15.もう一人の来訪者
「やあ、お二人さん。今日は素敵な若夫婦の麗しい姿を眺めにきたよ」
そんな珍妙な言葉と共に二人の屋敷を訪ねてきたのは、人懐っこい笑顔の青年だった。
「レイモン、どうしたの?」
出迎えたディアーヌが、嬉しそうに笑っている。その隣のシャルルはいつものように落ち着き払っているようにも見えたが、その青い目はじっとレイモンに向けられていた。
「ちょうど、この近くに用事があってね。そのついでに、君たちの様子を見ておきたいと思ったんだ。忙しいなら、すぐに帰るよ」
「大丈夫よ。レイモンさえよければ、少し寄っていって。シャルルも、構わないでしょう?」
「……ああ」
言葉とは裏腹に、シャルルの目は冷たく冷え切っていたが、はしゃいでいるディアーヌは気づかない。
レイモンはその視線に気づいたようだったが、なんと彼はディアーヌに見つからないようにして、こっそりとシャルルにウインクをしてみせた。
予想外の反応に面食らうシャルルと、愉快そうに笑うレイモンのそれぞれの腕を取って、ディアーヌは二人を奥へと誘っていった。
「雨の音を聞きながら、温かい酒をゆっくりと飲む……いいものだね」
今日は雨で、おまけに少々冷え込んでいた。そんなこともあって、三人は居間でお喋りすることにしたのだ。スパイスを加えて湯で割った酒を飲みながら。
和やかでくつろいだ、穏やかな時間。先日のアデールの来訪とはまるで違うそんな空気に、ディアーヌはちょっと浮かれてしまっているようだった。
「久しぶりに、レイモンとゆっくり話したいと思っていたの。前のパーティーの時は、みんな大騒ぎでそれどころじゃなかったから」
「……お前は、彼と特に親しいのだろうか。お前の友人なのだとしか聞いていないが、それにしては……」
そんなディアーヌに、シャルルが低い声で静かに尋ねる。ディアーヌとレイモン、その二人の関係がどうにも気になって仕方がないようだった。
「僕は、ディアーヌの兄のようなものなんだ」
その問いに、すかさずレイモンが答える。人好きのする軽やかな笑みを浮かべたまま。
「僕たちは幼馴染でね。うまが合ったというのか、気づけば僕たちは兄妹のような関係になっていたんだ」
「兄妹……」
その言葉に、シャルルの肩からほんの少しだけ力が抜ける。けれど彼の青い目は、なおも油断なくレイモンの様子をうかがっていた。
ディアーヌは、男女の心の機微にはあまり詳しくない。
そんな彼女には分かっていなかったが、要するにシャルルは疑っていたのだ。ディアーヌとレイモンとの間に、多少なりとも恋心のようなものがあったのではないか、と。
そしてレイモンはディアーヌとは違い、シャルルのそんな疑惑をきちんと見抜いていた。
「そうさ。僕には血のつながった妹がいるけれど、ディアーヌも同じくらいに大切な、妹なんだよ」
いもうと。その言葉を、レイモンはことさらに強調していた。
「それにこないだのパーティー、あれは僕が発案したんだ。みんなでディアーヌとシャルルを盛大に祝ってやろうって」
「レイモンは、昔から他の人たちをまとめるのがうまいの。みんなに頼りにされていて……もちろん私も頼りにしてた」
ようやく警戒を解きつつあったシャルルの眉間に、またぐっとしわが寄る。真実ではあるがタイミングの悪いディアーヌの発言に、レイモンがこっそりと苦笑していた。
「ともかく、そうやって開いたあのパーティー。そこでの君の発言は今でも忘れられないよ、シャルル」
「発言……ああ、あれか。あれは素直な思いを、そのまま口にしただけだが」
「でも君は、ディアーヌを大切に思い、そして守るために変わってみせた。あの時の態度、あの言葉、僕は感動したよ」
そう言って、レイモンは目を細める。シャルルの顔に、初めて薄く笑みが浮かんだ。
「そうか。俺はもっと強くなりたい。いや、強くならねばならない。ディアーヌを守り、幸せにするためには」
きっぱりと言ったシャルルが、ふと言葉に詰まる。
「……だがその前に、アデールを退けなければならないが……まったく、面会拒否できないのが忌々しい」
「彼女はねえ。うん、仕方がないよ。……彼女のアルロー家は、僕のブレーズ家や君たちのカリソン家、それにディアーヌの実家であるメルヴェイユ家より、格も立場も上だからね。彼女の背後には、アルロー侯爵の影がいつもちらついている」
彼にしては珍しく、少し暗い声でレイモンがつぶやいた。けれどまたすぐに、元の軽やかな雰囲気に戻っている。
「君の変わりっぷりに驚いて、さすがのアデールも身を引くかと思ったけれど……どうやら、彼女の暴走気味の恋心も相変わらずみたいだね。ご愁傷様」
「だが、俺は決してアデールに心変わりすることはない」
「ああ、今の君なら安心して信じられるよ」
その言葉が引っ掛かったのか、ゆったりと酒を口にしていたディアーヌが不思議そうな顔をした。
「レイモン、それってどういうこと? 昔のシャルルだったら信じられなかったってこと?」
「そうだね、以前の彼は少々……本人を目の前にして言っていいのか悩むけれど……」
「構わん。言ってくれ」
堂々と答えたシャルルに、レイモンはまた楽しそうに笑う。それから声をひそめて、静かに言った。
「……以前のシャルルは少々、優しすぎるところがあるように思えたんだ。ディアーヌのことを愛している、それは確かだ。けれど、何かの拍子にアデールに押し切られるんじゃないかって、僕はそんな心配をしていたんだよ」
「そうか、やはりそんな風に見えていたのか」
「気を悪くしないでもらえるとありがたいな」
「大丈夫だ。俺は変わった。押し切られるなどあり得ない。安心してくれ」
そう宣言するシャルルを、ディアーヌは複雑な表情で見ている。変わった……と、口の中だけでつぶやきながら。
幸い、レイモンはシャルルをまっすぐに見つめていて、彼女のそんな様子には気づいていなかった。彼はシャルルに向かって、優しく微笑みかけている。
「ああ。ディアーヌをよろしく頼むよ。僕の大切な妹を、どうか幸せにしてやってくれ」
「任された。……頼まれなくとも、元よりそのつもりではあったが」
「頼もしいね。よろしく、僕の新しい弟」
「おとうと……俺がか?」
その言葉があまりにも予想外だったのだろう、珍しくも、シャルルがはっきりと動揺した。レイモンはにっこりと笑って、そんなシャルルに言葉をかける。
「そうさ。僕の妹であるディアーヌの夫なんだから、君は僕の弟みたいなものだよ」
「……お前がどうやって周囲を味方につけてきたのか、分かる気がするな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
そうして二人は、どちらからともなく右手を差し出した。きょとんとした顔で見守るディアーヌの前で、二人は固く握手を交わした。
……何だかよく分からないけれど、分かり合えたの? というディアーヌの不思議そうなつぶやきを聞きながら、二人はしっかりと見つめ合っていた。
そうして、レイモンが帰っていった後。
「ディアーヌ。お前は俺たちの前世について、レイモンに話したのか?」
唐突に、シャルルが真顔でつぶやく。ディアーヌはきょとんとした顔で、すぐに答えた。
「いいえ。というか、こんなこと誰にも相談できないわよ……誰かに話せたなら、あんなに思い詰めることもなかったもの……」
「そうか。ならいい」
「……私が悩むことが、そんなにいいの?」
とがめるような顔でにらむディアーヌに、シャルルはやはり真顔で力強く答えた。
「違う。お前の悩みは、俺が聞く。どんなものであろうと、俺が受け止める。お前が思い詰める必要はどこにもない」
「……ええっと、よく分からないのだけれど……あなたが力になってくれる、ということなのよね? ……その、ありがとう……」
戸惑いながらも律義に、しかし視線をそらしてもごもごと礼を言うディアーヌを、シャルルはこの上なく優しい、とろけるような目で見つめていた。
「ああ。俺がついている」
レイモンではなく、この俺が。そんな言葉を、シャルルは満足げな顔でのみ込んでいた。




