暗黒騎士、婚活する
暗闇にそびえる瘴気に包まれた巨城――魔王城。
静寂に包まれ、時折侵入者の奏でる阿鼻叫喚の悲鳴がこだますることは時々ある。
しかし、今日に限っては少し様子がおかしかった。
「――今、何と言ったか……? 我が騎士よ」
「はい婚活をするためにお暇させていただきたいと申し上げました。我が魔王」
「は、ハァアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
驚愕した様子の荘厳なローブを纏った骸骨――もとい魔王の驚愕に満ちた悲鳴に似た叫びが部屋中を満たし、少し魔王城が揺れた。そして事の発端を作った黒い鎧に身を包んだ暗黒騎士は首を傾げながらも既に辺りに“消音魔法”を掛けていたのだ。
ぜぇーぜぇー、と骸骨であるのにも関わらず疲れた様子の魔王は自分が最も頼れる快刀である暗黒騎士ゼノンに事実確認をすることにした。もしかしたら聞き間違いかもしれないという淡い期待を抱きながらであったが。
しかし、帰ってくる言葉は「婚活をします」という揺るぎない鉄の意思の表れであった。魔王は頭を抱えてなぜこんなことになったのかを必死に考えていた。
魔界に住む全ての魔物を支配下に置いている魔王は『百智王』と呼ばれ、この世に存在する全ての魔法を修め、知らぬことなど無いと豪語されるほどであった。
だが、そんな彼でも知ることが出来ないばかりか予測すること叶わなかったただ一つの例外が今、まさに目の前に跪いていた。
「な、ななな!? 今なんと言いおった!? 我が騎士よ!? 何が不満なのだ!? あれか? 休日か? 休日なら既に週休三日になっておるが……」
「我が魔王、落ち着いてください。俺はただ婚活をすると言っているんです」
「それはただでは済まないことだぞ!?」
「脅しでしょうか?」
「違う! そうじゃない……!」
魔王は、目の前の己には無い筈の胃を痛める原因そのものがなぜ婚活をすることを決意したのかを理解できずにいた。
魔王にとってゼノンは己が魔王の座に着く前から家に仕えていた奴隷であった。しかしその卓越した剣術の腕と闇魔法の適性の高さを魔王によって見出され、今の今まで傍仕えとして、側近として仕えさせていた。
ゼノンの生まれは不明。それもそのはず彼は生まれながらにして魔界に捨てられていたのだ。
そこを魔王の父方が拾い上げ、奴隷に仕立て上げたのだ。なお人間と魔族の奴隷の価値観は少々異なっており、魔族において奴隷の位置づけは「家族までとはいかないが、それでも大事な部下」であるのだ。確かに人間と魔族の基礎スペックの問題から幼少期のゼノンは訓練の度に死にかけたり、度々領地の小競り合いに巻き込まれて戦争に駆り出されることもあった。
命の危機に何度も瀕した筈の当のゼノンは「己が生きて地に足を付け、剣を振るえる両手を振るうことが出来ているだけで充分すぎる代物で御座います」と全肯定だった。これには魔王の両親や召使も涙目になりさらに訓練のハードルを上げたという。
そしてそこから紆余曲折あってゼノンは魔界、人間界において最強の名を欲しいがままにしてきたのである。
そんな己の忠臣がなぜ、このタイミングで、婚活をするのかが分からなかったのだ。この哀れな魔王は。
魔王はわなわなと震えながらゼノンに問いかけた。
「我が騎士……ゼノンよ、なぜ、このタイミングで、どんな理由で婚活をするのだ……?」
するとゼノンは
「――同期が、全員……籍を結びまして」
「あっ」
魔王は秒で察した。
ゼノンも何だかんだ言って今年で四十歳。見た目は闇魔法とその体質から二十代半ばにしか見えないが彼もやはり心は人間だったのだろう「最強」とか言われている裏でもゼノンは何かしら思うところがあったのだろう。心なしかゼノンの周囲の空間が負の感情によって発生した重力場で歪んでいるように見えた。
「……私が元来の負けず嫌いであることは、魔王様もご存じのはずです」
「……あぁ、共に生まれ育ったからな。常に当時の最強だった黒龍ファブニールを目の敵にしていたことはよーーーーく覚えている。お前がファブニールを超えるための努力の様子を見たファブニールが愕然としながらお前を見ていたこともよーーーーく覚えている」
「懐かしいですね……我が魔王が即位したタイミングでしょうか……そこでファブニールを超えたことを今でも覚えております」
懐かしさに身を震わせていた二人だが、本来の話に舵を切った。
「それで……同期が全員を籍を結んだことと負けず嫌い……何の関係があるのだ……?」
「それは――」
『ゼノン! この度、この俺は! 遂に結婚することになったぞ!』
『あぁ、おめでとう』
『ははっ、ありがとうな! これでゼノンの同期は全員結婚したか……!』
『……そう、だな』
『お前も早く結婚しなきゃ俺達に置いてかれるかもなw』
『……』
「――という訳です」
「納得できるような……納得できないような……!」
魔王は何とも形容しがたい感情に襲われてはいたが、ゼノンの言い分を理解しようとしていた。それを踏まえて自分の片割れともいえる存在の闘争心に火をつけた奴は減給するか、と考えていた。
「魔王様は既にご結婚為されているではないですか。知ってますか? 今、この魔王城に所属している魔物の軍団長や四天王の皆が結婚をしているんですよ?」
「……あぁ……そういえばそうだったな。俺が推し進めた婚姻政策が影響してのことだったな。そのおかげで混血や混種族の人材が増えたと聞く。だからと言って……それだけでパッと決めるのも……」
「四天王のフレイルがこの前、私にさっきの事を言っていたのです」
「あいつは減給だ」
ゼノンが婚活を始める理由――それは自分だけ取り残されるのが精神的にキツいからだった。
如何せんその立場や交友関係の広さによって毎年あるいは毎月に渡って聞かされる惚気話に加え、独り身なのはゼノンだけというプレッシャーが着実にゼノンを蝕んでいたのである。
加えて四天王の一人、炎のフレイルが酔っ払った状態でゼノンにこぼした言葉に闘争心に火を付けられたゼノンは最早誰も止める術が無かった。魔王はフレイルを減給の刑に処してやると心に誓った。
勿論彼らにその気はないが(フレイルは例外)、ゼノンにしてみれば「お前も良い人見つけろよ」の類の言葉はある種の宣戦布告とも取れてしまったのであり、それが事実であるがゆえにゼノンの心に深く突き刺さった。
「と、このような感じで、お暇させていただきます」
「いやいやいや! それは待って!?」
「あ、でも国防の義務は果たしますのでご安心を」
「変な所で律儀だなぁああああああああああああ!?」
魔王が引き留めるが既にゼノンは転移魔法で何処かへ消え去った。魔王の骨の手が虚空を掴む。魔王はゼノンが消えた所を見つめながら焦りの色を見せていた。
「不味い……! 不味いぞォ……! このままでは……戦争が起きるッ! な、何としてでもこの事実を隠蔽しなければ……! 彼女たちが、彼女たちが暴走するッ!」
恐れた様子の魔王は必死に周りに何て誤魔化せば良いかを必死に考えていた。
普通ならそんなことをする必要は無い。しかし――ことゼノンに当たってはそうもいかないのである。
「まず……四天王のアウスに……ヴァンパイアのルーナ……人間界の姫アリスに、龍神の……クソォ!……両の手で数えられねぇ! 不味いぞ、不味いぞ不味いぞ不味いぞ!?」
骨の手で数えきれないほどの女性の名をあげていった魔王はその場で蹲り、頭を抱えた。
それらは全てゼノンに好意を寄せている者達だ。
ある者は自分の全てを凌駕する最強に惹かれ、ある者は只人の身で己を殺しきれることに感動し執着する者、ある者は通りすがりのゼノンに幾度も助けられた者――等々、彼女たちは少なからずゼノンに方向性や性質は異なれど、執着に等しい愛を持っている。
今は互いに牽制し合いながら均衡を保っているが、今、その均衡が崩れつつある。そうゼノンの婚活の開始だ。
この事実を知らされれば、ほぼ間違いなく大戦争は勃発する。彼女たちは己の愛するゼノンを射止めるために、そしてその周りも己の陣営に引き込もうとする陣営や魔王側近との外戚関係を結ぼうとする者も便乗してそれはもう、えらいことになるだろう。いや間違いなくなる。そう確信してしまった己の脳を今だけは恨めしく思う魔王であった。
「これは何としても……しかし……どうやって……いやまずこの状況を……」
魔王が必死にうなりながら机に向かっていると――その背後に佇む存在がいた。
「……今の話は本当ですか、魔王様」
「はアアアッ!? ア、アウス……か……」
「ゼノンが、私の最強が、婚活をすると」
(やべぇ……ヤンデレハーレムの内の一人が来てしまった……!)
内心冷や汗を流しながら、どうにかこの氷の四天王をどうにかしなくてはならないと尤もらしい誤魔化しをしようとした。
既に心なしか普段よりも冷徹な表情がさらに険しくなり、周囲に冷気が漏れていることに魔王は気づいた。
(あっ、これ駄目だ)
「魔王様」
「……なんだ」
「これからは魔王様が義兄となりますね」
「ほ、ホァアアアアアアアアアアア!?」
同時刻。
「……あ奴が……番いを探しておるのかそうかそうか……何を勘違いしているのやら。妻は妾のみ、今の内に小娘共を蹴散らしておくかのう……」
ヴァンパイアの王女は、夫(妄想)に群がる雌を蹴散らしに行くために行動を起こそうとしていた。
また人間界における最大の王国のとある一室にてこの国の王とその側近が重要な話をしていた。
「――それは、本当なのか……?」
「はい……姫様が「あの御方が妻を探している!」と……」
「……ハッキリ言ってコレは……ただの厄ネタでしかないが……」
「もし、もし姫様との婚姻を果たすとなれば……必然的に我が国は名実ともに最強の戦力を確保することが出来まする。そうなれば……」
「だが儂は……娘を、そのような扱いとしては見たくないが……」
「こればかりは……何とも……」
「私こそ、あの御方にふさわしいですわー!」
高貴な紅蓮の姫は、己の理想にして伴侶となる存在を迎え入れることを宣言し、高らかに笑った。
この他にも各地ではゼノンの婚活の噂を聞いたヤンデレ共が己の武器を磨いたり、礼儀作法を学びなおしたり、彼の隣にいの一番に居座ろうとする者たちが現れた。
その際、数々の血で血を洗うような衝突がゼノンの預かり知らぬ所で勃発したり、混乱に乗じて現れた敵対勢力とゼノン単騎での最終決戦が行われる等の波乱万丈の婚活が行われるのだが……。
それはまた別の話。
「……婚活会場に見知った顔しかいない気が……」
「「「じゅるり……」」」
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