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23.ここは嵐の森

 そこからは特に何事もなく突き進み、着実に北へと進んでいった。


 もう道らしきものは見当たらなくなっていたけれど、シャルルが強引にやぶに押し入り、道を作ってくれていた。


「ああ、いいものがあった」


 大股でゆっくりと歩きながら、シャルルがひょいと手を伸ばして近くの小枝を折り取った。赤くて小さな実をたわわにつけていて、とても美しい。


 彼は立ち止まって振り返ると、小枝の半分をこちらに手渡してきた。


「この木の実はとても美味で、滋養に富む。休憩がてら、食べてみるといい」


 勧められるまま、小さな実を一つ口に入れる。軽く噛むとぷちんとはじけて、さわやかな甘酸っぱさが口に広がった。


「おいしいわ。ありがとう」


 そう答えて、ふと口をつぐむ。もう一度口を開こうとして、少しためらう。意を決して、そろそろと言った。


「……あなたがいてくれて、本当に助かってる。もし私一人だったなら、こんな風に旅をするのは難しかった」


 彼が狩人たちから道を聞いてくれていたおかげで、ここまで迷うことなく進んでこられた。道をふさぐ細かな枝は、彼が体で押してどかしてくれた。


 突然いなくなったと思ったら、イノシシを引きずって戻ってきた。あの時は驚いたけれど、焚火の火で焼いた新鮮なイノシシは、やはり驚くほどおいしかった。


 そして、わらの上に持参の毛布をかぶせただけの寝床は、意外にも快適だった。外で眠るなんて初めてだったけれど、星空がとても綺麗で、とても贅沢な寝床だなと思った。


 道がなくなったら、彼が道を作ってくれた。そして今も、おいしい実をもらった。旅に出てからずっと、彼に頼りっぱなしだ。


 前世は騎士で、今はごく普通の貴族の娘。そんな自分が、道なき道を進む過酷な旅に向いているとは思っていない。


 けれど、ここまで何もできないとは。さすがに、無力感に打ちひしがれてしまう。


 礼を言ったはいいもののすっかり落ち込んでいる私に、シャルルは鮮やかな笑顔を向けてきた。


「俺は、お前の力になれて嬉しい。これからも、遠慮せずに頼ってくれ」


 最近、彼が時折見せるようになった、純粋な喜びだけをたたえた笑顔。


 彼がそんな顔をするのは、私に関することを話している時だけだ。他の話題の時は、彼はほとんど表情を変えない。


 それどころか、私が他の人を気に入ったり評価するようなことを言ったりすると、明らかに不機嫌になってしまうのだ。


 レイモンが訪ねてきた時に、どことなくシャルルの様子がおかしかった。その理由も、今にして思えばたぶんこれだったのだ。


 あの時、私がレイモンのことを兄だなんだと言っていたのが、シャルルの気に障ったのだろう。もっともそのシャルルも、最後にはレイモンを認めていたようだけれど。


 以前のシャルルとも、ましてやアイザックとも違う今のシャルル。そして私は、そんな彼の様々な表情が気になってしまっていた。


「どうした、考え事か? ……ところで、お前にはあれが聞こえているだろうか」


 私の顔をのぞき込んで、シャルルが小声でささやきかけてくる。彼が何のことを言っているのか分からなかったけれど、ひとまず耳を澄ませてみる。


 すぐに、妙な音が聞こえてきた。ひょうひょうという、風が鳴る音だ。


 さっきまでは盛大にやぶをかき分けて歩いていたから、あの音に気づかなかったのだろう。


「近くで、風が鳴っているみたいね。この先に、開けた場所でもあるのかしら? でも、あれだけ強い風が吹いていたら、この辺りの木々も少しくらい揺れそうな気がするのに……」


 小首をかしげる私に背を向けて、シャルルはまっすぐに行く先を見据える。


「ともかく、気をつけて進むぞ。俺のそばを離れるな」


「……守られっぱなしはちょっと……それは確かに、私は前世よりずっと弱いけれど……」


 そう小声で抗議すると、シャルルは肩越しに振り向いた。聞き分けの悪い子供をなだめるような、そんな笑顔だ。


「弱いのは俺も同じだ。だが、それでも俺のほうが頑丈だ。それに今の俺は、生きてお前のそばにいたいと思う。前世とは違って、な」


 そうやって、結局丸め込まれてしまった。彼の背中に張りつくようにして、ゆっくりと進む。


 アイザックの揺るぎない口調と、以前のシャルルの意外とちゃっかり自分の意志を押し通してしまうところが見事に合わさって、私の反論を見事に封じてしまっている。


 以前のシャルルでも、アイザックでもない新たな自分へと、彼は変わりつつある。


 そうしてある意味、とっても強くなった。うじうじと私が悩んでいた間に、何歩も先に進んでしまった。


 たぶんこれからも、私はシャルルに思う存分甘やかされてしまうんだろうな。別な意味で、覚悟を決めないといけないのかも。


 こっそりため息をついたら、目の前のシャルルの背中がかすかに揺れた気がした。




「……何、これ……」


「なるほど、嵐の魔女の住処にはふさわしいな。どうやら、無駄足にはならずに済んだ」


 また進み始めてそう立たないうちに、私たちは奇妙な場所にたどり着いていた。


 地図では、そこはただ一面の深い森となっている。しかしそこは、あまりにも普通とはかけ離れた場所だった。


 私たちの目の前には、やはり森が広がっている。しかしそこには、ものすごい風が吹き荒れていた。ひょうひょうという風の音は、ごうごうという荒々しいものに変わっている。


 不思議なことに、その風は木々を少しも揺らしてはいない。けれど間違いなく、そこには風が吹いていた。


 普通でないことは他にもあった。きらきらと赤く光る細かい砂のようなものが、風に交ざって飛びかっていたのだ。


 微動だにしない木々の間を、きらきら光る風が激しく吹き荒れる。それはひどく美しく、そしてぞっとするような恐ろしさをはらんだ光景だった。


「さて、おそらくテュエッラはこの先なのだろうが……この風、触れてもいいものか」


 シャルルは近くの小枝を拾い、慎重に赤い風に差し込んでいる。風に触れた部分が、右へ左へ、激しく揺れた。やがて、小枝が折れて吹き飛ばされていく。


 思わず身震いする私と、眉間にしわを寄せるシャルル。


「……間違いなく、触っちゃ駄目ね」


「そうだな。どこか、風の途切れている場所を探すしかなさそうだな……」


 と、話し合っている私たちの前で、いきなり風が左右に分かれた。


 風だけではない。なんと木々までがするりと滑るように動き、道を空けたのだ。後には、平坦な土の地面。


「ここを通れ……ということか。道の幅は十分だが……」


 難しい顔をして考えていたシャルルが、不意にかがみ込んだ。と、私を抱えて立ち上がる。


「一気に突破する。しっかりとつかまっていろ」


 あっという間に、私はシャルルに横抱きにされてしまっていた。


 彼の右手が私の肩を、彼の左手が私の膝の裏を支えている。この状態でつかまれって言われても、彼の首に腕を回すくらいしかできないのだけれど……。


 戸惑っていると、シャルルが走り出した。


 落ちないように、あわてて彼の首にしっかりと抱きつく。道の両側で荒れ狂っている赤い風に触れることのないよう、身を縮めて。


 新しくできた道は、あきれるほどまっすぐだった。両側から聞こえる激しい風の音におびえながら、ひたすらにシャルルにしがみつき続けた。


 一体どれだけの間、そうしていたのだろう。シャルルが不意に、足を止めた。


「……ディアーヌ。着いたようだぞ」


 そう言って彼は、私をそろそろと地面に下ろす。すっかり体がこわばってしまっていて少しよろめいたけれど、すぐにシャルルが支えてくれた。


 そうして、二人で周囲を見渡す。


 そこは木々も赤い風もない、ごくありふれた明るい庭園だった。


 様々な花が植わった花壇や、凝った装飾の噴水なんかもある。しっかりと人の手が入ったそこは、まるで貴族の庭園のようですらあった。


 さらにその広場の端のほうに、一軒の家……というより屋敷が建っていた。


 落ち着いていて趣味のいい、やはり貴族の別荘のような建物だ。こんな森の中にあるとは思えないほど真新しい。


 きっとあそこに、テュエッラがいるのだろう。そう考えて建物のほうに一歩踏み出したその時。


「うふふ、いらっしゃい。思ってたよりずっと早かったわあ」


 庭園の真ん中から、そんな声が聞こえてきた。まぎれもなく、テュエッラの声だった。


 さっきまではただの石畳だったそこに、テーブルと椅子がいつの間にか姿を現していた。ちょうどお茶会なんかに使うような、上品で繊細なものだ。


 テュエッラはその椅子の一つに腰かけて、こちらに向かって楽しそうに手を振っていた。

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