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待機

 文字通り息をひそめる。青々とした草木よりも低く身を屈め、体中に塗りたくった泥で気配を消す。下から見る花はこんなにも素っ気ないのかと思う。風に揺れその顔をちらと見たときにはそれだけで心が躍った。

 食糧が投下される広場に隣接している森の茂み、そこに太一は隠れていた。千美の言う事を信じれば、敵は今頃川沿いにある小屋や森を虱潰しで燃やしているはずだった。水系の能力者はサラマンダーにとってもバーサーカーにとっても脅威だからだ。敵が利口であるからこそ成り立つ憶測なのだと千美は言っていた。

 ようやく日が傾き始めたことに安堵する。近づいているのは殺し合いの時間なのに、それを待ち遠しく思っている自分に驚いた。

 風が吹き草木が揺れる度に自分のみっともない姿がさらされるのではないかと羞恥に顔を染める。それでも巨躯を縮め、地面に頬をつけたまま体制は変えない。

 太一は自分の事が酷くみじめに思えた。投資で負けた300万を取り戻すためという理由で何の考えもなしに参加したこの試合。もしかしたら大活躍をして一躍有名になれるかも、なんて期待していたが蓋を開けてみれば自分はただの雑魚キャラだった。漫画で言えば威勢だけはいい噛ませ犬。いや、噛ませ犬ならまだマシだった。昨日は集中が切れて自分勝手な行動に出てチームを危機に陥れた。償いの意味も込めてこの見張り役を買って出たのだ。

 一日前の自分にこの状況を伝えたら、そんなみっともないことはせず正面から戦えと説教を垂れてくるかもしれない。しかし彼はまだ知らないのだ、自分に向けられる明確な殺意を。一呼吸遅れたら自分の内臓が怪力によって潰される緊張感を。

 目の前を飛ぶ虫の羽ばたきが見える。さっきから吹いていた風がやっとおさまる。草木が自然な状態へと戻り、太一の姿が再び隠れる。夏の暑い日に凪をこれほど待ち遠しく思ったことは初めてだった。

 心配しないでほしい、今はこんなでも必ず後で見せ場は来る。過去の自分に心の中でそう呟いた。


 頭の中に常に情報が入ってくる。もはや能力を使用するというよりも視界が増えたという感覚になるくらい体に馴染んでいた。遠くで微動だにしない太一の姿が頭の片隅にずっと映っている。能力の相性の都合上、彼には何とかしてバーサーカーと対峙させる必要があった。バーサーカーの能力は単純な筋力の増加。太一の時間の流れがゆっくりに感じる能力によってなんとかその超スピードの怪物とやり合ってもらうしかないのだ。

「敵の影は見えないし木山さんにも動きはない。やっぱり相手は川辺の小屋を破壊して回っているか夜に備えて休息を取っているみたいね」

 千美が隣にいる悠斗に話しかける。試合会場の真ん中、岩陰に身を隠し千美の能力であたりを観察し、その死角を太一が見張っている。

 千美が悠斗の肩をはたく。悠斗は手にしていた石を落とした。その足元には様々な形に割れた石が無数に落ちている。岩陰には石を擦った後も見られる。悠斗は手にしていた石を無造作に投げ捨てた。

「さ、準備は出来てる?もうそろそろよ」

 千美が子供を諭すように話しかける。時計のないこの場所において正確な時間を図ることは難しい。チームによっては日時計を作るチームもあるらしいが季節によってその精度は変わる。食料投下の18時よりも前に広場の近くに待機していることがほとんどであり、その待機している敵を千美の能力で探すのが作戦の重要な第一歩だった。

 悠斗は川の水でいっぱいの水筒を差し出す。千美は笑ってそれを受け取った。

 今まで後手後手に回っていたこの試合で、初めて攻めに出る。最初で最後の大勝負に悠斗の膝は震え出した。それを見た千美が悠斗の肩をはたく。

「そろそろ時間ね。それじゃ、私は先に行って広場周辺を検知しておくから悠斗くんは木山さんを拾って合流ね」

 千美はそう言うと、足元に転がっている石を選りすぐっていくつかポケットに入れた。ありがとう、と言い残してそのまま勇み足で岩陰から飛び出していった。一人で行くのは危険だと言ったのだが、単独のほうが敵の検知型に見つかりにくいことを理由に一人で行ってしまったのだ。あんたらがいると逆にやりにくい、なんて言われたら悠斗も太一も黙るしかなかった。

千美の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなってから机に突っ伏せる。よれたスーツで電車に揺られる日々を抜け出してアビリティバトルに参加している、悠斗は自分の行動力に今になって驚く。

皆が行くから大学に行き、皆がするから就職した。そうやって周りに流されて生きてきた中で初めて自分の人生を自分で決定したように思えた。しかしそれは決して清々しいものではなく、他の鮭が産卵するために川を目指している中一人海で産卵を試みている無謀な鮭になった気分だった。

岩陰を離れ太一の元へも向かう。夏の森に蝉の声が響く。悠斗の役割はこの蝉の鳴き声に紛れて相手チームの裏を取ることだった。三人という少人数ゆえに一人一人の役割が重く、自分一人の失敗で作戦が破綻してしまう。今まで50分の1や100分の1として生きてきた悠斗にとってこれ以上ないプレッシャーだった。まるで地面が揺れているように感じて、持ち上げた足をどこに着地すれば良いのか迷う。片足で立っていられなくなり、ついには尻もちをついて転んでしまうのだった。



 つまらない日々を彩る、のではなく今までの日々がつまらないものだったと感じさせるほどの彩り、と言った方が正しい。道なき道を歩きながら一条千美はそう思った。

子供が出来た。父親は行きずりの男で連絡は取れない。生まれてこの方、特定の交際相手はいないし、女として過ごした夜は記憶にある限りあの一度だけだった。

自分の人生に価値があるだとか生きる目的だとか、そういう考えを持ったことはなかった。けれど、生まれたてで顔のしわくちゃな我が子を抱きかかえた瞬間、この子ために生きていきたいと感じた。それと同時に自分は何て平々凡々な人間なのだろう、とも思った。仕事を辞め、補助金と貯金を使って日々を繋いでいく。贅沢はできないがそれでも子供と一緒に居られるならそれでよかった。

良かったはずだった。ある日、体調を崩して病院で診察を受けたとき、異能力の発現による副作用だと診断された。病気ではないのだと知り、安堵した。その帰り、ふとしたはずみに能力が発動した。木々の青さに驚き、人々の表情に。自分の知らない世界に酔いながらも、その能力の発動を止めることはなかった。世界に愛されているとさえ錯覚するほどに広がった視界が千美の顔を上げさせた。

小さなころからネット配信でずっと見ていたアビリティバトル、その参加権を手に入れた今、これまでの平凡な生活、人並みな暮らしのために参加を見送るという選択肢は千美の中にはなかった。もはやあんなに無色な日常に戻ることなど考えられなかった。


 水筒の栓を開けて頭上でさかさまにする。気化熱よりも湿度と汗の混じりあった感じがして気持ち悪かった。それでも、らしさ、は出ただろう。千美は自分の肩ほどまで伸びた髪から滴る雫を確認して満足した。

バーサーカーとサラマンダーに対してビーステッドとスロービジョン、あまりに非力である。この圧倒的な能力差で勝つことが出来れば紛れもない、作戦勝ち。つまりブレーンの手柄。

火照った身体を冷ますようにもう一本、悠斗からもらった水筒を頭からかぶる。前髪をかき上げ、額に直射日光を浴びる。網膜が焼けていく錯覚に足元がふらつく。しかし千美が能力を解除することはない。ぎらめく太陽を睨みつけて力強く地面を蹴った。

いよいよだ。いよいよ開戦である。

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