6.そうして彼は宣言する
「俺はここにいる。ディアーヌと共に」
シャルルはきっぱりとそう言って、自分の腕にかけられていたアデールの手を力強く、しかし傷つけないようにそっと振り払った。
呆然とした顔で、アデールが半歩下がった。はらはらしながら様子を身守っていた周囲のみんなから、戸惑いの声が上がる。
アデールはずっと前から、シャルルに片思いしていた。
私とシャルルが出会って、婚約して、そして結婚して。その間ずっと、アデールはことあるごとにやってきては、シャルルを奪い返そうと頑張っていた。
そして以前のシャルルは、物腰柔らかで穏やかな人だった。
だから執拗に迫ってくるアデールに対しても優しく接していた。こんな風にはっきりと突き放したことなんて、一度もなかった。
……実のところ私は、そんな彼の優しさを誇らしく思うと共に、少し物足りないと思わないでもなかった。あなたは私の婚約者なのだから、他の女性に甘い顔をしないでと思わなくもなかった。
けれど今の彼は堂々と、そして毅然とした態度でアデールを拒絶していた。今の彼についてある程度理解している私ですら、一瞬驚いた。
しかもほんの一瞬だけ、シャルルのことを頼もしいと思ってしまった。以前のシャルルを根元から否定するようなそんな感情に、自己嫌悪を覚えずにはいられない。
当然ながら、今のシャルルの人となりを知らないみんなの驚きは、私の比ではなかった。
それも仕方ないだろう、このパーティーが始まってからというもの、シャルルはみんなとはほとんど喋っていないから。ずっと私の隣にいて、私とこそこそと内緒話をしているだけで。
「……なあシャルル、その……何かあったのか? 君らしくもない態度だけれど」
「そうね……さっきから、ディアーヌとしか話していないし……機嫌、悪そうだし……」
「もしかして、体調が悪いとか? 私たちのパーティーのせいで、無理させちゃった?」
幾人かが、そんな風に呼びかけてくる。みんなも、シャルルが変わったことに気づいていたようだ。元より、ばれずに済むとは思っていなかったけれど。
ここから、どうごまかせばいいのだろう。シャルルには何か考えがあると言っていた。私はただ、彼の出方をうかがっていればいいらしい。
とはいえ、みんなの心配そうな視線がシャルルに注がれているのを見ていると、はらはらせずにはいられなかった。
みんなにつられるようにして、隣のシャルルの横顔を見上げる。彼は私の視線に気づくと、かすかな笑みを浮かべた。間違いなく、微笑んでいた。
そしてそれは、やはり以前の彼の笑顔とは違っていた。もっと力強くて、しっかりと私を包み込んで支えてくれるような、そんな笑みだった。
思わず見とれた私の耳に、静かな声が聞こえてきた。
「……俺は、ディアーヌと結婚して変わった」
シャルルのその言葉に、ざわついていたこの場が一気に静まり返る。
さっきまでの戸惑いに、驚きとわずかな期待を混ぜ込んだような表情で、みんなはシャルルを見つめていた。
「彼女を守る。それはこの世でたった一人、彼女の一番近くに立つことを許された者としての責任であり、そして俺が心から望むこと」
彼がこんなにすらすらと話しているのは、久しぶりに聞いたかもしれない。アイザックらしくなってしまってから、彼は必要なことだけを、それも短く話すようになっていたから。
「だがそのためには、今までのように浮ついてはいては駄目だ。以前の俺は優しくはあったが、ディアーヌを守るには力不足だ。強くなるために、まずは立ち居ふるまいから変えることにした」
堂々としたシャルルの語りに、みんな引き込まれている。みんなは、うんうんとうなずきながら彼の話に聞き入っていた。
「誰彼構わずに親しげにふるまっていたら、妻を悲しませてしまうかもしれない。ならばこれからは、他の女性に勘違いされるような軟弱なふるまいは避けるべきだろうと思った」
みんなを見渡すシャルルの目は、とてもまっすぐで強いものだった。かつて戦場でまみえた時のアイザックの目を思い出してしまうくらいに。
憎しみがちりりと胸を焼いたけれど、なぜか彼から目が離せなかった。
「今の俺のこのふるまいは、俺なりの決意の証しだ。戸惑うこともあるだろうが、慣れてくれると助かる」
そんなシャルルの宣言に、友人たちは感心したような声を上げ、アデールは面白くなさそうにふくれていた。
そして私は、彼の隣でただぼんやりしていた。彼の言葉が、頭の中でぐるぐると回っていた。
そうしてパーティーはつつがなく終わり、私とシャルルはみんなに見送られて馬車に乗り、帰路についていた。
シャルルの宣言を聞いていた時に感じた高揚感のようなものは、もう薄れていた。代わりに私の胸を満たしていたのは、ぼんやりとしたいら立ちのようなものだった。
「……あなたがあんなによどみなく演説できるなんて、思いもしなかったわ」
馬車の中で、頭を抱えてつぶやく。そこに含まれた皮肉の響きを感じ取ったのか、シャルルが不思議そうな声で言った。
「何か、不満があるのか。お前が心配していた事態は回避した。俺の変わりようをみなに納得させ、みなからの祝福も得ることができた」
「そうね、同情はされなかったものね! 成功よ!」
落ち着き払ったシャルルの様子に、さらにいら立ちがつのってしまう。鋭く言い放って、そのままうつむいた。
自然と、さっきのパーティーでのことを思い出す。
彼が堂々と、みんなの前で宣言した後のこと。みんなは口々に、彼のことを褒めそやしたのだ。
「シャルル、お前にそこまで根性があったなんて……昔、『軟弱者』なんて言って悪かった」
「そうですね。彼には、以前はなかった強さが備わったようです。言葉通り、妻を守るために成長したのでしょうね。素敵な夫婦です」
「はあ、前の甘いシャルル様も素敵だったけれど、こっちのかっこいいシャルル様も素敵……アデールじゃなくても、うっかり気になってしまいそう」
「そうよね。ディアーヌは幸せ者だわ」
そんな言葉の数々を、私は一生懸命作り笑顔で聞き流していた。素敵な夫婦。幸せ者。違う、そうじゃない。今の私は。そんな言葉を、必死にのみ込んで。
本当なら私は、みんなが言う通りの幸せな妻になっていた。
でもあの夜によみがえったローラの記憶が、それを許さない。目の前の男は憎むべき敵なのだと、ローラは私の中でそうささやき続けている。
それなのに、私はさっきシャルルに見とれてしまった。私の中の感情の食い違いが大きくなって、心がきしんでいる気がする。
苦しみをまぎらわせるようにため息をついて、シャルルのほうを見ないままつぶやく。
「……あなたがあそこまで見事に、嘘をつけるなんて思いもしなかったわ」
「嘘? 何のことだろうか。見当がつかない」
「みんなの前で宣言したあれのこと! 守りたいとか、そんなことよ!」
シャルルの鈍さに歯ぎしりしながらそう言葉を添えると、彼はすぐさま答えた。
「本心だ」
またしても、私はぽかんとせずにはいられなかった。ばっと顔を上げて、向かいのシャルルを食い入るように見ながら、考えをまとめようとあがく。
ちょっと待って、あのどうにもくすぐったい、照れ臭くなるような宣言が、彼の本心?
以前のシャルルなら分かる。けれど、今の彼はアイザックでもあるのに。アイザックが、そんなことを考えているはずないのに。
「信じられないというのなら、それでもいい。お前の好きなように解釈してくれ」
取り乱した私を、シャルルはいつもと同じ静かな目で見守っていた。その青が、ほんの少し暗いような気もしたけれど。
視線をそらして、窓の外を見る。
荒れ狂う私の心とは裏腹に、外の景色はとても穏やかで、のどかなものだった。一面の草原が、傾きかけた太陽に照らされて黄金に輝いている。
それを見ながら、もう一度ため息をつく。
やっぱり分からない。彼が何を考えているのか。私はどうしたいのか。どうすれば、楽になれるのか。幸せになれるのか。
ちらりと目の端で見たシャルルが、ほんの少し寂しそうに見えたのは、気のせいだったのだろうか。
直接尋ねることもできなくて、私はやはり頭を抱え続けていた。