12.あきらめの悪い令嬢
そうやって、ディアーヌとシャルルの距離は少しずつ、亀の歩みほどの速さではあったが着実に縮まりつつあった。
相変わらず素直になれないながらも、ディアーヌはシャルルに向き合い始めた。そしてそんな彼女を、すっかり落ち着き払ったシャルルが温かく見守る。
それが、このところのお決まりの光景になっていた。
この分ならいつか、自分たちはちゃんとした夫婦になれるかもしれない。そんな希望すら、ディアーヌの胸には芽生え始めていた。
そしてシャルルは何も言わないが、その青い目には間違いなく歓喜の光が灯っていた。ようやく二人は、共にある未来へ向かっての一歩を踏み出したのだった。
しかしそんなある日、二人の屋敷に客が押しかけてきた。
「シャルル様、お会いしたかったですわ!」
けたたましい叫び声と共にやってきたのは、アデールだった。二人が彼女の顔を見るのは、前に友人たちが開いたパーティーの時以来だった。
彼女はまっすぐにシャルルだけを見つめ、彼のすぐそばに駆け寄る。
あの時、いやそれ以前からずっと、アデールはディアーヌのことを徹底的に無視していた。アデールにとってディアーヌは、ずっと焦がれていたシャルルを横からかっさらった泥棒猫でしかなかったから。
そしてディアーヌのほうもそんな事情を理解していたため、わざわざアデールの行動をとがめるようなことはなかった。というか、とがめられなかった。
そして今も、アデールはディアーヌのことを無視し続けていた。
彼女はただひたすらにシャルルに話しかけ、微笑みかけている。すぐそばにいるディアーヌのことなど、棚に飾られた置物程度にしか思っていないようだった。
そんなアデールを見ながら、ディアーヌはこっそりと考える。
アデールが焦がれたのは、以前の甘く優しいシャルルだ。その彼は、もういないも同然だ。
もしかしたら、アデールはシャルルの変化について怪しむかもしれない。
しかし自分たちのややこしいことこの上ない事情について、アデールに事情を説明する訳にもいかない。
シャルルはその気になれば、以前の自分と同様にふるまうこともできるらしい。けれど彼が、アデール相手にそうするつもりがあるかどうかは分からない。
けれどたぶん、そうすることはないのだろうなと、ディアーヌは遠い目をする。
親しい友人たちがたくさん集まっていたあのパーティーの場ですら、シャルルは今の自分を貫いていたのだから。
ことと次第によっては、かなり頭の痛い事態になりかねない。こっそりと頭を抱えたディアーヌの耳を、冷ややかなシャルルの声が通り過ぎていく。
「……何の用だ? ディアーヌの友人でもないお前が、一人で来るとは。女同士の茶飲み話、ということでもなさそうだが」
「まあ、シャルル様ったらつれないことを言わないでくださいまし! 友人のもとを訪ねるくらい、よくあることですわ。わたくしはシャルル様のお友達ですもの」
「だが俺は、ディアーヌ以外の女性を近づけるつもりはない。たとえ、友人であっても。お前がしかるべきパートナーを連れているのならともかく、一人で来られても困る」
どうにかして食い下がろうと甘えた声を出すアデールを、シャルルは無慈悲なまでにばっさりと切り捨てていた。
彼は先日、パーティーであんな宣言をしていた。だからアデールも、そっけなくされることについてはある程度覚悟はしていただろう。
とはいえ、さすがに冷たすぎではないか。ディアーヌはこっそりと聞き耳を立てながら、一人無言ではらはらしていた。
「うう、手ごわいですわ……でもそんなシャルル様も、新鮮で素敵ですわ……」
アデールはしょんぼりしながらも、同時にうっとりしている。これだけ冷たくあしらわれても、まだ食い下がるつもりらしい。
そんな彼女のたくましさに感心すると共に、少し哀れに思えてしまったディアーヌが、そっとシャルルに声をかける。
「ねえ、シャルル。せっかく来てくれたのだし、少しお喋りするくらいはいいんじゃないかしら」
「お前がそう言うのなら」
少しもためらうことなくシャルルはそう答えた。これでアデールが追い返されずに済むと、ディアーヌがほっと胸をなでおろす。
しかし彼女は、すぐに震え上がることになった。シャルルの腕にすがりついていたアデールが、鬼の形相で彼女をにらんでいたのだ。
「わたくしがこれほど頼んでも駄目でしたのに、あなたが口を挟んだとたん……」
さっきまでの猫なで声が嘘のように、低く恐ろしい声でアデールはつぶやく。ディアーヌは水をかぶった犬のように身震いして、それから一生懸命に笑顔を作った。
「ほ、ほらアデール、せっかくだからお茶にしましょう? 三人で、ね?」
シャルルがまた冷淡な言葉をぶつける前にと、ディアーヌは二人に声をかける。
こんなことなら、アデールが折れて引き下がってくれるのを待つべきだったのかもしれない。そんな後悔の念を、ほんの少し抱きながら。
そして三人は、中庭でお茶を飲んでいた。その場には明らかに異様な、どうにもぎこちない空気が満ちていた。
アデールは相変わらずディアーヌを無視し続け、あれこれとシャルルに愛想よく話しかけている。
シャルルはシャルルで、無愛想そのものの態度で彼女に接していた。返事はぶっきらぼうで声は低いし、視線も明後日のほうを向いている。
それは前世のアイザックをほうふつとさせる、恐ろしい姿だった。けれどアデールは全く気にすることもなく、愛らしい微笑みを崩すこともない。
どうやらアデールはシャルルの変貌について疑問を抱いていないようだった。
それどころか彼女は今の彼を丸ごと受け入れ、そしてなおも積極的に迫り続けることにしたらしい。彼が既婚者であることなど、彼女は全く意に介していないようだった。
そしてディアーヌはそんな二人をちらちらと見ながら、ため息をつきつつお茶を飲んでいた。どうしようもない居心地の悪さを感じながら。
やけにゆっくりと時間が流れていく。うららかな日の光に満ちた中庭には、アデールの話す明るい声だけが響いていた。
シャルルはたまに茶を口にする時以外一切動かないし、ディアーヌは気配を消しながらぼんやりと庭の草花を眺めていた。二人とも、早くこの時間が終わって欲しいと必死に祈っていた。
「ねえ、ディアーヌ? ちょっと? 聞いているんですの、ディアーヌ?」
アデールの不満げな声に、ディアーヌが目をぱちくりさせた。庭の草花から、アデールへと意識を移す。
彼女がわざわざ自分に話しかけてくるなんて、珍しいこともあったものだ。
そう思いながらディアーヌは、できるだけ穏やかな声で返事をした。うっかりアデールを刺激してしまわないように。
「ど、どうしたの、アデール?」
「ちょっと二人だけでお話しましょう。さっきから何度もそう言っていますのに」
その提案に驚きすぎて、ディアーヌは何も言えなかった。
シャルルの心を射止めた自分のことを、アデールはずっと嫌っていた。憎んでいたと言ったほうが正しいかもしれない。
そんな彼女が、シャルルではなく、自分と、二人きりで話したい? 信じられない。そう思いつつ、ディアーヌは小さくうなずく。
アデールは一転して優雅に立ち上がり、シャルルに会釈する。
「それではシャルル様、ディアーヌを少しお借りしますわ」
「……」
黙りこくったシャルルに、ディアーヌがあわてて声をかける。
「その、少し話してくるだけだから」
「気をつけろ」
ディアーヌと離れたくないのか、シャルルの眉間のしわが深くなる。けれど彼は二人を引き留めることもなく、短くそう言った。
心配しなくてはならないようなことがあるのだろうか。ディアーヌは余計に不安になりながらも、アデールの後を追いかけていった。




