9 負けたくない
「初めまして、唯香です。よろしくお願いします…メイさん? でしたよね。よろしくね」
【ルージュ】を着るメイに私が笑顔で手を差し出すと、彼女は慌ててその手を握り返した。
「あ、初めまして。メイです。まだ、駆け出しで迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします」
少し緊張しているのか、強張った表情の彼女が軽く頭を下げた。
「私ね、前からあなたと一緒に仕事をしたかったの。渡瀬さん…彼女に憧れてこの世界に入ったから、その彼女の秘蔵っ子がどんな娘なのかとても気になってたの」
そう……メイは私が憧れた千沙さんの秘蔵っ子だった。
結局、私が一人前のモデルとして認められる前に千沙さんはモデルを引退してしまったので、一緒のステージに立つ夢は叶わなかった。
だけど、千沙さんの秘蔵っ子であるメイと一緒に仕事が出来る……それは私にとってはとても重要なことだった。
そんな私の気持ちが伝わったのか、メイの表情が強張った。
「そんな、私なんてまだまだです。唯香さんの足元にも及びません」
「…あ、そろそろ準備をお願いします」
吉澤さんの部下である朝倉さんの声で、その場の緊張感は消えた。
メイには負けたくない……私はそう思った。
やはり千沙さんの秘蔵っ子だな……それが私のメイへの感想だった。
普段は極普通の女の子という感じの彼女は、カメラの前に立つと別人の様な表情を見せる。
【ルージュ】は艶やかさを押し出したデザインで、普段のメイには似合わない様な気がするが、今目の前にいる彼女は服を完全に自分の物として着こなしている。
カメラマンの兼島さんも、メイには一目置いている様で、とても楽しげにシャッターを切っている。
--- 負けたくない ---
彼女の撮影風景を見ながら、私は自分の格好を見下ろした。
【ブラン】---清楚な女の子---最近の私のイメージとは程遠いと思う。普段の私はクール、セクシーといったイメージを持たれているから、清楚なんてどうしていいのか判らない。
「……思った通りメイも【ルージュ】似合ってるな」
いきなり背後から声がして、思わず身体が強張った。
「吉澤さん」
振り返ると吉澤さんが立っていた。彼は私の顔を見ると、すまなさそうに顔を顰めた。
「悪い……驚かせたか?」
「あ、いいえ、少し緊張しているだけです」
苦笑いで答えると、吉澤さんが意外という顔で私を見た。
「へぇ? 唯香でも緊張するのか?」
「しますよ! 特に今回の様な今迄にないイメージの服を着るんですから」
「……イメージ無いか?」
「無いですよ、だいたいクールとかセクシーと言われますし」
私が答えると吉澤さんは『ふーん』と返事をした。
「そうか? 俺は唯香にも似合うと思ったから、提案したんだけどな」
「実際に見て……どうですか? 似合ってます?」
冗談交じりで服を指差しながらそう尋ねると、吉澤さんは頷いた。
「うん、似合ってるよ。こんな服もたまにはいいんじゃない?」
「よしっ! 次は唯香! 君の番だ」
いきなり兼島さんが、私の名を呼んだ。
その声に思わず身体が強張った。
そんな私を見て、吉澤さんが軽く肩を叩いてくれた。
「大丈夫……気楽にやって。唯香なら楽勝だ」
その言葉に思わず笑みが零れた。
「吉澤さんの言葉信じます……兼島さん、よろしくお願いします」
そして私はカメラの前へと進んだ。
「結唯ちゃん! やったわね! 【アンジェリア】のポスター、凄く評判良いみたいよ」
数日後、事務所に行くと愛華さんが嬉しそうに私に話し掛けてきた。
「本当ですか?」
「えぇ、今までのイメージとは全く違った唯香って事で、話題になってるみたい。まぁ、メイちゃんの方も『あのモデルは誰だ?』って話題になってるらしいけどね」
確かにメイは今まで無名だったから、いきなり出て来た謎のモデルに皆興味深々なんだろうな。
「あの……それで、愛華さんから見たら、その写真の私どうですか?」
「結唯ちゃん! もう本当に最高よ。ここまで、よく頑張ったわね。ありがとう」
そう言って愛華さんは頭を下げた。
「ち、ちょっと! 愛華さん、何で頭下げるんですか!」
「だって、結唯ちゃんを無理してモデルにしたのは私なんだもの。気にしていたのよ、これで良かったのかって……ましてや、遼祐とも別れるなんて事があったから余計……」
「愛華さん……気にしないで下さい。モデルになったのも、遼祐と別れたのも全て私の決めた事です。それに今はとっても気分がいいんですよ。なんか新しい自分を見つけたみたいで」
私の言葉に、愛華さんは安心した様にほほ笑んだ。
そして、それからの私は【アンジェリア】のイメージモデルとしてメイと2人、多忙な日々を送る事になった。