第2話 少女との出会い
朝の光が薄い布越しに差し込み、部屋の空気をゆっくり温めていく。
俺はまぶたを開き、静かに上体を起こす。
その動きに合わせるように、昨日の出来事がゆっくりと記憶の底から浮かび上がってきた。
森を抜けて街へ向かう道で出会った旅人らしき人物は、この街によく来る商人だったらしい。
街へ着くとすぐ宿屋へと案内され、商人達のおかげで話が通り、
「身の回りのことを自分でやるなら、しばらく置いてやるよ」
そんな条件付きで寝床を与えられた。
部屋に落ち着いたあとは、まず“自分自身の変化”を確かめた。
鏡に映った若い体つき。見慣れたはずの顔とは似ても似つかない幼さ。
生前の体ではない──転生したのだと、その瞬間ようやく実感がついてきた。
もう一つ、確認したこと。
生前ただひとつ与えられていた特殊な能力──
魂管理課の者だけが扱える、“魂の履歴書を読む力”。
それがこの世界の“生きた人間”にも使えるのか、まるで検討がつかなかった。
魂として処理される存在ではない相手に、どう作用するのか。
そもそも視えるのか。
未知だらけだった。
宿の外に出て通りを歩くと、仕事帰りらしい中年の男性がひとり、荷物を抱えて歩いている。
深呼吸をし、意を決して手をかざした。
ほんの一秒ほどの静寂。
次の瞬間、空気がかすかにひび割れたような感触が生まれ、
淡い光がページのようにめくれ、男性の“魂の履歴書”が現れた。
読めた。
応答がある。
もちろん、男性本人は気づく様子もなく、この記録が見えるのは自分だけだった
それを確かめたところで、昨夜は疲労が一気に押し寄せ、そのまま宿に戻り眠りに落ちたのだった。
---
午前中は、宿の雑用をいくつか任されて過ごした。
言われたことをこなすだけの簡単な仕事だが、体を動かしているほうが昨日の不安も紛れる。
昼を過ぎ、少し町を歩いてみようと外へ出た。
石畳を抜け、人通りの多い通りへ向かう途中──小柄な少女が、必死に走ってくるのが見えた。
「ちょ、ちょっと…ごめんなさいっ!」
すり抜けるように駆けていく少女。その後ろを、二人組の男が追ってくる。
ただの追いかけっこには見えない。少女の顔は泣きそうで、男たちの目は露骨にいやらしい。
---これは只事ではない。
急いで男に向けて手をかざし、魂の履歴書を浮かび上がらせる。
その一文には、昨日宿で確認した時と同じ、淡い光の文字が静かに並んでいた。
『組織の資金を着服。』
俺は手を下ろし、男の前に立つ。
「なぁ、お前。組織から着服した金はどこに隠した?」
その言葉に、男の表情がみるみる歪む。
「……っ!? なんでお前がその事を……」
口を開いたまま固まる。
ただの脅しじゃない、確実に“情報を握ってる”と悟った瞬間の顔だ。
「チッ……!!」
次の瞬間、男は仲間の袖を掴み、言葉にならない声を上げながら走り出した。
少女のことなど完全に無視して。
路地に残された少女は、壁に背を預けたまま震えている。
「だ、大丈夫……ですか……?」
声は小さくて、おそるおそる。
怯えはしているが、必死に礼儀だけは崩さない感じだ。
俺は距離をとったまま答える。
「もう大丈夫、安心していいよ」
少女は、胸に手を当てて小さく息をついた。
「……ありがとうございます……ほんとうに、助かりました……」
その声は、さざ波みたいに静かで、どこか儚げだった。
男たちが去り、路地に静けさが戻った。
少女はしばらくその場に固まっていたが、ふっと膝の力が抜けたように座り込み、小さく息を整えた。
やがて、恐る恐る俺を見上げる。
「……あ、あの……さっきは……助けてくれて……ありがとうございます」
声は震えているのに、無理に礼を言おうとする律儀さがあった。
俺は「大丈夫か」とだけ返す。
少女は胸元を押さえ、小さく頷いた。
少し間を置いて、彼女は裾をぎゅっと握りしめる。
「わ、私……アニスっていいます。
あの……本当に、ありがとうございました……」
俺は短く頷く。
「気にするな。ただ、しばらくは気をつけろ」
アニスはこくこくと子禽のように頷き、まだ緊張が解けないのか、視線を彷徨わせながらも、必死で言葉を絞り出す。
「……その……お名前、うかがってもいいですか?」
路地に差す薄い陽光の中で、彼女の瞳だけが不安と安堵の入り混じった色で揺れていた──。




