9.変わりゆく関係
結局、私はまたシャルルの屋敷に戻っていた。
シャルルの様々な告白がとにかく衝撃的すぎて呆然としていたら、いつの間にか屋敷にいたのだ。あの林からここまで、どうやって戻ってきたのか記憶がない。
ただ、馬に乗って前を行くシャルルのプラチナブロンドが月明かりにきらめいていて、とても綺麗だったことだけは覚えている。
そうして屋敷についてからも、しばらくはぼんやりしていた。いつものようにシャルルと夕食をとって、身支度を済ませて寝台にもぐりこんで。
そこで、ようやく我に返った。ローラと違って運動慣れしていない体でずっと馬に乗っていたせいで、全身が痛くて重い。
けれどそんな痛みも忘れそうになるくらい、夕方に聞いた話の衝撃は大きかった。
「……アイザックにとって、ローラは特別な存在だった……」
天井を見つめたまま、ぽつりとつぶやく。正直、今でもアイザックへの憎しみは消えていない。
「アイザックも、シャルルも、私を思ってくれているのよね……」
けれど、今の彼の口から告げられたさっきの言葉を、嬉しい、と思ってしまった。喜びと憎しみと、またしてもその間で揺れるはめになる。
「……本当に、どうしたらいいのかしら……」
一人っきりの寝室、その静かな空間に、その問いはすっと吸い込まれていった。
そんなこんなで、私はさらに憂鬱になってしまっていた。これからどうすべきか、どうふるまえばいいのか分からない。
誰かに相談しようにも、シャルル以外にこんなことを話せない。けれどシャルルに相談するのも抵抗がある。
しかもアイザックの思いを知った今、彼の前でどんな顔をしていいのかすら分からない。
悩みを抱えたまま、ひとまず体を休めることにする。昨日の乗馬で、案の定あっちこっちが筋肉痛になってしまっていた。
「ディアーヌ、今いいか」
開いたまま少しも先に進んでいない物語の本を前にぼんやりしていたら、シャルルがためらいがちに顔を出した。
「……ええ。何か、用かしら?」
「これを、お前に」
彼が差し出してきたのは、ガラスの美しい小皿に盛られた菓子だった。スミレの花の砂糖漬け。私の好物だ。
「……あ、ありがとう……」
どうやら今でも、彼は私の好物のことを覚えてくれていたらしい。それが嬉しいと思えてしまって、さらに戸惑う。どうにかこうにか、礼の言葉を口にすることはできたけれど。
「それでは、これで」
私のそんな戸惑いを感じ取っているのか、シャルルはまたすぐに出ていってしまう。
今のは何だったのだろうとぽかんとしながら、ひとまず砂糖漬けをつまんで口に放り込んだ。
「……おいしい」
口の中に広がる甘く優しい味に、結婚する前のシャルルがよくこれを贈ってくれたことを思い出す。
俺はアイザックで、シャルルだ。彼のそんな宣言を思い出しながら、ゆっくりと砂糖漬けを食べていった。少しずつ、大切に。
それからシャルルは、こまめに顔を出してはちょっとしたものを置いていくようになっていた。
小さな花を束ねた可愛らしい花束、手のひらに乗るような陶器の人形、レースのハンカチ。
それらはいきなり剣を贈ってきた彼らしからぬ、可愛らしい品々ばかりだった。どちらかというと、かつてのシャルルからの贈り物に近い。
ただ彼は、贈り物のついでに話していこうとかそういうことは考えていないようで、いつも贈り物を置くとさっさと帰っていってしまうのだ。
「……ねえ、シャルル。どうして急に、こんなに色々なものを贈ってくれるようになったの?」
とうとうこらえ切れなくなって、いつものように顔を出したシャルルに問いかける。彼は戸惑ったように目を見開いて、眉間にしわを寄せた。
「……少し、待ってくれ。考えをまとめる」
そう言ったきり、彼は黙りこくってしまった。腕組みをしたまま、微動だにしない。
そんなに答えにくいことなのだろうかとさらに疑問を抱えつつ、じっと待つ。やがて、シャルルが口を開いた。
「……俺は、お前を愛している。今の俺と前世の俺、二人分の思いで」
アイザックはローラに恋していたのだと、そう聞いてはいた。それが本当に恋慕の情で合っているのか、私には分からないけれど。
けれど改めて言い切られてしまうと、やはり落ち着かないものを感じる。嬉しいような腹立たしいような、そんな気分だ。
私が複雑な表情をしているのに気づいたのか、シャルルがほんの少し言いよどんだ。
「お前はアイザックを憎んでいる。そんな相手から好かれていたと知ったら、気を悪くするだろうと思った。……実際、俺の読みは当たっていた訳だが」
ほんの少し寂しそうなその表情に、今度はちくりと胸が痛んだ。たぶん私は、彼を多少なりとも苦しめたことに罪悪感を覚えているのだと思う。
彼はアイザックでもあるのよ、と自分に言い聞かせてみるけれど、胸の痛みは軽くならなかった。
「だから俺は、お前が今の俺に慣れてくれるまで距離を取り、じっと待っていた。だが……もうお前は俺の思いを知った。その上で、まだここに留まってくれている」
そこまで言ったところで、シャルルはふうと息を吐いた。それから、ゆっくりと近づいてくる。
彼は私の前にひざまずき、椅子に腰かけたままの私の手を取った。以前の流れるような優雅な仕草ではなく、もっとぎこちない、初々しい仕草だった。
「もしかしたらお前は、今の俺の思いを受け取ってくれるかもしれない。そう思ったら、我慢ができなくなってしまった」
私を見上げる彼の目は、かつての彼と同じように美しくきらめいていた。
「俺の思いのひとかけらでいいから、お前に伝えたい。だが今の俺は、以前の俺のように甘い言葉をささやくのは不得手だ」
以前のシャルルと同じ顔で、はにかむように彼が言う。
「だから、贈り物で思いを示そうとした。だが、贈れば贈るほど、これが適切な贈り物なのか分からなくなった」
途方に暮れた様子のシャルルに、戸惑いながら声をかける。
「でも、あなたは以前のシャルルの記憶も持っているのでしょう? だったらその時のことを参考に、言葉で思いを伝えることだって……その、以前のあなたみたいに……」
かつてのシャルルはとりたてて口がうまいほうではなかったけれど、それでも心からの愛の言葉を、一生懸命に聞かせてくれたものだ。一生懸命に、誠実に。
そして今のシャルルは、私の提案に予想外の反応を見せた。思い切り険しい顔になりつつも、突然赤面したのだ。すごい、耳まで赤い。
「可能ではある……だが、照れくさい」
彼の言葉に、驚かずにはいられなかった。
まともな感情なんて持ち合わせていないように思えたアイザック、こちらが恥ずかしくなるような甘い言葉を真剣に伝えてきていたかつてのシャルル。
どちらの彼も、照れるなんて感情とは無縁だとばかり思っていたから。
でも、そんな表情もちょっと可愛い……かもしれない。
さっきまで胸を満たしていた重い気分が、少し軽くなるのを感じた。自然と、口元に笑みが浮かんでくる。
それを見たシャルルが、一瞬むっとしたような顔になる。
以前のシャルルなら絶対にしなかったそんな表情が、今の彼にはやけに似合ってしまっていた。
そうして彼は立ち上がりながら、手を引いて私を立たせた。なぜだろう、彼の距離がやけに近い。
「愛情を伝えるのなら、こういった方法もあるとは思うが」
そうして彼は、するりと私のあごに手をかけた。不思議なくらいすんなりと、上を向いてしまう。
すぐ近くに、シャルルの顔があった。前と変わらない繊細な美貌は、しかし以前よりずっと凛々しく引き締まっている。彼の手が触れた頬が熱い。
動けなかった。ただ、彼の目を見つめていた。
アイザックだシャルルだとずっと悩んでいたのが嘘のように、頭の中が真っ白になっていた。胸がどきどきする。
シャルルは満足げに微笑み、そしてゆっくりと顔を近づけてきた。