40.宴は終わって
「ひとまず、やれることはやった、かしら……」
「ああ。お前はよくやった。あとは俺に任せて、ゆっくりと休め」
居間のテーブルに突っ伏す私に、シャルルが温かいミルクの入ったカップを差し出してくる。受け取って礼を言い、一口飲んだ。ほのかに甘い、優しい味だ。
「不思議と懐かしい味ね。とってもおいしい。私、これ好きだわ」
「……前に、礼としてお前に渡したものだ。前よりもいい感想がもらえて嬉しい」
その言葉に、記憶が一気によみがえる。
あれは、私がどうにかこうにか前世の記憶との折り合いをつけて、シャルルの中のアイザックについても、少しずつ受け入れられるようになってきた頃のことだ。
私のピアノの演奏の礼だと言って、彼が差し出してきたカップ。あの中身が、ちょうど今飲んでいるものと同じだった。
「……あなたは、覚えていたのね。忙しすぎて、言われるまで思い出せなかった」
「お前のことなら、忘れはしない。忘れたくない」
そう言って、シャルルは私の髪にそっと触れる。まるで、壊れ物でも扱っているような手つきで。
「……いつになったら、お前と心置きなく過ごせるのか。雑音ばかりで嫌になる」
「きっと、もう少しの辛抱よ」
「だといいがな」
シャルルはふてくされたような顔でため息をついている。彼がそんな表情をするのも無理はなかった。
あの蜜月の宴の日から、数日が経っていた。あれからずっと私たちは、あの場の後始末にかかりきりになっていたのだ。
頃合いを見て宴をお開きにして、招待客を見送る。焦りをこらえながら微笑むのは、中々大変だった。
隣のシャルルは平然としていたけれど、たぶんそれも演技だった。その口元は、たぶん私にしか分からないほどかすかに引きつっていたから。
他の招待客を一通り見送った頃、アルロー侯爵を探しにいったレイモンたちが戻ってきた。みんなで屋敷の中とその周囲を探したけれど、侯爵の姿は影も形もなかったとのことだった。
私とシャルルは相談して、いったんこの件については伏せておくことにした。
アルロー侯爵が私に嘘を吹き込もうとしたこと、ナイフを突き付けたこと、これらは大した罪にはならないだろう。せいぜい、法務大臣の署名入りのお叱りの書状が届くくらいで。
けれど最後の、毒針による襲撃については間違いなく重罪だ。
ただ、アルロー侯爵が毒針を構えるところを見たのはテュエッラだけで、負傷したのもテュエッラだ。しかも、ちゃっかり解毒に成功しているし。
アルロー侯爵の罪を問うための材料が、全てテュエッラ頼りになってしまっている。これは私たちにとっては、不安要素ではあった。
そこそこ打ち解けたとはいえ、彼女が様々な魔法を使いこなす恐ろしい魔女であることに変わりはない。おまけに、感覚も倫理観も私たちとはかなりずれている。
ちなみに彼女は宴が全て終わった直後に、面白いものを見せてもらったわあ、それじゃあまたねと言い残して帰ってしまっていた。指をぱちんと鳴らしたとたん、その姿が消えたのだ。
それに私たちは、アルロー侯爵を罰したい訳ではない。ただ彼が、私たちに手出ししてこなくなればそれでいいのだ。
だからレイモンたちには『侯爵との間に色々あったけれど、表ざたにするのは彼と話してからにしたい、それまでは内密にして欲しい』と頼んで、その場は解散してもらった。
そうしていつも暮らしている屋敷に戻ってきた私たちは、こっそり人をあちこちにやって侯爵の行方を捜すことにしたのだ。
「見つけたわよう、アルロー侯爵。それがねえ」
ところが宴の二日後、なぜかテュエッラが居間で悠々とお茶を飲んでいた。しかも、子供の姿で。
「ちょっと待って、どうしてそちらの姿なの!?」
「だって、気に入ったんですもの」
彼女はきっぱりと言い放ち、それから得意げに話し始めた。アルロー侯爵の、現在の動向について。
アルロー侯爵は、あの宴の場から姿を消すと、そのまままっすぐに国境を越えてしまったのだそうだ。
あの毒針が私に当たったのかどうか。あの毒針で襲ってきたのがアルロー侯爵だと気づかれているのかどうか。
アルロー侯爵はそういった事柄を確認してから、どう動くのか決めようとしているのだろう。それがテュエッラの見解だった。
「よその国に逃げ込んでしまえば、あなたたちが殴り込みにいくのは難しくなる。ふふ、彼は最悪の場合にきちんと備えてたのねえ。見事な逃げっぷりだったわよお」
愉快そうなテュエッラに、シャルルが無言で杖を突き付ける。
「ならば、直接俺が出向いて秘密裡に黙らせるまで。居場所を教えろ、魔女」
「あらあ、ディアーヌのそばを離れて大丈夫なの? 彼の手下とかが動くかもしれないわよお?」
目の前に迫っている杖の先に動じることなく、テュエッラが返す。彼女、どこをつつけばシャルルが動揺するのか、正しく理解してしまっている。
「あたくちなら、侯爵を連れて戻ることもできるけど。ふふ、どうするのお?」
「手っ取り早いけれど、それをやったら、話のつじつまを合わせるのが難しくなりそうね……一歩間違えば、変な疑いをかけられそうだし」
というか、私たちがテュエッラと知り合いであることをアルロー侯爵に知られないほうがいいような気がする。
カリソン家の若夫婦は魔女の配下だとかなんだとか、そんな噂を流されでもしたら大変だ。
「ひとまずアルロー侯爵については、このまま様子見でいいと思うの。私たちが切り札を持っているのだとほのめかしておけば、うかつな行動には出ないんじゃない?」
「……これを切り札とは呼びたくないが……お前を守るためなら仕方あるまい」
ふん、と鼻を鳴らすシャルルに、テュエッラが可愛らしく小首をかしげて言った。
「失礼ねえシャルル、あたくちはあなたたちの味方よお? 立派な切り札になれるわ」
「どうだか」
「だってえ、あなたたちを見てると退屈しないんだもの。これは勘だけど、たぶんあなたたちにはまだまだ波乱が待ち受けている。それを、近くで見ていたくって」
「……今、さらりと恐ろしいことを言われたような……」
ひとまず今の発言については聞かなかったことにして、やるべきことに手をつける。
アルロー侯爵を国外に留めておき、彼の行動をできるだけ封じられそうな策を練るのだ。
それから三人でしばらく相談して、筋書きができあがった。それは、このようなものだ。
あの蜜月の宴に、曲者が紛れ込んでいた。その曲者は毒針をもって、私の命を狙った。
しかし毒針はその場に居合わせた親戚の子供をかすめ、曲者はそのまま逃げ去っていった。子供は生死の境をさまよったが、どうにか生還した。
「……そしてその場にいたはずのアルロー侯爵の所在が分からなくなっています。彼のことが心配です。……こんな感じかしら」
私がそうしめくくると、シャルルとテュエッラは同時にうなずいた。シャルルは重々しく、テュエッラは軽やかに。
「俺たちが真相にたどり着いていることをそれとなくほのめかし、かつ侯爵の存在を印象付けられる文章になった……と思う。あとはこの文章を、広めれば」
「だったらこれ、さっそくみんなに配っちゃえばあ? ほら、手伝ってあげる」
テュエッラが小さな手を掲げたとたん、テーブルの上に紙束がいきなり現れた。
それは、さっき私が言った言葉が上品な便せんに刷り込まれたものだった。これなら、確認して署名すれば、そのままあちこちに送れる。
「ありがとう、テュエッラ」
「うっふふ、お礼を言われるって素敵ねえ。それじゃあ、シャルルがどんどん怖い顔になってきたから、あたくちもう帰るわ。じゃあね」
そうしてテュエッラは、やはり一瞬で姿を消したのだった。
シャルルが何もない宙を杖で薙ぎ払って、深々とため息をついていた。




