表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

蝶が海を越えない理由

掲載日:2026/06/07

人はおらず、他と変わらない平凡な島だ。


しかし、変わった蝶がいるのが目に留まった。


上陸三日目、私はこの島の蝶をまだ一度も飛ばせていない。


羽はある。大きさも形も、一般的なそれと変わらない。捕獲して指先で軽く放ってみても、落ちる。羽ばたこうとはするが、数センチ浮いてすぐに諦めるように草の上に戻る。


風が弱いからではない。むしろ、海風は強い。にもかかわらず、彼らは風に乗らない。


同じように、この島の鳥は鳴かない。喉はあるし、開こうともする。だが音は出ず、代わりに甘い匂いが漂う。個体ごとにわずかに異なるその匂いは、どうやら意思疎通に使われているらしい。


さらに奇妙なのは、小型哺乳類だ。捕食者に追われても、逃げる素振りを見せない。観察を続けるうちに、彼らは“逃げる”という行動自体を持たないのではないかと考え始めている。


どの生物にも共通点があった。


島の外へ向かうための機能が、どこか欠けている。


飛ばない蝶。鳴かない鳥。逃げない獣。


この島の生き物は、どれも「ここから出る」ことを想定していない。




四日目、海岸線の調査に出た。沖へ出るための小型ボートを用意し、機材を積み込む。出航は短時間の予定だった。


しかし、出発の直前、妙な感覚に襲われた。


胸の奥がざわつき、足が前に出ない。軽い吐き気と、耳鳴り。波と心臓の音以外感じ取れないほどの不安。


体調不良として処理し、その日は中止にした。




五日目、再び試みる。同じ地点、同じ準備。


ボートに足をかけた瞬間、昨日と同じ症状が現れた。むしろ強い。視界の端で、何かが動く。


振り向くと、蝶がいた。


一匹ではない。いつの間にか、足元から肩口まで、数え切れないほどの蝶が集まっている。どれも羽を閉じ、じっとこちらを見ているように見えた。


それ以上進めなかった。


その場に座り込み、しばらくして症状は収まった。蝶はいつの間にかいなくなっていた。




六日目、私は海に近づくのをやめた。


代わりに内陸の観察を進める。匂いで会話する鳥は、どうやら特定の方向にのみ強い反応を示す。島の中心部だ。そこへ近づくほど、匂いは濃く、複雑になる。


小型哺乳類も同様に、中心へ向かうほど個体数が増える。捕食者と被食者の区別は曖昧で、同じ水場で共存している様子が見られた。


「逃げない」のではなく、「逃げる必要がない」環境。


この島は、すべてが閉じている。




???日目


この島には人はいない。


「家族のことは思い出せるかい?」


この島の住人だ。


「……家族のことも、仕事のことも」


思い出そうとすれば思い出せる。


「そうかい」


それはただの情報。


「会いたいかい」


おばあちゃんが聞く。


「いや、別に」


帰還という行動に、意味を見出せなくなっている。




一日目、記録用の通信機器を確認した。外部への送信は行われている。少なくとも、ログ上は正常だ。


だが、返信は一度も届いていない。




二日目、海岸線に立った。


波は穏やかだった。風も弱い。体調に異常はない。


それでも、足は動かなかった。


動かそうとする理由が、見つからなかった。


足元に、蝶が一匹とまっている。


羽は美しい。だが、やはり飛ばない。


必要がないからだ。


この島では。


——おそらく、私にも。


記録は以上。


なお、ここに来てから、「帰りたい」と思ったことは一度もない。


この島は無人島だ、もちろん、全て含めて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ