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俺の彼女は…  作者: イスカンダル
 1章 [寒い春]
4/59

桜木雲雀という人物

一日が短い。そう感じ始めたのはいつ頃からだったろうか?


 ブーブーブー。


「ふゃい。」


「もうっ!また寝てる!遅刻してもいいの?」


「分かった。分かった。少し待ってろ。」


ここ最近はずっとこんな感じだ。俺はいいと言っているのに毎朝、毎朝、同時刻に携帯はセットしたアラームよりも早くに鳴り、朝の登校を桜木と共にしている。


 「ふゃぁ~ぁ。ねみっ。」


 出た欠伸を手で隠し、言葉を零す。そんな些細な言葉にすら桜木は反応する。


「よく言うよ。ギリギリまで寝てた癖に。」


「あ?俺の睡眠時間舐めんな?きっちり七時間は寝てる。」


「きっちりって自分で言ってるじゃん。ちゃんと睡眠足りてるんじゃん。」


始めの登校から教訓して今では手など繋いでいない。それは桜木も同意のこと。あっさり引き下がった事に正直驚いた。


 「そう言えばここ最近、柄の悪い人たちがこの辺ウロチョロしてるんだって。」


話題の変更は唐突。だからコイツとの会話は途切れない。


 「ほう。そうなのか?まぁ、俺には無縁だろうけどな。そいつらも俺なんか相手にもせんだろ。」


実際、そう言う奴らが絡む相手は真面目そうな奴。いかにも根暗そうな奴。後は調子乗ったイケメンやらなんやらだろう。

 不真面目で空気。顔は普通より少しいいくらいの俺が絡まれる確率は十分に低い。

 

「もうっ。そんな事わかんないじゃん!いい?そういう人たちを見付けたら違う道に移動してね?その人たちに見られないようにするんだよ?」


「へいへい。」


正直、どうでもいい。今日の一限目ははてさてなんだったけか?


「ん?ちょっと待て。今日の一限。確か、体育だったよな?」


「え?うん。そうだよ?でも別に急ぐことは…」


焦る俺に桜木は冷静。まぁ、確かに一限目に体育があろうがなんだろうがHRはあるわけで着替えの時間やらを気にする必要はない。

のだが、それとは別の問題が俺にはあった。


「違え。違え。体操服。家に忘れてきた!」


気付いたのならこうはしてられない。急いで家に戻り、取ってこなけらば。完全に遅刻だが仕方あるまい。

 と、体を後ろに足裏に力を入れた時、桜木の平然とした声が流れた。


「え?そんなこと?」


「いや。お前にとっては確かにそんなことだが俺にとっては結構なことなんだ。このままでは単位がやばい。」


なんて話している時間も勿体無い。桜木には悪いがそのまま行かせてもらう。


「ちょっ、ちょっと待ってよゆうちゃん?僕、体操服なら二着あるから。」


「お、おぉ。…そうなのか?」


走りかけていた足に急遽ストップを掛け、桜木がいるべき方向に目を持っていく。


「うん。だから速く行こう。」


「あ、あぁ。」


コイツの準備の良さに軽く何かを言いたかったがそれは今やどうでもいい。何はともあれ助かるわけだし。

 そして今日も俺達二人はいつも通りの登校を共にした。


 ************


 体操服を借りれてよかった。桜木が体操服を二着持っていて助かった。そう思っていた時期が俺にもありました。ええはい。


 「おい。あいつらとうとうああいうプレイもするように…。」


「うわっ。きもっ。さすがにあそこまでいくと引くわ~。」


「新戸優一まじ許すべきあらず。我等が雲雀さんを汚しおってに。」


桜木の体操服を借りた。それはまぁ、いいのだ。仕方のないこと。

 だが、まぁ、見ての通り。聞いての通り。俺が桜木の体操服を借りたという事実が周りに知れ渡るとこうなったわけだ。男同士付き合って尚もその勢いは止まらず、身に付ける物すら共に。みたいな感じだ。

 若干、違う連中も混じってはいるが殆どがそうだろう。

 

「あっ、あのごめんね?僕がよけいな事をして…」


傍らに存在する桜木はしょげたような情けない表情で俺に言う。


 「何、気にしてねぇよ。サイズもピッタリだしむしろ感謝すべきだ。謝んな。」


とは言ったが事実。居心地は最悪。今に始まったことではないにしろ誤解されるのは些か腹にくるものがある。

 が、悪いのは自分だ。それを知っているから何も言えない。

 

「まぁ、俺がもうちょっとしっかりしてれば良かったって事だ。この名前さえ隠せば何も言われることはなかっただろうによ。」


始めの励ましの声を聞かせても桜木の表情は優れてはいない。だから更なる言葉を俺は続ける。悪いのは自分であってお前ではないと。


 「それなら僕にも言えることだよ…」


しょげた顔は増す一方。だが、こういうのがかえって周りを誤解させる。


 「とにかくだ。俺はこの通り体育の授業が受けれた。だからもういい。何も言うな。いいな?」


 終わらない話は強引にでも終わらせるしかない。俺は少し強めな口調で桜木へと声を飛ばした。


「あっ、うん。分かった。」


表情は戻らないが俺の口調のせいか桜木は頷く。それでも周りの誤解は晴れてはいないのだが…。

 まぁ、それはどうしようも出来ないので気にするなかれだ。

 

 「では、それぞれ二人ペアにボールのパス回しから始めるように。」


準備運動も終わった今、角刈りの厳ついおっさん。体育教員が大きな声を飛ばす。生徒の皆はそれぞれにペアを組み、余った者は三人一組みへとされた。


 「まぁ、こうなるわな。」


俺は小さく呟く。言うまでもなく俺のペアーは桜木。他にも友人はいたのだがコイツとの恋人関係という噂が流れ始めた頃からそいつらはいつの間にか遠ざかっていた。


「なにがこうなの?」


天然なのか?わざとなのか?桜木は首を傾げて俺へと問う。


「いや、なんもねぇ。」


「ふ~ん。」


桜木はそれ以上は問わずに言われた通りのパスを俺へと出す。


「ってぇ~。」


今日の体育はバスケ。その為、飛んできたたボールが痛いのなんの。桜木は運動神経も抜群だから余計。ただのパスですら速く、痛い。


 ―

 

 「では、別れたな。今からゲームをするが言った通り怪我だけはせずに思いっきりやれ。」


軽いパス回しもシュート練習も終わり、残り時間約二十五分といったところで皆がお待ちかね。俺は全然歓迎していない試合が始まる。


 「あっ、あの?」


「ん?どうした?」


やれやれ面倒だな。どうせ目立つ奴らだけがボールを持ち続ける試合。俺みたいな奴らには一度のパス程度だろう。などと思っていたところに聞き覚えのある声が控えめに聞こえた。


「あっ、あの。僕、男なんですけど…。」


顔を赤色に恥ずかしそうに言うは桜木。見れば何でか桜木は女のチームへと混ざっている。


「お、おぉ。悪い。俺としたことが見落していたようだ。桜木は偶数のチームに入れ。」


「あっ、はい。」


小さな声。桜木自身、何か泣きそうな顔をしている。

俺は周りから聞こえる笑い声に静かな怒りを感じつつも黙って座っていた。

 分からない筈もない。

偶数と奇数同士で別れる単純なチーム決めにそんな間違えが起きるわけがないのだ。桜木は無理やりあっちに引っ張られ、そして辱められた。恐らくは教員も気付いている。だが、本人がそれを言わないから謝っただけなのだ。

 

胸糞悪い気持ちを抱きながらのプレーはいつも以上に最悪だった。

 その試合。いつもは回るパスも桜木には一度も回ってはいなかった。

 俺のせいで。俺が。俺が彼の日常を壊してしまった。

 それに気付いたのはあまりにも遅すぎた。


 ***************


 長い一日が終わった。それでもそこからの時間は短く結局なところ。一日は短いとなる。


「ねぇ。ゆうちゃん?どうしたの?さっきから?今日はなんか変だよ?」


肌寒い空の下。夕日の光だけが暖かい。


「何でお前はそういられるんだ?」


無視してしまおうと思ったがそれは可愛そうだとも思った自分は素っ気ない口調で声を返す。


「どうして?僕、何にもないよ?ゆうちゃんが不機嫌な理由が僕には分からないよ?」


返ってきた言葉に思わず下唇を噛み締めてしまう。


「ねぇ?ゆうちゃん?」


何も答えない俺を不審にでも思ったのだろう。桜木は控えめに俺へと言った。


「・・・・・・・・。」


それでも俺は答えない。何も言えない。コイツのこれは本心なのかも分からないし無理をしているのかも分からない。だから俺には何も言えない。ただ自分の浅はかな選択に怒りを感じていた。


「あっ!まさか今日の体育のこと?それをゆうちゃんは気にしてくれてるの?それなら僕は全然だから。ゆうちゃんはいつものゆうちゃんに戻って。ね?」


 顔を見なくても分かる。桜木の顔が。コイツはいつでも自分のことではそんな顔をしない。いつも自分を傷つけてそれでも笑っている。


 「なぁ。お前は何で俺とつるむようになった?他にもいただろ?お前のその外見を気にせずに近付いてきた奴らは。」


 入学して直ぐの初めての学校生活。コイツの周りには男女問わずと人が集まっていたのを俺は知っている。だけど結局、コイツは俺だけを選んだ。寄ってきたクラスメートには決して心を開かず。俺だけに。


「そっ、それは…」


俺が質問を投げると桜木は言葉を詰まらす。それは初めてではなかろうか。コイツが俺の言葉に直ぐには答えなかったのは。

 が、それも数秒。答えは返ってきた。


「他の人たちは僕を見て上辺だけの表情を浮かべていた。それは言葉も。きっと彼ら。彼女らにはそのつもりはないんだろうけど僕にはどうしてもそれが分かったんだ。だから僕もその人達と同じ態度をとった。」


「それで自然とそいつらはお前から離れていったと?」


「うん。」


帰り道は別れ道へと差し当たっていた。けれどもここで話を終わらすわけにはいかない。こんな空気を残して帰ったとしても明日にはコイツはいつも通りで俺に接するのだろうが。それでも俺はそうはいかない。


「お前、今日予定とかあるか?」


「え?ううん。特に。」


「そうか。なら俺の家よってけ。話したいことがある。」


「あっ…うん。分かった。」


いつもなら声を大にして喜ぶコイツが今日はそうならなかった。それはいくらなんでも気付いたのだろう。俺が言いたいこと。話したいことが。

 いつも通りの帰り道。いつも通りの一風の冷風。だが、今日の風はとても冷たい。家に着くまで俺たちは無言だった。


************


「砂糖は適当に入れろ。インスタントコーヒーくらいしか出せれなくて悪いな。」


二つのカップを俺はガラス製の卓上へと置く。湯気出るコーヒーを一目。桜木はここに来て初めて口を開いた。


「ううん。で、話って?」


正座して座っている桜木の姿は真剣そのもの。あの時。屋上で俺に想いを伝えたその時よりもそう思えた。


「あぁ。まぁ、そう気構えるな。少し質問したいだけだ。」


桜木が思っているような事を言うつもりはない。確かにそれも言いたいと言えば言いたいがそれはまたいつでもいい。


「別に訊くようなことでもないと思っていたんだがこうなってしまった以上はやっぱり訊いておこうと思ってな。」


俺は桜木の正面へと腰を下ろし、卓上に置いたカップを斜めに傾ける。インスタントコーヒー特有の安っぽい苦味を喉に通した後、俺はそれを話す。


「どうしてお前は女装し始めた?今ではスカートもたまに履いてるよな?それは俺が原因なのか?」


今の今までそれを訊かなかったのはコイツ自身の心を酷く傷付けるのではないだろうかと思ったからだ。

 だが、噂が広がり、陰口もどんどん増えている今の状況では訊かざるをえない。コイツが女装を止めれば簡単に今の問題は解決するのだ。


「ゆうちゃんのせいなんかじゃないよ。これは僕自身の問題だから。」


ポツリ。桜木は置かれたカップに視線を落とす。最後の言葉は俺ではなく自分自身に言っているようだ。


「悪いが止めることは出来ないのか?」


俯く彼に優しい言葉を掛けることはしない。心の問題。それは勿論知っていた。それが今も治ってないことも。


 「それはゆうちゃんも皆と同じだから?」


遅れて返ってきた言葉はやはり小さく俺自身に話してはいない。上辺っ面の言葉。さっき桜木はそれをそう言っていた。


「同じ?なんのことか分かんねえな。」


桜木が何を言ってるのか?本当に俺には分からなかった。


「そっか。ゆうちゃんは僕の事を思ってこの格好を止めさせようとしてるんだね?」


桜木は軽く笑い、それでも姿勢はそのままで俺へと言う。


「そうだ。今日もお前、本当は辛かったろ?なんか言われるのが嫌だろ?」


差別。隔離。苛め。それを受けて辛いと思わない奴はいない。口では言わないにしろ。表情では笑っているにしろどこかで悲しんでいる。泣いているのだ。俺自身。それに耐え切れなのだからコイツもそうだ。


「ふふ。やっぱ、ゆうちゃんは優しいね。」


「おい。俺はそんなことが聞きたいんじゃなくてだな…」


俯いていた顔は上がったにしろ俺の求めているものは無し。口調を荒く言おうとしたがそれは叶わなかった。


「でも、やっぱまだ無理。僕はこの格好から抜け出せない。ゆうちゃんを好きになってる気持ちも無くしたくないし…」


遮られた言葉はいつも通りの桜木の言葉だった。俺はそれ以上、コイツに何を言っても無駄だと思った。

事情はともあれコイツのコレは俺ではどうしようもならない力があるようなのだ。


「そうか。」


問題は何一つ解決していない。コイツが女装を続ける以上、明日も明後日も陰口は。隔離は。苛めは続くしエスカレートする。正直、それは俺自身嫌だし辛い。だが、コイツが折れないのなら俺にはどうすることも出来ない。だから今の俺に出来ることを考える。今の俺に出来ること。それは一つ。

 コイツを裏切らないことだ。

 一緒に傷を舐め合うしかない。いつかコイツが折れるその時まで。


 「分かった。もういい。こんな時間まで悪かったな。」


明日も疲れる学校。早くに体を休めるに限る。


「外は暗い。近くまで送ってやる。」


窓から見える明るさはもう真っ暗。自分が呼んだのだから送ってやるのは常識。コイツは女にも劣らぬ容姿だし。


「え?悪いよ。それは。」


「何を遠慮してるんだ?ほら行くぞ?」


断る桜木を気にせず俺は外へと続く扉を開ける。


「やっぱりゆうちゃんは他の人達とは違うね。」


「あ?何か言ったか?」


「ううん。何にも。」


聞こえなかった言葉。それに納得できはしなかったが桜木がそう言うなら気にしても無駄。どうせ教えてはくれない。

 結局、俺は桜木雲雀という人物を何一つ知ることはなかった。開け放った扉から出た外。そこで始めに肌を射た風は冷たいままだった。


 *************


 冬に差し迫っている夜の外はとても寒い。制服姿ではとてもじゃないが一枚の布切れを羽織ってるのとなんら変わらないとさえ感じる。


 「おい。さみぃな。どうすんだよこれ?冬とか人類大丈夫か?そろそろ人類も冬眠とかする時代じゃないの?」 


 風が冷たい。気温が低い。吐く息はまだ白くはないがこの寒さは以上とさえ思える。


「大丈夫だよ。それよりもゆうちゃん。ちゃんとしたご飯食べるんだよ?歯も磨いて、ちゃんと寝て。明日は遅刻ギリギリは駄目だよ?」


「いや、だからお前は俺のオカンかよ?」


家で共にしていた空気は今はない。この風にでも吹き飛ばされたのか?なんて言ってみたりするのは少しばかり恥ずかしい。


 だが、それでも俺達はいつも通りをする。それはメリハリと言えば聞こえはいいかもしれないが実際のところそれは逃げとなんら変わらない。

 問題から目を背け、時の流れが解決してくれるとさえ思っている。桜木がそう思っているから俺は何も言えないし何も出来ない。


 「ゆうちゃん?ゆうちゃん?」


「えっ!うぉっ!どうした?」


陰鬱な考えを頭に道を歩いているといつの間にやら桜木が俺の目の前に。


「どうしたじゃないよ。さっきから話し掛けてるのにゆうちゃん返事がないんだもん。屍かと思っちゃったよ。」


「あぁ。わりぃ。だが、お前その台詞どこで覚えた?」


問うと桜木は可愛く小さな舌を出すだけ。別に追求するようなことでもないので俺は違う事を問う。


「で、何か用だったか?」


「ううん。別に大した事じゃないんだけどね。ゆうちゃんとお話したかっただけだし。」


「何だそうか。」


桜木はにへらと笑って。それからも下らない日常の話を俺にした。俺はその言葉に適当に相槌を打っては彼との歩調を合わせる。


暗い夜道。寒い夜道。だが、コイツはそれでも明るく振舞おうとする。その理由は俺にはなんとなくだが分かってしまった。

 コイツは怖いのだ。俺がコイツの見る目を変えてしまうのではどうかと。桜木雲雀はだから明るく。どうでもいい会話を続けようとする。その間を空けては俺が何か考えるのではないかと。そんなことはないと言うのに。

 それこそコイツの逃げ。考えない。考えさせない。そうやって俺にも自分にも現状。いや、それ以前からの問題を考えさせないのは果たしてどうなのだろうか?


 「あっ。ゆうちゃん。あっちの道にしよ?」


空っぽな会話も続き、続きでもう直ぐ無人の駅へと到着する。が、そこで桜木は怯えたような仕草と口調で俺を別の道へと引っ張った。


 「あ?あっちってここ通らないと駅には行けないだろ?」


「うん。そうだけど…」


まぁ、気持ちはわからなくはない。駅へと続く一本道。その先にある自動販売機にたむろする三人程の男性。その格好は見るからに道を間違えた者の姿。


 「気にすんな。言っただろ?あぁ言う奴らは俺みたいのは無視すんの。堂々としてりゃ、あっちも絡んでこねぇよ。」


 俺とてこういう奴等がたむろしている場には何度か遭遇している。コンビニとか大通りとか。その多くがコンビニなのだが…。

 ほんと、コイツら蛾か何かかよ。


「でっ、でも。」


俺の言葉を聞いても桜木はおどおどしている。


「ほら、行くぞ?どうせお前、電車乗らねぇと帰れないんだろ?」


「うっ、うん。それは。」


「なら行くしかねぇだろ?びびってても仕方ねぇ。行ける道は一本しかねぇんだからよ。」


その道は今の道のことか。それとも違う方の道のことか?言った俺は少し考えてしまう。


 「じゃぁ、来いっ!」


言って俺は桜木の手を握る。あの時、感じた柔らかな感触が伝わる。が、手は冷たい。


 「あっ、あの。ゆうちゃん?僕と手を繋ぐのは嫌だったんじゃないの?」


 バツの悪そうな表情で問いてくる桜木に俺は言う。


「別に嫌なわけじゃねぇ。ただ、噂をこれ以上拡大されるのも面倒だから止めただけだ。第一、今は状況が状況だ。」


 怯える桜木の震えを抑えるにはこのやり方が実にてっとり早い。恐怖を共に。それは傷の舐め合いとなんら変わらないとも思えた。

 そして俺たちはたむろする自動販売機の横へと。

見た感じは堂々としてはいたが、桜木は勿論、ぶっちゃけ俺も内心はビクビクだった。


「ふーっ。ほらな。何もねぇ。」


「ほっ、ほんとだ。ゆうちゃんやったね。でも、ゆうちゃん?何でゆうちゃんもそんな安心しきってる顔してるの?」


「いや、してねぇ。これは余裕の表しだ。」


「えー。嘘だ。ゆうちゃんも怖かったんでしょ?」


 不良三馬鹿がいる場から遠ざかった俺らはまるでボス攻略したかのような気持ちでその先を進んだ。

が、不意打ちとは正に言ったもの。


「きゃっ!あっ、すいません。」


安心していた桜木。俺の方へと顔を向けていたからだろう。歩いていた人物に気付かなかった。


「えっと…?あの?・・・・すいません。」


桜木は酷く怯えている。それは尚もまだ握る手から十分に伝わった。


「おいっ。お前、本当に悪いと思ってるのか?」


ぶつかった人物。そいつは間違いなくさっきの仲間。コンビニの袋が片手に持たれてるとこを見れば買い物を済ませて向かう途中だったのだろう。ほんと、コンビニ大好きか!


「えっと…はい。すいません。僕が他所見をして…」


本当に怖いのだろう。桜木の声は震え、消えかけている。


「って、おい。おめ。よく見たらめっちゃ可愛いじゃねぇか?」


「えっと…あの」


さっきまでの不機嫌な顔が嘘のよう。金髪。ピアスの不良は身を屈め、桜木へと顔を近づけた。


「決めたわ。おめ、俺と付き合え。それでさっきの事は許してやるよ。」


不良は言うと桜木の意見もろくに聞かずその手を握ろうとする。


「あ?何だてめぇ?」


握ろうとした手に違う手が握られていたからだろう。不良は俺の存在にやっと気付く。ほんと、やっとだよ。俺は影ですか?


「いや、悪いんですけど。俺ら急いでるんで。」


「あ?おめ、まさかコイツの彼氏?うっわ。釣り合わねえ。」


俺が極力、平静を装って声を飛ばすと不良は口元に手を当て笑う。


「行くぞ。」


相手が油断してる時が狙い目。俺は桜木を引っ張り、足を速める。が、現実はそう上手くはいかない。


「がっ!」


背後からの打撃。俺はその場に派手に転んだ。


「おいおい。何、逃げようとしてんの?おめはいいけどその子は置いてけよ。」


先ほど俺にロウキックを決めた不良。そいつは俺を見下ろして台詞を言う。


「ゆうちゃん?大丈夫?」


転んだ俺の場に桜木が駆け寄る。どうやら俺は咄嗟にコイツの手だけは離していたようだ。巻き込みがなくてよかった。


「おい、何。いきなり他の男の心配してんだ?ほら、来いっ。」


「きゃっ!何、するの?ゆうちゃんがこんなに怪我してるじゃん。」


桜木を無理やりにでも立たそうとした不良。だが、桜木は涙を目に浮かべて大声でソイツに声を飛ばす。


「あ?そんなの知っちゃこったかよ?おら、行くぞ。」


が、桜木は必死に抵抗していた。俺の元から決して動かない。


「てめ、いい加減にしろよ。」


「っ…」


痺れを切らした不良は桜木を殴った。どうやら力づくで連れていくようだ。


「いつまでもソイツに泣きついてんじゃねぇよ。てめは俺のモノになったんだよ!」


「・・・・・・・・・。」


桜木は殴られた頬を赤く染め、それでも不良へと視線を飛ばした。


「何だ?その目は?いい度胸じゃねぇか。少し待ってろよ?」


桜木の睨んだ目が気に入らなかったのだ。不良は一度、地に唾を吐くと次に携帯をポッケから取り出した。


「おいっ。何やってんだ?今の内に逃げるぞ?」


何も言われた通り、バカ正直に待つ必要なんてないのだ。俺は桜木の手を引っ張り、駅へと向かおうとする。が、その体が動かない。


「おいっ。なにやってんだ?逃げるぞ?」


桜木の体が動かない。それは桜木自身の意思。


「ゆうちゃん?ゆうちゃんは逃げててよ。僕は少しムカついた。あいつはゆうちゃんを傷つけた。」


「は?そんな事、どうでもいいだろ?俺も気にしてない。」


何をそんなに怒ってるのか?桜木から感じるオーラはかなりの怒りが伝わる。


「そうだよね。ゆうちゃんはいつでも気にしない。でも、それって何で?僕に気を遣ってくれてるの?それとも面倒事は嫌だから?」


「おいっ…桜木?」


何かが変だ。これは俺の知っている桜木雲雀ではない。何でか俺にはそう思う。


「ごめんね。少しだけ僕から目を逸らして。」


「は?おいっ…」


言われるがそうする訳にはいかない。何故だかあんなに怯えていた桜木が逞しく見える。


「はいはい。お待たせ~。さすがに四対一じゃ諦めるしかないよね~?」


思った通り。先ほどの電話はさっきあそこでたむろしていた仲間を呼ぶための電話だったのだ。


「ちっ。遅かったか?」


桜木がちんたらしているせいで逃げるのが出来なかった。ここでどうすればいいのか?それを考えるしかない。

 と、頭痛を訴えるような現状に頭抱えていると柔らかな。しかし真のある声が掛かる。


「ねぇ。ゆうちゃん。ゆうちゃんは僕が女になってる理由が知りたいんだね?」


「え?いや、今はそんなこと…」


言うがその言葉は最後まで言わせてはくれない。代わりに乾いた言葉。それと悲観に満ちた声が届いた。


「罪滅ぼし。色々、ある中でもそれが主たる理由かな?」


「罪?」


俺は今の状況も忘れて呟く。コイツの女装たる理由。罪とは何なのか?そして何故に今、この段階でそれを告白したのか?

 疑問は絶えない。


「でも、今日は。今だけはそれを忘れる。僕の大切な人を傷つけられたんだもん。だから―」


そして彼は笑った。


「だから今の僕は幻だよ?」


「えっ?あっ・・・おいっ。」


呼び止めた。だが、その先に桜木はいない。一瞬にして消えた。いや、駆けたのだ。もの凄い走行で。


「そうそう。そうやって諦めりゃいいんだ。結局、女なんて強い男に尻振るんだ。」


「黙れ。」


にやけた顔で両手広げる金髪、ピアス不良に桜木は鬼の形相で言葉を発し、睨む。


「あ?」


その顔を不良は気に食わない。さっきまでの表情はもう変え、不機嫌な顔で向かう桜木を迎え入れようとした。が、不良は思い知ることになる。桜木雲雀はか弱い女ではなく男だと。



 どさっ。


僅か三十秒と言ったところだろうか?その短い時間でいた四人もの不良は地に体を。気を失うはめに。

 俺はその光景を一部始終見ていた。目を逸らせとは言われたがやはりそれは無理だった。


「言った通り。今の僕は偽物。幻だよ?」


ぱんぱんと手を払う桜木はもういつもの桜木雲雀だった。その姿を見るからには本当にさっきまでのコイツが幻やら偽物だと思ってしまう。だが、あれは現実だ。


「そんなわけねぇだろ?今のお前もお前だ。」


俺は桜木へと近付く。


「ううん。違うよ。今のは僕じゃない。」


俺の言葉に首振る桜木。是が非でもさっきのは偽物などと言わせたいらしい。


「いいや。さっきのはお前だ。あいつらが振るった数々の攻撃を避け、攻撃をくらわして一瞬にしてこうしたのはお前だ。」


「違う。・・・これをやったのは僕じゃない。」


下に寝転がる不良。その証拠を前にしても首振るう桜木。分かってはいるのだが女性の自分はそれを認めたくないのだ。


 が、それでもコイツがやった。桜木が勇敢に戦った。 


「いいんだよ。そんなに否定しなくても。むしろ、誇れ。大体、女にも強ええ奴ならいっぱいいるだろ?」


「それは…」


見た桜木の顔はまだ俺を見ていない。だが、次の言葉でその顔は上がった。彼が男らしく戦うのを俺に見せたくなかった理由を俺は知っていた。


「だから気にするな。そんなお前でも俺は嫌いになんかならねえよ。」


また言ってしまった。気にするな。だが、これは口癖みたいなものだ。仕方がない。第一、コイツの顔に表情が戻ったのだ。それでいいと言えよう。


「本当に?本当に嫌いにならない?」


「あぁ。だってお前はお前だろ?」


「そ、そうじゃなくて、ゆうちゃんはそれでも僕の事が好き?好きでいてくれる?」


俺はその言葉に一瞬、躊躇った。コイツが言っている好き。その意味が分かったから。だが、俺は答える。ここで答えないのは卑怯だし。コイツは許してくれそうにない。


「あぁ。好きだよ。」


言うと桜木は泣き顔を俺に見せた。そして俺に顔をうずくめて泣いた。そんな桜木の頭を俺は黙って撫でる。


 俺がコイツの恋人ごっこに付き合ってる理由。そんなのは分からない。初めは和明に対する見栄だった。だが、写真も撮ったし、和明は女にフラレた。もうコイツとのこの関係を無くしてもいい。

だが、俺は続けている。友人だった頃と変わったことなど殆ど無いがまだ止めようとは言っていない。

だからコイツは俺を恋人だと思っている。そんなのが良いはずもない。それも分かっている。桜木から男を引っ張りださなければならない。分かっている。


 でも、それでも俺にはまだ答えが出せれない。関係をなくす事は簡単だ。だが、それは同時に全てを白紙に戻す事を意味する。俺達がやっていることはただの恋人関係ではない。それよりも複雑で面倒で。時間が掛かること。


 答えが出るその時までこの関係は続くのだろう。そしてこの関係が終わったら…。


あの時の泣き顔はどの女の顔よりもドキリッとさせられた。だが、コイツは男。

 遠くの方から電車が通り過ぎる音が聞こえた。

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