35.当たりか、それとも外れか
そうして一人きり、宴の会場である屋敷の中をあちこちふらふらし続けた。
こうなったら何が何でも三人目の依頼人を釣り出すのだと、決意を新たにしながら。
自分がここにいるのだと周囲の人々に見せつけて、それからわざと人気のないところに移動する。そんなことを繰り返す。
釣りをする時、餌に見立てた飾りを針の近くにつけて、その飾りをちらつかせることで魚を誘い出すのだと、そうお父様から聞いたことがある。
私は今、その飾りの役を果たそうとしているのだ。娯楽のための釣りではなく、食料を得るための漁でもなく、私とシャルルの未来を脅かす敵を見つけ出すために。
うっかりすると険しくなってしまいそうな顔に、優雅な笑みを無理やり浮かべる。走り回ってでも敵を探したい衝動を、力ずくで抑え込む。そうしてことさらに、ゆったりと歩く。
「……まだ、隙を見せ足りないのかしら……」
いい加減うろうろし疲れて、人気のない廊下の片隅でため息をつく。誰にも聞こえないように口の中だけで、独り言をつぶやいた。
「それともやっぱり、こんな方法で誘い出そうっていうこと自体無理があったのかしら……」
そもそも私たちの作戦は、三人目の依頼人がある程度じれていて、自ら動かなければと考えてくれなければ成功しない。
つまり、その人物が元々慎重な性格だったり焦っていなかったりすれば、全く動かない可能性も高い。
「……そうね、無理があったわね……」
それでも、これが私たちに考えつく最善の策だった。私もシャルルも、何かができることが嬉しくて、宴を開くことしか考えていなかった。
前世で兵を指揮したことならあるけれど、こんな風に罠を張った経験なんてない。そういうものを考えるのは、参謀の担当だったし。
たぶん、シャルルも似たようなものだっただろう。アイザックはいつも、堂々とハルバートを振り回して全てをなぎ倒す、そういう戦い方しかしていなかったから。
とはいえ、ここまでうまくいかないとさすがに落ち込む。
「でも、落ち込んでもいられない……手掛かりのかけらだけでも、つかみたい」
三人目の依頼人が動かなかったとしても、何か様子のおかしいところを見せるかもしれない。他の招待客から、参考になるような情報を得られるかもしれない。
落ち込むにはまだ早い。ただうろつき回るのではなく、目を見張り耳を澄ませて、周囲を探らなくては。
そう決意したとたん、そっと声がかけられた。考え事に没頭していたせいでびっくりしてしまったけれど、どうにか動揺を顔に出さずに声の主のほうを振り返る。
「ディアーヌ……ああ、君に会いたかった……」
そこにいたのは、若い貴族の男性。日陰に生えた雑草のようにひょろりとした、どうにも頼りない雰囲気の人物だった。
もしかして、彼が。そう思いつつ、にこやかに対応する。
……問題は、彼が誰なのか分からないということだったりするけれど。あいさつはしたはずなのに、印象に残っていない。
「こんにちは。宴を楽しんでいただけていますか?」
「楽しくなどないさ。私の胸の中には、冬の嵐が吹き荒れている……」
何言ってるんだろう、この人。けげんな顔をしてしまわないように気をつけながら、話の成り行きを見守る。
「私はあの忌々しいシャルルなんかよりずっと前に、君と出会っていたんだ。二年前の春の日、私の屋敷を訪ねてくれた君は、妖精のように愛らしかった……」
ああ、やっと思い出した。そういえばそんなこともあった。二年位前に、親に言われて仕方なく、しぶしぶ見合いをしたのだった。彼はその見合い相手だ。
……その時の体験があまりに不快すぎて、ずっと記憶の奥底に封じ込んでいたのだけれど。
なにせ見合い相手ときたら、ねちゃねちゃした目でずっと見てくるし、口から飛び出るのは甘ったるくて自分に酔ったような気持ち悪い言葉ばかり。しかも、ほんのりこちらを見下しているし。
そして彼の両親はそんな彼を止めるどころか、優しく温かい目で見守っていた。間違いなく、二人にとって彼は、今でも可愛い可愛い目に入れても痛くない大切な息子なのだろう。
こんな家に嫁げるか! と叫びたいのをこらえて、やんわりと丁寧に、しかしきっぱりと断った。
ところが私の言葉はちっとも彼の心に届かなかったらしく、見合いの後もしばらくは趣味の悪い贈り物が届いていた。ああ、思い出したくなかった。
「ディアーヌ、私は今でも、君を愛している……」
そして彼は、今も熱っぽくささやいてくる。まさか、シャルルの説が当たっていたのだろうか。このひょろっとしてぬめっとした男が、三人目の依頼人なのだろうか。
「今からでも遅くない。私と一緒に来てくれ。あんな男より、私のほうがずっと素晴らしいのだと教えてあげよう」
ぞわっと鳥肌が立った腕をこっそりとさすりながら、そろそろと尋ねてみる。もっと彼から、情報を引き出さないと。
「……あなたは、私とシャルルの仲を裂きたい……のですか?」
「もちろんだとも。そもそも君たちが夫婦など、私は認めない!」
「その……どんな手を、使っても?」
「ああ」
見つけた。三人目の依頼人だ。きっと彼だ。喜びに顔が緩みそうになったその時、妙な言葉が聞こえてきた。
「君にだけは教えてやろう。私は夜な夜な、シャルルを呪っていたのだ。我が家に伝わる秘術で」
「……それだけ?」
「それだけだが?」
今度は、一気に落胆が襲ってくる。なんだ、外れだ。
呪っていたというのが気になりはするけれど、テュエッラの魔法みたいに実害がある訳ではなさそうだし、放っておいても大丈夫だろう。
がっかりした思いを隠すつもりにすらなれなくて、彼から視線をそらしてため息をつく。
しかし彼は私のそんな様子を気にもしていないようで、すっと距離を詰めてきた。
「さあ、行こうディアーヌ。ほら、怖いことなんて何もないから」
そうして彼はしっかりと私の両肩を捕まえて、顔を近づけてくる。
外れを引かされたいら立ちと、忘れていた記憶を呼び起こされた腹立ちと、迫ってくる顔の気持ち悪さ。
それらに突き動かされるように手を挙げて、男性の横っ面をひっぱたく。
手加減はしたけれど、ぱあんと爽快な音がした。最近体を鍛えていたから、その成果が出たのだろう。
「軽々しく触れないでいただけますか? 私はあなたと行くつもりは、これっぽっちもありませんから」
私のふるまいに驚いたのか、男性がふらふらと後ずさりしてその場に崩れ落ちる。そんな彼に、宣言するように言い放った。
「私はディアーヌ・カリソン。シャルル・カリソンの妻です。どうぞお忘れなく」
優雅に微笑んで、その場を後にする。乙女のように床で横座りをしている男性を、後に残して。
今のやり取りでささくれた気分をなだめるように、今度は人の多いホールに歩いていく。私の姿を見かけた招待客が、話をしようと寄ってくる。
そんな人たちとにこやかに話しながら、また周囲に目を走らせる。
私たちを祝福するたくさんの笑顔、その間に、ちくちくと突き刺さるような視線をいくつも感じる。視線の主は、みんな若い令嬢だった。
やっぱり三人目の依頼人は、シャルルに焦がれた令嬢の線で合っていると思う。
そう主張したかったけれど、そのシャルルは姿が見えない。さっきアデールとどこかへ行ってしまってから、戻ってきていないようなのだ。
シャルルは今どうしているのかな。気になるけれど、邪魔をしてはいけない。彼が戻ってくるまで、待たなくては。
そもそも、危険だとごねるシャルルを説き伏せて、はっきりと隙を見せるために単独行動をすべきだと言い張ったのは私なのだし。
そうやって一人耐えていたけれど、やっぱりどうにも落ち着かなかった。どうしてだろう、あの道なき森の中を進んでいた時よりも、心細くて怖い。
今シャルルがここにいてくれたら、きっといつものように笑えたのに。
少し前の私なら思いもしなかったようなそんな気持ちを抱えて、それでも表向きはにこやかに、人々と話し続けていた。




