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39.大混乱の中で

 危ない、というシャルルの切羽詰まった声。怒りにぎらついたアルロー侯爵の目。私にぶつかってきた、柔らかい何か。


 扉の開く音、何かがはじけるような音、トランペットの高らかな音。


 広間を埋め尽くす、淡い水色の可愛らしい煙。なぜか、色とりどりの紙吹雪まで降ってきている。


 一体何が起こっているのか、まるで分からない。危ないのか危なくないのか。


 ぽかんとしていたら、鮮やかな深紅が目に入った。水色で塗りつぶされた視界の中で、毒々しいほどに美しい色。


 血? 違う、これはテュエッラのドレスの色だ。ずっと広間の隅にいた彼女が、どうして私に抱きついているんだろう。


「……ディアーヌ、大丈夫、かしらあ……?」


 その時、テュエッラの体がぐらりと揺れた。とっさに抱き留めると、彼女の小さな体はくたりと力なく私にもたれかかってしまった。


 驚くほど顔色が悪い。青ざめているというより、白い。


「ど、どうしたの!?」


「仕込み毒針、よお……あの侯爵、最後の最後であなたに一撃くらわせるつもりだったみたいね……うふふ、でも残念でした。あたくちの目の前であなたを殺そうなんて、甘いわあ」


「ディアーヌ、無事か!!」


 能天気な雰囲気の煙をかき分けるようにして、シャルルが駆け寄ってくる。彼も顔色が悪かったけれど、こちらは私を心配しているだけのようだった。


「私は何ともないわ。でもテュエッラが……」


 そう答えた時には、テュエッラは目を閉じてしまっていた。気を失ってしまったらしい。


「何があった?」


「分からないの。テュエッラが、侯爵が仕込み毒針を使ったとか何とか、そんな感じのことを言っていたけれど……たぶん、かばってくれたみたい」


 シャルルは私を抱きしめるように肩を抱いて、鋭い目で周囲を見渡す。


「……魔女には感謝しないとならないようだな。しかし、この状況は一体……何も見えない……」


 そうしている間も、トランペットは鳴り響き続けている。調子のいい、ご機嫌な旋律だ。


 しかも煙の向こうからは、楽しげな歓声も聞こえてきたような……。それも、大いに聞き覚えのある声が。


 私の肩にかけたシャルルの手から、力が抜ける。彼は深々と、それはもう長々とため息をついて、声を張り上げた。


「おいレイモン、これはどういうことだ」


「あ、そっちにいたのか」


 そんな返事と共に、足音が近づいてくる。見慣れたレイモンの顔が、煙の中からひょっこりと現れた。


「いやあ、せっかく君たちが蜜月の宴を開くんだから、僕たちも何か祝福の意を表そうと思ってね。ただ、ちょっと煙玉の量を間違えて……何も見えなくなってしまったんだ。失敗したよ」


 あっけらかんと笑うレイモンに、どう答えたものか言葉に詰まる。


 とても言えない。この宴は、魔女の助言に基づいて自分たちの敵を洗い出すための罠だなんて。そして、ちょうどその敵を見つけて追い詰めたところだったなんて。


「ん? その子、大丈夫かい? 眠っているのではなさそうだけれど……」


 レイモンの目が、私に抱えられたテュエッラの上で留まる。彼女は苦しいのか、眉間にきゅっとしわを寄せて浅い呼吸を繰り返していた。


「大丈夫じゃなさそうなの。医者に見せたいのだけれど、この煙で動けなくて……」


「そうだ、お前はアルロー侯爵を見なかったか? お前と入れ違いに、広間を出ていった可能性があるのだが」


 シャルルはまだ周囲を警戒しながら、レイモンにそう尋ねている。レイモンはちょっと混乱しているようだったけれど、すぐに答えてくれた。


「ああ。僕たちが広間に煙玉を投げ込むのと同時に出てこられたよ。そのまま、一階に向かったみたいだけど」


「至急、あいつを取り押さえてくれ!」


 いきなり語気を荒くするシャルルに、レイモンが目を丸くする。


「取り押さえって、穏やかじゃないな。さすがに、理由もなしにそんなこと……それに、その子の手当てが先だろう」


「理由ならある。あいつはディアーヌを脅迫して、ディアーヌに傷をつけて、ディアーヌを殺そうとした。この子供が弱っているのも、あいつのせいだ。そしてこの子供は、とても丈夫だ。少し休ませればたぶん良くなる」


 一気にまくしたてられたレイモンは口をぽかんと開けていたけれど、やがて我に返ってうなずいた。


「……分かった。侯爵については、廊下で待ってるみんなに手伝ってもらう。だから君たちは、その子を早く医者に診せてやれよ」


 そう言って、レイモンはこちらに背を向ける。濃い煙の中を、ためらうことなく突き進んでいった。


 後には、私とシャルル、それにテュエッラの三人だけが残された。シャルルと顔を見合わせて、小声で話し合う。トランペットの音は、もう止んでいた。


「……魔女って、医者に診せてもいいのかしら……正体がばれちゃったり、とか……」


「そもそも、魔女に毒が効くのだろうか? どちらかというと、毒を使う側の存在だろう」


「でも前に、怪我をしたら死ぬって言ってたわ。ほら、さっきから苦しそうだし」


「だったらやっぱり、医者に……? だが、どう説明したものか」


 そんなことを話していたら、テュエッラがぱちりと目を開けた。大きく息を吐いて、にっこりと笑っている。


「ああ、苦しかったあ。ディアーヌが支えてくれてなかったら、もっと苦しかったかもお」


 突然のことに、シャルルと二人凍りつく。さっきから、訳の分からないことばかり続いている。もう、どうしたらいいのか。


 愛らしくにこにこしているテュエッラの顔を凝視して、恐る恐る口を開く。


「……ねえテュエッラ、あなたは私をかばった……のよね?」


「ええそうよ」


「……毒、効いてた……と思うのだけど。怪我なら死ぬって、言ってなかった……?」


「ええ。確かにあたくちは、怪我をすれば死ぬわあ。でも毒なら、よほどしくじらない限り死ぬことはないの」


 何でも、毒自体は彼女に効いてしまう。でも彼女は、体内に入った毒を魔法で無効化することができるのだそうだ。


「ちょっと珍しい、しかも強い毒だったから、さすがのあたくちも手こずっちゃったあ。護身用か、自害用か……とにかく、あの侯爵はディアーヌを殺す気満々だったわね」


 その言葉に、呆然としていたシャルルがぴくりと動く。身をかがめて声をひそめ、テュエッラに話しかけた。


「……魔女、手を貸せ。アルロー侯爵を叩かねばならない。あいつがこれ以上おかしな真似をする前に」


「あなたに頼まれごとをされるなんて、新鮮よねえ」


「俺とて、できるならばお前に関わりたくはない。だが、ディアーヌのためだ。お前は信用できないが、ディアーヌを好いていることは確かだろう。一時的になら共闘できる」


 不快感がありありとにじんだその言葉に、テュエッラはきゃあと楽しげに両手を打ち合わせる。


「あら、分かってるじゃないのお。ふふ、いいわよお。あ、でも……あたくち、ちょっと疲れちゃったわあ。回復してからでないと、動けないかも」


 テュエッラはそう言って、嬉しそうに笑いながら私の胸元にしなだれかかった。


 今は幼子の姿をしているけれど、本来の姿はあの妖艶な美女なのだと知っている私としては、どんな表情をしていいのか分からない。


「どうしたの、ディアーヌ。ぼけっとしちゃって」


「え? 私?」


「そう。ぎゅうっと、しっかりと抱きしめてちょうだいな。そうしたらあたくち、すぐに元気になるから」


 彼女は何がしたいのだろうか。やっぱり訳が分からないまま、半ばやけっぱちで言われた通りにする。


「あったかあい……ふふ、幸せだわあ」


 テュエッラは目を閉じて、うっとりとした声でつぶやいている。こうしていると、本当に普通の子供だ。


 というか、彼女の場合元々の言動が子供のように自由気ままだから、こちらのほうが違和感がない気もする。


「おい、いい加減ディアーヌから離れろ。彼女は俺の妻だ。お前の母ではない」


「あらあ、それ面白いかも。ちょっと魔法をかけ直して、あたくちはあなたたちの子供なんだって周りに思わせちゃおうかしら」


「お前のような子供など、断固断る!」


 シャルルはテュエッラが相手だと、どうにも調子が狂うようだった。


 いつもはもっと淡々と……私に愛をささやく時以外は淡々としている彼が、テュエッラと話していると自然と声を荒らげてしまっている。


 ただ、殺気はまるで感じない。何というか、彼は戸惑っているのだと思う。特に、テュエッラが小さくなってしまった今では余計に。


 そしてテュエッラは、そんなシャルルをからかうことを楽しんでいるようにも見える。


 なぜだか彼女は私のことをかなり気に入っているようだけれど、シャルルのことも割と気に入っているように思える。


 ……もしかしなくても、この二人、案外仲がいいのかも……


「ディアーヌ、お前が何を考えているか分かった気がする。だが俺は、この魔女となれ合うつもりはない」


「つれないのねえ、色男さん。構ってくれないのなら、あたくちはディアーヌで遊んじゃうわよお」


「ねえ、テュエッラ……ディアーヌ『と』じゃなくて『で』ってところに複雑なものを感じるのだけれど」


「気にしなくていいわよお、可愛いディアーヌ」


「俺が気にする」


 言うなり、シャルルが私からテュエッラを引きはがす。そのまま、私をしっかりと抱きしめた。腕の中に閉じ込めるように。


 彼に守られたまま、辺りをまた見渡してみる。さわやかで楽しげな水色の煙は、ようやく薄れてきていた。広間の入り口に、人だかりが見える。


 レイモンとその仲間たちはアルロー侯爵を探しにいっているはずだから、そこにいるのは他の招待客たちだろう。たぶん、さっきのトランペットを聞きつけて集まってきたに違いない。


 その時、かすかなささやき声が耳に飛び込んできた。


「本当に、仲睦まじいこと……」


「ああしていると、親子みたいですな……」


 どうやら集まった人々は、シャルルとテュエッラの掛け合いを見て和んでしまっているらしい。気持ちは分からなくもない。テュエッラの正体を知らなければ、私も同じように感じただろうから。


 温かい笑顔でこちらを見守っている人々の視線には気づかずに、シャルルはテュエッラをにらんでいる。


 一方のテュエッラは視線に気づいているらしく、さらに楽しそうな笑みを浮かべている。


 そんな二人を見ながら、ほっと息をついた。まだ、アルロー侯爵を捕まえるという大仕事が残ってはいる。けれど、私の心には安らぎが満ちていた。


 ここまで長かった。いきなり現れたテュエッラの言葉に従って嵐の森を目指し、彼女のあいまいな言葉を読み解いて、敵をあぶり出して。


 ……こうやって改めて整理すると、今までの面倒な事態の半分……いや、八割くらいはテュエッラのせいだという気もするけれど、彼女をとがめたところで意味はないのだろうなと、そう思った。


 彼女は魔女で、普通の人間の物差しでは測れない。助言をくれただけでありがたいと思っておこう。


 こんな風に考えていることがシャルルに知られたら、彼はまた眉を吊り上げて不快感を露わにするのだろうけれど。


 今はちょっとだけ、この安堵の思いに浸っていたい。シャルルの胸に寄りかかって、こっそりと微笑んだ。

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