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22.全ては遥か昔のこと

 そうして次の日、私たちはまた北に向かって歩き出した。


 森が深くてどこを歩いているのか分からなくなってきたけれど、シャルルによればとても順調に進んでいるらしい。


 行けども行けども森ばかり。前を行くシャルルの背中が、ちょっと緊張している。


 前世のように敵と出くわす心配はないけれど、それでも獣が出てくる可能性はある。たぶん彼は、それを警戒しているのだろう。


 前世の彼、馬鹿馬鹿しいほど強いアイザックなら、獣くらいどうということもないだろうけど。


 そんなこんなで、普段から割と寡黙なシャルルがさらに黙りこくってしまっている。少し気まずくはあったけれど、彼の邪魔をするのも忍びなかった。


 ざく、ざく。そんな自分たちの足音だけを聞いていると、頭がぼんやりしてくる。今まで考えないようにしてきたことが、ぷかりと浮かび上がってきた。




 この旅に出る前、私たちはこの森について色々と調べていた。そうしたら、ある記述を見つけたのだった。


『三百年ほど前、この森には古城があった。この森で産出する木材や鉱石は、この古城に集められていた』


 地図に記されたこの森を最初に見た時、何かが引っ掛かった。何かが思い出せない、そんな気がしていた。


 けれどこの記述を見た時、その理由を全て思い出したのだ。


 その古城は、赤の国の重要拠点の一つだった。あの森は資源に富んでいるから、いつも他の国に狙われていた。


 だから前世の私も、幾度となくあの古城に足を運び、敵を迎撃していたのだ。


 いつもたくさんの人でにぎわった、活気にあふれた場所だった。けれどもう、あそこには誰もいないのだろう。


 そう考えたら、胸がぎゅっと苦しくなった。でもシャルルに気を遣わせたくなかったから、そのことは黙っておくことにした。


 けれどたぶん、彼は私の表情でうっすら察していたのだろうなとは思う。何も言わないでいてくれたのが、ありがたかった。


 ともかく、私はあの古城についての思いを胸の奥に押し込めて、何事もなかったかのような顔でこの森に向かう準備を進めていた。


 今回の目的地は古城ではない。森の奥にいるはずのテュエッラなのだから。そう自分に言い聞かせて。




 そんなことを思い出しながら、周囲の森に目をやる。


 昨日歩いた辺りよりもさらに木々がみっしりと茂っていて、少し先すらろくに見えない。気が重くなるような閉塞感に満ちた場所だ。


 私がローラだった頃、この森はここまでうっそうとしてはいなかった。


 定期的に木々が切り倒され、木材として運び出されていた。だからここはもっと明るくて、いい風が吹く森だった。


 それに、もっとちゃんとした道があった。四頭引きの大きな馬車だって通れるくらいの大きなものから、木こりたちや鉱夫たちが移動に使う細い道まで、たくさんの道が。


 それらの道は、今歩いている道のように木々に埋もれかけてはいなかった。


「……やっぱり、すっかり変わってしまっているわね……」


 シャルルに聞こえないように、口の中でつぶやく。


 こうして深い森の中を歩いている限りは、当時のことを思い出して苦しくなるようなこともないだろう。


 そのことにほっとしていたその時、突然目の前が開けた。


「ディアーヌ、他の道を探すぞ」


 どことなく焦ったような声で、シャルルが来た道を戻ろうとする。


 けれど私は、動けなかった。彼の向こうにあるものに、目が吸い寄せられてしまって。


 私の目の前には、明るい草原が広がっていた。その真ん中に、何かが大きな山を作っている。


 それは、がれきの山だった。かつて建物だった、その名残。すっかり崩れて元の形は残っていないけれど、ちょっと変わったその石には見覚えがあった。


 シャルルを押しのけるようにして、ふらふらと進み出る。そのまま、がれきの山に歩み寄った。やっぱりだ。ここは、あの古城だった場所だ。


 がれきの前に、ぺたんと座り込む。すぐ隣からシャルルの声がするけれど、そちらを向く余裕すらなかった。


「……私、頑張って守ったのよ。この古城は、あちこちの国から狙われていたから」


 自分の口から、そんな言葉が勝手にあふれ出る。奇妙に冷えた心で、自分の声をぼんやりと聞いていた。


「あんなに、頑張ったのに……もう、何も残ってない。ただの、岩の塊だけ」


 私の声は、震えている。


「愛した赤の国も、憎んだ青の国も、もう存在しない……」


 自分の言葉に、胸がぎりりと痛む。


「私たちの戦いも、流した血も苦しみも、何もかも意味がなかったんだわ……」


「意味ならあった」


 シャルルの力強い声に、はっと我に返る。彼は私の隣にひざまずき、まっすぐに私を見つめていた。


「俺はあの戦場で、お前と出会った。恋という感情を、生まれて初めて知った。俺にとっては、十分すぎるくらいに意味がある」


「……でも、それだけだわ……」


「それで十分だ。お前が戦場に出てきていなかったら、俺はただの戦う人形のままだった。誰かに焦がれ、誰かを求めることなどなかった」


 さらに熱心に語る彼の声に、気づけば涙がこぼれていた。


 ああ、アイザックの前で泣くなんて、私も弱くなったものだ。かすみがかかった頭で、そんなことを考える。


 気づけば、私はシャルルの胸にすがってわんわんと泣いていた。頭をなでてくれている彼の手に、不思議なくらいほっとするものを感じながら。




 その日は、そのがれきのそばで休むことになった。


 もう夕暮れが近くなっていたし、おまけにぱらぱらと雨まで降り出した。なので残っている壁と壁の間に持ってきていた革を渡して、屋根の代わりにしたのだ。


 シャルルはやはり手際よく火を起こして、昨日の残りのイノシシ肉を焼いている。そんな彼をぼんやりと眺めながら、心に浮かぶことをつぶやいていく。


「……私ね、前世でも貴族だったの。兄の剣術の稽古に付き合ったのがきっかけで、剣を覚えたのよ。そうしたらあっという間に、剣術の先生と互角に戦えるようになってしまった」


 もう遥か遠い昔の、私が少女だった頃の思い出。今の、ディアーヌのものとはまるで違う記憶。


「私は強かった。だから、祖国を守るために戦いたいと思った。騎士になろうと思ったの。もちろん、両親は猛反対したわ」


 あの時の両親の顔も、はっきりと覚えている。結局私は両親よりも先に死んでしまったんだなあと、今さら申し訳なく思えてしまった。


「結局、親の目を盗んで騎士の登用試験を受けた。そのせいで家を追い出されたけれど、後悔はしていないの」


 それは本心だ。少なくとも私は、騎士となり、そして騎士団長となったことについては後悔していない。


「辛い訓練も、血なまぐさい戦場も、祖国のためだと思えば頑張れた。でも……もう、全部終わったことね」


「俺たちが覚えている。終わったことだが、全て無くなった訳ではない」


 シャルルはやはり、力強く断言している。その堂々とした態度が、今はとてもありがたかった。


 彼の声を聞いていると、ほんの少しだけ気持ちが前向きになるような気がするのだ。


 そうしていたら、ふと思いついた。突拍子もない、でも面白そうなことを。


「そうね。……この件が片付いて時間ができたら、本でも書いてみようかしら。赤の国について、私が覚えていることを丸ごと形に残すの」


 赤の国については、あまり資料が残っていない。元々、あまり大きな国でもなかったというのもある。


 それに赤の国は、この大陸にわき起こった戦乱の渦にあっさりと飲み込まれて消えてしまった、あぶくのようにはかない国だったから。


 きっと、今この地上で赤の国について一番詳しいのは私だ。だったらこの記憶だけでも、形にして残しておきたい。


 その本を読んで、未来の誰かが赤の国に興味を持ってくれたら嬉しい。


 そしていつか、この古城跡を訪ねてくれたらいいな。在りし日の姿を思い浮かべて、昔に思いをはせてもらえたらいいな。


 そんなことを考えていたら、自然と気持ちが軽くなっていた。くすりと笑って、言葉を付け加える。


「その本には、あなたのことも書いておくわね。とっても強くて、とんでもなく恐ろしい宿敵が青の国にいた、って。本を読んだ人が震え上がるように」


「ならば、もう一言書いておいてくれ。『その戦鬼は、赤の国の麗しき騎士団長に恋をした』と」


「……さすがにちょっと、それは恥ずかしいわ……」


「ならば、俺も本を書くべきか。俺は将軍だったから、青の国の内情、貴族たちの権力闘争についてなら嫌というほど知っているぞ。それにもちろん、戦場についても」


「……恐ろしい本になりそうね。権力闘争と、戦場って……」


「だから、最後にお前との出会いを書く。悲惨なこの本の、唯一の救いだ」


 そんなことを話しているうちに、夕食の準備が整った。私は何もしていないけれど。


 昨日と同じでは味気なかろうと、シャルルは干し果実を煮込んだソースも用意してくれていた。そんな気遣いが、とても嬉しい。


 なんだか胸がいっぱいになってしまって、無言のままお肉を食べ進めた。シャルルは何も言わずに、私のそばに寄り添ってくれていた。

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