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34.幸せと、ひとかけらの不安と

 まるで結婚式の時のようにしずしずと進む私たちを、招待客たちの視線が追いかけてくる。


 さっきまで楽しげなお喋りで満ちていたホールが、自然と静まり返っていた。


 私たちはホールの真ん中までやってくると、そこで立ち止まる。そうして、シャルルが口を開いた。


「今日、この宴に参席してくれたことに、感謝する」


 声を張り上げた訳ではないのに、その声はホールに響き渡っていった。高らかなトランペットを思わせる、荘厳さと勇ましさをはらんだ声だった。


「かつて、俺はディアーヌを妻とすることを誓った。そして今、みなの前で誓う。俺は彼女を愛し続けると。そして、この命の全てをもって、彼女を守ると」


「わ、私……も」


 シャルルが話し終えたのを見計らって、今度は私が口を開く。緊張してしまっていて、少し声が震えていた。


「彼が私を守るというのなら、私は彼を支えたい。その……彼の、妻として」


 つくづく、私は甘い言葉を紡ぐのが下手だ。事前にあれこれ考えておいたのに、いざ本番となると当たり障りのない言葉しか出てこない。シャルルとは大違いだ。


 私の声の余韻がホールに響いて、それから静寂がやってくる。一呼吸おいて、割れんばかりの拍手が聞こえてきた。私たちを祝福する、盛大な拍手だ。


 その音を聞いていたら、胸にこみあげてくるものがあった。


 私とシャルルは、宿敵だった。その記憶に引きずられて、私は彼を拒んだ。そんな私たちだけれど、夫婦でいてもいいんだ。拍手の音が、そう言ってくれているように思えた。


 嬉しくて、泣いてしまいそうだ。うつむいてぐっと唇をかみ、一生懸命にこらえる。


 と、シャルルがそっと私の頬に手をかけてきた。どうしたの、と尋ねるよりも先に、彼は私の目元を優しく拭う。思わずどきりとするような、そんな笑みを浮かべて。


「嬉し涙か? あまりに美しくて、他の人間には見せたくない」


「……ねえ、シャルル。その……人前、なんだけど……」


 いつの間にか拍手は止んでいて、興味深そうなたくさんの視線がこちらに向けられていた。みんなは私とシャルルの一挙手一投足を、やけに温かい目で見守っているのだ。


 シャルルはちらりと周囲を確認して、それからそっと私の耳元に口を寄せてくる。


「人前だから、都合がいい。俺たちの仲睦まじい様を、しっかりと見せつけてやらねばな」


「……楽しんでない? 一応これは作戦なのよ? 例の人物をあぶり出すための」


「お前に触れられるのだ、楽しくない訳がないだろう。お前は嫌か? もしそうなら、控えるが」


「…………嫌じゃない。でも人前は恥ずかしいの。作戦じゃなかったら、とっくに離れてるわ」


「照れるお前も、また格別だ」


 顔を寄せ合ってひそひそこそこそと話していると、周囲からも小さなささやき声が聞こえてきた。


「本当にお似合いの二人ね。結婚式の時よりもさらに仲睦まじくて。素敵だわ」


「シャルルは以前より立派になったんじゃないか? 堂々として、いい男になったよ。愛する人を守るためなんだろうな、あの変化は」


「ディアーヌがあんな風に恥じらうところを見られるなんて、思いもしなかったわ。以前はちょっと気が強すぎるところがあったから心配していたのだけれど、いい人に出会えたのね」


「きっと死が二人を分かつまで、いや死んだ後も夫婦でいるんだろうな、あの二人は」


 そんな声を聞き取ってしまって、さらに恥ずかしくなる。とっさにシャルルから視線をそらして、軽くうつむいた。


 とたん、彼は私の手を取った。駄目押しとばかりに、手の甲に口づけてくる。


 あっという間に、顔が熱くなる。心臓が全速力で走り始めた。頭が真っ白で何も考えられない。心地よい高揚感に、うっかり浸ってしまいそうになる。


 駄目よ、ディアーヌ。三人目の依頼人をあぶり出すために、これからまだまだやることがあるのでしょう。早く冷静にならないと。


 そう自分に言い聞かせてはみるものの、一向にどきどきが収まらない。シャルルの顔なんて見慣れているし、彼がこうやって愛情を示してくるのもいつものことだ。


 もしかすると私は、場の空気に飲まれているのかもしれない。ここには、私たちを祝福する優しい思いが満ちているから。温かくてくすぐったい、ちょっと照れくさくなるような視線の数々。


 ……もっともこの中には、三人目の依頼人の冷ややかな視線も交ざっているのかもしれない。そのことを思い出してようやく、いつもの調子を取り戻すことができた。


「それでは、宴を始めよう!」


 私の腰をしっかりと抱き寄せて、シャルルが高らかに宣言する。触れた体越しに伝わる彼の体温と声が、温かくてくすぐったい。


 その時、優美な音楽が流れ始めた。シャルルの言葉を合図に、ホールの隅に控えている楽士たちが演奏を始めたのだ。


 みんなが左右に分かれ、道を作った。その中を、シャルルに手を引かれて歩く。


 これもブランシュが教えてくれたことなのだけれど、蜜月の宴では招待主側が最初に何かを披露するのがお決まりになっているのだとか。それも、二人一緒に。


 歌とかダンスとか楽器とか、あるいは詩の朗読とか。そうやって、自分たちの仲の良さをさらに示すのだ。


 私たちは楽器も得意だけれど、ここはあえてダンスを選んだ。これが一番、二人の親密さを見せつけられると、そう踏んで。


 みんなに見守られながら、シャルルと向かい合って踊る。彼と踊るのは初めてではないけれど、妙に緊張してしまう。


 最後に彼と踊ったのは、結婚式の後の宴。まだ私たちが、前世の記憶を取り戻すより前。


 あの時はとても柔和な笑顔を見せていたシャルルは、今では落ち着き払った頼もしい雰囲気を漂わせている。


 どうにも、恥ずかしくてたまらない。うっかり赤面してしまわないように目を伏せて、彼のほうを見ないようにする。そうしていたら、上から優しい声が降ってきた。


「……やはり、以前より上達しているな」


「ローラの記憶のおかげで、体の動かし方も思い出せたから。あなたこそ、エスコートがうまくなったんじゃない?」


 照れていることを隠すように、さらりとそう答える。


「以前の俺は、お前を気遣うあまり強気に出られなかったからな。優しいばかりでは退屈だろう? ……ほら、こういうのはどうだ」


 そう言って彼は、私の腰をしっかりと支えて力強くターンした。予想外の方向に大きく振り回されて驚いたけれど、これはこれで面白い。


「ええ、悪くはないわ」


「それならよかった」


 優雅にステップを踏み、時折シャルルのリードで大きく回って、跳ねて。


 楽しい。今までのダンスより、ずっと。声を上げて笑いたいのを我慢しながら、二人でくるくると踊り続ける。


 シャルルも、とても優しい顔をしていた。ぐっと顔を寄せてきた拍子に、彼の金色の前髪が私の前髪に触れる。周囲から、うっとりとしたため息が上がった。


 このまま踊り続けていられたらいいのに。そう思わずにはいられないくらい、幸せな時間だった。




 そうして私たちのダンスも終わり、いよいよ宴が始まった。


 ここからは、招待客がめいめいに踊ったり、軽食をつまんだりお喋りしたりと、自由に過ごし始める時間だ。


 ずっと私たちに注がれていた視線も、自然と減っていく。それを見計らって、シャルルが小声でささやいてきた。


「……そろそろだな。行くか、ディアーヌ」


「ええ。気をつけてね?」


「お前こそ気をつけてくれ。危なくなったら、全力で逃げるなり叫ぶなりしろ。いいな」


 シャルルは心配でならないようという顔をして、それでも振り返り振り返り立ち去っていく。ホールの外、人気のない一角を目指して。


 それを見届けて、私も動き出した。彼が行ったのとは反対の方向、けれどやはり人気のないところに向かって。


 この宴は肩ひじ張らない気楽なものなのだと宣言してあるから、招待主である私たちがそっと席を外しても問題はない。


 そしてこんな風に、わざと一人きりになる。こうやって隙を見せていれば、三人目の依頼人が食いつく……かもしれない。食いついて欲しいような、怖いような。


 さっきまでとは違う思いに胸を高鳴らせながら、ゆっくりと廊下を歩く。ちょっと気晴らしに散歩しているようなふりをして。


 どこを歩くかは、大体決めていた。宴が行われている一階にある廊下、中庭、裏庭などだ。


 万が一に備えて、上の階には向かわない。上の階だと、何かあった時に助けを呼びづらい。前もって警備の兵をたっぷりと置いておくという手もあるけれど、三人目の依頼人に警戒されたら元も子もない。


 そうしていたら、じきに人の少ない廊下にさしかかった。ぼんやりしているふりをしながら、周囲を警戒する。


 と、誰かの気配が近づいてきた。女性の甘ったるい声が、途切れなく聞こえ続けている。時々、低い声もかすかに聞こえる。


 ちょっと席を外して語り合いたくなった恋人たちといったところか。やけに親密そうだし。


 何となく、そこにいる人たちは三人目の依頼人ではないような気がした。ここはひとまずやり過ごそう。そう考えて、近くにあった大きな石像の後ろに隠れる。


 やがて、その人たちの姿が見えてきた。とっさに声を上げそうになって、あわてて手で口を押さえる。その手が、かすかに震えていた。


 そこにいたのは、シャルルとアデールだった。アデールはシャルルの腕にしっかりと抱き着いて、全身でしなだれかかっている。


 アデールは欠席していたはずなのに。もっともこの宴は大規模なものだし、堅苦しいものでもない。そっと忍び込むのも別に難しくはない。


 彼女はきっと、正面切って祝いの場に姿を現したくないと考えたのだろう。だから欠席の返事をよこしてきた。そこまでは分かる。


 問題は、彼女が何をしにここに来たのか、ということだ。それも、こっそり。


 必死に考えながら、近づいてくる二人の姿をじっと見る。


 アデールの行動はよく分からない。けれどそれ以上に分からないのはシャルルのほうだった。


 普段の彼は、最大限アデールと距離を取ろうとしていた。前世の記憶がよみがえってからは、不機嫌な顔で彼女のお喋りを聞き流すのが常だった。


 けれど今のシャルルは、微笑んでいた。


 以前の彼を思わせる、穏やかで優しい笑顔。彼はそんな表情で、アデールの話にうんうんとうなずいていたのだ。


 予想外のことに、頭が真っ白になる。必死に口を両手で押さえたまま、気配を殺そうと懸命になる。


 鼓動が恐ろしく速い。こんなに大きな音を立てていたら、あの二人に聞こえてしまうんじゃないかってくらいに心臓が暴れまわっている。


 どれくらい、そうやってじっとしていただろうか。私が隠れていた石像の前を、二人がゆったりと通り過ぎていった。


 足音と話し声が遠くなってから、ふうと息を吐く。さっき見たものが信じられなくて、深呼吸を繰り返していた。


 アデールは、私には気づいていないようだった。シャルルに話しかけることしか頭にないようだった。


 けれど、シャルルの青い目は確かに私をとらえていた。間違いなく、彼と目が合った。


 それなのに彼は顔色一つ変えることなく、そのままアデールと一緒に立ち去ってしまった。彼が私に対してあんな態度を取ったのは、初めてのことだった。


 たったそれだけのことが、ぎゅっと胸を締めつける。


「……あれも、作戦のうち……なのよね? きっと……」


 二人が去っていったほうを眺めて、立ち尽くす。


 シャルルのあのふるまいには、何か理由があるに違いない。彼が心変わりしたなんて思っていない。でも、自分でも驚くくらいに心細くて、そして不安だった。


 前世の記憶がよみがえってからの彼は、私以外に笑いかけることなんてなかった。アイザック譲りの無表情で、愛想なんてこれっぽっちもなくて。


 でも私に思いを告げる時だけは、子供のように純粋な笑みを見せていた。


 ……ああ、私、妬いているのかも。シャルルがアデールに笑顔を向けていたから。あの笑顔は、私のものなのに。そう思ってしまっているのかも。


「……全部終われば、きっとこんな思いをしなくても済む……そう信じて、頑張るしかないわね……」


 自分を鼓舞するためのそんな言葉も、やっぱり情けないくらいに弱々しかった。


 もう一度ため息をついて、歩き出す。シャルルたちが向かったのとは、違う方向へ。


 三人目の依頼人が、一刻も早く見つかるといい。今までで一番切実に、そう思いながら。

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