第1話 魔女ミア(1)
「そうですよ。あの方はライオネル殿下の婚約者です」
その言葉を聞いたとき、ミアの頭はすっと冷えたような気がした。
一国の王の住まう城の一室。ミアのために用意された部屋は豪華で、綺麗で、温かかったはずだった。だが、その景色は色をなくし、温度をなくす。
窓の向こうには花々が綺麗に咲く庭のベンチで楽しそうに語らう男女。その一人はミアの恋人であったはずのこの国の第一王子ライオネルだった。ミアは窓から見える景色から目を閉じる。そして、二人の声が聞こえるよう集中した。
自身に魔法をかけ、聴力を上げる。聞こえてきた話し声は想像していた通りのものだった。
――君のために、魔女を手に入れたんだ。きっと、君を助けるよ。
その言葉ですべて納得した。……ミアは騙されていたのだ。ライオネルに。
好きだと言った。運命だと言って微笑んでくれた。あの人の生まれ変わりとして、一緒にいてくれると言った。その運命という言葉にしがみついてしまったのは自分の弱さだ。
……ライオネルはあの人ではなかったのだ。
それまで彼に向けていた恋心が消えていく。次に溢れだしたのは怒りだった。
よくも、魔女をだましたな。魔女の誇りを汚したな。利用されるとわかっていて、こんなのところにいられるか。
魔女は目を開けると、メイドの方を見た。彼女に笑いかけ、何でもないように伝える。
「ライオネル様に伝えてくれるだろうか。……今晩、話しましょう、と」
メイドはにっこり笑うと、深々とお辞儀をした。
「かしこまりました」
夜に話そうと提案したが、ライオネルは食事の席は設けなかった。おそらく、婚約者と取るのだろう。
わかっていたため、何も思わなかった。ライオネルは食事が終わった後、ミアの部屋を訪れた。
ミアの向かいに座ると、メイドがお茶を用意する。
「どうしたんだい、ミア。突然、会いたいだなんて……」
昼間の光景を見られていたと思っていないのだろう。彼はミアが突然甘えてきたくらいにしか思っていないようだ。
「ライオネル様に大切なお話があるのです」
ミアはお淑やかな女性のように演じた。ライオネルはそういった女性を好んでいると聞いたからだ。……彼に好かれるために、彼の望む姿でいた。だが、もうやめた。
「大切なお話って?」
ミアは立ち上がると、窓を開いた。
「ミア……?」
「ライオネル様。私、また旅に出ようと思うのです」
この恋は特別なものになると思っていた。だから、浮かれて伸ばされた手を取ってしまったのだ。だが、向けられていた笑顔が偽物だと知り……このままではいられないと思った。
「どうして? 君はか弱い女性だ。一人で旅だなんて……。もしかして、何か気に入らないことでもあったのかい?」
「ああ、そうだ。……とても気に入らない」
戸惑うライオネルの顔を見るために、桟に腰をかける。そして、口元に笑みを浮かべた。
「私をだますのは楽しかったか?」
「だますって、何が……?」
「婚約者がいるのだろう? それにも関わらず、私の恋人のふりをした。君から見たら、私はさぞ滑稽に見えただろう」
ライオネルは立ち上がる。顔の色が引いていた。
「最初から嘘を吐いていたのだろう?……いや、騙された私も悪いのだ。君の嘘を見抜けなかったのだから」
ミアは人差し指を立てると、すっと横に動かした。その瞬間、ミアの長い髪が切れ、床に散らばる。
「君が好きだと言ってくれた髪だ。置いていくから、いつでも眺めるといい」
ミアが人差し指をくるりと動かせば、散らばった髪は浮き上がり、綺麗にまとまってテーブルの上に置かれる。
髪と一緒にこの恋心も置いて行ってしまおう。ライオネルへの思いも……あの人への思いも。そうすれば、もう振り回されずに済む。
「ま、待て、ミア。君は勘違いをしている。きっと話し合えば……」
「『君のために、魔女を手に入れたんだ』」
その言葉に、ライオネルが目を大きく開く。
「王子である君にとっては、私は都合のいい道具なのだろう。……魔女を舐めるなよ、小僧」
ふわりとミアの体が浮き上がる。
「恋人のふりをしてくれてありがとう、ライオネル。おかげで目が覚めたよ」
空にはたくさんの星空が浮かんでいる。大きな月を背にして、ミアは手を上にあげた。
「私に恋なんていらなかったんだ。……さようなら、ライオネル様」
指を鳴らせば、ミアの姿は消えてしまった。
ミアは百年以上生きた魔女だ。十代のころまでは人間に交じり、村で暮らしていた。だが、ある理由をきっかけに村を離れ、旅に出た。
……愛していた恋人が亡くなったからだ。
「私は恩師と一緒に長い旅を続けていた。だから、いろんな知識があるんだよ」
「へえ。だから、嬢ちゃんはまだ若いのに、いろいろと知ってるんだな」
村人は感心したように言う。ミアは見た目だけなら十代後半に見える。
だが、ミアは心の中で小さく笑った。本当は百歳を超えているのだ。
ミアは恋人が亡くなってから、魔法を教えてくれていた恩師の魔女と共に百年の旅をした。いろんな国へ行き、いろんな人と出会い、さまざまなことを学んだ。その旅はずっと続くのだと思っていた。だが、つい最近、終わりを迎えた。
……恋人の生まれ変わりだというライオネルに出会ったからだ。
「……くだらなかったな」
運命だと思った。やっと彼の生まれ変わりに出会えたのだと。だが、それは嘘であることがわかった。
彼のために口調を丁寧にし、穏やかな女性でいようと努めた。そうしていれば、彼の隣にいられると思っていたからだ。
……だが、もうその必要はなくなった。
あらゆることを学べる旅はミアにとって特別なものだった。それにも関わらず、恋に囚われ、楽しかった旅をやめてしまっていた。好きなように生きようと思った。……また旅をしたい。
ミアはライオネルのいた国を離れ、隣の国に向かった。隣国は美しいところだと世話をしてくれていたメイドが教えてくれた。
その国の端にある村で旅費を貯めるために何でも屋を始めた。知識が豊富なミアは重宝された。空き家を借り、そこでしばらく滞在することになったのだ。
「ミア! また怪我しちまった! 治療してくれ!」
村人が無遠慮に扉を開けて入ってくる。その腕には大きな擦り傷があった。
「たく……。治してもらえるからって、そんな簡単に怪我をしないでくれ」
口で文句を言いながらも、ミアは棚にある薬を取り出した。自分で調合した薬だ。
「ミアの薬のおかげで治りが早いからな」
「だからと言って、痛いものは痛いだろう?」
患部に薬を塗りたくり、清潔なガーゼを上から貼り付ける。そして、気づかれないように簡単な魔法をかけた。
パチン、と指を鳴らすと、村人は「おお?」と腕を見る。
「痛みが引いたような気がするな」
「引いていない。薬に痛み止めが入っているだけだ。怪我も治ってないから、無理をするんじゃない」
ミアの言葉に村人は「わははは!」と笑う。
「ミアの薬はまるで魔法のようだな」
その言葉を聞いて、ミアは目を瞬かせる。そして、いたずらっぽく笑って見せる。
「私が魔法を使っているなら、もう少し治療費を上げても問題ないだろう?」
「魔法を使っていたらな」
村人は笑うと、料金を支払った。魔法を使った分は出してもらえないらしい。
ミアはこの生活に満足していた。村に住む人たちは優しい。よそ者のミアにも優しく接してくれる。……だが、ミアは魔女だ。長く住んでいれば、歳を取らないことに気づかれてしまう。旅費が貯まれば、出ていかなければならなくなるだろう。
魔女は貴重な存在だ。国に一人いるかどうかというほどに少ない。魔女は国によって時に神のように崇められ、時に道具のように使われる。だから、都合が良いとき以外は、正体を隠すものだ。
「そういえば、ミア。村の外に出るときは気をつけろよ。最近は魔獣が増えて、危ないんだ」
「魔獣が?」
村の外には動物や魔獣がいる。人の住む場所の近くには強い魔獣はあまり存在しないため、村人の手で倒すこともできる。だが、強い魔獣は騎士団を呼ばなければならないほどに強い。
「ああ。最近はここら辺も変なことが立て続けに起きている。この前も近くの村で――」
そのとき、扉が大きな音を立てて開かれた。
「大変だ! 隣の村が魔獣に襲われた!」
ミアの店にいた何人かの村人が警戒した表情を浮かべる。
「どこだ」
「東にあるトロア村だ。魔獣は村を荒し散らかして去ったらしいが、村人のほとんどが死んじまって……」
「わかった。お前ら、行くぞ。ほかのやつらにも声をかけておけ」
動きはじめた村人にミアは声をかける。
「私も行こう」
「だが、魔獣がまだどこかに潜んでいるかもしれねえ。女は……」
「生きている者がいれば、治療するやつが必要だろう? それに私は弓も剣も使える。旅をしていたんだから、当然だ」
ミアが戸棚から弓を取り出すと、村人は肩をすくめた。
「本当に、たいした嬢ちゃんだ」
村人たちと一緒に武器を持って、隣の村に来た。
建物は崩れ、人々が倒れており、あたりには血の匂いが散漫している。村には弱い魔獣がまだうろついていた。
「生きているやつを探せ! 怪我人がいたら、ミアに声をかけろ!」
声をかけられるのを待つのなら、動かない方がいいだろう。ミアはあたりを見渡す。弱い魔獣ならば、こんなにも荒されることはないだろう。ということは、強い魔獣が何体も村に降りてきたということだ。
強い魔獣はそんなに多くない。現れたとしても一体だけであることが多い。それにも関わらず、何体も現れて村を襲った。
村人は魔獣が増えていると言っていた。増える理由でもあったのだろうか。こういった事象は前にも聞いたことがある。……そのときは、たしか……。
「子どもが見つかったぞ!」
その言葉にミアは顔を上げた。村の一番大きな建物から、子どもが三人姿を現した。いずれも十代前後の小さな子どもだった。
「三人だけか?」
「ああ。ほかの子どもはもう……」
ミアは子どもたちの方に駆け寄った。子どもたちは男の子が二人と女の子一人だった。十歳を超えているであろう男の子と、まだ十歳になってないであろう女の子と男の子。その中で女の子と幼い男の子は顔が似ている。姉弟だろうか。
「君たち、怪我はないか?」
問いかけると、女の子がコクリとうなずく。安心したのか、声をあげて泣きはじめた。それを見た幼い男の子が守るように女の子を抱きしめる。もう一人の男の子は辛そうにその様子を見ていた。
「よくがんばったな。大変だっただろう?」
ミアが優しく声をかけると、男の子が首を振る。
「俺は何もしてない。……ただ、守られただけだ」
その言葉にほかの二人も視線を下げる。きっと今の状況を理解しているのだろう。
「どうする、その子どもたち。誰が預かる?」
村人の言葉に、ほかの村人たちは黙った。
村は決して裕福ではない。働くこともできない子どもを引き取るのは抵抗があるのだろう。
この国には子どもは十二歳になるまで働かせることは少ない。子どもは神の子だから、労働を強いてはならないといわれているからだ。
「一番上の子なら、預かってもいいが……」
その言葉に子どもたちは体を震わせた。決して離れないと言わんばかりにお互いに抱きしめ合う。
それを見て、ミアは目を細めた。賢い子どもたちだ。大変な目にあったにもかかわらず、状況を理解して自分の意志を表現している。
きっと、学べばもっと賢くなるだろう。
「わかった。私が預かろう」
ミアは村人たちの前に出た。
「だが、私が預かるなら、彼らを私の好きなようにしていいだろう?」
その言葉に村人は眉を寄せた。
「……どうするつもりだ?」
ミアは子どもたちに目を向ける。そして、優しく笑った。
「知識を身に着けてもらう。私のような働きをする者が増えれば、あなたたちも助かるだろう?」
「それはそうだが……」
「なら、決定だ」
ミアは子どもたちの前にしゃがみ、目線を合わせた。
子どもたちは警戒した表情でこちらを見ている。
「はじめまして。私はミア。……今日から君たちの先生だ」
「……先生?」
女の子が小さな声を出した。その言葉にミアはうなずく。
「ああ。……君たちにはいろんなことを学んでもらうよ」
……ミアが恩師から学んだように。