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俺の彼女は…  作者: イスカンダル
2章 青春かくれんぼ
21/59

取引②

 運がいいのか悪いのか。俺達が保健室へと向かい、その扉を開け放ったその時。その奥には誰もいなかった。保健室を任されている河合(かわい) (まなぶ)先生はどこか他の所へ行っているのか、それとも既に帰ってしまったのか無人の教室がそこにはあった。

 まぁ、先生がいたとしてもただ疲れただけの波瀬をどうこうしてもらうつもりもないので別にいいのだが‥。苗字に似合わず、全然かわいくもないし(ていうか男だし。)いなくて良かったとさえ思う。

 いや、それはさすがに冗談ではあるけれど。

 しかし、それでも今、先生。部外者がいないというのは運が良い。場所は移ったが俺達が今から話すべき事は誰にも聞かれたくはない事なのだから。


 「うんしょ。波瀬さん。無理しないでね。先生が来たら僕達がちゃんと言っておくから。」


 ここまでの運び屋。桜木は背に乗せた彼女をそっと白いシート。布団が敷かれるベッドの上に下ろすと優しく声を掛けた。


 「うん。‥ありがとう。桜木‥さん。」


 始めにあった時の元気は微塵もなく。更には桜木を笑うような様子も見せずに波瀬は小声で礼の言葉を零す。

 

 「うん。じゃぁ、取り敢えずは寝ててよ。波瀬さんは疲れてるみたいだからね。」

 

「う‥うん。そうだね。」


 元気で人懐っこい笑顔を見せる桜木に弱気な笑みを見せる波瀬。その姿を見るに桜木の人見知りは問題なく、逆に波瀬が人見知りなのだと思える。

 

とにもかくにも一旦は休憩。休息。急談である。彼女と俺達とを隔てるカーテンをシャーと音発て閉め、俺は丸椅子。桜木は立ってその後の事を考える。

 てか、桜木さん。わざわざ前の背もたれ椅子、空けてあげたんだからそこ座ればいいじゃん。なんか俺だけ座ってるのって罪悪感を感じるんですけど‥。


 「さてと。どーするか。」


 「そうだよねぇー‥。」


 閉まった窓からも聞こえる部活動に汗流す者等の青春の音色を耳に俺達二人は黙り、考えた。


 「騙すってのは‥やっぱ駄目だよな‥。」


 考えても考えても綺麗な解決策は見つからない。そこで考えたのが汚い手だった。だが、そのやり方は言った俺自身、乗り気にはなれない。


 「騙すって?」


 首をキョトン。先ほどの俺の発言の真意を訊ねる桜木。だが、まぁ。真意とかそんなのないんだがな‥。言葉の通りだし。

 純粋でピュアな桜木にはそういう手がいまいち分からないのだろうか?


「だから、適当に口実付けて明日、蔓実の家に波瀬を連れてく。会ってしまえば何とかなんだろ(超適当。)」


 「あぁ。そういう事。‥でも、きっとそれじゃぁ、駄目だよ。」


 「あぁ、知ってるよ。だが、波瀬がいるかいないかの問題は大きい。」


 「うん‥まぁ、それは確かにそうなんだけどさ‥。」


 俺も桜木も言いたい事。思ってる事は一緒であろう。俺とてこんなやり方で上手くいく。蔓実を外に出し、部長復帰を頼まれてくれるかなんて思っちゃいない。

 だが、しかし。それでも他に手が無いのも事実。

 考えたのが案を幾つも出してその中で一に有効な案でいこうという何とも情けなく、単純な手だった。

汚い手。綺麗な手。それに囚われずに案を出しまくる。

 しかし、桜木はそれをしたくないと言った。


 「やっぱりさ。波瀬さんにはちゃんと話した上で蔓実さんの所に連れていった方がいいと思うんだよ。」


 「‥それが出来たら苦労はしねぇよ。」


 桜木の言い分には全くの賛同だが、そんな事が出来るのであればとっくにそうしている。それが出来ないからこうして話し合っているのだ。

 はぁ~。と、深い溜息の後、俺は言葉を発した。


 「とにかく時間もねぇ、出せる案をとことん出していこう。」


 再度、仕切るように言ったその台詞ではあったが当の桜木は首を動かさない。


 「やだよ。そんなやり方。僕。」


 拗ねるような態度を見せる桜木。


 「嫌だって、じゃぁ、どうしろってんだよ?まともに話せない相手に俺達はどう動けばいい?」


 桜木が悪い訳ではない。そんな事は百も承知だ。だが、時間が無いからか焦燥感に駆られているからか俺は桜木に怒鳴るような口調で声を上げてしまった。


 「だから、さっきも言ったじゃん。正面から突っ込むんだよ。その後の事も先も考えないでさ。波瀬さんも隠し事とかしてても直ぐに気付くと思うよ。」


 桜木はそうと決まれば即行動。そう言わんばかりに早くに動き始めた。

 ゴチャゴチャ考えてないで行動を示せ。それは俺が前に思っていた事だ。だが、その考えは語られた幾つもの言葉によって薄れていたようだ。 

 実際、闇雲に動いてどうこうなるとも思えないのも事実だろう。俺はどうすればいいのか?ここまで来て本当に分からなくなっていた。


「おいっ。ちょっ、桜木。お前の言い分は分かったし、理解した。それでもだ。少し待て。」


 既に閉まっていたカーテンへと手を伸ばしていた桜木は俺の言葉でその手を下ろした。


 「何、ゆうちゃん?まだ、何か言うの?」


 「言う事は無い。何も無いが少し待て。」


 自分でも何を言ってるんだ自分は?と理解に苦しむ。桜木も同様。首をきょとんと小さく傾けている。

 だが、それでも状況は複雑で困難な事、この上ない。俺の気持ちを落ち着かせ、それと今、本当に成すべき事を考えたい。

 俺は大きく鼻から息を吐き出し、真っ直ぐと桜木の方へ目を向けた。


 「お前が言う通り、真正面から向かう。そのやり方は別に構わない。だが、そのやり方では波瀬に多大な苦痛を与えるぞ?」


 桜木のやり方を今更どうこう言える立場ではない。それを否定する案も。桜木に勝る実行力も俺にはない。

 ただ、疑問はあるわけだ。俺はそれに恐れた。のだが。


 「知ってるよ。そんな事は知ってるよ。」


 桜木は薄く微笑み、静かに言葉を繋げる。


 「でも、傷を恐れてたら過去なんか知れない。過去を知るってそういう事でしょ?綺麗な道だけ生きてきた人なんて多分、いないよ。」


 その台詞を言い終わった桜木があまりにも自然で。あまりにも静かで。そしてどことなく悲しそうで。俺は一瞬、黙ってしまった。


 「‥だ、だが。それはお前個人の意見だ。波瀬は違う。あいつはそんなに強くない。」


 俺は彼女の何も知らない。けれども分かる。彼女の精神状態は極めて脆い。更にその脆いハートには破壊力抜群の地雷も隠れているのだ。

 だが、皮肉な話し。その地雷を踏まなければ彼女は過去を知れない。俺達の目的は達成出来ない。

 彼女を救いたいと思う気持ちと同様に彼女を苦しめる。そんな矛盾に俺は頭を悩ませていたのだ。


 だが、しかし。桜木はそんな考えすら微笑みで一蹴。


 「なら、強くすればいいじゃん。人は一人では強くはなれないかもしれないけど人数が多ければ強くなれるもんでしょ?」


 桜木の言葉。その言葉が耳に入ると俺は自身の拳を握り締めていた。


 「‥そんなの。そんなのは偽善だ。」


 小さく、歯を喰いしめて言ったその言葉は誰個人に言った言葉でもない。俺自身に言った言葉なのかもしれないし、桜木に言った言葉ななのかも知れない。もしくはそれ以上。この世に生きる人間に言ったのかもしれない。


 すっかり、負の感情に呑み込まれそうだった俺。そんな俺に暖かな日差しがまたも射し込んだ。


 「だから、知ってるって。でも、そんな優しさでも僕は好きだし。求めたいな。本当の優しさはさ、その人を想わないと始まらないと思うから‥。ね?」


 「お、おぉ。」


 さすがの桜木も少し恥ずかしかったのか頬に染まる色が仄かに赤い。だが、それが逆に俺の緊張を解いたわけだ。

 握られた手に、下から覗き込まれる目線はやはりピュアで純粋なソレ。だが、俺は知っている。桜木は何も知らない訳ではない。むしろ知りすぎている。俺の知らない感情。経験。知識もそうだろう。

 なのにそんな目が宿せれる。期待をしている。

人間とうい醜くもも弱い生物に期待している。


 「悪い。邪魔した。そうだな。結局はその方法が一番だ。」


 無駄に背負っていた何かを落とすように俺の表情から笑みが溢れる。桜木はそんな俺の表情を一目、手を引っ張った。


 「うん。じゃぁ、行こっ。」


 「いや、まだ心の準備が‥」


 などという言葉もろくに聞かれず、閉まっていたカーテンの音が盛大に鳴らされた。その中には当然、波瀬麗香の姿があり、もう逃げれないという事を知る。


 「‥ど、どうしたの?」


 いきなりカーテンを開けられたのだ。そりゃぁ、そういう反応にもなる。

 波瀬は横になっていた上半身を起こし、そんな現れた闖入者もとい、乱入者を驚き、見ていた。 

 

 「波瀬さん。僕達は波瀬さんの事を知りたい。きっと、波瀬さんも知らない波瀬さんの事を知りたい。だから、訊いてもいいかな?波瀬さんが閉ざしているその蓋の中身を?」


 「‥え?は?え?」


 桜木のいきなりの行動は止むことなく続く。波瀬はそんな桜木の言動に付いていけないようだ。

 いや、まぁ。普通はそうだろうけども。俺でも多分、そうなる。


 「桜木。少し、落ち着け。波瀬も混乱してんだろ?話は順序よくそれでいてゆっくりとだ。」


 「あっ、うん。そうだね。ごめん。ごめん。」


 尚もまだ開きかけていた口を邪魔するように桜木の肩に手を乗せて言う。桜木は俺の言葉でようやくとその嵐が如く口を緩めた。


 「と、まぁ。だが。コイツの言った通りでもあるんだが。あんたの話をまた聞きたい。」


 見た感じでは落ち着きを取り戻してはいる。さすがに俺の言葉はもう届くだろうと俺自身、彼女へと声を通してみる。


 「話‥。私の‥あの話‥…ゃ‥ゃだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ‥」


 先程の事を思い出したのだろう。波瀬は小さな声を呟かせた後に両手で頭を抱え、「やだ」という言葉を連呼しだした。その状態。誰でも分かるだろう。非常にヤバイ。このままでは開始早々にゲームオーバー。


 「やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ…」


 「落ち着け、波瀬。取り敢えずは深呼吸しろ。邪魔なら俺達は消える。だから、気を喪う事だけはするな。」


 前の教訓を生かし、体には触れないでいる俺だが、波瀬の状態がそれでよくなっている訳ではない。俺の言葉は通っている感じはないし、むしろ状態。状況は刻一刻と最低ラインへと向かっている。

 俺が口を開いた瞬間にコレとは、もう泣きたくなってくる。いや、本当に。


 「やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。やだ‥」


 尚も続く、やだロード。それを止めるにはどうしたらいいか?考えるも全くと分からない。彼女には声は通らないし、触れればアウト。突破口なんてあるのかどうか?

 考えても時間の無駄だとさえ思えた。


 と、そんな俺が頭う~ん。う~んとしているところ波瀬の声とは異なる新たな音が一瞬だが、響き通った。


 パンッ!


 そんな音が響くと瞬間、保健室の一室。静寂がこの場を支配した。


 「波瀬さん。落ち着いて。辛いのは分かるけど。それでも逃げてちゃ駄目だよ。」


 手加減はしたではあろうが大きく振りかぶった平手打ちを繰り出したのは言わずもがな桜木その本人である。

 桜木を残して、後の二人。俺と波瀬は訳が分からない。

 時が経ち、波瀬よりも早くに理解が俺に追い付いた。


 「おい。おい。おい。何をしてるんだ?お前は?精神状態レッドゾーンの奴にビンタって‥。無茶苦茶すぎんだろ?」


 酷く焦った声を俺は桜木へと届かせる。桜木の行動があまりにも予知せぬ出来事。それに速かった為に止める事が出来なかった。


 「でも、あのままだったら波瀬さんは気を喪ってたよ?」


 「いや、まぁ。そうだが‥」


 確かに言葉だけでは彼女を黙らせられたかどうかは分からない。桜木のやった行動は滅茶苦茶すぎるものだったが、結果は万事解決。精神的にヤバかった波瀬は我を取り返し‥たのかどうかは分からないが(桜木のビンタをくらった後、波瀬はフリーズ中。何があったのか未だに分かってないという状態。)気を喪うというあってはならない状況は免れた。


 「でも、そうだよね。波瀬さんごめんね。いきなりこんな事、しちゃって。」


 俺の言葉を聞いたからどうか。桜木は申し訳なさそうに波瀬の赤くなった頬を撫でる。その成果かどうか、波瀬も段々と瞳に色を取り戻しつつあり、間違いなく波瀬は我を取り戻したようであった。


 「だ、大丈夫。‥それよりも私‥」


 撫でる桜木の手を断り、波瀬は恐怖にも似た声を呟かせた。どうやら、さっきの事はあまり覚えていないみたいだ。


 「問題ないよ。ゆっくりでいいから。」


 優しく温かみのある言葉は波瀬の両手を握るという形で伝えられた。やられた俺だから言えるが桜木のその行動は悩み、傷ついている者の心を癒す何かを持っている。それは俺には無くて桜木にしか持っていないもの。確実にそう言い切れる。


 「‥うん。ありがとう。」


 やはりまだ。波瀬は桜木の事を女だと思っているのだろう。「触るな。」と手を払う素振りもなく、それよか礼の言葉も口にする。

 俺はそんな二人の姿を眺める事しか出来なかった。俺が声を掛ければまた、波瀬がああなってしまうかもしれない。そう思うと俺はこの場から立ち去った方がいいとさえ思えた。


 「桜木。俺、ここにいても力になれそうにないわ。それよか、かえって厄介事を引き起こすかもしれねぇ。任せても大丈夫か?」


 黙って去るのもどうかと思い、言葉を掛け、思った通りの事を桜木へと投げた。


 「駄目。ゆうちゃんがいなくなったら僕、きっと黙っちゃうから。ゆうちゃんはここに居て。」


 「いや、黙るって‥」


 もっとましな言い訳を口にしろよ。


 とは言え、居れと言われたのだ。俺が思う事があろうと二人で。と言ったのも事実。桜木の言葉を無視は出来ない。


 「はぁ~。分かった。ここにいるよ。」


 俺は極力、口を開かない。保健室の守り神の銅像になるつもりで息を吐き、そう言った。


 「で、波瀬さん。続きだけどいいかな?」


 俺の言葉にはニッコリ笑顔で返し、桜木は目前の彼女に目を向けて本題を切り出す。顔の表情には笑みはなく、桜木も緊張しているのだという事が伝わった。


 「‥う、うん。」


 当たり前かもしれないが気は進まないのだろう。波瀬は口も小さく、首も小さく動かし、桜木の言葉に返事を返す。

 

 「ありがとう。」

 

 礼を一言。桜木は始めの一言を発す為に口を開けた。距離を取っている俺も思わずと固唾を飲む。


 「脳梗塞。波瀬さんはそれで学校を約二ヶ月もの間、休学してたんだよね?」


 「‥う、うん。そうだった‥と思う。」


 歯切れの悪い言い方。それは言い難いとかそんな事ではなく、単純にその事、事態も記憶に薄いという事なのだろう。


 「じゃぁ、その時に誰かお見舞いとか来てくれたのかな?家族以外で‥その‥友達とか?」


 桜木が言葉を言いにくそうする理由は何となくだが分かった。波瀬に友達というものがいるかどうか。そんなのはあの教室で初めて出会った時から大体は想像がついているのだ。


 「‥ううん。いなかったと思う。‥誰も来てない。」


 寂しそうな表情からは本人の心の奥が嫌でも伝わってくるようだ。何故にそんな質問を桜木はしたのか?俺にはその理由がさっぱり分からない。同じ人種を探しているなどというふざけた理由ではないだろうし。


 「そっか、そうなのかぁ?でも、おかしいな。波瀬さんの病室には花が飾ってあったってそこの看護婦さんから聞いたんだけど?それって家族の方がくれたの?」


 「え?」


 当然のように波瀬は驚く。まぁ、声には出していないが俺もその実は驚いてはいた。いつの間にそんな情報をコイツは調べていたのだろうか?


 「いや、家族は多分そんなのは置いていってないと思う。」

 

 桜木のニコニコ顔に何かを言わねばと思ったのだろう波瀬は不安一杯という感じで返事を返す。心境の真実は定かではないが恐らく、波瀬は桜木を疑っているのではなかろうか?と、確信もないが思ってしまう。


 「ふ~ん。そっかぁ~。じゃぁ、不思議だねぇ?」


 「う、うん。そうだね。」


 上辺だけの笑顔を見せる二人が何を思っているのかが分かってしまう。だから、俺には桜木が何故にそんな質問をわざわざしたのかが全くと分からない。波瀬に緊張を与えてどうするんだ。


 「ってねぇ、嘘。花なんて贈られてないよ。ごめんね。不安がらせちゃって。」


 「え?あっ、そうなの?」


 「うん。本当にごめんね。」


 「あっ、いや。別に私は‥」


 手を合わせて謝罪の言葉を口にする桜木。その行為もそうだが。何でそんな嘘を吐いたのか?俺には益々、意味が分からなかった。

 それを訊こうにも俺が出れば分かったもんじゃない。俺に出来る事は遠目からこうやって考え、見守る事くらいだ。


 「でもさ、波瀬さん。波瀬さんも嘘ついてるよね?」


 「え?」


 ニコニコ謝る桜木はその目に何かを光らせた後にそう言った。


 「だって、波瀬さん僕がお見舞いに誰か来たか?って訊いた時さ、目を逸らしたもん。それって何か隠すような事があるってことじゃないの?」

 

 ニコニコ、ニヤニヤ。笑顔そのものはさっきと同じだろうがその意味が今では全く違う。桜木に見つめられている波瀬はさぞかし居心地悪いだろう。

 だが、目を逸らしいたってそんだけで何故、そんな確信を付いたような物言いが出来るのか?


 「えっと、その‥いや‥」


 桜木に見つめられている波瀬は暫くの間、そう誤魔化そうとしてはいたもののそれが無駄と察すると大きく息を吐き出して、白状した。


 「えぇ。見舞いには確かに家族以外の誰かが来た…と思う。けど、駄目なの。その人物を思い出そうとすると頭が痛くなってそれを拒むのよ。」


 波瀬はそう言うとまるで目に見えない何かから身を守るように体を抱え、震えだした。

 桜木はそんな彼女を今度は見ているだけ。顎に手をやり、何事かを考えていた。


 「‥波瀬さん。」


 黙考の姿を目に見せたのは一瞬。桜木は一言。彼女の名を呼んだ。


 「はい?」


 返事を返す彼女に桜木は真っ向。真剣な眼差しを向けて口を開けた。


 「波瀬さんに今から話す事はきっと苦痛で逃げたくなるような事かもしれない。けど、それは波瀬さんの忘れてはならない過去で人生で過ちなんだ。戦う勇気と覚悟。それが波瀬さんにはある?」


 その台詞を聞いて俺はやっと今まで桜木がしていた質問の意味が分かった。桜木は波瀬に確認していたのだ。彼女がどこまで蔓実香澄の事を知っていて、どこまで耐えられるか。それを確認した上で本題に入ろうとしていたのだ。

 そして桜木は問た。波瀬麗香、本人にそれを受け入れる覚悟と勇気があるかどうかを。結局、どう転んでも本人の意思が直結するのだ。桜木のその回りくどい方法は間違いではない。

 

 して、彼女の答えは―


 「…過ち?私が何かをした?」


 「うん。波瀬さんは大きな過ちを起こしてしまった。でも、僕達はそれを咎めようとはしないから。」


 優しく。それでも攻めは忘れないで彼女の心を動かそうとしている桜木。正直に凄い奴だと思った。自分は彼女との会話も望めないというのに。いや、これは性別がどうとかそういう問題ではなく単純に人柄だ。

 俺にはあぁは出来ない。


 が、それでも波瀬の心の鍵は固く。頑丈で何十もの鎖で縛られていた。


 「過ちを知る?私が起こした‥」


 「うん。そうだよ。」


 と、桜木が手を取ろうとした瞬間―


 「いや!!無理!それは駄目っ!知りたくない!私はそれを知っちゃいけないっ!」


 再度、響き渡る彼女の叫び。腰上まで掛かっていた布団を顔に覆い被せ、全てを拒絶するように体を震わした。


 「波瀬さん。大丈夫。そんな事はない。知ってもいいんだ。波瀬さん。逃げないで戦って。」


 布団に被さった彼女に必死で声掛ける桜木ではあったがその声は虚しい。桜木の力を持ってしても彼女は「嫌だ。知りたくない。嫌だ。」の一点張り。これでは振り出しと変わらない。それよか桜木の声も届かない事を考えるとさっきよりも最悪。

 このままでは数分。いや、数十秒後に彼女の意識は喪われる恐れがある。


 それでいいわけがない。


 と、言ったものの俺がどうこう出来る訳がない。桜木の声が届かないなら俺の声なんてもっと届かないだろうし。ならば、諦めるか。この問題は無理でしたと。蔓実香澄はあのまま放置と尻尾を巻いて背を向けるか。

 答えは否だ。


 今のままでも状況は最悪だ。なら、何をやっても最悪には変わりない。

 

「おいっ。お前はいつまで自分を可愛がってるつもりだ。いい加減、自分と向き合え!」

 

 俺は空いた距離を詰めながら口を動かし、その行き先に到着後、波瀬に覆い被さっていた布団を勢いよく引き剥がした。


 「ちょっ、ゆうちゃん。それは横暴だよ。」


 「お前が言うな!」


 さっき盛大な音でビンタを繰り出したのはどこのどいつだよ。ったく。


 などと文句の一つ、二つ言ってやりたかったところだが今、向かうべき相手は他でもないソイツだ。

 俺はまだソイツに意識があるかどうかを確認後。桜木にこう言い放った。


 「選手交代だ。今度は俺がコイツと戦う番だ。」  


 

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