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17.黒衣の魔女は嵐を呼ぶ

 それは、アデールの嵐のような来訪から、そう経たないある日のことだった。


「こんにちわあ、シャルル、ディアーヌ。それともお、アイザックとローラって呼んだほうがいいかしらねえ?」


 謎の人影が、いきなり窓を開けて入ってきた。それも、三階の窓から。


 その登場の仕方と言い放った内容に驚いてしまって、とっさに何も言えない。そんな私を、シャルルが素早く背後にかばう。


「うっふふ、あたくしに驚いてるのお? それはそうよね。こんなところから客が来るなんて、普通は思わないものねえ」


 そこにいたのは若くて美しい、妖艶な女性だった。しなを作った色っぽい姿勢で、窓枠に優雅に腰かけている。


 腰まであるたっぷりした黒髪をゆすって、彼女が笑う。やけにぴったりと体に張りついた黒い服は、その下の肢体のみずみずしさを引き立てていた。


 間違いなく、彼女は私の知り合いではない。


 いやそれ以前に、彼女はさっき何と言っていた? アイザック。ローラ。どうして彼女がその名前を知っているのか。


「……誰だ、お前は」


 シャルルが不機嫌そのものの顔で、杖を美女に向けていた。護身用に作らせたもので、それこそ舞踏会にでも持っていけそうなくらいに凝った装飾がしてある。


 けれど美女は少しも動揺することなく、あでやかに言い放った。


「あたくしはテュエッラ。嵐の魔女、なんて呼ぶ人もいるわよお」


「嵐の……魔女……?」


 呆然としている私を見て、テュエッラはくすくすと笑っている。


「かつて殺し合った、宿敵のあなたたち。その二人が夫婦になるなんて、さぞかし苦しかったでしょうねえ。でも意外だわあ、離縁か、修道院に逃げ込むか、そんな感じになると思っていたのだけれどお?」


「お前は、どうして俺たちの事情を知っている」


 シャルルの顔がさらに険しくなる。ぶつけられた殺気に少しもひるむことなく、テュエッラは血のように赤い目をきゅっと細めた。


「だあってえ、あなたたちのこの状況を作り出したのは、あたくしなんですもの」


 目の前の女性が、この状況を、作った? 理解を超える言葉に、頭が真っ白になる。


 そうしてテュエッラは、どことなく得意げに語り出した。


 彼女は様々なものを対価として、人々の願いを気まぐれにかなえる魔女だ。


 昔々、そんな彼女のもとに二つの依頼が舞い込んだ。アイザックを不幸にしてください。ローラが幸せになれませんように。そんな依頼だった。


「どうして、そんな……」


「俺たちは殺しすぎた。どこかで恨みを買っていても仕方がない。だが、わざわざ魔女に頼むとはな」


 身構えたままのシャルルが、いら立たしげにつぶやく。


「直接こちらに恨み言をぶつけてくるのであれば、まだ聞いてやらなくもなかったが」


 その言葉に、テュエッラが感心したような声を上げた。


「自分でやれっていうその意見、分かるわあ。でもね、あたくしがその依頼を受けてすぐに、アイザックとローラは死んでしまったの。あの時はほんと、驚いたもの」


 まるで世間話でもしているかのような気軽な口調で、彼女は前世の私たちの死について語る。その軽さに、ぞっとした。


「でもここであきらめたら、嵐の魔女の名折れじゃない? だからあたくしは、二人が転生するのを待つことにした。転生してから苦しめばいいわよねって、そう思ったのお」


 彼女の話は、どんどん訳が分からなくなっていく。転生してから? つまり、それが今なの?


「あたくしにはたっぷり時間があるのだし、依頼人たちも別に期限を定めてはいなかったし」


 呆然とする私の隣で、シャルルがいつも通りの口調で答える。


「あいにく、お前の思惑は外れた。俺は、今とても幸せだ」


「わ、私も……その、幸せだと思う……」


 こんなことを白状するのは、恥ずかしかった。


 でも今はそれ以上に、テュエッラに好き勝手言わせておきたくなかった。彼女の思惑は外れたのだと、そう思い知らせてやりたかった。


 そして案の定、私たちの答えを聞いたテュエッラはあからさまに不機嫌な顔になった。


「やっぱりねえ。使い魔が送ってきた映像を見て、嫌な予感がしてたんだけどお。あたくしが依頼をここまでしくじるなんて、初めてだわあ」


 ひとしきり嘆いた後、テュエッラはにやりと笑う。なんだろう、あの笑みは。


「こうなったら、改めて苦しめる方法を探すとか……ちょっとシャルル、武器を下ろしてちょうだいな。あたくし、確かに長い時を生きているけど、怪我をしたら普通に死ぬのよお」


 さらに物騒なことを言いだしたテュエッラの首元に、シャルルが杖を突き付けていた。


 テュエッラがまずいものでものみ込んだかのような表情になって、それから声を張り上げる。


「ああもう、分かったわよ。あなたたちにもチャンスをあげるわ。あたくしの罠を乗り越えて、勝手に仲良くなってしまっている、その強さ……というか、したたかさ? に免じて」


 さて、これは本当にチャンスなのだろうか。それとも罠なのだろうか。警戒する私たちに、テュエッラがにっこりと笑いかける。


「あたくしの家までいらっしゃい。二人だけで。そうすれば、もっと詳しい話をしてあげる。昔々何があったのか、あたくしが何をしたのかについて」


「不要だ。俺たちは幸せに生きていく。お前の存在はただの邪魔だ」


 取りつく島もない、というより今にも噛みつきそうなシャルルの態度にもめげず、テュエッラはさらに続ける。


「冷たいわねえ。でもあたくし、あなたたちにこれから降りかかる不幸についても教えてあげられるのだけどお?」


「それもお前の小細工か。今すぐ止めろ」


「無理なのよお。だって、その不幸はあたくしがもたらすものではないんですもの。もっと別の、他の人がね……あらいけない、喋りすぎたわ。これ以上は内緒。今はね」


 くすりと笑って、彼女は満足げに言った。


「うっふふ、来たくなったでしょう? それじゃあ、森で楽しみに待っているわね。恐ろしいほど強い縁で結ばれてしまった、可愛いお二人さん」


 言うだけ言って、テュエッラはいきなり消えた。私とシャルルの目の前で、跡形もなく。




 私とシャルルは、そのまましばらく呆然としていた。さっきまでテュエッラが腰かけていた窓枠から、距離を取ったまま。


「……今のって、白昼夢……とかじゃないわよね」


「おそらく。ひとまず、『嵐の魔女』について調べてみよう。言いなりになるのはしゃくだが、あいつを無視する訳にもいかない。……今の幸せを、手放したくない」


 テュエッラが現れてからずっと不機嫌だったシャルルが、ひどく悲しげにつぶやいた。そのサファイアの目は、泣き出しそうに揺れている。


 ためらってためらって、手を伸ばす。かすかに震えている彼のこぶしに、そっと触れた。


「……大丈夫よ、シャルル。今はあの魔女の居場所を突き止めて、そこに向かえばいいの。未来の危機がどうとか、それについての対策とか、そういったことは後で考えましょう」


「……ディアーヌ」


 シャルルが目を真ん丸にして、私を見た。小さな子供のような表情だ。


「……お前のほうから、触れてくれるとは思わなかった」


「し、仕方ないでしょう? あなたがあまりにも苦しそうな顔をしてるんだもの。その……励ましたいって思うのは、当然よね。私、一応……あなたの妻なんだし」


 言っているうちにどんどん恥ずかしくなってきて、彼から視線をそらしてうつむく。最後のほうはもごもごと口の中だけでつぶやいた。


 けれど私のそんな言葉を、シャルルはしっかりと聞いていたようだった。


「ありがとう」


 優しい声に驚いて顔を上げると、シャルルがにっこりと笑っていた。幸せそのものといった、あどけない顔で。


 彼はそのまま、私を見つめていた。私は驚いてしまって、彼を見つめることしかできなかった。


 アイザックとも、以前のシャルルとも違う彼の一面に、惹かれるものを感じずにはいられなかった。

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