序-3
この世はアニメじゃない。
漫画や小説でもない。それでも、僕たちの物語だ。
現実は無情で、非情で、不条理だ。でも、僕たちはこの世界で生きている。
人は夢を持つ。
世界を自分で変えたい、憧れの人を越えたい、好きな人と添い遂げたい。
その内容は人それぞれだ。
だが、そのほとんどが叶うことなく宿主の寿命が尽きる。
いや、生きているうちに忘れていく。
この世界は幸せに見えて、不幸せだ。それでも僕たちは生きている。
生まれてきたから、死にたくないから生きている。
辛くても、苦しくても。
この先に何があるかも分からないのに今を、未来へと歩いていく。
君は、幸せを何だと思う?
人生で使い切れないお金?
周りからチヤホヤされること?
最高の頭脳をもっていること?
これをすべて持っていても、不幸な人がいる。
愛されないからだ。
愛がない、それは不幸とイコールだ。永久に独りぼっち。
周囲は彼の人を称える。
だが、それは尊敬、畏敬に近い。
『恐れ多い』
それが彼の人に向けられる感情だ。
そんな人間が幸せだと思うか?
NOだ。
それは幸せじゃない。たとえテストで満点を取っても、たとえ世界最高のシェフになっても、たとえ歴代最高の画家になったとしても。
それは『心』に縛られた人形に過ぎない。
『家』とは何だろう。
住処か?
帰る場所、そうだね。
安全な場所、それもそうだろう。
だが、あともう一つ。
『自分らしくあれる場所』というのも、最低条件ではないかな?
それが当てはまらないから、彼女は泣いてるワケだ。
◇◇◇
「大丈夫ですか?」
音花新が少女―――白雪六花に話しかけたのには理由がある。
それは彼女が一人、橋の下で泣いていたことであった。
高校二年生である二人は学校でも特に接点のない、ただの他人。
彼女は名前にあやかって姫や、誰にでも優しいということで天使と呼ばれている。大袈裟な比喩だなと新も笑っていたが、実際相対してみるとその表現に納得した。
美しい、そう言い切れるほど整った容姿だった。
というより誰にでも好かれる姿をしているのだ。見た目から分かるやさしさ、それが人を惹きつける魔力をもつことは火を見るよりも明らかだった。
学科も違う六花の話を新は何度か聞いていた。
それは学友、クラスメイトからである。彼らが言うには、曰く「学年一の頭脳」、曰く「運動部にも負けない運動神経」、曰く「誰にでも優しい天使のような女性」。
それらを聞いて、新はこう思った。
『違うでしょ』と。
そんな完璧超人が居てたまるか、それは人間ではなく最早ロボットの域ではないか。
だが彼女は実際に学校全体定期テストですべて一位、そして運動部顔負けどころかそれ以上の才能を見せていた。
何度か見たことがある程度だが、新には彼女が人形のように見えた。
あまりにも完璧で、完全で、万能で、人間らしくないと思ったのだ。
皆は親しみやすいというが、新にはどうもそれが分からない。
自分が捻くれているのは分かっているのだが、どうもそれだけではない気がしてならない。
容姿端麗?
成績優秀?
文武両道?
それは天使じゃなくて一種の化け物だろ、と。
無論新も彼女のことは美しく、綺麗で可愛い人だと思っている。
友達が彼女に優しくしてもらったと喜ぶ姿を見て本当に優しい人なのだと伺えるし、周りが彼女を持ち上げるのに理解はできる。
新から見れば六花は「遠い人」なのだ。
六花は凡人では決して手が届かない学校のマドンナ。
対する新は凡人代表の一般生徒。学校でも特に冴えない生徒の一人だろう。
故に新は彼女を気にしないし、それをどうとも思わない。
それだけである。
それだけ……まあ、憧れはあるようだが。
新が考える六花とは周りから話を聞いて、印象で考えてイメージしたただの妄想でしかない。
それがどれだけ本人と重なっているのかは分からなかった。
甘酸っぱいアオハルという都市伝説に足を突っこむような事もなく生きてきた新にとって、六花はただの同級生でしかない。
今、目の前で会うまでは。
「あの、大丈夫?」
帰り道の河川敷。
何となく気分で橋の下を覗くと、そこで姫or天使が膝を抱えて俯いていた。
小石の上でただ座っている。
顔は見えないが、若干震えているのが見て取れる。何か嫌なことでもあったのだろう。
僅かに漏れている声から泣いていたという予想も立てられるが―――。
(えっと……こういう時どうすればいいんだろう?)
「…………」
「どうして泣いてるの?」
「……」
(そっか。知らない人に話しかけられたら……ふ、普通に無視するのがセオリーだよね)
新は自分が何をしているのかを客観的に考え、冷静になる。
第三者からすればただの変人だろう。
普通に考えて、泣いている人に話しかけるのは……どうなのだろう。
良いのか悪いのか新には判断出来かねる。
「………………何にも知らない僕だけど、話したら楽になるかもしれないよ?」
「………………」
そう言うが、彼女が答えることはなかった。
流石に無理か、と諦めた新は持っていたココアをそっと彼女の隣に置いた。
これ以上出来ることはないと察した新は「気を付けて」とだけ言って立ち去ろう、
「あ」
とした時にいきなり雨が降り出した。
その日の予報は晴れだったので新も傘を持っていない。
(これはマズい)
「………………どうしよ」
「――――――…………甘い」
「え」
状況に戸惑っていた新は背後の声で正気に戻る。
俯き、泣いていた少女が自分の差し出したココアを飲んで温まっていた。
「あったかい………」
「………………少しは落ち着いた?」
近付くと、白雪は警戒するような素振りを見せる。何も信じていないのかもしれない。
いや、信じられないのか。
「ご、ごめん……知らない人に話しかけられても怖いだけだよね」
ははっ、と無理に笑う新。その姿を見て白雪の目が変わっていく。
「……どうして、私に構うんですか」
彼女にとって純粋な疑問だった。
新の言う通り、二人に接点はない。だから白雪は警戒したし、新も距離感に困っている。
だけど「何故」という質問に新は簡単に答えてみせた。
「え、泣いてる人を助けない選択肢ってあるの?」
「………………貴方、いつか騙されますよ」
「別にいいよ。……それに、知らない人を助けることが出来ないなら、きっと僕は知ってる人だって守れない。――――――まあ確かに騙されやすいかもしれないけど」
さも当たり前のように答える少年を前にして、少女は依然感じた「興味」の正体を知った。
(ああ……私が感じた「違和感」と「興味」の正体――――私と、真逆だから……)
その短時間の会話で白雪六花は音花新の本質を理解できた。
彼の優しさは自分のような「外面だけ」ではなく「内面からくる本心」なのだと。
(……演じてきた「天使」の衣を素でやっている人をみると……こうも……)
「どうかした?」
「……いえ」
「――――――それで、君はどうしてこんなところで泣いているの?」
「………………貴方には関係ないことです」
「そうだけどさ、話すと楽になるって言うじゃない。僕たちは確かに出会ったばかりだけど、学校のみんなは知らないでしょ? 君がこんなところで泣いてるなんて」
「……」
「無理にとは言えないかな。でも、その「感情」……ぶつけてもいいんじゃない?」
「――――――…………疲れたんです、何もかもに」
「疲れた? ストレスってこと?」
「ストレス………………まあ、そうですね」
今の彼女に「天使」の面影はなく、寧ろ暗い表情だった。
どちらかと言えば厳しい委員長タイプのようだ。彼女の本音というのはこちらの方だろうか、と新は推察する。
「私は猫を被っています。様々な人から容姿、成績、武芸で称えられましたが私の心に寄り添ってくれる人は見つからなかった。
だから「天使」を演じて、人に愛されようとしました。
……でも、ダメだったんです。それで得られるのは尊敬と敬愛だけ……むしろ近しい人が出来ないだけ悪化したと見るべきでしょうか。
――――――両親も、もう私を要らないようですから」
「……白雪さん……?」
それは、雨などではなかった。
橋の下、雨の当たらぬところで一粒の水が落ちる。
ポタっと落ちたそれは地面に消えた。が、そこで止まらなかった。
「ごめんなさい、泣いてるところを見せてしまってっ……」
彼女は両手で涙を拭う。
新はそっとハンカチを差し出した。
「……………使いなよ」
「っ……ぅ」
しばしの空白が流れた。
沈黙の時間。
「………………貴方は、許婚というものを知っているでしょうか?」
「え」
既視感。
「それって、あの、親が決めた結婚、だよね?」
「はい。今日の朝、親からメールで伝えられました」
繰り返されるデジャヴ。
そして、確信。
「……違ったらそう言ってほしいんだけど……もしかして君の相手って、高橋晴也だったりする?」
「………………え?」
再度、場が止まった。
「ど、どうして」
「いや、その人とは友達で……今日の朝聞いたんだ。晴也には彼女もいるから、怒ってたけど」
「……そう、ですか……」
「それで、君はどうしたいの?」
新は問うた。
さあ、君の選択を。
「――――――…………………」
白雪六花は迷った。
迷いに迷い、考えた。
「…………父と、もう一度話してみます」
「………………そっか。頑張って!」
二人の縁は、確かに強くなっていた。
「あ、晴れた」




