというバーディーバーと表記される血を持つ者。ゆえ、輸血も極めて困難でありバーディーバーと全く同じ血液しか受け付けない。そしてそれを持つ者は家族内では僕と百合だけだった。
「ごめん…」
僕は小さくそう言った。もう起きないお母さんに。百合に。お父さんに。そう言った。言っても何も返ってはこない。言っても時は戻らない。それを知っていても言うしかできない。涙を流してもどうしようもなくても感情は止められない。
お母さんと最後に交わした台詞は?お母さんに作って貰った最後の料理は?最後と知っていたらもっと…。
いや、それはお門違いというものだ。最後などではなかった。あの時、友情よりも電話を取っていればお母さんは生きていた筈なのだ。電話を寄越したというのは割と近くだったのだろうし。救急車内で輸血できていればお母さんは…。
「雲雀。お前のせいじゃないからな。」
お父さんも泣きたいだろうに懸命にそれを堪えている。父親の威厳。子を不安にさせない為の強さ。素直に凄いと思った。そして本当に悪いと思った。
僕が壊した日常。僕が奪ったお母さん。
分かっている。分かっている。だけど今更、何も出来ない。今、出来る事は…
「…ごめん。」
やはり謝る事しか出来なかった。
そして最悪なクリスマス当日はサンタではなくお坊さんが来て終わりを迎えた。お母さんというい大切な人を持って行って。終わりを迎えた。
**************
後から聞いた話なんだけどね。ママは居眠り運転で突っ込んできた車から百合ちゃんを護って吹き飛ばされたんだって。その直後はまだ息はあったみたいなんだけど運が悪い事に吹き飛ばされたママは近くの店のショウウィンドウに突っ込んじゃったんだ。それで色んな箇所から血を流しすぎちゃってね…。結局、間に合わなくて救急車の中で死んじゃったんだって。
と、桜木は渇いた声で話に釘を打った。おわり。おわりとは言わなかったが昔話は終わった。
「そうか。」
何がそうなのか?自分自身、何を言っているのか分からない。しかし、俺はその言葉を始めに言った。
「だが、百合ちゃんは何で血を分けなかったんだ?百合ちゃんもそのバーディーバーとかいう血の持ち主なんだろ?」
正直、それ以上に言いたい事。訊きたい事はあったがまずはそれから。サッカーの話長ぇだろ。とかいう文句もね。言える空気じゃねぇけど。
「あれ?言ってなかったけ?百合ちゃんは生まれつき血の流れが乏しいんだよ。だから輸血なんてできなかったんだよ。したら命に関わるから。」
それこそ寂しそうな表情を浮かべて言う桜木。だが、あの子にそんな事情が。あの俺に胡椒改め、殺人道具を使用してきた幼女がそんな深刻な問題を抱えていたなんて。
「何か悪ぃ。」
謝る理由はさっぱり分からなかったが何となく謝ってしまう。それは桜木も同様だったらしく困った表情を浮かべて「うん。」と言っただけだった。
「で、お前が女装をするようになった理由は?根本的な理由を聞いてねぇぞ?」
過去は知った。私物がこの部屋にない理由もなんとなく分かった。自分だけ娯楽に興じたくない。母親を間接的に殺したと思ってるコイツは自分自身、それを許せれないのだ。
だが、女装は?それをする理由がさっぱり分からない。
「僕がこの格好をしてるのは代わりなんだよ。百合ちゃんから。パパからママを奪ったからせめてもの僕の償い。格好からでもママになろうとしたんだ。」
寂しそうに言う桜木は分かっているのだ。そんな事をしても無駄以外の何でもないという事が。分かっていてもそれでもしている。
「…あのな、桜木。」
俺は咳もクシャミも治まった体を桜木へと向けた。そして言う。真剣な眼差しで。目を見て口を開く。
「そんな事をしてもお前は母親にはなれねぇんだぞ?」
静かに決して大きな声で言った言葉ではなかったがこの簡素な部屋にはよく聞こえた。
数秒の沈黙後。ソファーが微かに動く。桜木が俺から目を逸らし、その場で立ち上がったのだ。そんな俺に横顔を見せ、彼は
「そんなの知ってるよ。でも、責任だから。」
と静かに言った。
始めの宣告通り。俺の言葉ではコイツは動かない。その事にどうしてもため息を吐かずにはいられなかった。
母親の死が関係しているとあるならば今の俺にはどうする事も出来ない。それが間違ってると知っていてもだ。今の俺では彼を説得できはしないだろう。だから今はこう言うしかないのだ。
「そうか。」
無責任で無情な言葉。今の俺にはそれしか言えない。だが、それでいいとも思った。確実にコイツに近付いている。問題を知った。今日はそれでいい。クリスマスはもう終わるけれども俺達の時間はまだ終わりではない。だから今は 知った。 それだけでいいのだ。
「さてとっ。じゃぁ、腹減ったし、咳もクシャミも止まったしメシ食いに行くか。」
それまでの空気を壊さんとべく発した声は思いのほか思惑通りの声が出てくれた。桜木はそんな俺の気遣いに直ぐ気付く。
「うん。行こうか。」
気付いたとは言ったがやはり声には元気がない。話したくない話を話させたのだ。当たり前な事だと思った。と、同時に申し訳ないとも思う。
それでもこれは通らなければならない道。仕方がないのだ。知らなければ戦えない。桜木雲雀の決まった覚悟に挑めない。
天井近くに設置してあった小窓から微かに白いモノが見えた。それは開戦を報せる合図というのか。桜木を任せたという空…もとい、桜木母の願いというのか多く数を増やしているようだ。
「…任せて下さいっす。」
俺は小さく呟くと一人、強く拳を握り締めた。
やはりクリスマスは嫌いだ。