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42.もう一度、新婚生活を

 あの宴から、あっという間に一か月ほど経っていた。


 アルロー侯爵は、まだ国外に留まったままだった。その事実と、以前私たちがあちこちにばらまいた書状。その二つが合わさって、事態は勝手に動いていた。


 私たちが出した書状には、アルロー侯爵が何かをしたとは明記していない。


 けれど暗殺者の件とアルロー侯爵との間には、何か関係があるのかもしれないと、貴族たちは勘ぐるようになっていたのだ。


 そうして彼らは、こっそり陰で噂するようになっていた。


『アルロー侯爵は娘アデールの恋をかなえるために、暗殺者を送ってディアーヌを消そうとした』


『しかしその企みがシャルルとディアーヌにばれてしまい、仕方なく国外に身をひそめている』


『いずれ、シャルルとディアーヌは自分たちの身を守るために、アルロー侯爵の罪を明らかにするのだろう』


『そうなったら、侯爵は間違いなく破滅する。侯爵家の者たちは、一致団結して彼を切り離すだろう。家を守るために』


 この噂は、大体のところは合っていた。そして、私たちにとっては都合のいい噂だった。


 変化はそれだけではなかった。宴の時にシャルルがほのめかしていたように、今までアルロー侯爵の傘下にあった者たちが次々と離反し始めたのだ。ブランシュのセニエ家に続くようにして。


 立場が悪くなっていたのは、アデールもだった。 


 権力や利益なんかをちらつかせてはいたものの、アルロー侯爵はそこそこ紳士的に手下を増やしていた。


 しかしアデールは自分の立場をひけらかしていて、他の令嬢をいじめるようなこともちょくちょくあったらしい。ちょうど、私にきつく当たっていたように。


 だから、周囲の令嬢たちはここぞとばかりに、アデールとの絶縁を決めていた。


 そんなこともあって、以前は父の威光をかさに着て好き勝手していたアデールも、今では屋敷に引きこもってしまっているらしい。


 こうして、アルロー侯爵とアデールの親子は、二人してすっかり孤立してしまっていた。


 このままだといずれ、アルロー侯爵は強制的に当主の座を下ろされる。アデールも、いずれ厄介払いのようにどこかに嫁がされるか、あるいは修道院に送られるだろう。


 私とシャルルの仲を引き裂こうとして、私の命まで狙ってきた人たちだ。それ相応の報いを受けて欲しいとは思うけれど、でもやっぱり、ちょっと同情しなくもない。


 彼女はただ、シャルルに恋しただけだった。ちょうど、シャルルが私を思っているように。違いは、相手が振り向いてくれたかどうか、それだけだ。


「……恋って、愛って難しいものなのね」


 ぽつりと、そんなことをつぶやく。木々のこずえが風に揺れて、木漏れ日が優しく私たちに降り注いでいる。


 木の下に座った私のすぐ近くから、シャルルの声が返ってきた。


「そうか? 単純だと思うが。相手の全てが欲しいという思いのままに、自分の全てを差し出して、相手の全てを受け取る。ただ、それだけだ」


「あなたらしいわね。単純で、全力で。生まれ変わる前も、後も」


 そう言って手を伸ばし、シャルルの金の髪に触れた。彼は私の膝枕で、のんびりと草地に寝転がっているのだ。


 私たちの敵、三人目の依頼人であったアルロー侯爵は、急速に権力を失いつつあった。今のところ、彼について警戒する必要はなさそうだった。


 なにせ風の噂で聞くところによれば、国外に留まったままの彼はすっかり意気消沈してしまっていて、毎日嘆き暮らしているらしい。


 けれどもちろん、いざという時の備えは怠っていない。


 国内外の貴族たちと連絡を取り、侯爵の動向には気を配っている。暗殺者なんかを送り込まれた場合に備えて、屋敷の防壁も思いっきり強化した。


 そんな訳で、念願の平和な日々がようやくやってきた。なのでさっそく、私とシャルルは屋敷の近くの野原を散歩していたのだ。


「……ああ、幸せだ。こんなにも穏やかな時間を、お前と過ごせて……」


 うっとりとつぶやいたシャルルが、不意にしかめっ面になる。その青い目が、ぐっと動いて横を見た。


「おい、魔女。少しは気を利かせろ。邪魔だ」


「いいじゃなあい。あたくちも混ぜてよお」


 木陰でくつろぐ私たちの隣では、テュエッラがにっこりと笑って座っていた。軽やかな真紅のワンピースを着た、子供の姿で。


「……その、少しくらいはいいんじゃない? ほら、彼女は私の命の恩人なのだし……」


 子供の姿ではしゃいでいるテュエッラを見ていたら、ついそんな言葉が口をついて出た。テュエッラがぱあっと顔を輝かせ、シャルルが悲しげに目を細める。


「あらあ、やっぱりディアーヌってば優しいんだからあ」


「優しさは彼女の美徳だ。だが、情けをかける相手は選んで欲しい。その優しさが、いつか身を滅ぼしはしないか心配だ」


 そう言ってシャルルはぎゅっと私の手を握り、寝返りを打ってテュエッラのほうに向き直った。そのまま彼女を見据えている。


「もう、シャルルは相変わらずつれないんだからあ。あなたたちにとってあたくちは、昔話ができる数少ない相手なのよ? 青の国についても赤の国についても、あたくちはたくさんのことを知っているもの」


 得意げに胸を張るテュエッラ。彼女は意味ありげに笑って、さらに続けた。


「なんだったら、前世のあなたたちのお友達、今どこにいるか教えてあげましょうか? 時間はかかるけど調べることはできるし、前世の記憶を戻してあげてもいいわ」


「それは駄目よ」


「駄目だ」


 同時に言い切った私たちに、テュエッラが赤い目を真ん丸にする。私たちの返事が予想外だったらしい。


「あら、そうなの? お友達が懐かしくならない?」


「そもそも俺には、わざわざ再会したい相手などいない。一人を除いて、な。そしてその一人には、もう会えた。これ以上誰かを巻き込んで、邪魔をされたくない」


 ある意味シャルルらしい答えに苦笑しながら、私も口を開く。


「私は、前世が懐かしくならないって言ったら嘘になるわ。でもね」


 すぐ隣できょとんとしているテュエッラの目をまっすぐに見つめて、一言一言噛みしめるようにして言葉を続けた。


「その人たちも、今は別の人間として一生懸命に日々を過ごしているの。前世なんて関係なしに。私たちの都合で、その人たちの今を引っかき回してはいけない」


 テュエッラは口を半開きにしたまま固まっている。少しして、その小さな唇からため息がもれた。


「……ほんと、ディアーヌって真面目よねえ。そんなところがいいのだけれど」


 しみじみとそう言って、彼女は腕を組んだ。


「あたくちはずっと、あの嵐の森で暮らしてる。顔を合わせる人間は、依頼人くらいなのよお」


 突然何を言い出すのだろう、と不思議に思いつつも、ひとまず耳を傾けてみることにする。私の太ももに頭を乗せたままのシャルルも、不可解そうに眉を寄せていた。


「依頼人って、面白いの。みんなぎらぎらした願いを抱えて、最後の頼みの綱とばかりにあたくちにすがってくる。その願いが、他人の人生をゆがめることなんて気にもかけずに」


 子供の姿のテュエッラが、不意に微笑む。その笑顔には、彼女が生きてきたのであろう長い時の流れが、はっきりとにじみ出ていた。


「ディアーヌは、素敵な強い子よお。それにあたくちのことを恐れなかったし、嫌悪もしていなかった。普通の人間は、警戒するなり怖がるなりするのだけれど」


 彼女は小さな手を伸ばして、私の肩にそっと触れた。シャルルが警戒するように身じろぎしている。


「だからあたくち、もっとディアーヌを見ていたいのよお。これだけ興味深い子に出会ったのは、何十年……いえ、百年ぶりなんだもの」


「ああ、ディアーヌは魅力的だ。だからさっさと帰れ。お前のことだ、どうせ気が向いた時にやってくるつもりなのだろう? 今は俺と彼女の水入らずの時間だ。お前は邪魔だ」


 つっけんどんなシャルルの言葉にも、テュエッラはまったくめげていない。あでやかに微笑んで、両手をぱんと打ち合わせている。


「そう言われると、余計に邪魔したくなるよのねえ。いいじゃない、ちょっとくらい妨害があったほうが、恋って燃えるんだし?」


 その言葉に、とうとう我慢できなくなったらしいシャルルが飛び起きる。彼は私を抱き寄せると、そのままテュエッラに食ってかかった。


「結構だ。不要だ。近づくな。俺たちに構うな」


「そんなに二人っきりになりたいのお? でも、残念でした」


 ちろりと舌を出して、テュエッラが私たちの向こうを見るような目をする。つられてそちらを見た時、彼女の言葉の意味を理解した。


 草原に、小さな人影がいくつも見えている。その人影は楽しげにお喋りしながら、こちらに近づいてきていた。


「やあ、ディアーヌ、シャルル。今日も仲睦まじくて何よりだよ。そっちのお嬢さんも、元気になってよかった」


 やってきたのはレイモンとその友人たち、そしてブランシュだった。


 私たちと同世代で、そしてアデールのお守りから解放された彼女は、あの蜜月の宴を経て、自然とレイモンたちとも友人になっていたのだ。


「ディアーヌが寂しがっているから遊びにきてくれ、ってシャルルから手紙を受け取った時は驚いたけれど……せっかくだから、みんなでにぎやかにやろうって話になってね」


「軽食を持ち寄って、ピクニックをしようということになりました。それぞれの家で抱えている料理人たちの得意料理が勢ぞろいしたので、とっても豪華ですよ」


 朗らかに笑うレイモンとブランシュ。そんな二人を見つめるシャルルの顔からは、表情が消えていた。いまいち状況を理解できていないらしい。


 彼に抱きしめられたまま、テュエッラにこっそりと話しかける。


「ねえ、レイモンが言っている手紙って、もしかして……」


「ふふ、あたくちのいたずらよ」


「……やっぱりね」


 ため息をついて、今度はすぐそばのシャルルの耳にささやきかけた。


「こうなったら、今日はもうみんなで過ごしましょう。色々準備してきてくれたみたいだし、追い返すのも悪いわ」


「……お前との、久しぶりの逢瀬だというのに……」


「後で、埋め合わせはするから。夜になれば誰も邪魔しないから、好きなだけ二人で過ごせるわ」


「お前がそう言うなら、ここは黙っておく……魔女には言ってやりたいことが山ほどあるが」


 そうして二人そろって、レイモンたちに向き直る。彼らは手際よく敷物を広げ、持ってきていたバスケットやらティーセットやらを並べている。


 結婚直後の私たちを祝ってくれたパーティー。蜜月の宴の時のサプライズ。彼らは集団で手を組んで、しょっちゅう大騒ぎをしている。


 今回も、彼らは派手に騒ぐことにしたらしい。とにかく料理が多い。色とりどりの、見ているだけでお腹が空きそうになる見事な料理がずらりと並んだ。


「あらあ、おいしそう。あたくちも混ぜて」


 真っ先に敷物に上がり込んだテュエッラに、周囲のみんなは優しい視線を向けている。私たちは手を取り合って、彼女の後に続いた。


 めいめい好きなところに腰を下ろして、近くの人間とお喋りしながらおいしい料理をつまむ。


 蜜月の宴の時は、三人目の依頼人を絶対に見つけ出すんだと意気込んでいたから、こんな風に気軽にお喋りや料理を楽しむ余裕なんてなかった。


「……こういうのも、楽しいわね。みんながそれぞれ好き勝手に喋ってるから、案外二人きりで話せるし」


 一口で食べられるほど小さな、クッキーとクリームを組み合わせたお菓子。それをかじりながら、シャルルと内緒話をする。


「確かにな。だが、話すだけでは物足りない。やはりお前に触れて、お前をもっと感じていたい」


「人前では駄目よ?」


「ああ。だから、夜まで我慢する。焦らされた分、歯止めが利かなくなるかもしれないが」


 シャルルは真顔でそう言って、それからくしゃりと笑った。


「だが、お前を悲しませるようなことはしない。お前は俺にとって、この世でたった一人、何よりも大切な女性だから」


「私もよ。色々あったけれど、もうあなたのいない暮らしなんて考えられない。また生まれ変わったなら、もう一度あなたに会いたい。そう思うわ」


 そうしてそのまま、見つめ合う。互いに手を取り合って。周囲の音が遠くなって、聞こえなくなっていく。


 ああ、幸せだ。一番愛おしい人と、ただ共にあることができる幸せ。


「……仲、いいな。本当に。すっかり二人の世界に入ってしまったみたいだ」


「そうですね。うらやましいくらいに強い絆で結ばれているんですね」


 レイモンとブランシュがそんなことをつぶやいているのがかすかに聞こえたけれど、それでも私とシャルルは身じろぎもしなかった。


 たくさんの人たちの思惑と、色んな偶然が重なって、今の私たちがある。どこかで何かが少し掛け違っていたら、きっと今とはまるで違う結末を迎えていただろう。


「私たちを巡り合わせてくれた運命に、感謝ね」


 そうして、シャルルの首に腕をからめ、勢いよく抱き着いた。彼はこの上なく幸せそうに笑いながら、私を抱き留めてくれた。

ここで完結です。

読んでいただいて、ありがとうございました。


明日からまた次のお話を連載しますので、そちらも見ていただけると嬉しいです。

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