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19.悔しいけれど、私の負け

「どうした、ディアーヌ」


 荷造りをするためにそれぞれの部屋に戻ってから少し後、私はシャルルの部屋を訪ねていた。


 ぐっと唇を噛みしめ、うつむきながら。体の両側に垂らした両手を、ぎゅっと握りしめて。


「その……荷造りは順調?」


「ああ。だが、数日は野宿する必要があるからな。必要なものも多い。足りないものは後で、執事にそろえさせる」


 何事もないふりを装って尋ねると、力強い言葉が返ってきた。その返事に、さらに眉間に力が入ってしまう。


「おそらく明日中には、旅立ちの準備が整う。最短で、明後日には発てる」


 私が難しい表情になっているのに気づいたのか、シャルルがほんの少し目を見張った。


 何か問いたげな顔で言葉を探しているらしい彼に、重ねて問いかける。


「ねえ、一応参考までに聞いておきたいのだけれど……あなたは、野宿に必要な装備をどうやって決めたの? というか、何が必要なのかをどうやって知ったの?」


「経験がある。前世で」


 確かに、前世の彼は元孤児で、兵士からどんどん出世して将軍にまで上り詰めた身だ。だったらその途中で、野宿を経験することもあっただろう。


「まだ一兵卒だった頃は、何日も野宿しながら進軍することも少なくなかった。それも、ろくな装備などない状態で」


「そうだったの。想像もつかないわ」


 小首をかしげて続きをうながすと、シャルルは困ったように目を伏せた。


「……すまない。それ以上は語れない。……その行軍は、お前の祖国だった赤の国を攻めるためのものだった。お前を不快にさせるかもしれない記憶を、これ以上口にしたくない」


「え、ええ。分かったわ」


 思いもかけない気遣いの言葉に、どうにかこうにかそんな言葉だけを返した。


 彼が前世の自分について語ってから、前世の自分が抱いていた思いについて語ってから、彼の態度は急激に変わっていた。


 前世の記憶が戻ってからのどっしりと落ち着いた態度はそのままに、さらに優しさや思いやりのようなものを見せるようになっていたのだ。表情も豊かになってきた。


 記憶を取り戻す以前のシャルルとはやはり違っているけれど、今の彼は……認めるのが悔しくはあるけれど、それなりに魅力的な人物のように思えた。


 と、そんなことを考えている場合ではない。私がここに来た理由は、別にある。


 そっと彼から視線をそらし、考えをまとめる。


 旅の荷造りについて、シャルルのほうは問題がないようだった。なんとなくそんな気はしていたけれど。


 しかし私のほうは、大いに問題があった。


 前世の私は貴族の娘として生まれて騎士の道を選び、そして騎士団長になった身。


 戦うのは、赤の国を守るためだけ。何日もかけて敵陣に攻め入ったことなんてない。


 当然ながら、私は野宿の仕方なんて知らない。さっき荷造りに取り掛かって、ようやくそのことに思い当たったのだ。


 そうして困り果てた私は、悩みに悩んだ末シャルルのもとを訪ねたのだった。


「…………教えて」


 絞り出すような私の声に、今度はシャルルが小首をかしげる。


「何をだ?」


「……野宿の仕方と、必要なもの」


 アイザックの面影を残した彼にもようやく慣れてきたし、親しみのようなものも覚えてはいる。普通に世間話をするくらいなら、もう大丈夫だ。


 でもやっぱり、彼に教えを乞うのは少しばかり悔しかった。


 まさか使用人たちにこんなことを聞く訳にはいかないし、友人たちもこんなことを知りはしないだろう。だから、彼以外には聞けない。それが分かっていても。


 アイザックと散々刃を交わし、いつかは彼に勝つのだと息巻いていた記憶は、あの時の思いは、さすがにそう簡単には消えてくれない。


 複雑な思いに、視線をそらしながら返事を待つ。……あれ、シャルルが何も言わない。


 どうしたのかな、と思いながらそろそろと目線を上げる。


 すると、感極まったような表情で立ち尽くしているシャルルが見えた。頬を赤らめて、うっとりとした目をして。な、何、この表情は。


 そうして彼は、かすかに震える声でつぶやいた。


「……ディアーヌが、俺を頼ってくれた……」


「し、仕方ないじゃない! 無事にテュエッラのところにたどり着かないといけないんだし、私は野宿なんてしたことがないし! 準備は大切だって、あなたにも分かるでしょう!」


 彼の大げさな反応に恥ずかしくなって、つっけんどんに言い返す。けれどシャルルは相変わらず夢見るような目をして、あらぬ方を見つめていた。


「それでも、お前が俺に頼み事をしてくれたのが嬉しい。……ローラなら、死んでもアイザックに頼み事などしなかっただろうから」


 どうやらシャルルも、私がつんけんしている理由は分かっているらしい。


 私の前世の記憶をうかつに刺激しないように気を遣ってくれる彼だけれど、今はそれよりも喜びが勝ってしまっているらしい。


 この感動しがちなところは、以前の柔和なシャルルと同じだ。そんなことに気づいて、少し胸が温かくなる。


「ありがとう、ディアーヌ。お前のその勇気を、無駄にはしない。俺は全身全霊をもって、お前に応えよう」


 いつもよりも熱っぽいシャルルの言葉は、何だか妙な方向に走ってしまっていた。


「ちょっと、そんな大したことじゃないから! 少し聞きたいだけだから!」


 懸命に引き戻そうとした私の声は、ほんのちょっぴり裏返ってしまっていた。




 それからシャルルは、それはもう丁寧に教えてくれた。野宿で必要になるもの、注意すべきこと、その他もろもろについて。


 今まで聞いたこともない事柄ばかりが次々と飛び出てきて大いに戸惑うはめになったけれど、何となくの雰囲気だけはつかめた……気がする。実感は全くわいていない。


 ともかく、これでようやく荷造りが再開できる。ひとまず、目的は果たせた。


 シャルルは「お前は概要だけ知っていれば十分だ。足りないところは俺が補う」と堂々と言い切っていた。私に頼られたのが、よほど嬉しかったらしい。


 私たちは遊びにいくのではなく、未来の危機についてテュエッラを問いただすために、彼女に会いにいくのだ。


 しかしシャルルときたら、そのことを忘れてしまったのだろうかと疑いたくなるような、そんな浮かれようだった。彼はあれでかなり真面目だから、忘れてはいないと思うけれど。


 そんな疑問を抱きつつ、いったんシャルルと別れる。自分の分の荷造りに取り掛かっているうちに夜になったので、またシャルルと合流して一緒に夕食をとる。


 それからまた自室に戻ってきた。あとはもう、身支度を済ませて眠るだけだ。荷造りの残りは明日すればいい。


 どうにかシャルルと分かり合えた今でも、寝室は別のままだ。正直、私の心のどこかが、まだ彼を受け入れ切れていない。


 今のシャルルのことは嫌いではないけれど、それでもこればかりは、どうしようもなかった。多分時間が解決してくれるだろうから、おとなしくそれを待とうと思っている。


 寝間着に着替えて、寝台に腰掛ける。大きく伸びをして、ふうと大きく息を吐いた。ずっと頭を使っていたから、さすがに疲れた。


「ディアーヌ、少しいいか」


 ぼんやりしていたら、シャルルが部屋を訪ねてきた。彼もまた寝間着で、なぜか大きな毛布と、それに毛皮を手にしていた。


「どうしたの、こんな時間に。もう寝ようと思っていたところなのだけど」


「来てくれ。さほど時間は取らせない。そのままのなりで構わない」


 どうやら彼は、今はそれ以上話すつもりはなさそうだった。何をするのだろうと思いつつ、彼の後に続いて部屋を出る。


 彼に連れていかれたのは、夜の中庭だった。ひんやりとした夜の冷気に、思わず身震いして自分で自分を抱きしめる。


「ディアーヌ、こちらだ」


 シャルルはなぜか、中庭で一番大きな木の下に向かっていた。毛皮を広げて、木の根元の地面に敷いている。


「ここで、何をするの?」


 彼はその問いに答えることなく、私の手を引いて毛皮の上に座らせた。薄い寝間着越しに毛皮がもそもそして、ちょっとくすぐったい。


 シャルルは私の隣に腰を下ろし、それから私たち二人をまとめて毛布で包み込んだ。


「……野宿の、予行演習だ。……ディアーヌ、俺が近くにいても大丈夫だろうか」


「え、ええ、大丈夫。でもそれなら、別々の毛布にくるまればいいんじゃないかしら」


「緊急事態など、こうやって一枚の毛布に二人でくるまることも珍しくはないからな。……いざ野宿となってから、お前が俺を拒んだら大変だ。だから、事前に試しておきたかった」


「そうなの。……あなたは、本当に気がよく回るのね。私の知らないことを、たくさん知っていて……悔しいけれど、私の負けね」


 最後のほうは声を出さずに、唇だけでつぶやいた。だから聞こえたはずもないのに、シャルルははにかんだように微笑んでいた。


 それからしばらく、二人で並んで座っていた。木の枝葉の向こうに、無数の星がきらきらと輝いている。隣からは、シャルルの温もりが伝わってきていた。


 きっと本物の野宿は、もっと大変なものになるのだろう。でも彼と一緒なら、きっと乗り越えられる。


 そんなことを思いながら、ただ静かに空を見上げていた。

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