4.ささやかな贈り物
「贈り物だ」
私たちが結婚して一か月ほど経ったある日、シャルルが突然そんなことを言い出した。彼の手には、布でくるまれた細長い何か。
「……贈り物? どうして?」
「夫が妻に贈り物をすることに、何の疑問がある」
彼は堂々とそんなことを言いながら、その何かをこちらに差し出してくる。どうしたものか悩んで、仕方なく受け取った。
「あら?」
そうして、目を見張る。この重み、この感じ、覚えがある。いそいそと包みを解くと、中からは美しい銀色の剣が現れた。
「……抜いてみても、いい?」
「もちろん。お前のために作らせたものだからな」
新婚の夫が、妻に剣を贈る。それも護身用の小さなものではなく、腕の長さくらいある立派なものを。
そんなおかしな状況も、シャルルとのぎこちない関係も忘れてしまうくらい、私は目の前の剣が気になってしまっていた。
そっと柄を握り、剣を抜く。細身の刀身は片刃で、少し反りがある。前世の私、ローラが使っていたサーベルによく似ている。
もっとも、あの頃使っていたものは実用性のみを重視していた。それに比べると、この剣はずっと繊細で華麗だ。儀礼用の剣に近い。
でも刃はしっかりしているし、持った感じも悪くない。ただの儀礼用の剣ではなく、十分に実用に耐える品だ。
「……気に入ったか」
「え、いえ、その、見事だとは思うわ。でも」
つい剣に見とれてしまったことを恥ずかしく感じて、あいまいにごまかす。
「そもそも、どうしてこんなものを贈ろうと思ったの?」
「お前はディアーヌで、ローラだ。ローラには剣が必要だろう」
確かに、彼の言うことは当たっていた。ディアーヌである私が生まれて初めて握った剣は、恐ろしいくらいにしっくりしていて、安心感を与えてくれるものだった。
けれど、そんな風に感じることに後ろめたさも感じていた。ローラは国を守るためとはいえ、剣を手にして敵をたくさん殺してきたのだから。
「……私だって、戦いたくて戦っていたんじゃないわ……あなたたち、青の国が攻めてくるから……仕方なく……」
赤の国の貴族として生まれた前世の私は、国を守るために騎士となり、騎士団長にまで昇り詰めた。
出世したかった訳ではない。戦いたかった訳でもない。私は、守りたかっただけだ。
でも今こうして美しい銀の剣を手にしたら、不思議なくらいに胸がときめくのを感じてしまっていた。柄を握ると落ち着く。剣をさやから抜くと、とても気合が入る。
戦うべき敵なんて、もういないのに。それなのに私には、すっかり戦いが染みついてしまっている。
そのことに気づいて、自己嫌悪を覚える。剣をさやに収め、そのままうつむいた。
「……気に入らなかったのなら、捨ててくれていい」
ぽつりとそう言って、シャルルは出ていってしまう。一人っきりで部屋に残された私は、それでもそのままじっとしていた。
気のせいだろうか。さっきのシャルルの声が、どことなく寂しそうだったのは。彼の青い目も、どことなく悲しげに伏せられていたような。
血も涙もない戦鬼。前世の彼、アイザックはそう呼ばれていた。どれほど返り血を浴びても、どれほど屍の山を築いても、彼は眉一つ動かさなかった。
そんな彼が、あんな顔をするなんて。
思えばお互いに前世の記憶がよみがえってしまってから、初めて彼が表情を変えるところを見た。
そしてそのことに、自分でも驚くくらいに動揺していた。
きっと彼なりに、私を喜ばせようとしたのだろう。私がディアーヌで、そしてローラだから、彼はこんなものを贈り物として選んだのだ。
そして彼の思惑は、まるきり的外れという訳でもなかった。
以前の私なら、こんなものをもらってもただ困惑することしかできなかっただろう。でもローラとしての記憶を持つ今の私は、この剣の価値を理解できてしまう。
けれど、それ以上に気になってしまうことがあった。以前のシャルル、優しい彼は、荒っぽいことも何かを傷つけることも大の苦手だった。
貴族のたしなみとして剣術をたしなんではいたものの、彼は刃のついた武器を手にすることを嫌がっていた。血が流れるのが嫌なのです、と言って。
そんな彼は、剣を贈り物にすることなんて決して考えなかっただろう。たとえそれが、美術品と言えるほどに見事な、美しさが際立っているものだったとしても。
やっぱり、もう以前のシャルルはどこにもいないのだろう。彼は変わってしまった、あの夜に。
そのことをはっきりと突き付けられたように感じて、ぐっと唇を噛む。
「シャルルに、会いたい……私が愛した、あの人に……」
そんなことをつぶやきながらも、どういう訳か私の手は、しっかりと剣を握りしめたままだった。
結局、剣はそのまま受け取っておくことにした。突き返す気にもなれなかったし、この剣を気に入ってしまったのも確かだったから。複雑な気分ではあるけれど。
そしてそのせいで、新たな問題も抱えてしまっていた。私をさらに複雑な気分にさせる、そんな問題を。
「贈り物をもらって、そのままというのも気が引けるし……何かお返しをしておいたほうがいいのかしら……」
彼は私にとって夫で、そしてかつての敵だ。今でも私の胸の奥には、前世の憎しみがよどんでいる。
でもそういったことを全部抜きにして、贈り物にはきちんと礼をするべきだ。礼の言葉なり、お返しの贈り物なり。
「……でも一体、何を贈ればいいのか……」
シャルルのことならたくさん知っている。美しいもの、繊細なもの、甘いものが好きで、血なまぐさいことは大の苦手だ。
その穏やかな物腰に、たくさんの令嬢たちから思いを寄せられていた。それなのに彼はどういう訳か私に惚れ込んでいて、いつもきらきらとした憧れと称賛の目で私を見つめていた。
アイザックのことは何も知らない。彼と顔を合わせるのはいつも戦場だった。
そしていつも彼は、ぞっとするほどの無表情で私の配下たちを斬り捨てていた。その姿を思い出すたび、こみ上げる怒りがちりちりと胸を焦がす。
今の彼は、たぶんアイザックの要素が強い。でもきっと、たぶん、おそらくは、今の彼と以前のシャルルとの間に、共通する部分があるはずだ。例えば……そう、私のことを気にかけていることとか。
だったらひとまず、以前のシャルルが喜びそうなものの中から贈り物を選んでみようか。返礼の気持ちだけ伝われば、それでいいのだし。
そう決めたはいいけれど、またしても私は考え込むことになってしまっていた。
「……花とか、詩集とか……駄目、今の彼には似合わなさすぎる……。だったら手紙は……何を書いたらいいのかしら……気を抜いたら、つっけんどんになってしまいそうな気もするし……」
悪戦苦闘しながらうなっているうちに、ふとあることを思い出した。
以前のシャルルは、時々料理人に頼んで飴を作らせていた。複数の薬草を細かく刻んだものを入れた、喉にいい薬草飴だ。
私も食べさせてもらったことがあるけれど、素朴で優しい味がした。
あれならちょうどいいかもしれない。高価なものでもないし簡素なものだから、気軽に渡せる。彼の気に入らなかったとしても、そうなのね、の一言で済む。
よし、これで決まりだ。善は急げとばかりに、急ぎ足で厨房へ向かっていった。
それから、少し後。私は薬草飴が盛り付けられたガラスの小皿を、シャルルに突き付けていた。
「……これは?」
「飴。喉にいいの」
突然現れて突然そう言い放った私に、シャルルは不可解そうに首をかしげていた。アイザックの記憶がよみがえってからいつも無表情だった彼が、珍しくも目を丸くしている。
「別に、喉は悪くないが」
彼のその言葉に、心の中で小さくうなずく。予想通りだ。その反応を当てられるくらいに今の彼になじみつつあることに、戸惑いを感じずにはいられない。
そんな思いを隠して、涼しい顔で言い放つ。
「最近、たちの悪い風邪が流行っているっていうし、あなたがかかったら私にもうつってしまうかもしれないでしょう」
風邪が流行っているのは事実だ。けれどさすがに、ちょっと言い訳が苦しい。
素直に、剣の礼だと言うべきなのは分かっている。でもどうしても、その言葉が出てこない。アイザックでもある今の彼に、感謝の言葉を告げるのは抵抗があった。
私が愛しているのはアイザックじゃない。私はアイザックを憎んでいる。私が愛したのはシャルルだ。そんな思いが、私の口を閉ざしていた。
「……分かった。ありがたくいただく」
そんな私の内心の葛藤に気づいているのかいないのか、彼はすんなりと小皿を受け取った。一つ口に入れ、真剣に味を確かめている。
「……悪くはない」
あれは、まだ私たちが婚約していた頃だった。彼はこの飴を口にして、それは嬉しそうに笑み崩れていたのだ。ほのかな蜂蜜の香りと薬草の風味が、とてもよく合うんです。そう言って。
ところが今の彼は、眉一つ動かさない。その表情を見ていたら、悲しくなった。
やっぱり、シャルルは変わってしまった。あの優しいシャルルは、もういない。
何か言ったら泣いてしまいそうで、そのまま彼に背を向ける。急いで出ていこうとしたら、後ろから声がかかった。
「……ありがとう。……傷薬を、後で誰かに届けさせる」
その言葉に、一瞬立ち止まる。けれどそのまま、大急ぎで部屋を飛び出した。左手にできた小さな火傷をそっと右手で隠しながら。
ばれてしまっただろうか。さっきの薬草飴は、料理人に手伝ってもらいながら私が作ったものだって。
本当は、わざわざそんなことをしたくはなかった。けれど料理人にせっかくだからと勧められて、断り切れなかったのだ。
作り方は簡単ですし、シャルル様もきっと喜ばれますよと、そう熱心に食い下がられてしまったせいで。
どうやら料理人は、結婚以来ずっとぎこちない私たちのことを気遣って、そんな提案をしてくれたようだった。
薬草飴を作ること自体は、料理人の言う通り簡単だった。ただその途中、うっかり火傷をしてしまったのだ。
ごく軽いものだし、しっかりと水で冷やしたから、放っておいても大丈夫だ。下手に包帯など巻いていったら、そのほうが余計に目立ってしまう。
そう考えて、素知らぬ顔でシャルルのもとに向かっていったのだ。いつも通りにふるまっていれば、気づかれることなんてないだろうと考えながら。
でも、シャルルは私の火傷に気がついた。もしかしたら、あの飴が手作りだということにも気づいたかもしれない。気づいてないかもしれない。
私は、どっちを望んでいるのだろう。
「ありがとうって、言われた……」
ぶっきらぼうな口調だったのに、その声にはまぎれもない温かさがあった。
前のシャルルの柔らかな優しさとは違うけれど、それでもあの声は、あの言葉は、じんわりと私の胸に染み渡っていた。
薬草飴を思わせる素朴な甘さが、胸の片隅に灯っているのを感じたような、そんな気がした。