アンリアルな現実。
玄関ロビーで田中さんと会った。
彼女は「おはよう」と言った。その顔には敵意はない、と言うより好意的なものだった。
僕も出来る限りの満点笑顔を作って言うのだけど、
「おはよう」
これは偽者だった。
田中さんとは玄関ロビーで別れた。
そして、『エレベータをつけろよな』と叶わぬと分かっていても、毎日欠かさず思う愚痴を心の中で呟きながら、階段を上っていると、佐藤君が後ろから声をかけてきた。
やっぱり彼も「おはよう」と言うし、その顔は笑顔だった。
僕も「おはよう」と返すのだけど、笑顔は作っているのだけど、それらは偽者だった。
続いて佐藤君は「最近面白い事あった?」と定例行事のようにお決まりのセリフ。
毎日聞かれても僕の日常に大きな変化がある訳ないじゃないか、と思うのだけど……。
「ないよ」と飛びっきりの笑顔を作って答えた。やっぱりこれらは偽者だ。
下らない。
田中さんとのやり取りも、佐藤君とのやり取りも普通な日常。でも、僕から見たこの世界はどこかリアリティにかける。平坦でスリルの足りないこの世界は偽物なんじゃないだろうか? そうじゃないと、あまりにツマラナイ。退屈すぎるだろ。
なんて事を常々思いながら、作り笑いを浮かべながら、僕は毎日を過ごしている。
そして……。
階段を上り教室のドアを開けると高田が見えた。廊下側の一番前、自分の席に座り頬杖を付きながら眠そうに時計を眺めている高田が見えた。
高田も僕に気がついたみたいだ。立ち上がり、
「逃げずによく来たな! 今日こそ決着だ。お前に貴重な『負け』をプレゼントするぜ!」
非現実的なセリフを言っているこの男は馬鹿だ。でも、こいつの真剣な表情も、さっきのセリフも本物なのだろう。
そして僕も答える。鼻でフフンとせせら笑いしながらも戦闘モードな緊張の表情で、
「そうだな。そろそろ決着をつけるべきだ。負けるのは君だけどな」
自分でも笑っちゃうな。あまりにアンリアル。非現実的。でも、この僕のセリフも本物だ。今日こそ白黒ハッキリつけてやる!
そうだ。僕が望む世界はこんな世界だ! 君もそうなんだろ? 毎日がつまらないんだよな? 高田!!
僕のセリフを待っていたかのように、高田は武器を取り出す。
長さ約三十センチ。黒が基調のその武器は、多分この組織に所属しているならば全員が持っているもの。
いや今の日本で、この武器を手にした事の無い子供はそう多くは無いだろう。じいちゃんが聞いたらどんな顔をするだろうか。『時代は変わったな』とか言うのだろうか。
いやいや、そんな事はどうでも良い。
僕も高田と同じ武器を取り出した。この武器はRPGの世界基準で分類するならば、『鈍器』類といった感じか。
僕はこの世界に酔って、ゆっくりと演技調に武器を取り出したのだけど……。
意外にも高田は礼儀正しい男のようで、僕が戦闘態勢に入るのを待っている。
馬鹿な奴だ。相手の準備を待つなんて『悪者』側の考え方だ。更に言うと『負ける』側の考え方なんだ。
僕はそんな下らない紳士ズムなんて持っていない。それは僕こそが『勝つ』側の人間で、すなわち『正義』側の考え方だからだ。特撮ドラマを見れば分かるはずだ。
なんて分析をしながらニヤニヤしていると、高田は武器をテニスラケットのように軽々と振り回し、無防備な僕のわき腹に強烈な一撃。
前言撤回。
こいつは卑怯な『正義』側の人間だ……。
僕はわき腹を押さえながら、後ろに下がった。距離を取った。ついでに身軽になるために鞄を投げ捨てた。
それと同時に聞こえてくるはずの、ギャラリーの叫び声や制止の声は聞こえてこない。もはや高田と僕の戦いは周知の事実なのだ。いつもの事。
って考え込むと、またやられるぞ。
僕は対高田戦に集中する事にした。
今のスキに追撃すればよかったものを、高田は、
「どうした? 今日は随分と手ごたえが無いな」
「ウルサイ! 君の一撃なんか効かない。と言うか今の一撃はわざと受けたんだ。うん。君の実力を確かめるためにね」
「相変わらず、理屈屋だな。今思いついたくせに」
あぁ、そうだよ。負け惜しみだよ。だから何だよ!
「黙れよ! 高田!」
僕は武器を両手で持ち、防御なんか考えず、避けられる事も考えず、全力で真上から高田の肩を目掛けて武器を振り下ろす。
高田は、大きくスキだらけな僕の攻撃を、避けることなく受け止めた。
知っていたんだ。高田はそういう馬鹿な男だって。だから僕は捨て身の攻撃に出たんだ。
そのまま、僕らは鍔迫り合い。
ただ、この時になって気が付く。鍔迫り合いでは僕に勝ち目はないのも知っていたはずだった。
残念な事に、高田は馬鹿力なんだ。
高田の「おら!」と言う叫び声と共に、僕の武器は弾き飛ばされる。
そして……。
聞こえたのはガラスの割れる音。教室の窓が破壊されていく音だった。
僕も高田も、一気にリアルの世界に呼び戻される。
僕の武器、いやリアルの世界ではリコーダーと言うべきか。リコーダーは二階の教室から、中庭に飛び出ていってしまった。
無関心なはずのギャラリーたちも騒ぎ出す。
僕が慌てて窓から中庭を確認すると、そこには誰もいなかった。
人に当たらなくて良かった……。
全然、良い状況じゃないのだけど……。
僕らは『朝のホームルーム』も、『一時間目の授業』も受けなかった。
校長先から直々に、それはもう長くて怖いお説教を受けるためだ。
僕らは涙を流しながら、
「ゴメンなさい」
これは本物だ。もちろん深く反省しているし、何より小学三年生にとって『怒った大人』ってのは畏怖の対象だった。
校長先生は僕らの謝罪と涙を確認し、優しい笑顔を作りながら、
「もう、やっちゃ駄目だよ」
きっと、優しい校長先生の笑顔は本物だ。
僕と高田は声を揃えて、
「はい。もうしません」
あぁ……。このセリフは、きっと、偽物だ。
そうなんだろ? 高田。