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28.ひとつぶの涙

 それから少し後、私とシャルルは馬車に乗っていた。上機嫌のアデールと、おっとりと微笑む彼女の女友達と一緒に。


「ふふ、この公演はとっても人気で、チケットが中々手に入りませんの。お父様が、わたくしのためにわざわざ用意してくださったんですのよ。友達を誘いなさいって」


 ついさっきまで、私たちは屋敷で難しい顔を突き合わせていた。そんな時に、アデールとその友人がいきなり訪ねてきたのだった。


 そしてアデールに押し切られるようにして、彼女たちと一緒に出かけることになってしまった。


 ここの近くの町の劇場で、有名な歌姫が歌劇を公演しているらしい。その公演のチケットが四枚手に入ったから、彼女はシャルルを誘いにきたのだ。


 一応、私も誘われた。さすがの彼女も、ここでシャルルだけを連れ出すのは難しいと、そう理解しているらしい。


 私たちは三人目の依頼人を探すという大仕事の真っ最中だったけれど、ひとまずアデールの誘いに乗ってみることにした。


 どのみち行き詰まってしまっているし、この辺りで一度気分転換するのもいいかもしれない。そう考えて。


 そうして馬車に乗ったとたん、アデールはさっさとシャルルの隣の席に陣取ってしまった。私とシャルルが同時に目を丸くするくらいには見事な動きだった。


 そのままアデールはシャルルにぴったりくっついて、あれこれと話しかけている。彼の妻である私がいることも、シャルルのすさまじい仏頂面もお構いなしだ。


 ……シャルルがここまで嫌そうな顔をしているのって、初めて見たかも。


「ふふ、あの歌劇が見られるなんて、楽しみです」


 私の隣にいるのは、アデールの友人ブランシュ。こんなぎすぎすした空気の中、彼女だけはおっとりと微笑んでいた。


 最初、私はどうして彼女が同行しているのか分からなかった。今までのアデールのふるまいからすると、一人で突撃してきて、そして全力でシャルルに迫るんじゃないかと思っていたから。


 けれど、ブランシュと話しているうちに大体の事情はつかめてきた。


 アデールの父アルロー侯爵は、貴族の中でも比較的上の階級に位置する。そんな彼は、昔から家を強くすることに余念がなかった。


 といっても、兵力を増やすとかそういったことではない。彼は他の貴族たちを取り込み、配下のようにしていったのだ。


 地位とか歴史とかを有する家の者、それに政治力とか財力とかに優れる者などを味方につけていく。それが、彼の狙いなのだった。


 今では、他の貴族のほうからアルロー侯爵に接触し、その傘下に加わることもあるらしい。侯爵は配下の者に対しては、あれこれと便宜を図ってやっていたから。


 そしてブランシュの父セニエ男爵も、アルロー侯爵の手下になった貴族の一人だった。そのせいかアデールも、ブランシュのことを友人というより手下として扱っているらしい。


 しかしただの手下なら、こんなところに連れてくる必要もない。だからアデールがブランシュを連れてきたのには、別の理由があった。


 私はブランシュ本人の口から、その理由を聞くことになった。


「私、見ての通り地味ですから。華やかなアデール様と並ぶと、ちょっと気後れしてしまうんです」


 彼女のその言葉には、自分を卑下するような響きはなかった。ただ事実を素直に伝えているような、そんな声だった。


「気後れすることなんてないと思いますよ。ブランシュさんも、素敵な方ですから」


 心を込めて、そう言葉を返す。実際、私からするとアデールよりもブランシュのほうが好ましく思えていたから。


 アデールは、例えるなら桃色の小さなバラの花だ。大輪のバラのあでやかさはないけれど、愛らしくて気品に満ちた美しさを備えている。


 一方のブランシュは、野原に咲く名もなき花のような女性だ。引っ込み思案で、少し地味で、華やかさには欠ける。けれど見る人の心を癒してくれる、そんな花に似ている。


 だからアデールは、こうしてブランシュを連れて歩くことで、自分の華やかさを引き立たせようとしているらしい。


 ともかく、そんな理由でここにいるブランシュだったが、話してみると案外楽しい相手だった。


 結局私は馬車が町に着くまで、ブランシュと話し込んでしまっていた。アデールにまとわりつかれたままのシャルルが、時々助けを求めるような視線をこちらに向けてきてはいたけれど。


 申し訳ないな、と思いつつ、彼女と交流を深めるのに忙しかった。……まさか、アデールの狙いはこれだった、とか。


 そうしてみんなで、劇場の席に着く。私たちの席は横一列で、アデール、シャルル、私、ブランシュの順に座った。


 アデールは、シャルルのそばを離れない。ひたすらにぴったりと、ついて回っている。


 甘ったるい笑みを浮かべたアデールと、どんどん眉間のしわが深くなっていくシャルル。あまりにもかけ離れたその態度は、いっそこっけいですらあった。


 などと考えていたら、公演が始まった。美しい舞台、素晴らしい歌、演者たちの華麗な踊りと演技。どれもみんな、素晴らしかった。


 ……ただ一つだけ、どうにも落ち着かないものがあった。演じられている歌劇のストーリーだ。


 敵対する家に生まれた二人が、偶然出会い恋に落ちる。許されない仲と知りながら二人は愛を貫き、そして運命の前に屈する。そんな話だった。


 敵対する男女、の時点でどうしても前世のことを思い出してしまうのだ。まして話の最後で、その男女は二人とも死んでしまったのだから。


 私の前世であるローラと、シャルルの前世であるアイザックは、恋仲ではなかった。アイザックが一方的にローラに思いを寄せていただけで。


 でも敵対していた二人は、共に死に、生まれ変わって、今では夫婦として過ごしている。そう考えると、どうしても歌劇の内容が引っかかってしまって仕方がなかった。


 困惑しながら、ちらりと隣のシャルルを見る。そして、驚きに目を見張った。


 シャルルが、泣いていた。


 彼の頬を、透き通った涙が一粒滑り落ちていく。舞台の明かりを受けてきらめくそれは、まるで極上の宝石のようにも見えた。


 私が見ていることに気づいたシャルルは、そっとこちらを見て微笑んだ。はぐれた子供を見つけた母親のような、そんな表情だった。


 呆然とシャルルを見つめている間に公演は終わり、歌姫をたたえる歓声がホール中に満ちる。


 そんな中、シャルルがそっと手を伸ばしてきた。大きな彼の手が、私の手を優しく包み込む。


 私たちはそのまま何も言わずに、ただ手を取り合っていた。周囲の歓声も、アデールの突き刺さるような視線も、気にならなかった。




 歌劇を見終えた私たちは、そのまま近くのカフェでお茶にしていた。


 相変わらずアデールは、シャルルを独占しようと頑張っている。シャルルは彼女を完全に無視して、優雅にお茶を飲んでいる。


 私はそんな二人を横目で見ながら、やはりブランシュと話していた。この新しい友人と、もっと話しておきたいと思ったのだ。


 さっき見た公演について話しているうちに、自然と話題は日常のあれこれに移り変わる。と、ブランシュがふと何かを思い出したように微笑んだ。


「……ディアーヌさんとシャルルさんは、本当に仲がよろしいんですね。今まで噂に聞いていただけなんですけれど、今日こうしてお会いして……素敵なご夫婦だな、って思いました」


「そ、そう? ありがとう」


 私たちの会話が聞こえてしまったのだろう、向かいのアデールが苦い薬を一気飲みしたような顔になっているし、反対にシャルルは嬉しそうに口元をほころばせている。


 そしてブランシュは、思いもかけない言葉を口にした。ほんの少しだけ、ためらったような様子を見せてから。


「お二人は、『蜜月の宴』はされないんですか?」


「蜜月の宴……何かしら、それ?」


「最近流行っているんです。結婚して少し経った夫婦が、自分たちはこんなに仲良く暮らしているのだ、ということを披露するために開く宴のことをそう呼んでいるんですよ」


 アデールが口を閉ざして、ブランシュをにらみつけた。ブランシュはアデールから目をそらして、さらに続けた。


「結婚の宴と同じくらいか、もっと盛大なものになることも多いんです」


「初めて聞いたわ。私、あまり友人は多くないから……」


 友人たちの中で最初に結婚したのが私だった。他の友人たちはみんな未婚だ。しかも、結婚してからはアイザックのことで悩み続けていて、友人たちとろくに連絡も取らなかった。


「流行りだしたのは、本当に最近のことなんです。それに、全ての夫婦が『蜜月の宴』を開く気になるかというと、そうでもなくて」


「やっぱり恥ずかしいとか、そういうことかしら?」


「それもあるみたいです。それに、結婚以前は愛し合っていたのに、いざ一緒に暮らしたとたん関係が冷えてしまう夫婦も多いですから……」


 結婚したとたん、びっくりするくらいに変わってしまう。嫌というほど覚えがある。変わった方向は違うし、なんだかんだで丸く収まりそうではあるけれど。


 私とシャルルがブランシュの話に聞き入っていたその時、アデールが耐えかねたように口を挟んできた。


「ちょっと、ブランシュ! さっきから、何を言っているんですの! わざわざ『蜜月の宴』なんて勧めたりして!」


「……すみません。ただ、思いついたままを口にしただけで……気に障ったのなら、謝罪いたします」


 さっきまで楽しげに話していたブランシュが、顔をこわばらせて頭を下げる。アデールはそれでもまだ、何か言い立てようとしている。


「……アデール。ただの世間話に、目くじらを立てるな」


 シャルルが低い声で、短くそう言った。


 とたんにアデールはころりと表情を変えて、可愛らしくしなを作って目をぱちぱちとさせている。名前を呼んでもらったのが嬉しいのだろうか。


 それからも、アデールはシャルルに話しかけ続け、私はブランシュと話し続けていた。


 けれどその合間に、私とシャルルは視線を見交わしていた。お互いに、気づいたことがある。そんな表情で。

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