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20.森の奥を目指して

 それから数日後、私たちは馬車に乗って屋敷を発っていた。執事を一人と、メイドを二人連れて。


 テュエッラは「二人だけで来い」と言っていたけれど、最寄りの町までなら従者がいても別に構わないだろう。たぶん。


 彼女のあの言葉は、人里離れた森の奥にある彼女の住処に、余計な人間を連れてくるなという意味なのだと思う。私とシャルルは、そう考えていた。


 もし駄目なら、きっとテュエッラがまた何かちょっかいをかけてくる、そんな気もしたし。


 ひたすらに馬車を急がせて、どんどん北に向かって進んでいく。


 あれからさらに歴史書やら何やらを調べ続けて、テュエッラの居場所は北の森の奥で間違いないだろうという確信を得ることはできた。


 けれど、それでもし違っていたら。そうなったら今度こそ、完全に行き詰まってしまう。


 未来の危機におびえながら、どこにいるか分からないテュエッラを探し続ける。それは、途方もないことのように思えてならなかった。


 どうか、彼女がいますように。祈るような気持ちで、馬車に揺られていた。


 そしてあっけに取られるほど順調に、私たちは森のすぐそばの町にたどり着いていた。


 その町で、いったん身なりを替える。ここまでは一応貴族らしいなりで旅をしていたけれど、ここからは見た目ではなく実用性を重視しなくてはならない。


 まずは、二人とも乗馬服に着替える。私は腰にあの銀の剣を提げ、シャルルは杖を手にした。


 そうして、必要な荷物を詰め込んだ丈夫なカバンを背負った。カバンというより、革袋といったほうが近い。


 中身はもちろん、シャルルに教えられた野宿の道具の数々だ。毛布に油紙、防寒具と甘栗、火打石に方位磁石に地図、それに革の水筒と保存のきく食料、様々な薬、などなど。


「では、行ってくる」


「じきに戻るから、それまで待っていてちょうだいね」


 そうして私たちは、心配そうな執事とメイドたちを町の宿に残し、二人で町の北の出口へと向かっていた。


 町を囲む防壁に空いた門をくぐると、すぐ目の前に森が迫っていた。ぎっしりと木々が生い茂っていて、少し先ですら見通せない。


「……とにかく北へ向かえばいいはずなんだけど……力ずくでやぶに突っ込むしかないの……?」


 目の前の光景に呆然としていると、シャルルが数歩離れたところから私を呼んだ。


「ディアーヌ、こちらだ。道がある」


 彼の隣に立ち、彼が指すほうを見る。確かに、そこには道のようなものがある……ような気がした。


 辺り一帯を埋め尽くしている茂みが、そこだけわずかに途切れているのだ。


「……ここなら通れる。だが、道を外れると危険だ。俺が案内する。すまないが、手を」


 そう言うと彼は、恐る恐る私の手を取った。一瞬びくりとしてしまい、あわてて平静を装う。


 どうしても、彼に触れられると戸惑ってしまう。いい加減に慣れないと、そう思うのだけれど。


「え、ええ。お願いするわ」


 そして私たちは無言で、ゆっくりと森の中に分け入っていった。




 私の手をしっかりと握ったまま、シャルルは迷わず進んでいく。周囲の茂みを体で押しのけるようにして。


「こんな道、よく見つけたわね。思っていたよりずっと歩きやすいわ。森の中の道って、慣れたら見て分かるものなの?」


 そう言うと、シャルルは前を向いたままふふんと鼻を鳴らした。ちょっと嬉しいらしい。


「森の奥はともかく、森の外周部ならそれなりに人が出入りする。それに伴い、自然と道ができる。俺は事前に人をやって、狩人や木こりから情報を集めていた」


 なるほどと思いながらも、浮かんできた疑問を口にする。


「……その準備も、前世での経験に基づくもの?」


「ああ」


 うっそうとした森の中に、わずかにある細い道。そこにあると知らなければ、気づくことなんてなかっただろう。


 アイザックの記憶に、また助けられてしまった。複雑だけれど、今の彼がとても頼りになるのも事実だ。


 つながれた手は、大きくて温かい。私の手を包み込むようにして、しっかり捕まえている。その力強さに、戸惑いがさらに増していく。


 以前のシャルルは、宝物を扱うかのように優しく、慎重に私の手を取っていた。彼にエスコートされていると、まるで自分が姫君になったかのような気分になれたものだ。


 やっぱり、違うんだ。以前のシャルルと、今のシャルル。その違いにも、もう慣れたと思っていた。けれどやはり、ふとした折に無性に寂しくなってしまう。


「……速くはないか」


 一人こっそりと物思いにふけっていたら、前からシャルルの声がした。


「大丈夫よ。こんなところを歩くのは初めてだから、ちょっと勝手が違って歩きにくいけれど」


「そうか。……だが、見ての通りの悪路だ。辛くなったらすぐに言え。お前はローラほど鍛えられてはいない。急ぎの旅ではあるが、体を壊しては元も子もない」


 前世の私なら、もっと機敏に動けた。森の中を歩いたことこそないけれど、脚力も体力も、今の私とはまるで違う。


 以前よりずっと強引なシャルル、以前と同じように私の身を案じてくれるシャルル。


 ローラよりもずっと体力のない今の私、でもローラと同じように森の中を歩いたことのない私。


 色々なものが変わってしまったけれど、変わっていないものもある。さっきの寂しさが薄れていくのを感じながら、せっせと足を動かし続けた。




「今日はこの辺りで休もう。ほぼ予定通りに着けた」


 突然そう言って、シャルルが足を止めた。そのまま、一歩横に踏み出す。目の前が一気に開けた。


 そこは、小さな草地だった。森の中とはまるで違う風景に、思わず目を見張る。


 地面には丈の低い草が広がっていて、頭の上には空が見えている。明るい空の色に、ほっとした。


 そして草地の中央には、大きな木が一本だけ生えていた。その近くに、石を積み上げたかまどのようなものがある。


「ここは狩人たちの野営地だ。暗くなる前に、火をおこしておく」


 シャルルは手慣れた動きで、かまどに小枝を並べていった。彼が道中せっせと拾い集めていたものだ。


 ちなみに私も拾おうかと言ったのだけれど、転んだら大変だと言って拒否された。


 でも、彼が作業しているのをただ見ているだけというのも面白くない。少なくともこの草地なら、転ぶ心配はしなくていいのだし。


「ねえ、私にも手伝えることはあるかしら?」


「下がっていろ。俺一人で火はおこせる。火傷でもしたら大変だ」


 けれどシャルルは真剣な顔をして、取りつく島もなかった。野宿の準備、ちょっと興味があったのだけれど。


「……なんだかあなた、以前の過保護っぷりが戻ってきていない?」


 ふてくされ気味に問いかけたら、彼は手を止めることなく即答した。


「当然だろう。俺はお前を守りたい。ローラとは、戦うことしかできなかった。その分も、お前のことは大切にしたい」


「それは分かったけど……でも、あなたに任せきりというのも……」


 私は彼の助けになりたいと思っているのか、それともこれ以上彼に借りを作りたくないと思っているのか。あるいは、生まれて初めての野宿にちょっぴり浮き立ってしまっているのか。


 それらのうち、どの思いが強いのかは分からない。でも、このままただじっと待っているだけは嫌だ。それだけは確かだった。


 だからもう一度、食い下がってみる。野宿でどんなことをするのかは一応聞いているし、指示をもらえれば動ける、と思う。自信はないけれど。


 シャルルは初めて手を止めて、こちらを見た。その凛々しい顔に、ふっと柔らかな笑みが浮かぶ。


「ならば、そちらの袋の中身を日なたに広げて干してくれ」


 彼は、草地の中央にある木の根元を見ていた。正確には、その陰に置かれた大きな袋を。


 あれは何だろうと思いながら、その袋に歩み寄る。一抱えもあるその袋は、驚くほど軽かった。


「ええっと、これ?」


 袋を抱えて日なたに向かい、そこで袋を開けてみる。中に入っていたのは、たくさんの麦わらだった。


 ひとまず言われた通りに草地に広げながら、シャルルに呼びかける。


「ねえ、こんなものをどうするの? どう見ても、ただのわらだけれど……」


「わらは、地面からの冷気を防いでくれる。その上に布を敷いて寝床にすれば、より快適に夜を過ごせる」


 その言葉に、手にしたわらをまじまじと見る。こんなものが、そんな風に役に立つのか。


「狩人たちが、この草地に定期的に運び入れているものらしい。使う前に干しておく必要があるが」


「そういうことだったの……野宿の知恵って、本当に奥が深いのね」


「だがこういった野営地があるのは、森の周辺部だけだ。森の奥には化け物が出るといって、地元の狩人たちは絶対に奥には立ち入らないらしい」


「化け物……テュエッラのことかしら。合っているような気もするわ」


「俺もそう思う。ともかく、今後さらに道のりは過酷になっていく。今は少しでも快適に過ごし、体力を温存するべきだ」


 そう言い切ったシャルルが、ふと何かを思い出したような顔になった。目の前で赤々と燃えている火を見つめながら。


「……少し、行ってくる。焚火の火を絶やさず、このそばにいろ」


 突然そんなことを言って、彼はあっという間に森の中に消えていってしまった。

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