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コバルト短編小説新人賞投稿作品

百万の花を君に捧げる

作者: 夏目透子

コバルト短編小説新人賞で、もう一歩だった作品です

 生贄に選ばれた人って、どんな事を考えながら生贄にされていくのかしら。

 私は生贄を乗せるための輿にゆられながら、ふとそんな事を思う。

 とりあえず、私の考えている事、それは。

 ――私を生贄に所望した『神』を殺す。

 人すら殺した事もない、もっと言えば動物すら手にかけた事のない私は、巾着の中の青白い刃をのぞき見ながら、一人心の中でその決意を新たにしていた。


 私の住む村には、奇妙な風習が何百年も前から脈々と受け継がれている。

 それは、十七歳になった娘を、村の近くの山に住む、神にも等しい力を持つと言われる大蛇に捧げること。

 何十年かに一度、それは巡ってくる。

 娘が生まれた時、その枕元に銀の(うろこ)が一枚置かれる。それが生贄に選ばれたという印。その鱗は捨てても捨ててもいつの間にか手元に戻ってきてしまう。それは実際にやったことがあるので実証済みだ。川に放り投げたそれが、朝起きると枕元に戻っているのは、かなりの恐怖だった。不思議な力が働いているとしか思えないその鱗を、私は諦めとともに受け入れざるを得なかった。

 しかし、自分が生贄にされるという事は、どう考えても受け入れ難い。なぜ私が死ななければいけないのか。村のために犠牲を覚悟するほど、この村に愛着があるわけでもない。

 物心ついたときから、私に親しく話しかけてくるのは兄や兄嫁、祖母といった家族しかいなかった。両親は幼い頃にとっくに亡くなっている。村の人間は『生贄に選ばれた少女』という特殊な立ち位置の私に、どう接していいのかわからないように遠巻きにしているのが常だった。

 そんな環境で生まれ育った私が村を好きになれるわけもなく、鬱屈した思いを抱えながら、私はただ生贄にされる日までの日々を単調にやり過ごしていた。

 科学というものが認識されつつあるこの時代に、そんな旧態依然としたしきたりがまかり通っている事は明らかにおかしい。しかし、この風習が延々と行われてきたという事は、そこにやらなければならなかった理由があるということ。

 村の言い伝えによれば、生贄の娘を憐れんだ男がその娘をつれて逃避行を企てたという事があったらしい。だが、大蛇様の怒りに触れたその男は逃亡の最中に奇病にかかり、世にも無残な格好で苦しみのたうちまわり、それを見かねた娘が生贄になるために村に帰ったという。他にも生贄を捧げなかった事で災いが起きた例は枚挙に暇がない。

 そういったわけで、今回も生贄は粛粛と執り行われる。

 幸せの見えない灰色の日々に()んでいた私は、いっそ早く生贄にされる日が来ればいいのにと思いはじめてさえいた。

 しかし、その私の心境を変えるような出来事が起る。兄に子供が出来たのだ。

「せら!」

 まだ幼い姪、エイミーは、私の名前、セイラをちゃんと言うことが出来ない。最初は家の中に現われた子供という新参者に対して戸惑いしか持たなかった私だったが、時間が経つほどにその存在は私の中で大きくなっていった。

 あどけなく私に笑いかけるエイミー、抱き上げられると、嬉しそうに手を叩くエイミー。あまり人に笑いかけられたことも嬉しそうな顔を向けられたこともない私にとって、そのエイミーの行動の全ては新鮮な驚きに満ちあふれていて、いつの間にか彼女は、とても大切なものになっていた。それとともに、私の中である思いが生まれる。

 エイミーが生贄になることはない。私が生贄になればしばらくは安泰のはずだ。

 でも、エイミーの子や孫が生贄に選ばれることはあるかもしれない。

 すっかり諦めきったような表情を見せながら、時折悲しみに(こご)った目で私を見つめる兄や祖母の顔が頭をよぎった。そうなれば、この子も、そんな顔をするようになるかもしれない。この生贄という儀式がある限り。

 エイミーに、そんな思いをさせたくない。私は強くそう思った。

 そして、もう誰か――例えばエイミーのような子――が、また新たな生贄に選ばれると思うだけで本当に嫌だった。私は家族を生贄にとられる者の気持ちをはじめて考え、その辛さを想像せざるをえなかった。そうして考え抜いたあげく、私は一つの結論に達した。

 私が生贄になることは、もう諦めとともに受け入れている。だが、これからも村が延々とその儀式を続けるのは、どう考えても諦めることも受け入れること、出来やしない。

 なら、どうするか。

「私の代で、終わらせる」

 何も出来ない小娘に過ぎないけれど、万に一つも奇跡が起きないとは限らない。やってみる価値はあるのではないだろうか。どうせ死ぬ身だ。悪あがきぐらいしてもいいだろう。

 そう考え、私は密かに知識や技術を身につけようとした。蛇に関する習性や伝承を読みあさり聞きまわり、丸太を大蛇に見立て、急所を攻撃する練習を重ねる。児戯に等しい事だったかも知れないが、私は私なりに必死だった。怠惰な日々は一変し、寝る間も惜しんで神殺しの練習に勤しむ。

 全ては、来るべきその日のため。

 そうして、私はその日を迎えた。


 古めかしい巨大な石の門扉を見上げて、私はため息をついた。ここは大蛇の塔。門の上からは、重厚な石造りの大蛇がこちらを見下ろしている。

「これ、人間で言えば自分の石像を門の上に飾るようなものよね」

 意外と大蛇は自己顕示欲が強いらしい、と私は心に刻みつける。後で何かの役に立つかもしれない。

「で、これからどうすればいいのかしら」

 私はキョロキョロと四方に目を配りながら、巾着の中の短刀をつかんだ。その時。

「お待たせ致しました。どうぞお入り下さい」

 穏やかな声音と共に、門がゆっくりと開いていく。口から心臓が飛び出そうなほど驚いたが、必死でそれを押し隠して、私は声のする方向を見やった。

 開いた門の向こうに立っていたのは、二十代中盤とおぼしき、髪の長い若い男だった。背が高く、なかなかに顔が整っている。しかし、こんなところにいるなんてどう考えても普通の人間ではない。私はどう対応するか迷って、巾着の中に手を突っ込んだまま口の中でもごもごと挨拶をする。

 男は気にした様子もなく、私を中へ招き入れた。

「お疲れでしょう。どうぞこちらへ。お茶の用意が出来ていますよ」

 ……お茶?

 予想外の単語に私は固まった。生贄にお茶を提供するなんて、ありえない。それともお茶と言いながら、人の生き血でも飲ませるつもりではないだろうか。

「先日手に入れたんですが、今年の茶葉はできがいい。気候に恵まれたんでしょうね。風味も水色も完璧と言っていい逸品です」

 やはりお茶で間違いないようだ。しかし、何故?

 男の後についていきながら、必死で私は推測をする。そして一つの結論に達した。

 精神的負荷をうけた動物の肉は、まずくなると聞いたことがある。

 つまり私の心労を緩和させて、最上に美味しい状態で食らおうという寸法だろう。

 そうは問屋が卸すものか。絶対に美味しくなんてなってやらない。

 私はそう心の中で強く誓う。どのみち、大蛇を殺すまで私に安息は訪れない。どんなもてなしをされようが、私に安らぎなんてあるわけはないのだ。


「美味しいですか?」

「……美味しい」

 お茶は、驚くほど美味しかった。こんなお茶を飲んだのは生まれて初めてだ。貧しかった今までの生活では、想像も出来ないほどの味だった。家族のみんなに飲ませてあげたい。思わずティーポットを握りしめて立ち上がりかけて、私ははっと我にかえった。生贄の私がもう家族にあえるはずなんてない。

「どうなさいました?」

 男の驚いたような視線に、私は虚ろな笑みを向ける。

「ええと、あまりに美味しすぎて思わず……」

「それはよかったです」

 男――スカリーは微笑みながら私におかわりをついでくれる。塔の中へ案内される道すがら私が知り得たことは、この男の名前だけ。

 それにしても、奇妙だと思うことがたくさんある。私が通された部屋は、塔の最上階にあり、大きく切られた窓からは私の村がよく見えた。調度は落ち着いて暖かみのあるもので、どれも使い込まれている。大蛇のねぐらにそぐわない品々ではないだろうか。

 そして、テーブルに並べられたケーキやサンドイッチは、どれも極上の一品。

「――ねえ、どういうことなの? 私、生贄なのよね? だいたい、あなた何者? あなたが大蛇なの?」 

 スカリーに質問を立て続けにぶつけると、彼は困ったような笑みを浮かべた。

「私はカドケウス様のしもべにすぎません。カドケウス様からは、あなたをおもてなしするように言いつかっております」

「それが大蛇の名前? そのカドケウスとやらは何をしているの? 私が太るのを待っているわけ?」

 思わずきつい物言いになってしまったが、かまってはいられない。私にとっては文字通り死活問題なのだ。

 スカリーは眉をへの字に大きく下げると、おもむろにテーブルの上のナイフを握った。ぎょっとして私は思わず腰を浮かしかける。

「カドケウス様は、今はお休みになっておられます。お会いできるのは夜になるでしょう。それまで、ゆっくりお茶とお食事を召し上がって下さい」

 その鋭利なナイフは、テーブルの上のケーキを大きく切り分けた。


「来るなら、早く来いってのよ」

 美味しい食事とお菓子を振る舞われ、薔薇の花びらが浮かぶ風呂まで用意された私は、今は天蓋付きのベッドで大蛇の訪れを待っている。用意された絹の寝間着が、しっとりと肌にまとわりついて落ち着かない。

 この手厚いもてなしは、死ぬ前によい目を見せてやろうということなのか。正直、生贄の身としてはどんな好待遇も穿(うが)った目でしか見ることができず、楽しむどころではない。

 苦しみがじわじわ先延ばしされていると思えば、いっそ早くやってくれと叫びたくなる。

 しかし、ようやくそれにも蹴りがつくだろう。この部屋には私しかいない。紗の帳が下ろされた天蓋ベッドの中は、まるで大きな籠のようだ。息を詰めて私は大蛇を待つ。手には刃物をしっかりと握りしめて。

「清らかな乙女は、魔を惹きつけると同時に、その魔の力を打ち破る事もできるものだ」

 本当かどうかわからないが、古老に聞いた言い伝えを頼りに私は勇気を奮い立たせる。

 来るなら来いだ。

 恐怖がきわまって、私の精神状態は半ば高揚状態にある。暗闇を凝視しながら、私は大蛇を撃退する妄想をひたすら展開させていた。その時。

 部屋の扉がゆっくりと開く音が聞こえてきた。そこから何かが忍び込んでくる。瞬間、向かうところ敵なしだと吠えていた私の気持ちが、侵入者を目の当たりにして冷水を浴びせかけられたように急速に冷えていった。

(怖い)

 私の頭にはそれしかなかった。相手は人ではない。エイミーの事や、村の事、そのために大蛇を殺さなければと思うそんな自己犠牲の気持ちよりも、ここから逃げ出したいという恐怖が本能的に強く頭を支配する。

 何かが静かに私のところへ忍び寄ってくる気配がした。刃物を握りしめながら、私は天蓋の中で可能な限りそれから遠ざかろうとする。天蓋から飛び出して大蛇に襲いかかるなんてことは、今の私には考える事もできない。

「……起きているか?」

 暗闇で声が響いた。その口調のあまりの普通さに私はどう反応していいかわからず、口から出たのは「え?」という間の抜けた声だけだった。

「起きているか。……よかった」

 相手は安心したように言葉を続ける。私は混乱しながら、ただそれを聞いていた。どういう仕組みなのか、心に直接響くようなその声からは、相手の年齢性別を判断することは難しかった。もっとも、大蛇にそんなものはないのかもしれないが。

「少し話をしないか。お前が眠るまででいい」

 そう言ったまま、暗闇の気配はそこから動かない。

 迷った末、「いいわよ」と私は承諾をした。

「そうか! じゃあ、あれだ。ええとまずは、お前の好きなものを知りたい」

 あからさまに嬉しそうになった声に、私の混乱はさらに強くなる。

 好きなもの? 大蛇が、生贄の私に?

「……あなた、大蛇じゃないの?」

「いかにも私は大蛇だが?」

 たまりかねて質問をすれば、不思議そうに答えが返ってきた。私は頭を抱える。

「じゃあ、私を食べるんじゃないの!? なんなのよ一体? 私をもてなしたり、こんな豪華な天蓋付きのベッドに寝かせたりして!」

「食事は口に合わなかったか? 天蓋付きのベッドが嫌ならば、明日にでもスカリーに命じて天蓋を取り払わせるが」

「そういう問題じゃないのよ!」

 かみ合わない会話にじれて、私は思わず大蛇を怒鳴りつけていた。

「食べるならさっさと食べなさいよ! こんな生殺し状態、冗談じゃないってのよ!」

「こっちこそ、食えるものならさっさと食っている。だが今回は色々不都合が生じたのだ」

 なぜか大蛇の口調はいいわけがましかった。その事にも苛立ちがつのり、天蓋の中から私は大蛇を睨み付けた。恐怖心はすっかり薄らいでいる。相手の口調があまりにも人間的だったからかも知れない。

「あと七日待て」

 そう言うと同時に、大蛇の気配は遠ざかっていく。

「七日?」

 何その日数。七日も待っていなきゃいけないなんて冗談じゃない。

「そうすれば、望み通りお前を食ってやろう」

 その言葉には、隠しきれない喜びのようなものが感じられた。友好的に見えて、所詮は蛇の(さが)か。ぞっとしながら、私は手の中の刃に目を落とした。

「どういうつもりだかしらないけど、いいわ」

 七日の猶予があるのなら、その間に弱点の一つでも見つけ、隙を狙ってやろう。チャンスが伸びたと思えばいい。息を吐きながら私は刃物を巾着にしまいこんだ。


「そうか、果実の風味の茶が好きなんだな」

「まあ……そうだけど」

「それで、菓子はシナモンがたっぷり入ったアップルパイが好き、と。よし、覚えたぞ」

「そんな事覚えてどうするのよ」

 生贄生活ももう四日目に入った。大蛇――カドケウスとの夜中の雑談もだんだん慣れはじめてきていた。

 二日目にカドケウスが夜中に部屋に訪れたとき、開口一番

「大事な事を言い忘れた。私の事はカドケウスと呼べ」

 と言いだした。私の頭は真っ白になる。スカリーからその名前は聞いていたが、まさか自分がそれを呼ぶはめになるなんて。

「代わりに私はお前をセイラと呼ばせてもらう」

 断固とした口調から、もうそれは決定事項のようだった。私の顎は衝撃で外れそうだった。大蛇が生贄の名前を把握しているなんて想像もしない。皿に並べられた肉のごとく、ぱっくりと食べられて終わりだと思っていた。この大蛇は色々予想外すぎる。

 その後、二日目は好きな服の事を聞かれた。貧しい生活だったので、好きな服なんて想像も出来なかった私は、答えるのに苦労した。しかし、機嫌をそこねて七日の猶予をふいにするのが怖かった私は、想像に想像を重ねて、なんとか回答することが出来た。

「なるほど、シンプルな服が好きなのだな。後、コルセットは嫌いで、肌触りがよいもの。ああ、お前は少し古風なかたちのものが似合う気がするぞ。瞳に合わせてスミレ色などどうだ? その金の髪もよく映えるだろう」

「どうだって言われても……」

 その言葉の意味は、翌日わかった。

「時間がなく既製品で申し訳ありませんが」

 そう言いながらスカリーが私に差し出したのものは、優雅なエンパイアラインのスミレ色のドレスだった。

「よくお似合いですよ」

 スカリーの賛辞を、私は困惑と共に受け止める。あの大蛇は、何を考えているんだろう。私にはさっぱりわからなかった。

 その後も、大蛇からの贈り物は続いた。

 スミレの匂いが好きだといえば、スミレの香りの香水を。

 苺が好きだといえば、どこで摘んできたのか籠一杯の苺を。

 私はそれに戸惑うばかりだった。

「食べる代償に、せめて残りの日々はいい思いをさせてくれようとしているのかしら?」

 今日もカドケウスから届いたアップルパイと林檎のお茶を前に、私はため息をついた。夜中にカドケウスが部屋を訪れて話をする以外は、今の日々に予定などというものはない。食事は定刻に配膳されるが、それ以外は自由だ。といっても塔の敷地から出るわけにはいかないので、部屋でお茶を飲むか敷地の中を見て回るくらいしかすることはないのだが。

「塔の地下に入らなければ、他はどこを見ても、何を利用してもかまわないぞ」

 カドケウスからはあらかじめそう言われている。

「ということは、昼間はカドケウスは地下にいるってことよね」

 そしてカドケウスはおそらく、眠っている。それは願ってもないチャンスだ。

 そう思いつつ、私はまだ地下に足を踏み入れたことはない。まだ七日目まで日はある。その事が、私に行動の先送りをさせている。

 本当は、今のかりそめの平和を失うことが怖いだけなのかも知れない。

「……だって、今まで私にこんなに色々よくしてくれた人なんて、いなかったものね」

 家族仲は良かったが、両親のいない私の家は貧しかった。アップルパイや林檎のお茶なんて、滅多に口に入ることはなかった。美しいドレスや、香水なんて見たことすらなかった。家族以外の人間は、私を遠巻きにして奇異の目を向けるばかりだった。

 だから、私はほんの少し嬉しかっただけなのだ。目的は、忘れてはいない。

 そう自分に言い聞かせることがだんだん多くなってきている。私は再びため息をついた。

「馬鹿みたい。私は結局、餌なのにね」

 気分転換に、私は庭を散歩することにした。

 きっとこの贈り物も、カドケウスにとってはただの退屈しのぎにしか過ぎないのだろう。姿も見せない相手だ。そもそも大蛇に誠意や親切心なんてあるわけもない。

 そんな事をぐるぐると考えながら歩いていると、私はいつの間にか知らない道に迷い込んでしまっている事に気づいた。この塔の敷地は、驚くほど広い。塔は山を背にして寄り添うように建っているため、気づけば山に入り込んでいるということもしばしばだった。

 引き返そうと踵を返したとき、私はそれに気づいた。木々の間から見える墓のような物。そちらに目を向けたとき、それは一つではないことがわかった。

「一、二、三、四……六つの墓?」

 墓は、古く苔むしたものから、まだ比較的新しいものまで、様々な年代のものがあった。しかし、なぜこんなところに墓がたてられているのだろう? 大蛇の縄張りの中に墓参りに来る人がいるとは思えない。しかし、その墓の前には、まだ瑞々しい花が手向けられている。不思議に思って墓石をまじまじと見たとき、疑問は氷解した。そこにあった名前はすべて女性の名前だった。

「もしかして、生贄だった人?」

 それなら墓石の年代のズレも理解できる。過去カドケウスの生贄になった少女達がここに眠っているんだろう。私の名前もここに並ぶ。そう思うと、複雑な気持ちになった。

「でも、誰が花を?」

 家族がここに来ることは考えにくい。しかも、最初の生贄は死んで数百年は立っているだろう。ひとつひとつの墓石の前に置かれた花の種類は違っている。一番古い墓にはレンゲの花冠がかけられていた。その花冠は、まるで子供が作ったようにつたない。

「不思議ね。どの墓も綺麗に手入れされているし、墓守でもいるみたい」

 謎は深まるばかりだ。そして、謎と言えば。

「カドケウスは、何を考えているのかしら?」

 私の気持ちはそれを知りたくて、もやもやしっぱなしだ。優しくされて、自分の事に興味をもたれているような様子を見せられて、色々なものをもらって。そんな事をされたら、もしかしたらカドケウスは自分を好きなんじゃないかなんて、錯覚してしまいそうだった。

 もう生贄にはならなくていいのだろうか。そう思ってしまって、裏切られることが怖い。

 もっと怖いのは、私が今の生活を気に入りつつあること。

 ずっとこんなふうに暮らしたい。私のどこかはそう願ってしまっている。でも、それは何の解決にもならないだろう。私が死んで、その後はまた何年後かに生贄が捧げられる。それはエイミーの子孫かもしれない。その流れを私は断ち切りたい。

「これ以上決心がぐらつく前にやらなくちゃ」

 一番怖いのは、これ以上いると自分がカドケウスを好きだという錯覚を抱きそうな事。それだけは、嫌だ。だって、二人の結末は殺すか殺されるか、どちらかしかありえない。

 私は生贄で、彼は大蛇。

 私は意を決して刃を握りしめる。

 禁じられた地下への扉には、鍵はかかっていなかった。初めて足を踏み入れるそこは、涼しく薄暗かった。私はあることに気づく。

「花の匂い?」

 目が慣れると、床に散らばっているそれが目に入ってきた。

 薔薇、百合、レンゲ、スミレ……様々な花が中央に横たわるものを取り巻いている。

「これが、カドケウスの正体……」

 それは一抱えほどもある巨大な蛇だった。とぐろを巻くその長さは、正に神と呼ばれるに相応しい威圧を感じさせる。言葉を失い、しばし私は立ち尽してしまっていた。

「――ん?」

 気配を感じたのか、カドケウスが身じろぎをする。咄嗟に刃物をかまえた時、カドケウスはカッと目を見開いた。

「セイラ……!! なぜここに!?」

 その瞬間、カドケウスの蛇身が陽炎のように揺らいだ。

「――しまった!」

 悲痛な叫び声。それとともに、蛇身はかき消え、代わってそこに現われたのは私と同じくらいの年の少年だった。少年は叫ぶ。

「なぜ後一日待っていられなかった!? そうすれば、もっと年上に成長できたのに!」

「……年上に、成長?」

「蛇の性である私は何百年かに一度、古い体を脱ぎ捨てて新しい体に生まれ変わるのだ。今回は、魔力で幼体から成体まで一気に成長するようにしていた。私は成長後は年をとらない。外見がお前より年上でいられる期間は短いんだぞ! せっかくの貴重な機会を!」

 何を言っているのかさっぱりわからない。脱力した拍子に私の手からナイフが落ちる。それを見たカドケウスは、「なんだ、私を殺しに来たのか」と事も無げに言った。


「生贄って、嫁にもらうって事だったの?」

「そうだが?」

 カドケウスはしれっと答える。

「なら最初から言ってよ! だいたい、食べるって言ってたじゃない! あれは何なの!?」

「昨今では、初夜の事を『食う』と表現するそうではないか」

「違うわよ! 確かに『あの女を食った』とか言う輩もいるけど、それは全然違うから!」

 全ての始まりは、数百年前カドケウスが一人の少女と出会ったことからだったという。

 森の中で、一心にレンゲの花を編む少女。カドケウスはなぜか彼女から目が離せなくて、静かにその様子を見つめていた。花冠を編み終わった少女は、カドケウスに気がついて手の中のそれを彼に差し出し、にっこりと微笑んだ。

「あなたに、差上げます」

 それは、カドケウスにとって運命の出会いだった。

「彼女の名前はレオノーラ。私たちは恋に落ち、生涯変わらぬ愛を誓い合った。だが、彼女は人間。あっという間に私を置いて死んでしまった。で、それは何百年か前のお前だ」

「え?」

 急に話をふられて、理解がおいつかない。私が、何?

「お前は、レオノーラの生まれ変わりだ」

「生まれ変わり……? 全然そんな記憶……ないけど……」

「気にするな。お前がわからなくても私がわかっているから問題ない。お前が私を殺しにきたのも歴代のレオノーラの十八番だ。お前は生贄になるたびに、『私でこの生贄は最後にする!』と殺気だって襲いかかってきたものだ」

 うっとりしながら、カドケウスはその事を思い出しているらしい。私は歴代の生贄に比べて勇気が足りなかったようだ。というか、なぜ本当の事を言わないのだろう。殺されかけるのを楽しんでいるとしか思えない。

 ここは私の部屋。時刻は黄昏時と言われる頃。漆黒の髪と目を持つ美しい少年の姿をしたカドケウスは、悔しそうにため息をつく。

「あと一日で、二十五・六の麗しい青年の姿になれたものを! 処女であるお前が近づいたことによって、魔力が遮断されて成長が止まってしまったわ」

「そんなに悔しいなら今から成長すればいいじゃない」

「一度失敗した(わざ)はやり直すのは難しいのだ。本来何十年とかけて成長するべきところを、お前との蜜月を早く楽しむために魔術で無理矢理成長を速めたからな。しかし、これではあっという間にお前に抜かれてしまう」

 若々しい自分の体を、カドケウスは恨めしそうに見下ろした。

「これから、私はあなたと死ぬまでずっと一緒なのかしら?」

「当たり前だ。何を言っているんだお前は」

 逆に不思議そうに返された。

「死ぬまでどころか、死んで生まれ変わってもずっと一緒だ。蛇のしつこさをなめるな」

 タチの悪い偏執狂(ストーカー)のような台詞が、なぜか不快に感じない。本当に不思議だ。

「だが、お前が死んだ後、お前を思い出しながら墓に供える花を摘んでいるときは、本当につらい。だから、死ぬならもっとずっと先にしてほしい」

「あのお墓の花は、あなたが?」

 ひとつひとつの墓に、違った花が供えられていた、その事を思い出す。きっとこの人は、その女性の好きだった花を手向けていたのだろう。私の墓の前にも、いつかその花は供えられるのだろうか。私は、私の好きなスミレが墓の上で可憐に花を散らしていることを思い描いた。花を捧げるカドケウスは悲痛な顔をしていて、まるでその光景をどこかで見た事があるような生々しい想像に、私はぎくりとする。

(この人のために、長生きしなくちゃ。だって、いつも私がいなくなると死にそうな顔をするんだもの)

 心のどこかで、そんな声がしたような気がした。私はカドケウスを真っ直ぐ見つめる。

「ひとつ約束して。次に生贄を呼ぶ時は、本当の事を言うと。あと出来れば、家族に私が生きていることを伝えてほしいのだけれど」

「たやすいこと。家族への伝言は、いつも行っているしな」

 そう言うと、カドケウスは私の手を取り、その指に口づけを落とした。顔が赤らんでいくのを感じて、私は下を向く。

「今宵が楽しみだな。たった一人の、愛する私の生贄よ」


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