聖夜の夜への準備は着実と進んでる
クリスマスという地獄のイベントまで残り一週間を切っていた。町はそれに合わせた物で溢れ、人々の話題もそればっかし。そして今日も空色模様は晴れていない。
『ほら見てください。こんなに入った牡蠣がたったの五千円。』
『ピッチャー振りかぶって…』
『と、被告人は述べている模様。次のニュースです。』
ピッ。
「ふゃぁ~ぁ。」
一通りリモコンを動かしてから電源のボタンを欠伸と共に押す。今日は日曜。休日の中では最も憂鬱になる曜日だ。
はぁ~。これ終わったらまた一週間学校か。まだ朝、始まったばっかですけど。
とは言え今日は学生にとっても社会人にとっても待ちに待った休日だ。こうして遅くに起きても誰も何も言わない。幸せとはこの時かな。
と、朝の至福に頭プカプカしていると。
ピンポーン。
「ゆうちゃん?起きてる?」
至福の時間はそんなには続かない。
「はいはい。今、開けるよ。」
寝起き直ぐに呼び鈴鳴らすとかコイツは神か予知能力者かよ?
「おはよ。て、今起きたばっか?」
「あぁ。まぁな。てか、さみぃ。そこ早く閉めたいから中入れ。」
開けた扉の先には予想通りの人物。桜木雲雀が今日は猫耳のニット帽とマフラー。コートを羽織ったという姿で立っていた。今日の気温はこの冬一番の寒さだとかどうとか。それ何回か聞くけど実際はどうなんすかね?それともそう思ってんのって俺だけ?
まぁ、寒いのは確かなのでどうでもいいんですけどね。
「まだ飯、食ってねぇんだわ。適当に済ますから少し待っててくれ。」
欠伸を口にしながら俺は洗面所の方へと足を進める。
「うん。分かった。でも、もう昼だよ?」
冷えた冷水で顔を洗っているところに桜木の声。はい。そうですね。もう昼。ランチタイムですね。
「分かったよ。じゃぁ、着替えるから待ってろ。」
「ん?僕、そんなつもりで言ったんじゃないんだけど…」
「いいんだよ。何かパン一枚焼くのもめんどくさくなったから。」
「まぁ、ゆうちゃんがそうなら僕は何も言わないけど。」
桜木はそれ以上は何も言わない。てか、人様の食時事情に一々、口出しするのもどうかと言える。桜木はそこのところはちゃんと分かってる人間らしい。
「うっし。まぁ、じゃぁ行くか。」
顔も洗った。歯も磨いた。防寒着も完璧。髪はボサボサだがまぁいいだろう。とにもかくにも準備は万端。
「うん。妃那さんもきっと待ってるよ。」
「いや、あの人は待ってねぇと思うぞ。」
会話もそこそこに俺たちは部屋を出る。開けた時に肌を射る冷風に身を震わせ、俺達は冬の外へと続く地を踏んだ。今年もやってくる俺には無縁で関係のないイベント。クリスマス。そしてそれが終わればもう今年も終わるのだ。あっという間の一年間。そう思うのは歳をとったせいだろうか?
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流れる音楽はもう耳に馴染みつつある。香る匂いも温度も。全てが体に安堵を伝えてくれる。
「呼んどいてなんだが日曜の休日にお前らも暇だな?」
そう言って湯気立つコーヒーをくれたのはここのマスターである朝坂妃那さん。独身。年齢秘匿。(訊いたら目だけで殺されました。)
「そうっすね世間は何かしら騒がしいっすからね。あっ、でもここのコーヒーは
美味いっすよ。って、あちっ!」
店内をそれとなく見渡し、皮肉っぽく言ってはみたが何か見えない殺気にビビってしまう。またも舌を火傷した。ここのコーヒーまじで熱い。
「まぁ、確かにここももっとイベントの波に乗って色々するべきかもしんねぇな。ブツブツ…」
俺の言葉は聞かずに何やらブツブツ呟いているマスター。気にしていたんですね。すいません。
「あっ、あの?それより僕達を呼んだのって…?」
マスターが今後の店の方針を模索している中、桜木の控えめな手が挙げられる。
「おっ、そうだな。悪い。」
桜木の言葉でマスターは当初の目的を思い出し、口を開く。おい。忘れてたのかよ?
「少しな新メニューを考案してだな。ケーキを焼いてみたのだ。食って感想を言ってくれるか?」
言うが早いか後ろのカウンターに置いてあった一皿を俺たちの前に差し出すマスター。その皿に乗っていたのはブッシュド・ノエルたるケーキ。アレンジとしてはそこにコーヒー豆をすり潰した物を含んでると言う事と中身のクリームをコーヒークリームにしてることだろう。中々に美味そうである。
「はぁ。別にそれはいいっすけど。それって俺達でいいんすかね?」
確かにここ最近はこの店に来て、テスト勉強なり桜木と次行く所とかを決めたりしてもう常連さんではありますけど。
「あ?何だ?気に入らなかったか?」
「あ…いや、そうじゃなくてですね。そのこういうのって友達とかそれこそ彼…ー
ライス食べてる人とかの方がいいんじゃないっすかね?」
言葉の途中。もの凄い殺気を感じた。咄嗟に俺の防御システムが発動。ふー。生きてるよね?俺、大丈夫だよね?
「いいから食え。客の意見が一番、参考になんだよ。」
「まぁ、そういうことなら…」
と、勧められるがままに置かれたフォークを手に握る。さすがにこれ以上の発言は命の保証が出来ない。メニューを考えるよりもまずは人格では?
「ん~。モグモグ。…」
ふわりとした生地。ほのかに苦味がかかったコーヒー味。中には砕かれたアーモンドが散乱しており味もさながら食感の飽きもない。
「美味いっす。」
「うん。美味しい…です。」
俺も桜木も好感の感想をマスターへと返却。その当人は満更でもない表情。
「ふん。それは当然だろ。私が聞きたいのはそんなものではなくてだな。ここから更に美味くするかの意見だ。ほれ言え。」
照れ隠し…ではなさそう。始めっからそのつもりで俺たちを呼び、これを食わせたのだ。
とは言え。
「そんなこと言われてもですね…。俺、菓子作りなんて全くやらないですし…これと言った案は。」
等とボソボソ呟く俺とは対照的に。
「このクリーム。コーヒーだけではなくチョコクリームも合わせてみてはどうですか?そしたら甘さが増して色んな方にも食べやすくなる筈です。それと中に入れる物にも麦チョコなどの物を混ぜてみてはどうでしょう?」
ここに来て初めて桜木が饒舌に口を動かす。言われた意見を取り入れたら?
想像してみると確かに美味さは増すだろうと思える。さすがは桜木。
「おぉ。そうか。なら早速、試作品を作るとするか。」
言ってマスターはカウンター後ろのキッチンへと姿を消す。まともな意見が貰えて嬉しそうだ。まぁ、俺の主観ですけど。あの人ほんと、表情顔に出さないからな。
「で、俺達は出来るまで放置か?」
残された俺達。机に乗るは食べかけのケーキにそれと一緒に出されたコーヒー。もうすっかり温く、俺にも普通に飲めるくらいの温度に下がっている。
「ねぇ。ゆうちゃん?ゆうちゃんはやっぱクリスマスとかにケーキとか食べるの?」
不意に掛けられる声。その声には動じないがその言葉についつい反応してしまう。
「おい。そんな悲しい質問するな。過去の自分を思い出して泣くぞ。」
どうせ俺のクリスマスメニューは毎年、毎年。変わらないものですよ。ちょっと贅沢してデザートにコンビニのシュークリームー付けるだけだ。かわいそすぎるだろ。俺。
等と人知れず涙流しているとそんなの知らんと言うように桜木の声が続く。
「ん?よく分かんないけどそれじゃぁ、今年は僕が作って上げようか?でっかいやつ。」
「でっかい?」
作ってくれるのはありがたいのだがでっかい?
「そのあれだ。作ってくれるのはいいんだがでっかいって具体的にはどのくらいのなんだ?」
恐る恐る訊ねてみるもある程度は予想している。
「うん。そうだなぁ~?ウエディングケーキの倍くらいは作りたいかな?」
首を傾げて何を言っておるのじゃ?
「そんな大きいのはいらん!食えんし、俺の家には絶対に入んねえ!」
「ん?ゆうちゃんが僕の家に来ればいいんだよ。倒れないようにちゃんと中には
でっかい柱の役割をしたポッキーでもさしておくし。」
キョトンとした表情で答える桜木。その表情を見るからに実現できそうであるから怖い。
「いや…そういう問題じゃなくてだな…。」
呆れたというよりも逆に凄さを感じる。桜木雲雀はやはり人間を超越した存在なのでは?
「おい。お前ら青春に盛り上がってるところ悪いがいいか?」
桜木と何の益体もない話をしていると妃那さんがキッチンから姿を現す。手には泡立て器。どうやら卵白を泡立てていたようだ。
「なんすか?別に青春なんかしてねぇっすけど。」
もう大分馴染んではきているが桜木はまだ若干とこの人を苦手としている。だからその問には俺が。
「あぁ。麦チョコとチョコクリームを作るための材料が無くてだな悪いがどっちか一人、買い出しを頼めないか?」
「ん?そんなんなら俺達で行きますよ。」
妃那さんの言葉に若干と不審を感じる。だが、妃那さんは俺の言葉には首を横振り。
「いいや。一人でいい。そうだな。お前にはチョコクリームの材料なんて分からんだろ?悪いが桜木行ってきて貰えるか?」
「あっ、はい。」
突然の名指しに驚いたのだろう。慌てて席を立つ桜木。
「じゃぁ、少し待っててくれ。今、財布とってくるから。」
「えっ、あっ。いいですよ。そんな僕が言い出した事なんですからお金は僕が出します。」
上の階に財布を取りに行こうとしている妃那さんを慌てた様子で引き止める桜木。
「ガキに出して貰えるか。いいから少し待ってろ。」
「あっ、いや…」
桜木の否もろくに聞かずに上の階へと上がって行った妃那さん。手には泡立て器を持ったままだった。
「じゃぁ、これ金な。領収書とかはいいから貰ってくんなよ?ゴミになるだけだから。貰ったら貰ったらで捨てとけ。」
「分かりました。じゃぁ、行ってきます。」
財布を受け取った桜木は言われた言葉に頷く。
「あぁ。じゃぁ、頼んだ。」
妃那さんはそんな桜木に一言、送り出す。開いた扉の隙間から桜木の軽い会釈が見えた。
カランッ。
一つ。扉上に掛けてあるベルが音を鳴らすとこの場に何とも言えない静寂が訪れる。
「あっ、あの。何で一人なんすか?」
確かに麦チョコにクリーム?の材料買うだけに二人もいらんだろうがどうせやることのない俺。別に行ってもいいとは思う。それくらいは妃那さんも察しているだろうし。
「麦チョコはともかくチョコクリームの材料はあった。」
「は?それってどういう意味…」
言うがその言葉は一方通行。返答は返って来ない。妃那さんは無言のままキッチンへと姿を消す。
「ったく何なんだ?」
呟いた声も虚しい。残ったのは食べかけのケーキに飲みかけの冷めたコーヒー。聞こえる音楽に香る匂い。しばらく俺はそれらの空間でぼーっとしていた。
「少しお前に話を聞きたくてな。あの子には悪いが席を外させて貰った。」
数分。いや、十数秒だろうか?とにかくそんなに長い時間掛からずに妃那さんが湯気立つコーヒーカップ二つお盆に乗せて現れる。
「話?悪いっすけど俺にここの店繁盛させる案とか聞いても無駄っすよ?」
どうせまた無言の殺気を放たれるのだろうなとは思ったが取りあえずは軽口を。
が、こない。代わりに違う言葉が。
「お前はあの子をどう思っている?」
「は?」
言葉を無視されたとかはどうでもいいが耳に届いた言葉がよく分からない。と、そんな俺の表情から察したのだろう。妃那さんは繰り返し言葉を俺へと発す。
「だから、お前はあの子。桜木雲雀をどう思ってるかって訊いたんだ?」
言い方は変わらないし表情もいつも通り。だが、どことなく感じる真剣で逃げられそうにないオーラ。
「いや、どうって別に…」
真剣なのは分かったが質問の意図が分からない。返答には戸惑いを隠せれない。
「そうか。お前はあの子を他の奴等とは違く偏見的な目では見ないのだな?」
俺が戸惑い、考えていると妃那さんの薄ら笑いが含まれた声が聞こえる。言い方は変わらずの荒っぽいものだったが。
だが、その言葉にはそれまでの刺刺したものがない。刺が取れて丸みを帯びたようなものだと俺は感じた。
「あのっ…それって」
堪らず尋ねる。すると妃那さんは俺の目を真っ直ぐと凝視して口を開く。
「私は昔、桜木家の。主に雲雀坊ちゃんの世話役を担っていた。」
偶然とは予期せぬところでやってくるというが本当だ。が、驚くべきはそこではない。
桜木家?世話役?桜木の奴。やっぱ、とんだ金持ちの息子だったのか?まぁ、何となくは分かってましたよ。えぇ。
「で、俺に何を?」
急遽来た言葉は冷めたコーヒーで一旦、飲み込む。新しいのは見るからに熱そうだったので手が出しづらかったんです。
「何をって、言ったろ?お前は雲雀坊ちゃんをどう思ってるかって?それだけを訊きたかった。」
妃那さんは何を言ってるんだコイツは?というような感じで俺の問いに即答。
「じゃぁ、何で今更?俺たちがここに訪れた時は何度かあった筈だ?あいつの事を気にしてんならそれこそ始めに問うべきなんじゃないのか?」
始めは無理でもそこそこに話したその後ならば適当なこと言って今日みたいにどかせれた筈。それが何故に今日なのか?もう十回以上はここの店に訪れているだろうに。
「まぁ。お前の言い分は正しい。だが、仮にも坊ちゃまの世話焼きを担っていたのだ。あの子の考えくらいは多少なりとも分かる。」
素直に俺の言葉に頷いた妃那さんは言い終わった後に湯気立つコーヒーを喉に通す。その光景を見ると熱くないのかコレ?とか思ってしまう。
「分かるから安心したと?なら、尚更疑問だ。何で今になって俺にその確信を訊ねた?」
妃那さんがコーヒーを飲み終わったのを確認後、俺は問の続きを。だが、妃那さんは答えない。俺はそれを急かさなかった。そして数秒。返事が返ってくる。
「クリスマスがもう近いだろ?」
「へ?まぁ、そうっすね?」
返答まで時間を掛けたのだからそれなりの回答を予測していたのだが返ってきたのは予想もしていなかったその言葉。
「えっと…ですから?」
訳が分からない。何でここでそんな俺の大っきらいなイベントが登場?ここに来てこの人の愚痴で話を逸らすつもりか?
「お前、どうせ誘われたんだろ?その…パーティーに。」
「はぁ~。アイツの家で開かれるそれっすか?何かサンタが来るとか凄いっすよね?」
昔、メイドをやっていたというのだ。そのパーティーというものは当然、出席していたであろう。だが、何でそんな話をしているのかがやはり分からない。
「そんな楽しいものではないと思うぞ?少なくとも雲雀坊ちゃんには苦痛の時間であろうよ。」
「は?だが、あいつ結構、楽しそうに話してたぞ?」
言うが妃那さんの表情は変わらない。まぁ、元々変わってはいないのだが。
「あの子はそういう人間なんだよ。気付いてても気付かないふりをする。辛くても泣き言一つ言わない。そんな子なんだ。」
「・・・・・・・・。」
何も言えない。確かにそうだからだ。桜木雲雀という人間と関わってきたこの数ヶ月。俺も見ていたのだから知っている。
「じゃぁ、そのパーティーってのは、来る人がアイツの事を何か言ったり嫌がらせとかをするのか?」
話を聞くからにはそうなのだろう。俺は鈍いわけでない。むしろこういう空気の流れには敏感な方だ。
「いいや。あくまでパーティーの主役は桜木家だからな。その血縁者である坊ちゃんを嫌悪はしない。」
「なら…」
「それでも空気ってものは伝わるだろ?あの子はああ見えて結構、そういうのには敏感なんだ。」
言葉の途中で妃那さんが答える。俺はその遮られた言葉にまたも黙るしかなかった。
「ならあんたが今更、俺にアイツの事を問いたのは俺が本当にあいつを守れるかどうか?そういう意味なのか?」
問うと妃那さんは黙って頷いた。
「あぁ。私はもうあの子の何でもないがどうか頼みたい。あの子は心の病気なんだ。私じゃそれをどうすることも出来なかった。」
言う彼女はどこか寂しそうである。その事には触れない。なんで妃那さんがやっていたメイドを辞めて喫茶店の主人となったのか?そんなことは今は知ることではない。
始めに問われた問い。俺は桜木雲雀をどう思っているか?始めにそれを言われた時は「は?」と思ったが今なら分かる。
「俺はアイツの事を本当の恋人だとは思っちゃいません。ただのゴッコ遊びです。」
そうなのだ。俺はアイツとは友以外の何でもない。ただその友達は病気なのだ。そして彼自身その事を知っている。だが、どうしようも出来ない。理由はまだ知らないが彼のあの女装はきっと逃げなのだ。問題から目を背けて自分を嫌い、騙し。だから俺という人間を好きになる事でそれを完璧にしようとした。
だが、そんなのは…。
「ですから俺はその遊びに最後まで付き合います。アイツのあれは間違ってるから。俺はあいつの友達。それはアイツが男だろうと女だろうと変わりません。」
やっと分かった俺がアイツにその遊びを止めようと言わなかった理由。いや、言えなかった理由。それを第三者に言った事で何か気が楽になった。
「そうか。なら安心だ。頼むよ新戸。」
話は終わったと言うのか席を立つ妃那さん。だが、その言葉とは裏腹な感情が俺には伝わった。それが俺には分かった。安心などないのだ。確かな確証。結果が出るまでは安心などの二文字はない。俺の気持ちは伝わっただろうがそれでもそれだけ。
「あっ、あの。」
「何だ?」
空になったカップと冷めた二つのカップをお盆の上に乗せて去る妃那さんに一言、言いたくて声を掛ける。
「俺はアイツの事、ちゃんと好きですから。」
言った直後。妃那さんは無言で俺に視線を向けた。そして一言。「そうか。」とやはり変わらない口調で告げた。
その後に流れ聞こえた音楽。香り。今まであったそれに気付くのに少しの時間が掛かる。
「俺は何をやってんだろうな?」
呟いた一言。その言葉はいつの自分に言ったものだったのだろう?
屋上で告白された時の自分?それとも入学式初日に桜木を助けた時の自分?それとももっと前の…。
カランッ。
桜木が出て行ってから約三十分といったところだろう。一つのレジ袋を片手に扉を潜ったのは言わずもがな桜木その本人。
やはり、やることなくそれまでボーっとしていた俺はその音に気付きそこに目をやる。
「た、ただいま戻りました。」
コイツがこう緊張しているのは元自分のメイドだって事に気付いてるからなのであろうか?それなら納得できる。偶々、出向いた店に自分のオカンがいるような感じだろう。それは緊張…いや、何か気まずい。帰りたいとなるだろう。
いんや。コイツに限ってのそれは多分違うか。メイドなんて俺には無縁だからそこんとこの問題がよく分からん。
「遅かったな。」
キッチンにいるであろう妃那さんよりも先に俺が言葉を掛ける。すると桜木は妃那さんの策など知ったこっちゃないというように(当たり前か)疲れた笑顔を俺へと向けた。
「あっ、ゆうちゃん。ほんとだよ~。僕が求めていた麦チョコがどこにもなくて5軒もスーパーはしごしちゃったよ~。」
「お、おぉそうか。」
その心中は痛いほど察する。心の底からご苦労様と思う。
「お~、悪かったな。今、温かい飲み物淹れるから待ってろ。」
キッチンから出てきた妃那さん。何でかまたも泡立て器を片手に現れる。泡立てすぎじゃない?
「あっ、いえ。その遅くなってすみません。」
俺に話しかけた時とはえらい違い。始めはただの人見知りだと思ったが妃那さんの話を聞いた後ではそうは思えない。まぁ、多分それも少しは混じってるのでしょうが。
「あぁ。そんな謝んなくていいから。買ってきた物くれ。」
妃那さんは相変わらず。ぶっきらぼうな言い方と動作で桜木からレジ袋を受け取る。
「じゃぁ、ほんとありがとな。」
レジ袋を背にキッチンへと戻る妃那さん。その後ろ姿マジでかっこいい。手に持つ物が泡立て器ではなく盾であったら。背に担ぐレジ袋が剣だったら魔王城に一人で挑むその光景だ。
「なぁ、お前は…」
妃那さんが完全にキッチンへと姿を消し、桜木が席に着いたのを確認後、俺は思った事を口走ろうとした。
が、それは途中で切った。
「ん?何、ゆうちゃん?」
途中で言葉を切った俺を不審に感じたのだろう。すかさず桜木が首を傾げて問いてくる。
「いいや。何でもねぇ。」
「えぇ~?なにそれ~?気になる~。てか、妃那さんと二人っきりの時にゆうちゃ
んは何をやってたの?まさか浮気とかしてないよね?」
「ばぁーか。んなことするか。てか、浮気ってなんだ?」
言おうとした言葉。「お前は妃那さんの事、気付いているのか?」「お前は何でそんな風にいられるんだ?」「お前は気付いているのか?自分が傷つき、間違ってることを?」
妃那さんと話した直後、問う質問は多数にあった。それでも俺はそれを言わなかった。それは何でか?仮初めのこの時をまだ壊したくなかったからだろうか?それともただ単に俺自身がそれを恐れているからだろうか?
答えなど分からなかった。それでも今は問うべきではない。何かの感情がその先の言葉を閉ざした。
妃那さんがよく言う青春に花咲かすだのなんだの。それは本当にこれを青春だと思って言っていたことなのか?それとも冷やかしか何かか?真相は彼女しか知らない。
けれど俺は思う。青春などない。この冬が明けてもそんな春はない。
青い春。俺たちに待っている春はそんな安いものではない。豪雨と嵐に耐えて、吹雪に流されず、そしてくる春。きっとそれらを超えた春は人並み以上。七色の春とでも言おうか?そんなものが待っているのだ。だから俺は戦う。そんな春を求めて。やっと見つけた光。それを手に入れるために俺はコイツとの恋愛ごっこを終わらす。
「おい。青春を謳歌しているところ悪いが出来たぞ。」
益体のない会話を時間つぶしにしていると二つの皿を持った妃那さんが現れる。
「ん~。見た目はさっきと変わってないっすね?」
置かれた皿に一目。素直な感想。
「いいからお前も黙って食え。」
「あっ、はい。」
横の桜木は何か真剣な表情でケーキをモグモグしている。その表情さながらプロ。そこいらの適当なグルメレポーターなど目でもないといった感じだ。
と、そんな桜木はともかくとして俺も出されたケーキにフォークを突き刺す。
食べたケーキはさっきのよりも格段に美味しかった。それでも何でだろうか?苦味は消えない。この苦味を消すにはきっと何杯もの砂糖では不可能。俺は想いと共に咀嚼したケーキを飲み込んだ。