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俺の名前は井岡昴大。
26歳、職業は警察官。
ファミリー層に人気の街、樫並区の駅前にほど近いところにある樫並警察署本町一丁目交番に勤務する巡査だ。
樫並区は治安もよく、事件なんてめったに起きない。
たまに通報があって駆けつけたとしても、小さな交通事故の処理や酔っぱらい同士の喧嘩くらい。
日々の仕事と言えば、交番前を通りかかる市民のみなさんへの挨拶から始まり、地域のパトロール。
まれにやってくる迷子の応対や落とし物の書類処理。
他の地域の交番に配属された同期たちからは、口を揃えて『平和でうらやましい』と言われる。
俺も地域に密着した仕事がしたかったから、今のこの感じが合っていると思う。
――って、んなわけねーだろっ。
毎日毎日、子どもや年寄りの話し相手させられて、仕事かと思ったらどうでもいい頼み事やスマホで調べたら一発でわかるような道案内くらい。
警察官は便利屋じゃねぇんだよ。
こっちだって、他の雑務で忙しいんだよ。
俺は、この平凡すぎる樫並区の交番警察でいることに飽き飽きしていた。
そもそも、べつに警察官になりたかったわけじゃない。
就活前、たまたま大学生の掲示板に警察学校のポスターが貼ってあったのがきっかけ。
俺には3つ上に兄貴がいて、日本じゃ知らないやつはいないほどの超大手の会社で働いている。
そんな兄貴を俺の両親も誇りに思っている。
兄貴は、弟の俺から見てもよくできた人間だと思う。
勉強も運動もそこそこの俺に対して、兄貴は常に学年トップ。
だから、幼い頃から俺は兄貴と比べられて育ってきた。
俺の中では兄貴に勝つことはできないとハナからわかっていた。
兄貴みたいな有名な会社に就職することは無理だろうが、公務員にでもなれば両親もそこそこ認めてくれるんじゃないだろうか。
そう思って、俺は警察官になろうと思った。
案の定、晴れて警察官になると両親は大いに喜んでくれた。
『自慢の息子だ』と言って、近所に言いふらしていた。
兄貴と同等に扱われるためにも、俺は警察官で居続けなくちゃいけない。
だけど正直、“市民のために”とか…かったりー。
というのが本音で、警察官ということに誇りもなにも持ち合わせてはいない。
「よう、井岡」
「おお、高橋!」
この日は、交番勤務ではなく座学研修で本部にきていた。
昼休憩のとき食堂でからあげ定食を食べていると、警察学校で仲よくなった同期の高橋に声かけられた。
「ここ、空いてる?」
「おう」
俺の返事を聞くと、焼き魚定食ののったトレイを持った高橋が俺の向かいに座った。
「どう?樫並は?…って、聞かなくてもわかるわ」
「じゃあ、聞いてくるなよなー」
樫並だからって、どいつもこいつも馬鹿にしやがって。
「で、高橋はどうなんだよ?」
「毎晩ってくらい、未成年を補導してるよ。それに、ドラッグ使用者も多い」
「マジか。こっちじゃありえねぇよ。少し離れてるだけで、こんなにも違うもんなんだな」
「そうだな。オレも樫並みたいにのほほんとパトロールができる地域がよかったなぁ」
じゃあ、希望出してこっちにこいよ。
暇すぎて、時間がたつのが遅くて毎日眠いんだからな。
そのあと、高橋からは他の同期の活躍を聞かされた。
みんなみんな、昇進したくていい子ぶりっ子ばかりのようだ。
高橋も高橋で、この前の初めての昇任試験で見事巡査長に昇格したいい子ぶりっ子。
「すごいな、高橋は」
と、一応は言ってみる。
俺が落ちたこと知ってるくせに。
「そんなことねぇよ。それに最近、オレも井岡みたいに地域に密着できる仕事もいいなと思い始めてるから、このまま交番勤務を続けることも考えてる」
「そっか。いいよな、交番!」
「だな!」
なんもよくねーよ!
配属される前は、俺もひったくり犯とか強盗を捕まえたりするのかななんて考えていたが、平凡な樫並でそんな事件が起こるわけがねぇんだよ。
あんな平和な街に、はたして交番が必要なのかがそもそもの疑問だ。
一応警察官になったんだから、ちょっとくらいそれっぽい仕事してみてぇよ。
あ〜、毎日に刺激がほしい。
それから数日後。
久々に、大学のときのサークル仲間3人と飲む約束をしていた。
場所は、駅前にある行きつけの居酒屋。
「「カンパ〜イ!」」
さっそくみんなで乾杯を交わす。
約1年ぶりに会うが、みんな全然変わっていなかった。
だが、向かいに座る2人から突然の結婚報告。
「お、おめでとうっ」
「昴大もありがとう!」
祝いの言葉が思い浮かぶよりも先に、なんだよリア充しやがってという思いのほうが湧き出した。
それから、聞いてもいない2人の馴れ初めを聞かされつつ、俺はその間愛想笑いを絶やさなかった。
そうして、ついに俺に話題が振られる。
「昴大って、大学のときからそうだよな。理想が高いというか」
「だよね。月9に出てたあの女優がタイプとか言われても、そんなの現実にいるわけないじゃんって思ってたもん」
「昴大、顔は全然イケてるほうだから、選ばなきゃすぐに彼女だってできるのに〜」
3人は、俺のことを好き勝手に言う。
まあ、今まで彼女がいたことはないし、美人女優が理想なのも事実だから、この場は言わせておいてやろう。
だからこそ、俺はあの言葉を待っていた。
「女のほうからしても、そんなに理想高い男は引くって!だから、昴大はいつまでたっても彼女が――」
「彼女ならいるけど?」
言った…!
ついに言ってやったぞ!!
静かにジョッキに入ったビールを飲みながら伏し目がちにキメてみるが、本当のところは言いたくて言いたくて仕方がなかったことをようやく口に出すことができ、悶えるくらいにうれしかった。
それに、こいつらのぽかんとした顔がたまらない。
「「えぇぇぇぇぇぇえええ!?」」
耳をつんざくくらいの3人の発狂も心地よくて仕方がない。
カンパイ後の近況報告ではあえて隠していたが、彼女のことを言いたくてずっとうずうずしていた。
「これが彼女」
「…えっ。こ、これが…昴大の彼女!?」
「すっげー美人…!!」
「こんな人…、一般人で存在する!?」
そして、彼女のエリカの写真を見て、またまた驚く3人。
気持ちがいい。
俺は、この優越感を味わいたかったんだ!
「どこで知り合ったんだ!?」
「交番で。エリカが家の鍵を落としたって言って、俺が対応したのがきっかけ」
兄貴と同等に扱われたくて、なんとなくなった警察官。
でも、そうじゃなかったらエリカと出会うことはなかったと考えたら、警察官をしていてよかったと唯一思えることだ。
そのあと、居酒屋を出た俺たち。
2軒目に向かおうとするあいつらと、俺はここで別れることにした。
「実は、エリカが熱出してて。今日は早めに帰って様子を見に行くって伝えてあるから」
「そういうことなら、エリカちゃん優先にしてやれよ!」
「悪い、ありがとう」
きっと俺は、彼女思いのやさしい彼氏と思われたことだろう。
将来安泰の平凡な街の警察官で、美人の彼女がいる。
この上ないリア充感を今の俺はまとっている!
人からよく思われたい。
俺がずっとなりたいと思っていたポジションに、今俺はいる…!
だから、本当は警察官の使命なんて欠片も持ち合わせてないとか、上辺だけでいいやつ演じてるとかはだれにも知られるわけにはいかない俺の裏の顔。
サークルのやつらと別れた俺は、エリカの家へと急いだ。
エリカのマンションは、俺のマンションと通りを挟んだ向かいにある。
なにかあったらいつでも駆けつけられるようにと、去年俺が引っ越してきたのだ。
合鍵を使って、エリカの部屋へ静かに入る。
薄暗い廊下を進み、俺はそのまま寝室へ。
そうして、エリカのベッドへとダイブした。
布団に顔を埋めて深呼吸すると、フローラルな柔軟剤の香りが鼻いっぱいに入ってきた。
これがエリカの香り。
たっぷりとエリカの香りを満喫したあと、乱れた布団を整えて、明かりのない部屋を通って玄関へと急いだ。
「おやすみ、エリカ。またくるな」
室内にそう語りかけて、ゆっくりと部屋のドアを閉めた。
これが日々の俺の日課。
そして、いつものようにエリカのマンションから出る。
――そのときだ。
なんだか嫌な視線を感じたのは。
じとっとした重く張り付くような視線でだれかに見られているような。
だ、…だれだ。
一瞬にして額に冷や汗がにじみ、俺は辺りを見回した。
突如として、その場に響く足音。
ぎょっとして顔を向けると、それは居酒屋のミクちゃんだった。
「どうしたんですか〜、昴大さん。そんな顔して」
「なんだ…ミクちゃんか。脅かさないでよ」
てっきり変なやつに付け回されているかと思ったから、知った顔で安心した。
しかし、ここでふとあることを思った。
「えっと…、ミクちゃんって家こっちだっけ?」
「いいえ、違いますよ」
聞くと、俺の忘れ物を渡しにわざわざあとを追ってきたと。
その忘れ物というのが本当に必要なものであるなら俺もありがたかったが、ミクちゃんが差し出したのは一度行ったきりの美容院のポイントカード。
いらないと思って、くしゃくしゃに丸めて居酒屋のテーブルに他のゴミといっしょにまとめておいたものだった。
正直、こんなものを持ってこられても…困る。
「ご…ごめん、ミクちゃん。言ってなかったんだけど、それゴミなんだ」
「え?そうなんですか?」
『そんなんですか?』って、見たらわかるだろ。
「ああ。だから、悪いんだけどそれはもう捨ててもらって――」
「じゃあ!ミクがもらってもいいですか!?」
……えっ。
「昴大くんがいらないなら、べつにミクがもらったってかまわないですよね!?」
「え…。でも、…ゴミだよ?」
「いいんです!昴大くんのものならなんでも!」
マジか…、マジかよ。
あんなもの、フツーほしがるか?
このときの俺は、おそらく引きつった顔をしていたことだろう。
「ありがとうございます、昴大さん!大切にしますねっ」
まるで、好きな人から制服の第二ボタンをもらったかのような喜びようだ。
…ミクちゃん、やべーやつじゃん。
俺は心の中でそうつぶやいた。
それからというもの、仕事・プライベート関係なく、じとじととした粘着質な視線を感じるように。
ストーカーの姿までは見えないが、おそらくミクちゃん。
いや、ミクちゃんに違いない。
厄介なのに目をつけられた。
これじゃあ、おちおちエリカの部屋にも遊びにいけない。
…なんとかしないと。
そして、俺は決心する。
俺自身のために。
ストーカーのミクちゃんを捕まえる。
正直、俺にとっては小柄な女の子を捕まえることなんてわけなかった。
「おい!いつまでも俺を付け回してんじゃねぇよ!」
その日の夜、マンションに入ってきたところを待ち伏せして追いかけた。
逃げた黒パーカーのストーカーを追って、ようやく捕まえる。
「待てっ!もう逃げられねぇぞ!」
俺が腕をつかんだ拍子に顔を隠していたパーカーのフードが脱げた。
そして、その顔を見て俺はため息をついた。
「…なにしてるの、ミクちゃん」
ストーカーの正体は、予想通りミクちゃんだったから。
「びっくりしたー!でも、昴大さんに手握られちゃった♪」
俺に捕まえられたというのに、取り乱す様子はなくいつもの調子のミクちゃん。
「そろそろ、やめてくれないかな。こういうことするの」
「こういうことってなんですか?」
「隠れて俺のことじっと見てたり、あとをつけてくるようなこと!」
「なんで昴大さんが怒ってるんですか?好きな人を眺めていたり、好きな人のことを知りたくて追い求めるって、普通のことじゃなですか?」
「す、好きな人って…」
ミクちゃんの純粋すぎるまなざしに、思わずつばをごくりと飲んだ。
本来なら、好意を寄せられたまぶしいまなざしに見えるのだろうけど、今の俺には狙いを定められたかのような恐怖のサーチライトに感じる。
このまま放っておけば、きっともっとミクちゃんのストーカー行為はエスカレートする。
…ここは、俺がきっぱりと言わないと。
「そうだったとしても、俺には彼女もいるし、彼女も怖がるだろうから今後はもうしないでほしい」
「あっ、大丈夫です〜。見ているだけで、声をかけたりとかはしないので」
「…いやいや、そういう問題じゃなくて」
…本当に話が通じないヤベー女だ。
「…ミクちゃんわかってる?キミがやってること、“ストーカー”っていうんだよ?」
俺なりに真顔をつくり、低い声でミクちゃんを圧倒した。
いつまでも、“やさしい昴大さん”じゃねぇんだよ。
「俺は警察官だから仕方なく自分で対応してるけど、相手が一般の人だったら間違いなくストーカーで通報されてるよ」
「えっ、通…報?」
「そうだよ。ストーカーは犯罪。ミクちゃんが今日で付きまといもやめるっていうなら、俺も大事にするつもりはないからさ」
俺の寛大な心に感謝するんだな。
本来ならソッコー通報するところを、俺はこうして猶予を与えてあげて――。
するとここで、俺はミクちゃんの異変に気づいた。
うつむくミクちゃんの肩がピクピクと小刻みに震えだす。
「ミ…ミクちゃん?」
なんだか背筋に冷たいものが走るような嫌な感覚がした。
そして、おそるおそるミクちゃんの顔を覗き込むと、にんまりと口角の上がった口元が見え、不気味な笑い声も漏れる。
「…ククククククッ。ミクが…ストーカー?」
口元は笑っているのに、クワッと見開けた目は一切笑っていない。
まるでなにかに取り憑かれているかのように、その表情に俺を見つめる。
「“ストーカーは犯罪”…?なに言ってるの、昴大くん」
「な、なにって、俺は事実を言ったまでで――」
と、口にした俺の腕をミクちゃんがつかむ。
「昴大くん、わかってる?ストーカーしてるのは、昴大くんのほうでしょ?」
「は…はぁ?俺が、ストーカー?」
冷静を装いつつも、内心俺の心臓はバクバクしていた。
それは、豹変したミクちゃんに対してではない。
ミクちゃんが、言ってはいけないひと言を口に出してしまいそうなことに恐怖心を覚えたからだ。
「ミク、昴大くんをずっと見てたのは、ここ最近の話なんかじゃないんだよ」
その言葉に、俺の額から汗が流れ落ちる。
「だから、ミクは昴大くんのことならな〜んでも知ってるよ♪」
「…な、なんでも?」
待て待て…。
これはきっと、ミクちゃんのハッタリ。
こんなことで動揺するな、俺。
取り乱しているのがバレたら、ミクちゃんはさらに付け上がるから。
そもそも俺は、知られて困ることなんてなにひとつな――。
「エリカさんって彼女、美人だよね〜」
…な、なんでこんなときにエリカの話を。
まさかミクちゃん、エリカになにかしたとかじゃないだろうな…!?
冷静を装いながらも内心動揺している俺に対して、ミクちゃんは決定的な言葉を発する。
「でも、彼女っていうのは嘘なんでしょ?夜な夜な昴大くんがエリカさんの部屋に忍び込んでるの、ミク…知ってるよ?」
――は?