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第1話。謹慎教員樫山育雄

 雨の上がった明け方のドヤ街は石畳のそこかしこに水溜りを作っている。石畳と言えば風情も出てくるがおそらく何年も手入れなどしていないのだろう、石が欠けとても歩きにくいし、石の合間に吐瀉物や生ごみが入り込み、酒に満ちた体にはこたえる香りを発散していた。樫山育雄はポケットをまさぐり煙草を見つけると立ち止まり、ジャケットの胸ポケットから「PUBシャーリーン」と書かれたライターを取り出し火をつけた。


 酒をいつから飲み続けているのだろうか。いき過ぎた指導、まあ中学生を殴ったのだが、を理由に自宅謹慎を命ぜられたのが九月、二学期も始まって間もない頃だった。


 夏休みを越えると先輩から色々いけないことを習った者、シブヤやハラジュクに行って自分を取り巻く状況をすっかり見下している者、童貞や処女を捨てて妙な余裕をかもし出す者が出てくる。当人たちにとってはたいそう「特別な夏」だったろうが、こちらにしてみれば毎年のことなのでさすがに飽きる。樫村は2歳年上の安出と昇降口の上のバルコニーから登校してくる生徒たちを眺めていた。

 「安出さん。森山がまたいい髪の色してきましたね」

 「本当にいいねえ。紫色の頭なんて老婆と中学二年生しかしないよね」

 「あ、安出センセイ。あれ確か一年ですよね。もうディッキーズのパンツになってますよ」

 「ああ。うちのクラスの市川君ですよ。やはりボンタンも安くはないからねぇ。成長が止まってから買わないと損ですからね」


 学校に平静を取り戻させるには最初の一週間がポイントになる。八月の陽光に浮かれた生徒の脳みそを学校生活に引き戻すため、服装検査や校内の巡回はいつもより細かになる。持ち物検査は保護者がごちゃごちゃうるさいので行われなくなった。

 樫山がいつものように社会科教材室で煙草を吸っていると、階下に人影が見えた。非常階段の下、調理実習室と廊下の間にある物陰に三人の生徒が潜り込んだ。

 毎年のことだ。ここの学校の生徒はみなあそこで煙草を吸う。あの、奥に込み入った感じがいかにも悪いことをするのに都合が良さそうに見えるのだろう。教員たちはここが悪さをするポイントになっていることを把握しているが、生徒に「知っていること」を悟られないように気を使っている。この場所自体がいわばトラップになっており、注意すべき生徒をここでいぶし出す。生徒たちのコミュニケーションはほぼ断絶、思った以上にディスコミュニケーションの状態なのだろう。トラップに掛かってくれる生徒は後を絶たない。教員たちにとっては生徒が孤立していてくれた方がコントロールしやすいので、「友人を大切にしよう」とは言うが「団結しよう」などと血迷ったりはしない。


 樫山は煙草をもみ消し灰皿を教材の世界地図や拡大された写真資料が入った棚の上に置いた。CDプレイヤーの電源を切ると室内の埃っぽさが急に増したようだった。授業のない空き時間を潰されることが樫山の気分を重くさせた。俺が中学生の頃もこれほど面倒な存在だったのだろうか。階段を下りながら樫山は自らの記憶を辿った。あの頃好きだった女子は今会うと決して美人ではない。当時も抜群に綺麗というわけではなかった気がする。男子も女子にしても「モテる」要件としてビジュアルが必ずしも優先されない。特殊な価値観が介入している。学生時代の記憶が薄れていくのはそのせいもある。あの頃の記憶を再生するには、学校という擬似社会を脳の中に再現しなければならない。擬似社会から足を洗ってしまうと記憶が一気に遠ざかる。

 樫山は外に出ても自分がどんな中学生だったか思い出せなかった。男子と女子という言葉が微笑ましかったのだが。

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