25.もう一つの敵意
呆然としている私たちを満足そうに見つめ、テュエッラはもったいぶって話し始めた。
「そうねえ……あれは一年くらい前だったかしら。ちょうど、転生したあなたたちが再会した頃よ。三人目の依頼人があたくしのところにやってきたのは」
彼女の視線が、ついと上にそらされる。何かを思い出しているような顔だ。
「ほんと、嫌な人間だったわあ。お供をぞろぞろ連れて、無理やりこの嵐の森の前までやってきたのよねえ」
三人目の依頼人は、お供をたくさん連れていた。つまりその人物は、それなりに地位や財産のある人物ということになる。
「相手にしたくなかったから、最初あたくしは嵐の森の道を閉ざしていたの。でもそうしたらその人間、従者を赤い風に突っ込ませようとしたのよねえ」
テュエッラは、三人目の依頼人のことを『彼』とも『彼女』とも言わない。ただ『人間』とだけ呼んでいる。
おそらく、わざとやっているのだろう。私たちがすぐに正体を突き止めてしまわないように。
「あなたたちは気づいてると思うけど、あの赤い風に飛び込んだら大怪我しちゃう。あの風の壁は警告であって、罠じゃないのよお。あたくしは赤が好きだけど、血の臭いは嫌いよ」
「ならば、もっとおとなしい侵入者除けにすればいいだろう」
「それじゃあ面白くないじゃない。恐怖に耐えて、困難を乗り越えて、命がけであたくしのところにたどり着いた人間こそ、依頼人となるにふさわしいわ」
「……魔女の価値観って、分からない……」
「ディアーヌ、分からなくていい。お前までこうなってしまったら大変だ」
そんな私たちのやりとりを、テュエッラは少し傷ついたような顔で見ている。
「ともかく、あたくしは仕方なくここまでその人たちを入れてあげたのよ。話だけでも聞いてやろうって。従者思いの素敵な魔女でしょ」
彼女はそこで、思わせぶりに言葉を切った。私たちが固唾をのんで続きを待っているのを満足そうに眺めてから、また口を開く。
「そうしたらその人間、『シャルル・カリソンとディアーヌ・メルヴェイユが結ばれないようにして欲しい』っていきなり命令してきたの。思い出しただけで腹立たしいったら」
テュエッラは本気で怒っているようだった。赤い唇が、ぎゅっと引き結ばれている。
「しかも、言うだけ言ってさっさと帰っていったのよお。あたくし、受けるなんてひとことも言ってないのに。しかも対価が、こんなちっぽけな宝石だなんてねえ。ほら、見てよ」
彼女がテーブルの上を指さす。そこには、大きな宝石が輝くブローチやネックレスなどが姿を現していた。とてもちっぽけなんて言えない、見事なものばかり。
「……紋章のたぐいは、入っていないな」
すかさずシャルルが宝石を手に取って、じっくりと確認している。依頼人のほうも、たぶん身元がばれないように気を使ったのだろう。
でも、そもそもこんな宝石を用意できる人間はかなり限られる。裕福な貴族か、豪商か。
宝石を前に考え込む私たちをよそに、テュエッラは胸を張って言い放つ。
「あたくしは、大切なものと引き換えに願いをかなえる魔女。その誇りにかけて、こんな相手のために動いてやる訳にはいかないの。でもね」
そうして彼女は、にいっと笑った。
「あの頃、あなたたちはまだ交際段階だった。いずれローラの記憶を戻せば、二人は苦しみ、離縁になる。そうなれば、三人目の依頼人の望みも結果としてかなう。それでもいいかなって思ったのも事実よ」
三人の依頼人たちはみんな、同じことを願っていた。私と、シャルルの不幸。テュエッラの目論見通りにいけば、三人目の依頼人は何もする必要がなかったのだ。
「ところがあなたたちは、あたくしの仕掛けを全てぶち壊してくれた。ああいいのよ、そのこと自体はとっても面白いなって思ってるからあ」
子供のように無邪気に笑ったテュエッラが、すっと妖艶な笑みを浮かべる。
「……でも、三人目の依頼人はどう思っているかしらね?」
やけに低くつややかなささやき声が、耳をくすぐる。背筋がぞわりとするような、嫌な感触だ。
「あなたたちが夫婦として幸せに暮らしていたら、今度は三人目の依頼人がまた動くかもしれないわねえ。自分の手で、二人を引き裂こうとするかも?」
「テュエッラ。その三人目の依頼人というのは何者だ」
じれた様子で、シャルルがテュエッラの言葉を遮った。彼はそのまま、音もなくテュエッラに詰め寄っている。
「教えてあげない。……シャルル、杖こっちに向けないでちょうだい。なによ、その隙のない構え。ほんと、憎たらしいくらいに強いんだからあ。ローラも、こんな風に思ってたりした?」
「そ、そうね」
突然こちらに話を、それも予想外の話を振られたことに驚いて、ぽかんとしながらそう答えてしまう。しかも、声がちょっと裏返ってしまった。
緊迫した雰囲気を漂わせていたシャルルとテュエッラが、同時にこちらを見て微笑んだ。
「ディアーヌは初々しくて可愛いわねえ。怖いシャルルとは大違い」
「その言葉自体には賛同するが、彼女は俺の妻だ。女性といえど、あまりなれなれしくするな」
「はいはい、過保護な旦那様のおおせの通りに。それじゃあ、可愛い奥様に免じてちょっとだけ手掛かりをあげるわ」
私に向かって片目をつぶり、テュエッラはおごそかに告げる。
その人物は、私たちの近くにいる。直接会ったことがあるかもしれないし、ないかもしれない。けれど、やはり私たちと近しい存在。それが、三人目の依頼人。
どうやら彼女は、わざと言葉を濁しているらしい。困惑した私の顔を、それは満足そうに眺めていたから。
「それ以外にも、あたくしが今までに話したことの中に手掛かりはあるわ。じっくり考えてみて? ……時間は、もうあまり残されていないかもしれないけれど、ね」
「お前が会ったという相手の顔を、魔法か何かで見せてくれればいいだけの話だが」
さらにもったいをつけているテュエッラに、またしてもシャルルが詰め寄っている。この二人、とことん相性が悪いのかも。
「嫌よお。それじゃあ面白くないわあ。あたくしの罠を突破したように、見事三人目の依頼人を見つけ出して、危機を未然に防いでみせてちょうだい」
「危機は防ぎたい。だが、お前のたわむれに付き合うつもりもない」
シャルルはさっきからどんどん不機嫌になっている。獲物を前にうなっている猟犬のようだ。
それも無理はない。テュエッラのやり方は、ちょっと、いやかなり腹立たしいものではある。
未来の危機とやらをほのめかして私たちをここまで呼びつけ、そして三人目の依頼人の正体について、わざと混乱させるような形で教えてくるのだから。
けれど、彼女は嘘だけはついていない。理由ははっきりしないけれど、そう感じた。
あまりに享楽的ではあるけれど、彼女もそこまで悪い人では……いや、でも私の記憶を戻して新婚生活をどん底に落としてくれたのだし……でもでも、そのおかげでこうやって未来の危機について知ることができたのだから。
そんなややこしい思いはいったんしまっておいて、シャルルを呼び止める。
「シャルル、あなたの気持ちは分かるわ。それでも彼女は、危機が迫っていることを教えてくれた。不完全だけれど、情報も与えてくれた。ここは素直に感謝しておきましょう」
しかしその言葉に答えたのは、テュエッラのほうだった。
「ああ、ディアーヌ……! なんて誠実で、素直なの……!」
そう言うなり彼女は立ち上がり、私の手をしっかりと握ってしまう。その赤い目が、ちょっぴりうるんでいた。
「そうだ、もう一つ」
すかさずシャルルが割って入り、私からテュエッラを引きはがす。
「テュエッラ、お前は三人目の依頼人に腹を立てていただろう。魔法で、直接その人物に報復してやろうとは思わなかったのか」
「うーん、思ったには思ったけれど……それじゃ簡単すぎるし、わくわくしないじゃない?」
「わくわく、って……」
人の不幸やら報復やらを語るにはあまりにもそぐわない言葉に、絶句してしまう。シャルルの向こうでは、テュエッラが幸せそうに目を細めている。
「ほんと、ディアーヌは真面目で可愛いわねえ。だって、あたくしが手を下せば、あたくしが望んだ結末になるだけだもの。あなたたちみたいに、力ずくで逆らう人は珍しい……というか、あなたたちが初めて」
少女のようにぽっと頬を染めて、テュエッラはこちらを見る。
「三人目の依頼人はすぐに死ぬことはないでしょうし、ちょっと様子を見ることにしたの」
その言葉を、しっかりと心に刻む。よし、また一つ手掛かりを得た。第三の依頼人は、少なくとも老人ではない。
「あの人間は、間違いなく普段から威張り散らしている。だからいつか、自分の行いの報いを受けることになるかもって思ったのお。敵の多そうな人だったし」
そして偉そうで、敵が多い。……となると、やはり貴族だろうか。商人は、あまり敵を作らないように気をつけるのだと聞いたことがある。
「あっ、そういった火種をあおってやってもよかったのよね。直接あたくしが手を出すより、そっちのほうが楽しいわあ」
「悪趣味だな」
「あたくしは傍観者でいるほうが好きなのよお。時々ちょんって、他人の人生をつっついてみるくらいで」
シャルルが顔をしかめて、鋭い目でテュエッラをにらんでいる。テュエッラは大げさに肩をすくめて、首を横に振った。長い黒髪が、さらりと揺れている。
「ともかく、これで大体説明は終わったわあ。ここからは、あなたたちが頑張る番。あたくしは、あなたたちが頑張っている姿を見守っているから」
そしてテュエッラは、両手をふわりと動かした。まるで羽ばたいているような動きだ。
それに合わせて、世界がぐにゃりとゆがんでいく。シャルルがとっさに、私を腕の中にかばった。
「特別に、帰りは送ってあげるわ。これ、ほんっとうに特別なんだからねえ?」
そんなテュエッラの言葉に合わせて、世界はさらにゆがんでいく。もう、どこがどうなっているのかすら分からない。足元の地面すら、消えていた。
「大丈夫だ、俺がついている」
私はシャルルの胸元にしっかりとしがみついて、シャルルは私の肩を必死に抱きかかえる。そうして互いを支えるようにして、光の渦の中でじっと耐えた。
やがて、渦が薄れていく。気がつけば私たちは、明るい森のふちに立っていた。
「……ここって……」
「俺たちの屋敷の、すぐ近くだな」
シャルルが指す先には、見慣れた屋敷があった。ついさっきまで、北の果てにある嵐の森の奥で、魔女テュエッラと話していたのに。
「……まるで、夢を見ているみたい。現実味がなくて」
「それを言うなら悪夢だな。だが、これ以上野宿をしなくていいのは助かる。ディアーヌ、お前も疲れただろう」
「そうね。久しぶりの我が家、なんだかほっとするわ」
「……我が家、か」
私の言葉を聞いたシャルルが、嬉しそうに微笑んでいる。
この屋敷は、元々私の家ではなかった。でもいつの間にか、ここは大切な、くつろげる場所になっている。
シャルルの手を取り、歩き出す。そうして二人で、屋敷に戻っていった。




