夜襲
「よぉ、追いついたゼ」
胸まで川に浸かった悠斗が岸を見上げる。水を吸って重くなったユニフォームが川の流れで揺らめく度に体が持っていかれそうになる。
一方で岸に立ち、悠斗を見下ろす猫背の男は暑そうに舌を出している。その男の背後に見える夜空には星がひしめくように灯っていた。
「星をもっとよく見たいので明かりを消してもらってもいいですか?」
「余裕ぶっている場合カ?今頃お前のチームメイトはバーサーカーに壊されているんじゃないのカ?」
サラマンダーが手に持っている松明を大仰に空に掲げた。火の粉が夏の夜に消え入る。まるで星になったかのようだった。
寝起きで朦朧としていた意識がやっと覚醒してきた。夜の闇に紛れての襲撃、それから逃れる途中ではぐれてしまった千美と太一を思う。目の前にサラマンダーがいるということは、あの二人のところにバーサーカーが向かっているということだ。
悠斗の冷や汗を見抜いたかのようにサラマンダーが笑った。
「なんでそんなに余裕何でしょうか?ここは川で今は一対一ですよ?」
「検知型相手にビビるわけがナイ」
「は?」
「あの女、水系の能力者だロ?そしてもう一人の男はバーサーカーの一撃を避けていた。あの反応速度は能力以外ありえナイ。だから残ったお前が検知型だロ」
サラマンダーの様子を見て、悠斗は深く感心した。
千美が言っていた通りだった。彼らは千美のことを水系の能力者だと勘違いしている。そして、太一は能力を使ってバーサーカーとやり合っているところを見られている。つまり、唯一能力を見せていない悠斗が検知型だと推測しているはずだ、と。
「そうか、あなたは弱いから僕を倒すように言われたんですね。戦力外だと」
「単純な挑発には乗らなイ。能力に相性があることくらいわかってるからな」
そう言いながらサラマンダーは大きく息を吸った。あの火炎放射が来る、そう思って悠斗はとっさに川に潜り込んだ。どれだけ待っても熱気が来ないのでそっと顔を出すとサラマンダーがけたけたと笑っていた。
「ったく、検知型がイキガルナヨ」
能力を使えるようになっても体がその負荷に耐えられるようになったわけではない。もしその言葉を信じるのであればサラマンダーは火を噴くたびにその熱に舌を焼いているはずだった。
「どうして能力を使わないんですか?もしかして、のどが痛くなるのが怖いとかでしょうか?」
「その気になれば川を沸騰させて煮殺してもいいんだゾ」
そう言うとサラマンダーは岸辺に座り込み、腕を組んで目を閉じた。その足を引っ張って川に引きずり込んでやろうと息を潜めて動くも、水音ですぐにサラマンダーが目を開ける。舌打ちをして立ち上がり、一歩下がって今度は座り込まずに腕を組んで今度は悠斗から目を離さなかった。
膠着が場を支配してからどれくらい経っただろうか。夜を覆っていた空が白み始める。朝の澄んだ空気が鼻腔に入る。
サラマンダーは何も言わず、悠斗と朝日を交互に睨みつけた後、森の中へと姿を消していった。足音が完全に聞こえなくなってからもしばらく身動きを取ることが出来ず、川から這い出たときには辺りはすっかり朝になっていた。
少し歩くと、近くに小屋がたっていた。第二の寝床にと決めていた小屋だ。その小屋の戸に手をかけ、開けた。
中では千美が部屋の角に腰を下ろして寝ていた。人の気配に飛び起きた千美が悠斗の顔を見て胸をなでおろす。その体には大量の泥が付着しており、彼女がどのようにして敵を撒いたのかがわかった。
「よかった。無事だったのね」
千美が悠斗に駆け寄り、その体を触診する。
「木山さんは?」
「悠斗君を探しに見回りに行っているわ。たぶんもうすぐ戻ってくるでしょうけど」
「すみません、僕が一番最後でしたか」
悠斗の謝罪にこたえるように千美が肩をたたいた。
「バーサーカーの夜襲を受けて誰も欠けることなくやり過ごせただけで値千金よ」
「そうですね、もしかしたら二人はもう脱落しているのかと覚悟していましたから」
「まぁ、こっちは意外と危なくなかったわね。奴らの目を盗んで草陰に隠れてたから。しばらくはバーサーカーがあちこち破壊して回ってたみたいだけど、夜とともに帰っていったわ。あっちの検知型の能力は想像してたよりも大した事なさそう。それより悠斗くんのほうはどうだったの?サラマンダーが相手だったのよね?」
「僕の方は大したことはしていないですよ。一応、千美さんのいった通り僕のことを検知型の能力って勘違いしていたので、能力は使わずにただ川に立てこもって我慢比べしていただけなので」
「えらい!すごい!よくやった!首の皮一枚つながった!」
千美が懐に潜り込んで背中に腕をまわした。体がむず痒くなる。きっと一晩中川に浸かって皮がふやけているせいだと悠斗は自分に言い聞かせた。
葛藤の末に腕を回そうとしたところで、ぎい、と扉の軋む音がした。振り返ると太一が立っていた。
「わり、タイミング間違えた。あと一周してくるからそれまでに済ませといてくれ」
「違う、違う違う!済ませるって何をですか!これは違うやつで!」
「そこまで焦ってると逆に怪しまれるわよ。それより木山さん、悠斗君の凱旋よ」
千美が嬉々として報告する。
「まさかサラマンダーを倒したのか?」
「すいません、僕はただサラマンダーから逃げてきただけですよ」
「あ、あぁそう。まあ、よく考えたら無事に帰ってこられただけで十分だ」
太一が腕を組んで数回、小刻みに頷いた。
「違うのよ、悠斗君はただ逃げてきただけじゃなくて自分の能力を隠した上で逃げてきたのよ」
「へぇ、つまり?」
「つまり、敵は私のことを水系の能力者だと勘違いしたままってことよ。きっと悠斗君を検知型の能力者だと思っているに違いないわ。いい?これはただ襲撃を凌いだだけじゃない、カウンターを決めたようなものよ」
カウンターといえば誰?具志堅?内藤?と千美が興奮気味に太一に詰め寄る様子を余所に、悠斗が話を戻す。
「そういえばなんで小屋の場所がバレたのでしょうか?」
悠斗が自分の頭を掻いて笑う。風呂に入っていないため、頭皮の脂が指先に絡まる。
「きっと川の近くの小屋を見つけたそばから手当たり次第潰していったんだと思うわ。ここに来る途中、川辺の小屋を見てきたけど、ほとんど壊されていたわ。」
「好戦的なやつらだな。せっかく食糧を確保できたんだから大人しくしていればいいのに」
「だからこそでしょ。先手を取るのは重要だし、もしかしたら相手は最初から夜の時間帯に攻めようと考えていたのかもしれないわ」
「なんでだ?」
「こっちの予定が狂うからよ。セオリーなら食料が投下される18時に向けて戦闘の準備をするはず、その裏をかいて夜のうちに仕掛ける戦略なのかもね」
千美が手元でペットボトルを遊ばせている。蓋を開けては閉じ、開けては閉じ、たまに口をつけて水を飲む。
「ただでさえ食事も取れていないのにその上睡眠まで妨害されちゃあ身が持たないぜ」
「食事を抜くにしても一日が限界かしら」
「今日の食料投下が勝負、ということですね」
「そうね、そう。決着ね」
千美が噛みしめるように言った。
「ちっ、昨日のやつは悪かったな。なんか気が動転しちまっておかしくなってた。もう指示を無視とかしねえから」
「あれ、一応気にしてたんだ?あれに関しては私も悪かったわ。ずっと時間がゆっくり感じる能力を使い続けるなんてこと、短気な木山さんには難しかったものね」
「だぁっ!?なんでここで喧嘩売るんだよ。いいよ、もうそれで」
太一が肩を落として息を吐いた。千美は相変わらずペットボトルで遊んでいたが、そこに鼻歌が混じるようになった。
「相手は検知型がブレーン何ですかね?サラマンダーは阿保そうでした」
「バーサーカーも別に頭が切れるって印象はなかったぜ。淡々と命令に従っている感じがちょっと怖かったけど」
「じゃあやっぱりあっちのチームも検知型がブレーンなのね」
「も、って。いやそうなんだけどさ。自分で言うかよ?」
「実際、千美さんが居なかったらすでに負けてた気がしますよ」
悠斗が眉をハの字に困らせながら笑った。
「検知型の能力だけは向こうより強いからな、たぶん」
「検知型の強さは能力だけじゃないのよ。戦闘への関与の仕方が他の能力と違うのよ。ブレーンとしての能力も必要なの。だから、検知型の能力の優劣は結果でしかわからない」
千美がペットボトルに口をつけ水を飲む。しかし嚥下せずに口内をすすいだ後、ゆっくりと口の端から垂らした。唾液と混じったそれは顎を伝って机へと落ちていく。
「うわ、きたな」
太一の言葉を無視して千美が続ける。
「とりあえず今は小屋から離れましょう。もしかしたらまた敵が小屋を虱潰しに回ってくるかもしれないし」
もう一度ペットボトルの水を口に含み、数回うがいした後それを床に吐いた。そして、あーあ私が男だったらここで立ちションでもしてやるのに、と言葉を吐いた。
「いい?チャンスは一度、相手がこっちの能力を誤認しているこの一回が最初にして最後、唯一の勝機よ」
千美が勇んでドアを手にかけた。扉から入る陽の光がまるで閃光のように眩しく、彼女の背中を逆光で黒く染めた。
「俺らも早く行こうぜ。ん、何してんだ?」
「あ、いや、千美の代わりに立ちションでもしようかと思って」
「は?冗談だろ、あんなの……いや、冗談ではないのか?」
「どうですか、木山さんも」
悠斗が激しく水音を立て始めたので太一はすぐに小屋を後にし勢いよく扉を閉めた。