金ノ成ル機
金は力か?
そう、金は力だ。
この貨幣経済が支配する社会の中で生きる以上それは紛れもない真実でこの世の真理だ。
金がないのは首がないのと同じ。
金が第一の世の中では金がなければ生きていけない。
私もあまり俗物的なことは言いたくないけど、お金がないと何もできないというのはやっぱり真実だった。
勿論、お金がなくても生きていくことはできる。
お金がなくても人間は十分生きていける。
だが、どうやら私たちの生きるこの社会というやつは木と葉で拵えた簡素な家に住み、裸のまま虫や木の実、野生動物を狩るような野性味溢れる暮らし方を『生活』だと認めてはくれないらしい。
そういう時代の、そういう国に生まれてしまった。
『生まれてしまった』なんて否定的な言い方をしたけど、そりゃ勿論、私だってそんな野性味溢れるどころか野生そのもののような暮らしがしたい訳ではない。
今の生活に、社会に満足している。
この国は借金大国などと言われているが、憲法により守られている、健康で文化的な最低限の生活を営む権利の『文化的』は、世界的に見ると贅沢な部類なのだ。
文化があり文明があるのなら、それに頼るのは道理だ。
贅沢な暮らしに慣れてしまった私たちは、この生活を最低限だと思ってしまっている。だから、今更その生活レベルをわざわざ落とすなんてことはできないだろう。
金は力だ。
だが、同時にそれは真っ赤な偽りでもある。
金に力などはない。
金で喉の渇きは止まらない。金で飢えは止まらない。金で寒さは凌げない。金でその身は守れない。金で傷は癒せない。金で病気は治らない。
金は何も与えてくれない。
どんな紙幣や硬貨だろうと関係ない。
使う者がいなければ、それはただの紙片と金属片だ。
その価値を見出せなければ積み重ねられた札束の山も、ただの紙屑の山へ、高価は低価へ、価値は無価値へと、その存在価値を半強制的に変換させられてしまう。
金はただの単位で、金は価値の代替物だ。
その価値が釣り合ったモノと等価の存在価値を持つ。
だから、価値が釣り合いさえすれば、どんなものにもその姿を変える。……それが金だ。
だが、金で愛は買えない。
……しかし、金がなければ愛は守れない。
◆ ◆
面白味のない人生。
それが私の人生だった。
小さな頃から地道にこつこつと勉強をしてきた私は、その長い日々の積み重ねのお蔭か、そこそこ有名な大学に入学することができた。
だけど、ただそれだけだった。
そこで何か劇的な変化が訪れるなんてことを期待していた訳ではなかったが、私は在学中に特に大したドラマもなく、無事に大学を卒業してしまった。
全く味気もない。
大学を出た私は、ある生命保険会社に就職した。
人に値段を付ける仕事。
命は金で買えないけれど、命を金に変えることは――、その命に値段を付けることは容易に出来るのだ。
命を金に変える仕事、それが保険屋だ。
あまり快く思われる仕事ではない。
特に生命保険会社の女性、俗に生保レディと呼ばれる社員は契約を取り付けるため枕営業をしているのではと、蔑みや好色の目で見られることが間々ある。
だが、はっきり言って心外だ。
まだ仕事に何か誇りを持つ程この保険屋という仕事が好きという訳じゃないが、何も知らない一般人にそんなことを思われる筋合いはない。
確かに、私の同僚にもそうやって担当を増やした人がいるらしいというのを聞いたことがある。だがそれは、その中でもかなり行き過ぎた例だ。
この保険業界は常に泥沼の戦場となっている。
仕事において女の武器を使うというのは些か卑怯だと思わなくもないが、それでも他社の生保レディとお客様を奪い合う中で自身の色香を武器にすることはある。
たまたま保険業界はそれが顕著に表れてしまっているだけで、それは他の業界でも似たようなもののはずだ。
お客様の奪い合いにおいては女としての矜持もある。それに無事契約まで取り付け、自分の担当するお客様が増えれば成績も上がり、結果として給料も増えるのだ。
……だが私は、そうまでして給金を得ようと思えない。
普通にして、普通にやればいいのだ。
仕事は朝九時の朝礼から始まる。
そこで一日の連絡や活動についての話があり、その後各自の仕事に入る。 仕事について社員同士で軽く打合せをしたりもするが、基本的に個々で行う。
だいたい午前中は担当するお客様の家を訪問したり、お客様の電話や手続きの対応に追われたりと慌ただしく過ぎていく。大変ではあるが、これはまだ簡単な仕事だ。
昼になると各自、自分の担当の企業へと向かう。
企業などの食堂は大勢の人が集まるので、短時間でも大人数に挨拶することができる。だからその中でチラシを配ったり、飴を配ったり、それから苦手な愛想を振り撒いたりで、いかにしてたくさんの人に自分の顔を覚えてもらうかで大忙しだ。
作り笑いは苦手だ。
自分がアイドルだったのならまだいい。
だが自分はアイドルではなく、ただの生命保険会社の女性社員だ。生保レディなんて呼ばれてはいるが、私も所詮はただの会社員なのだ。
生保レディというやつはアイドルでもないのに大衆に気に入ってもらうために笑顔の仮面を被って、足を棒にしながらそこら中を駆け回らなくてはいけない。
それだけアイドル顔負けの働きをしているというのに、稼ぐ給料はアイドルなんかと比べるまでもなく低賃金。全く、割に合わないにも程がある。
そりゃ、そう文句を言ったところで、私はアイドルになりたい訳ではないし、なれるとも思ってはいない。
だが、せめて割に合う仕事くらいはしたいと思う。
顔が無理に作った笑顔の形のまま固まってしまうまで愛想を振り撒いても、一息つけることはなく。だいたいは仕事のアフターフォローに大忙しとなってしまう。
営業所に戻ってゆっくり昼食をとる間もない。
そして毎日、無賃金の延長労働だ。
日が落ち、周りの建物から漏れる光が明るく感じられるようになった頃、よくやく私も仕事から解放される。
私の毎日のささやかな楽しみは、職場の最寄り駅の前にある大型書店の書籍コーナーをぶらつくことだ。
酒でも飲めれば普段の鬱憤をすっきりと晴らすこともできるのだろうが、残念なことに私は下戸だ。カクテル一杯でぐでんぐでんに酔っぱらってしまう。
人前でそんな醜態を晒すのはまっぴらごめんだ。
それなら本屋を巡り活字の海に溺れて酩酊してる方が何倍も気分がいい。それに私の性にあっている。
今日も遅い仕事帰り棚の間を何の気なしにふらふらと見て回っていると『一年で百万貯まる節約術!』と煽るよくある系統の啓発書が目に付いた。
笑えてくる。
そんな本を衝動買いする時点で、もう既にアウトだ。節約してお金など貯められる筈もない。
「…………」
しかし、そんな本を目に留めてしまうということは、私もそれだけお金を得たいと思ってしまっているということなのだろう。
……なんだか急に、購買意欲を削がれた気がする。
今日は何も買わずに帰宅することにする。
自動改札を抜け、人も疎らな電車に揺られて駅三つ。
そこから歩いて約5分の場所に私の住むマンションはある。少し値は張るが、防犯対策は行き届いているので女の一人暮らしをする身としてはこの方が安心できる。
「ただいま……」
部屋に戻ってすることは、三つだけ。
一つ、スウェットに着替えること。
二つ、化粧を落とすこと。
三つ、ベッドに倒れ込むこと。
……シャワーや食事は朝でいい。
「お金、欲しいなぁ……」
灯りを消し、黒に染まった天井に手を伸ばして呟く。
◆ ◆
「…………」
朝起きると、枕元に一枚のお札が落ちていた。
神社のお札ではなく、お金のお札。
お札、紙幣、日本銀行券。言い方は様々ではあるが、そこに描かれている 図柄は福沢諭吉の肖像。
金額は一万円だった。
「……はて?」
何故ここに一万円札が?
寝ぼけ眼と寝ぼけた頭で周囲を見回す。
昨晩の部屋の様子をそれほど鮮明に覚えている訳ではないが、私の寝相で乱れたベッドの上以外はさほど変化はしていないように思える。
財布はまだ床に投げ出された鞄の中に入っている。
私にも本の間に挟んだヘソクリのようなものはあるが、本はちゃんと本棚に収まっているし、間に挟んだお札はここにあるような綺麗なピン札ではない。
身に覚えのないお金であった。
落し物だろうか。
しかし交番に届けるにしても、拾った場所がこの部屋という時点で、落とし主は私くらいしかいないはずだ。だから馬鹿正直にこのお金を交番に届け出ても、ただの痛い人と思われるのがオチだ。
私の人生にオチとか余計なものはいらない。
そうかと言って、わざわざ道で拾ったとか余計な嘘を吐いてまでこのお金を手放すのも惜しい気がする。
「……あ――、」
そういえば身に覚えがあるという程ではないが、少し思い当ることがない訳じゃない。……とは言えしかし、そんな夢物語みたいなことなんて――。
「いやいや、まさかね……」
我ながら馬鹿らしいと内心思いながらも、昨日の晩のように天井に向かって手を伸ばし、呟いてみた。
「お金が欲しい……」
私の伸ばした掌に、諭吉が舞い降りた。
そして、寝ぼけていた綺麗に意識がぶっ飛んだ。
◆ ◆
「……はぁ――、大丈夫……」
強く頬を張って気を引き締める。
少しの間軽い錯乱状態が続いていたが、今は大丈夫。深く息を吸い、暴れていた心臓を落ち着かせる。
大丈夫、私はおかしくなった訳じゃない。
これが夢ではないという確認は何度もした。出てきたこのお金は私以外にもしっかりと見えているし、機械に通しても本物だと認識された。
だからこれは白昼夢や幻覚、空想や妄想の産物なんかではなく、紛れもない現実だということだった。
ストレスから変な薬に手を出した訳でも、仕事疲れで頭がおかしくなった訳でも、はたまた昔話のように狐狸妖怪に化かされたという訳でもない。
非現実的な現実だった。
私はお金を呼び出せるようになった。
本当に非現実的な言い方だが、その考えに落ち着いた。
「…………」
しかし、こんなとんでもない状況になってもこうして冷静な判断ができるとは。勉強漬けで夢のない子どもに育ててくれた両親に、今回は少しだけ感謝した。
ここぞという時は、よく考えて動かなくてはいけない。
これで占めたとばかりに今の仕事を辞めても、それで思わぬ損害を被ってしまっては堪らない。
今日は土曜日。
うちの会社は週休二日制なので、今日明日は休みだ。
とりあえず今はこの週休を使い、この不思議な能力の検証に努めることにしよう。
◆ ◆
「ふぅ……」
お金が呼び出される条件を考えてみる。
まず『お金が欲しい』と声に出さないといけないのか、それともお金が欲しいと思うだけでいいのか。
昨日の晩、それからさっきお金を呼び出してみた時は『お金が欲しい』と呟いたら一万円札が現れた。
私はお金と呟いただけで、一万円が呼び出されている。
金額は指定していない。
その時持っていた私の『お金』のイメージが一万円札だったとして、もしかしたら言葉に出さずとも、念じるだけでお金は呼び出せるのではないだろうか。
「…………」
そこで声には出さず、『一万円が欲しい』と念じてみる。
すると、目の前に一万円札が現れた。
よし、予想通りだ。
今度はもっと複雑な金額を試してみよう。
「…………」
ふと頭に浮かんだので『二万九八〇〇円が欲しい』と念じてみる。……ちなみにこの金額は、前から欲しいと思っていたバッグの値段だ。
「…………あれ?」
しかし、小銭一枚現れなかった。
やはり、複雑な金額は一度に呼び出せないということなのだろうか。仕方ない、それぞれ呼び出すしかないか。仕切り直して『二万円が欲しい』と念じてみる。
「…………?」
しかし、また一枚も現れない。
はて、何故だろう。
しかし、改めて『一万円が欲しい』と念じてみると、今度はしっかり一万円札が現れた。
「…………」
試しに今度は『二千円が欲しい』と念じてみた。
すると千円札を二枚ではなく、二千円札が現れた。
それから何度か試してみたが、その結果は同じだった。
この表現が正しいのかわからないが、どうやら一度に一枚までしか紙幣は呼び出せない。ただし、その紙幣はある程度選べるようだ。
その後も色々と試行錯誤してみた結果、呼び出せるのは『一度に一枚だけ』『日本円のみ有効』というパターンに落ち着いた。小銭もまた、それと同じ縛りだ。
さて、次は出現場所の特定だ。
今のところ念じたお金は目の前に呼び出されているが、正確にはどういった出現条件で出現しているのか。一度しっかりと確かめてみる必要がある。
「…………」
床に転がっていた空のペットボトルの方をじっと眺め、『五〇〇円』と念じてみる。
――カコンッ……
ペットボトルの小さな口に五〇〇円が通るわけがないのだが、そんな一般常識など当たり前のように無視してペットボトルの中に五〇〇円玉が現れた。
遮蔽物があっても関係無しってことか。
では、空間的な遮蔽はどうだろうか。
次にテレビを点け、生放送番組を探してみる。ここはニュース番組などが適任だろう。チャンネルをいくつか回しているとその中に丁度、駅前で募金を求める女性にリポートをしている生放送番組があった。
「…………」
何があったのかは知らないが、リポートを受けている娘の為にお金が必要だと厚い化粧を崩し、涙を流すその女性の顔がとても印象的だった。
その画面の向こうにあるアクリル製の募金箱に対して『一万円』と念じてみたが、どうも駄目なようだった。
カーテンを開き、外を眺める。
暗く灰色に積み重なった街並みと、網の目状に張り巡らされた電線と道路が、青く澄みきった空と対比されて何故かとても嘘臭く見える。
「はぁ……」
疲れた溜息といっしょに『五千円』と念じてみる。
五千円札が中空に現れた。
枯れ葉のように風に吹かれ、ひらひらと宙に舞った。
勿体ないので消してみようと思ったが、その五千円札は消えず、吹いてきた強い風に飛ばされてどこか遠くへ飛んでいってしまった。
まあ、いいさ。きっと誰かが拾って交番に届けるなり、財布の中にこっそりしまったりするだろう。
次に実家の母に電話を掛け、他愛ない会話をしながら電話口を想定し『一万円』と念じてみたが、向こうでは何も起こらなかったらしい。
久しぶりの娘との会話だというのに、母は相変わらず感情のこもらない冷めた声をしていた。……まあ、それは私にも言えることではあるか。
これで更に『呼び出せるのは肉眼で見える範囲まで』『紙幣は自由に呼び出せるが、自由に消せはしない』という出現条件があると推測できた。
当面、懸念すべき点は二つ。
一つ、呼び出した金額分の何かが失われていないか。
二つ、呼び出せる金額に上限はあるのか。
一つ目の金額分の何かが失われていないかについては、一応確認してみたが肉体的な欠損はないし、銀行の残高も変化はしていないようだった。
これでもし失われている何かが、運や寿命であったのなら私には確認の仕様がない。お手上げだ。
二つ目の金額の上限についても確認の仕様がない。
せいぜい数百万円程度で打ち止めが来るのなら、思い切って退職するのは割に合わないが、かと言って無限であることの確認は非常に難しい。
呼び出せる上限がわからないのなら、せめて私が今後の人生で欲しいと願う最大限の金額まで呼び出せるか、試してみることにしよう。
「…………」
……私は、何円あれば満足するのだろう。
優雅を極める、有り余るほどの莫大なお金。
どこかの国の王族のような贅沢三昧の人生。
そんなことを心のどこかで夢見たことはあるが、いざ真剣に考えてみようとすると、見積もりが四億を越えた辺りでリアリティがなくなってしまった。
やりたいと思うことがなくなってしまったのだ。
なんだ、自分はもっと欲深い人間だと思っていたのに。こうしていざ蓋を開けてみれば、私の思い描く贅沢など、どれだけ見積もってもたかだか四億で頭打ちだった。
◆ ◆
結局、今の仕事は辞めることにした。
辞めて清々したとは言わないが、すっきりとはした。
今にして思えば生命保険会社の社員は、私にはあまり向いていなかったのだろう。
親や世間に流されるようにして決めた職場だ。
これを機会に辞めて正解だったのかもしれない。
「……しかし、これで無職の仲間入りです」
あの両親に仕事を辞めたことを知らせたらどうなるか少し興味はあったが、家族には伝えないことにした。
それからひと月かけて、三十程の銀行に新しく口座を作り、それぞれの口座に預金を分散させた。
それと今後の円高・円安などを考慮して、とりあえずドル・オーストラリアドル・ユーロ・中国元などの外貨預金も始めることにした。
株に手を出すことも考えたが、そもそもお金が湯水の如く溢れてくるので、今更どこかに投資信託などをして資産を増やす必要性は感じなかった。
そして、いくつか問題も浮かび上がって来た。
いくら現金で一億円の財産があっても、物理的に私の腕力ではその一億円を持ち運ぶことが出来ない。
仮に数回に分けて運び、ATMに入金をしたとしても、一般的なATM機器内には一億円が入る程のスペースはないのだ。ATMの前で金を呼び出すことはできるが、その姿が監視カメラに映ると一大事になる。
面倒だが、地道に百万単位で入金するしかないだろう。できれば入金場所も分散させて、目立たないようにした方がいいだろう。
それと、税務署はどれ程仕事をしているのだろうか。
相応の納税を求められたら、腹は立つが仕方ないので納めよう。……しかし、金の出所を聞かれたら?
私は罪を犯している訳ではないが、どうなる?
そういえば、呼び出した紙幣の紙幣番号はどうなっているのだろうか。機械に通しても大丈夫だったので偽札ではないだろうが、印刷局のデータではちゃんと辻褄は合っているのか、どうなのか……。
結局、こうした出所のはっきりとしない多額の現金を持つことは色々と危険を伴うのだ。
だからせいぜい、財布の中にいつも十万円を忍ばせて数万単位の買い物を躊躇いなくできるようになるという程度だろう。ちょっと財布が膨らんだようなものだ。
金はいくらでも出てくるのに、その程度。
「…………」
しかし、これが分相応というものなのかもしれない。
私はいつか結婚して、ささやかながらも小さな庭付きのマイホームを購入し、ローンにやきもきしない程度に暮らせればそれで良かった。
平凡でいい。
だた、そこにある幸せが欲しかった。
煌びやかな優雅さなんてものはいらない。
暖かい家とやりがいのある仕事があって、愛する人と、愛してくれる人がいれば、それだけで十分じゃないか。
金で愛は買えない。
しかし、金がなければ愛は守れない。
――でも、守りたい愛がここにはない。
「…………情けない」
私自身は何も変わっていない。
私は私のままで、財産だけが増えている。
そこに今まで現れなかったものが急に現れたのなら、それは金の魅力で、この私の魅力などではない。
金の切れ目が縁の切れ目。
その理屈で言えば、私に縁の切れ目はないだろう。
でも金で繋がった縁は、酷く醜く汚いものだ。
金で愛は買えないが、金で守れる愛はある。
私にはまだ、そんな風に守りたい愛はない。
けれど、もしもこの力が誰かの役に立つことがあるのならば、その時はこの力を存分に使いたいと思う。
金は力だ。
この貨幣経済が支配する社会の中で生きる以上それは紛れもない真実でこの世の真理だ。
◆ ◆
あるニュースが流れた。
心臓移植をしないと愛ちゃんは死んでしまうらしい。
近年になってようやく法律の改正が為され、日本でも幼児の臓器移植が可能になったのだが、まだそのドナーが集まっていなかった。愛ちゃんが手術を受けるには、手術費用だけではなく『手術を受ける順番を奪い取る』為の資金等も含めて、二億四千万円程必要らしい。
愛ちゃんの母親はテレビ等で募金を求めた。
開始当初は募金の集まりが悪かったのだが、募金開始からひと月程で突如、どこからか多額の募金が為され、目標額である二億四千万円が無事集まった。
これで愛ちゃんは助かる筈だった。
だが、母親が募金の半分を支援団体の会員にばら撒き、その残りを持ち逃げし、姿をくらましてしまった。更に、愛ちゃんに改めて移植手術を受けさせないよう、手足を縛って川に沈め、殺害していたことがわかった。
その後母親は逮捕されるが、裁判所の前で報道陣達に詰め寄られる中、カメラの前で変死した。……信じ難いことだがその死体は、頚動脈を切り裂かれており、その傷口からは一万円札が発見されたらしい。
◆ ◆
「あーあ、やっと役に立てると思ったのに」
Fin