30.ブランシュのささやかな反乱
「ブランシュ。先ほどのあのふるまいは、どういうことですの!? シャルル様とあの女の仲を深めるようなことを、わざわざ口にするなんて!」
シャルルたちとの歌劇鑑賞を終えたアデールとブランシュは、同じ馬車に乗って帰路についていた。
そうして二人きりになった、というよりシャルルと離れたとたん、アデールがいきなり叫んだのだ。
ブランシュは無表情で目を伏せていたが、やがて顔を上げてきっぱりと答えた。
「……アデール様。私、あのお二人の間に割って入るのは無理だと、そう思います」
思いもかけない反撃に、アデールが一瞬ひるんだように見えた。
「アデール様が追いかければ追いかけるほど、シャルルさんの表情はこわばっていました。けれどディアーヌさんが声をかけると、シャルルさんはとろけるような笑みを返していました。違いは、一目瞭然です」
普段のブランシュは、おっとりと穏やかな微笑みを崩さない。それこそ、どんな目にあおうと。
そのせいで、アデールはつけ上がっていた。彼女はブランシュをのことを、自分に振り回されても反論一つしない意気地なしだと思っていたのだ。
ところが今のブランシュは、緊張に顔をこわばらせながらも、理路整然と意見を主張していた。それも、間違いなくアデールの機嫌を損ねるようなことを。
その態度が気に障ったのか、アデールは真っ赤になって、さらにきゃんきゃんと言い立てる。
「ブランシュ、そんな生意気な口をきいていいの? お父様に言いつけてやるわよ?」
アデールの父であるアルロー侯爵は、自分の勢力を増すことに余念がなかった。様々な貴族に声をかけ、自分の傘下に加えてきた。
そしてブランシュの父であるセニエ男爵は、貴族の中ではかなり下層に位置していた。けれど彼は貴族にしては珍しく、自らの手で様々な商取引を行っていた。
そのおかげでセニエ家は他の貴族より裕福ではあったが、同時に軽んじられてもいた。彼は、貴族の人脈をほとんど持っていなかったのだ。
アルロー侯爵は、そこに付け込んだ。自分の言うことを聞くならば、自分の人脈をもって君の商売を手助けしようと、そうセニエ男爵に持ち掛けたのだ。
それをきっかけとして、ブランシュはアデールと知り合った。
強く自己主張せず、かつ貴族の令嬢にしては素朴な雰囲気のブランシュは、アデールにとっていい引き立て役だった。だからブランシュは、しょっちゅうアデールに連れ回されていた。
ブランシュも、父親の事情は知っていた。だからできるだけアデールを怒らせないように、おとなしくしていたのだった。今までは。
「……どうぞ。お好きなように。アルロー侯爵様のおかげで、お父様はさらに手広く商売をすることができるようになりました。その点については、感謝しています」
そんなブランシュが、ためらうことなく言い返している。今の彼女は、いつもの彼女とはまるで違ってしまっていた。
「でもお父様は、そのために娘を苦しめるつもりはなかったんだと、今まですまなかったと、そう言ってくださって……」
少し青ざめながら、それでも冷静にブランシュは説明している。気おされたのか、アデールの勢いがそがれていった。
「今日、シャルルさんとディアーヌさんを引き裂こうと頑張っているあなたの姿を見て、思いました。私はもう、あなたにはついていけません……」
シャルルとディアーヌは、それは似合いの夫婦のように思えた。巡り合うべくして巡り合った運命の相手なのだと、ブランシュにはそう思えていた。
それに、ディアーヌと話しているのはとても楽しかった。ブランシュは心の中だけでそうつぶやく。
それにシャルルにも、好感が持てた。ただひたすらにディアーヌを大切に思っている彼の姿は、眺めていると幸せな気分になれる。
自分は、あの二人と友人になりたい。親の意向も、打算も関係なく、あの二人と近づきたい。親しく話したい。
そんな思いが、彼女の胸の中にはずっと渦巻いていた。だから彼女は、あえて『蜜月の宴』のことを二人に教えたのだ。
あの二人の仲をさらに堅固なものとすることで、アデールがシャルルのことをあきらめるのではないかと、そう考えて。少しでもあの二人の力になろうとして。
アデールに逆らうことで、どれほどの報復が自分たち親子に降りかかるのかは分からない。
けれどもう、このままアデールに従うことはできなかった。今日ディアーヌと他愛のない話をして、ようやく気づいた。自分の心が、もう限界を迎えていることに。
だからブランシュは、もう我慢することを止めた。
これは、ブランシュのささやかな反乱だった。ずっと自分をぞんざいに扱ってきた、そんなアデールに対する。
アデールはぽかんと口を開けたまま、食い入るようにブランシュを見つめていた。静まり返った馬車の中に、がたごとという車輪の音だけが響いている。
やがてアデールが、力なくつぶやく。あきれたように、少し悲しそうに。
「……信じられませんわ。まさかあなたが、わたくしに逆らうなんて。ぼけっと微笑むことしかできない子だと思っていたのに」
「あなたがそう思っていたからこそ、私はあなたのもとを離れることにしたんです。あなたにとって、私は友人ではなかった」
「……そう」
けれどアデールは、すぐにいつものふてぶてしい態度に戻ってしまう。
「わたくしの見込み違いだったということね。いいわ。あなたの代わりなんて、いくらでもいるから。本当は今すぐこの馬車から叩き出してやりたいところだけれど、わたくしは寛大だから。その代わり、今日を限りに二度と顔を見せないでちょうだい」
そうしてまた、二人とも黙り込む。ブランシュの膝に置かれた手は、関節が白く浮くほど強く握りしめられていた。
「ディアーヌ……あの女さえいなければ……悔しい……」
その日の夜、アデールは一人ベッドに突っ伏してうなっていた。
帰宅してすぐ、彼女はブランシュが離反したことと、ディアーヌをどうにかして欲しいということを父であるアルロー侯爵に訴えた。
彼女にとても甘いアルロー侯爵は、すぐにブランシュの父セニエ男爵への援助を打ち切ることを決めた。ディアーヌについても、可能な限り速やかに何とかすると、アルロー侯爵はそう言っていた。
とはいえ、アデールのいら立ちは少しも軽くならなかった。諸悪の根源、憎いディアーヌがまだのうのうと暮らしている。それも、愛しいシャルルの妻として。
その事実だけでも許せないのに、ブランシュが急に自分に逆らったのも、おそらくはディアーヌのせいだろうとアデールは考えていた。
「大丈夫……きっと、大丈夫。お父様が、なんとかしてくれますわ。……でもやっぱり、悔しくてたまらない」
彼女は、五年前にシャルルと知り合ってからずっと彼に恋していた。金の髪に青い目、柔らかな物腰の彼は、彼女にとってはたった一人の王子様だった。
ところが彼ときたら、アデールがどれだけ熱心に迫っても、のらりくらりとかわし続けていた。
どうにかして口説き落とす糸口を見つけようと、彼女はシャルルの屋敷の使用人を買収して、内部の情報を集めるようになっていた。
そうしてシャルルの好物や趣味などのちょっとしたことを知ることはできたものの、彼との距離は一向に縮まらなかった。
そうこうしているうちに彼はあのディアーヌと出会ってしまい、一年足らずで結婚してしまった。
「許さないわ、ディアーヌ……わたくしのシャルル様を、返してもらうから」
涙に濡れたアデールの目は、ぎらぎらと不気味にきらめいていた。




