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26.未来の危機を防ぐために

 そうして予想外の形で屋敷に戻ってきた私たちを、使用人のみんなが心底ほっとした顔で出迎えてくれた。


 少し遠出する、戻るのはいつになるか分からない。そんな訳の分からない言葉を残して屋敷の主夫妻がいきなり旅に出てしまったのだから、それも無理はないか。


 シャルルはまず、森の近くの町に残してきた執事たちに手紙を書き、こちらに戻ってくるように指示を出していた。


 たまたま出会った友人に送ってもらって、少し別の道から戻ることになったのだと、そんな言い訳を添えて。まさか、魔女に送ってもらったとは言えないし。


 それから私たちは、大急ぎでお風呂に直行した。ずっと森の中を突き進み、野宿してきたせいですっかり埃っぽくなってしまっていたのだ。髪がぱさぱさする。


 前世の私たちは、血と泥にまみれて戦っていた。少々埃がついたところで、気にする余裕なんてなかった。


 別の人間として生まれ変わったとはいえ、ずいぶんと変わったものだ。ふとそんなことを思って、こっそりと微笑む。


 そうして旅の汚れをきれいさっぱり落としてから、さっそくシャルルの部屋で話し合うことにした。テュエッラとの会話の記憶が薄れる前に、情報をまとめておきたかったのだ。


 もちろん、うっかり誰かに聞かれてしまわないよう、周囲にしっかりと気を配りながら。


「さて、未来の危機とやらを回避しなくてはな。……あの魔女の手のひらで転がされていると考えると、少々腹立たしいが」


「三人目の依頼人を見つけ出して、どうにかして私たちから手を引かせる。そうするほかないと、分かってはいるのだけれど……」


「あの魔女は、わざとあいまいに話していたからな。三人目の依頼人とやらが誰なのか、見当もつかない」


「いっぺん、情報を整理してみない? 今の段階で分かっていることを」


 二人でうなずき合って、思い出したことを一つずつ声に出して確認する。万が一誰かに見られたら大変なので、紙に書き留めることはしない。


「ええと、三人目の依頼人は、たくさんの従者を連れていた。そして、他人に命令することに慣れている」


「あれほど大きな宝石を、ぽんと魔女にくれてやるくらいには裕福だ」


「それと、老人や病人ではないみたいね。すぐに死ぬことはなさそうだって、テュエッラがそう言っていたし」


「つまり三人目の依頼人は、特に裕福な貴族か商人か……ただし、子供と老人、病人は除いて。さすがに、子供が俺たちの間を裂こうとするとは考えづらい」


「偉そうで敵が多いって言っていたから、たぶん商人ではないと思うのだけれど……」


「そちらは一応、まだ省かないでおこう。たまにいるからな、偉そうな商人も」


 ここまでは、間違いないと思う。しかしこれでは、まったく絞れていないも同然だった。


 テュエッラはもうひとことヒントをくれたけれど、そちらも解釈に困るものだった。


「しかも、私たちの近くにいる人物……なのよね。顔を合わせたことがあるという意味なのか、直接の知り合いではないけれど近しい関係にあるということなのか……ああ、分からないわ」


「だが、すべきことははっきりした」


 ため息をつく私に、シャルルが力強く断言した。どうやら彼なりに、励ましてくれているらしい。


「まずは、俺たちの知人友人を順に調べていけばいい。その中に、三人目の依頼人がいる可能性が高い。もし見つからなければ、さらに範囲を広げて調べるだけだ」


「理論的には、それで合っているとは思うわ。……でも、どうやって依頼人を見抜けばいいのかしら」


 その言葉に、シャルルがふっと口をつぐむ。そのまま二人で、じっと見つめ合った。


「………………尋問? あるいは、拷問か」


「物騒よ、シャルル。というか無理よ、さすがに」


 一生懸命考えた末にとんでもない結論にたどり着いてしまったシャルルを、あわてて止める。


 なんというか、アイザックらしい発想だなと思う。以前のシャルルは、こういう荒っぽい考え方にはまったく縁がなかったし。


「だが、俺たちの未来に関わることだ。ある程度話してみて、怪しい者数名に絞ってからなら……」


「一人でも駄目。そんなことをしたら、私たちは今まで通りに暮らしていけなくなるわ」


「そうなったら、俺はお前を連れて逃げる。お前さえいれば、どこででも生きていける」


 やけにきっぱりと、シャルルは言い切る。気のせいか、どことなくむきになっているようにも見える。


 ともかく、一度話を変えよう。このままだと、シャルルがさらにとんでもない方向に突っ走ってしまいそうだし。


「ねえ、そもそも一番大切なところを抜かしていたわ」


 人差し指を立てて、落ち着いた声でそう語りかける。


 どうやら最悪の事態についてあれこれ想定していたらしいシャルルが、わずかに目を見開いてまっすぐに私を見た。


「三人目の依頼人は、私たちが結ばれないことを願っていた。そんなことを、わざわざあんなところに出向いてまでかなえようとするなんて、きっとかなりの訳があるに違いないわ」


「……そうだな。そいつは俺かお前に恨みがあるのか、それともカリソン家やメルヴェイユ家が狙いなのか……二つの家が俺たちの婚姻を経て結びつくのを、不快に思った者かもしれないな」


 あごに手を当てて考え込んでいたシャルルが、ぱっと顔を上げて口を開いた。


「俺としては、お前に恋焦がれた男という説を推す。三人目の依頼人が魔女のところを訪れたのは、以前の俺がお前に求愛し始めた頃のことらしいしな。時期もちょうどいい」


「ええっ、そんな人はいないんじゃない? あなたに求愛されるまで、私は恋文一つもらったことがないもの」


 シャルルと出会うまで、私には不思議なくらいに浮いた話がなかった。


 けれどそもそも、私はあまり社交的なほうではなかったし、いずれ見合いを経てどこかに嫁ぐのだろうなと思っていたから、気にしてはいなかった。


「それは、お前が凛として気高い雰囲気をまとっていたからだ。男たちは、気後れして近づけなかった。……そして俺は、そんなお前に魅了されたのだが」


「ねえ、だったらあなたに懸想していた令嬢たちのほうが、ずっと可能性が高いと思うわ。以前のあなたは甘く優しい見た目と穏やかで礼儀正しいふるまいで、とっても人気があったもの」


 シャルルのどこまでもまっすぐな褒め言葉がこそばゆくて、ついつい言い返してしまう。しかし彼は私の言葉をきれいに聞き流し、さらに反論してきた。


「そうだろうか。お前に声をかけたいのに近づけない、そんな嘆きの声をあちこちで聞いたぞ。もちろん、結婚前のことだが」


「……知らなかった」


「知る必要などない。お前には俺がいる。他の男のことなど無視すればいい」


 またしても、シャルルがおかしな方向に暴走している。さっきから、どうにも彼の様子がいつもと違っているように思えた。旅の疲れのせいなのか、テュエッラとの一幕のせいなのか。


「……ひとまず、それは置いておいて……とりあえず、可能性のある人間を一通り洗い出してみましょう」


 そう言って、話を引き戻す。ちょうどその時、部屋の扉が控えめに叩かれた。扉の向こうから、夕食の支度ができたとメイドが告げてくる。


 話も一段落ついたし、話し込んでいたからかお腹も空いた。椅子から立ち上がろうとしたその時、先に立ち上がったシャルルが手を差し出してきた。


「行こう。……手を」


 彼に手を引かれて、廊下を並んで歩く。思えば、あの森の中を旅している間はよくこうやって彼に手を引いてもらった。


 でも考えてみたら、この屋敷の中でこうやって歩くのって、いつぶりだろう。前世の記憶がよみがえってから、私は彼をずっと避けていたし。


 こうしていると、以前のシャルル、甘くて優しくてちょっぴり気弱で、でも意外と押しの強い彼と歩いているような気分になる。


 歩きながら、何気なしにシャルルのほうを見上げる。そうして、息をのんだ。彼の横顔は、苦しげにこわばっていたのだ。


 どうしたのかな、と首をかしげる。後で、それとなく聞いてみようか。何か、気になることでもあるの? と。


 アイザックの記憶が戻ってから、シャルルの口数は少なくなっている。でも今の彼は、完全に黙りこくっていた。いつになく張り詰めた雰囲気だ。


 結局、食堂にたどり着くまでの道のりも、食堂についてからも、彼はほとんど喋らなかった。


 ただ、やけに私との距離が近い。食事中も、ちらちらと切なげな目で私を見ている。


「……ディアーヌ。……その……ゆっくり眠れ。それでは、また明日」


 食事を終えて私を部屋まで送り届けた時も、彼はそうやって口ごもっていた。名残惜しそうに何度も振り返りながら、ゆっくりと立ち去っていく。


 その背中を見ていたら、胸がぎゅっと苦しくなった。シャルルは何か悩みを抱えているように思える。私では、彼の力になれないだろうか。


 でも、どう声をかけていいか分からない。自分の気の利かなさに落ち込みつつ、自室で一人考える。


 今はとにかく、三人目の依頼人の問題に集中しよう。そうして元の日常が戻ってくれば、シャルルもきっと落ち着いてくれるに違いない。


 そう考えて、椅子に腰かける。


 幸い、私はそこまで社交的ではないから、そこまで知り合いも多くない。だったらひとまず、三人目の依頼人の候補者リストを作ってみよう。何かしていたほうが、気もまぎれるし。


 紙とペンを取り出して、名前を書きつけていく。一応両親と、知っている限りの親族、友人とその親兄弟、と書きつけていった。


 この中に、私を恨んでいそうな人間はいない。シャルルに激しく焦がれていそうな人間も……たぶん、いないのではないかと思う。


 どうやら、三人目の依頼人はシャルルの知り合いの中にいるのではないか。そう考えた瞬間、ある面影が脳裏をよぎった。


 アデール。シャルルに思いを寄せ続け、彼が既婚者となってからも同じように迫ってくる女性。少なくとも彼女は、私のことを恨んでいるかもしれない。


 でも、彼女がわざわざテュエッラのところに向かうだろうか。道なんてろくにないあの森を自分の足で歩いて、野宿を続けてまで。


 彼女ならそれくらいやりそうだという思いと、言葉にできない違和感との間で、心がゆらゆらと揺れているのを感じた。

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