→はい、追い払います
三人は中庭への出入口からすぐに建物に入ったところにいた。
困惑顔で少し泣きそうなコゼットちゃんに、うんざりしたようなエドガー。そして眉をつり上げたカサンドラがなにかを喚き散らしている。
シリルは躊躇うことなく三人の間に割り込むと、コゼットちゃんを庇うように前に出た。
「なによ。あんた、誰」
「……っ、俺、は……」
庇ったはいいものの、シリルは答えあぐねて言葉が出ないようだった。
そりゃそうだろう。だってカサンドラはルフェブル侯爵の娘だもの。あれだけ上下関係を気にしていたシリルが簡単に歯向かえるはずのない人物だ。そしてそれはエドガーも一緒で、だからこそ彼女がここまで助長した原因でもある。
「あ! いたいた! エドガー様!」
思わずそう声を上げていた。エドガーが驚いたようにわたしを見る。
シリルがとっさに口を開こうとした。
「エドガー様! 会いたかったんです!」
シリルが余計な口出しをしてくる前に、遮るようにエドガーへと話しかける。馴れ馴れしく手まで握りしめたわたしに、エドガーとカサンドラまでもが眉を顰めた。
「君……?」
「わたし、前からエドガー様のファンだったんです! 嬉しいなぁ、こんなところで会えるなんて!」
「ちょっと」
さっきまでコゼットちゃんに怒鳴っていたことも忘れて、カサンドラが刺々しく話しかけてきた。
「あら? なんでしょう?」
「なに馴れ馴れしくわたしのエドガー様に触ってるのよ。今すぐその手、離しなさいよ!」
「えー? なんでですかぁ?」
シリルに目配せを送るも、彼が気づく様子はない。
おいおい……こっちはなけなしの身を張って視線を逸らしたんだ。お願いだから今のうちに逃げてくれよ。
そう思って陰からシッシッと手を振り払うと、やっと気づいてくれたが、今度はわたしを置いていくことに躊躇っている。
いいから、君の律儀さはもう十分知ってるから。お願いだから今はコゼットちゃんを連れて早く逃げなよ。
「あなたのエドガー様ってまだ決まったわけじゃないでしょ。あなた、婚約者でも、ましてや恋人でさえないくせに」
「なっ……」
反論されるとは思っていなかったのか、カサンドラは顔が真っ赤になった。
「だったらとやかく言われる道理はないと思いますけど?」
「はぁ!? 言わせておけば……わたしはね、誰よりもエドガー様のことを愛して理解しているのよ! ポッと出のあなたなんかとは違う!」
「だからなんですかぁ?」
エドガーが頭が痛いって顔をしている。君も迷惑なら迷惑ってきちんと伝えなさいよ……だから彼女がここまで助長するんだよ。
「それがなんの関係があるんですか? エドガー様に想いを伝えるのに、誰が一番もないも思いますけど」
「お……おまえ! お父様に言いつけてやるわよ!」
出た、カサンドラの常套句。『お父様に言いつけてやる』。これを言われると大抵の人は黙ってしまうから、カサンドラにとっては魔法の言葉なんだろう。
「言えば?」
だけどわたしにはなんの関係もない。だって言いつけられたところで、迷惑をかける家族なんてどこにもいないし。むしろ身元がわかるのなら探してほしいくらいだし。
「は……はぁ!?」
「言えばいいじゃないって、言ってんの」
今度は大きく身振りで、『逃げろ』とシリルたちに出口を指し示す。わたしの意図に気づいたのか、振り解こうと強張っていたエドガーの手から力が抜けていった。カサンドラは頭にきすぎて、コゼットちゃんのことなんか頭から吹っ飛んでいってしまっているようだった。わたしの変な仕草に気づきすらしない。
少しの間ためらっていたシリルは、ようやく怯えているコゼットちゃんを避難させるのが先だとわかってくれたみたいで、じつに申し訳なさそうに出て行った。
「言いつけてみなさいよ。それで? わたしをどうするの? 退学にでもさせてみるの? ハハッ、いかにもあなたがしそうなことよね。そんなことを繰り返せばエドガー様をますます追い詰めるだけだってのに……自分の行いがエドガー様を遠ざけていることに、いつまでも気づきもしないでバカみたい」
なので、早々にわからせてやることにした。
要はカサンドラを追い払えばいいんでしょ。そしたら欝気味のエドガーも立ち直って、優しいコゼットちゃんに慰めてもらう必要もなくなる。二人が仲を深めることもなくなる。
カサンドラはわたしの言葉に、ハッとエドガーを見上げた。彼の顔にはもう笑みは浮かんでいない。
「エドガー様?」
「……今日のところは、お引き取りください」
「っ、エドガー様、あの」
「あなたがあまりにも大声を出すものだから、ほら。ほかの生徒が集まってきてしまいましたよ」
エドガーの指摘にカサンドラはもごもごと口ごもり、それから「また伺いますわ」と踵を返して去って行く。
ホッとして、エドガーの手を離す。無事にコゼットちゃんを遠ざけることができて本当に良かった。これに懲りてコゼットちゃん、もう二度とエドガー様に接触しないでくれたらいいな。
今ごろうまくシリルが説得していることを祈る。
「……ありがとう、ごさいました」
穏やかなアイスブルーの瞳に覗き込まれ、不覚にも見とれてしまった。
彼も攻略対象者のそれに違わず見事なイケメンだった。まぁ本当にいい男っぷりで。お駄賃がわりにその顔面を堪能していると、気まずそうに咳払いされる。
「それで、見知らぬお嬢さん」
穏やかな声は、しかしわたしのことも警戒しているようだった。
「助けていただいて大変助かりましたが……しかしあなたはいったい……わたしのファン、とは」
「あ、それは気にしないでください」
エドガーは素性のわからないわたしを観察するように眺めている。
「いや、ファンって言えばファンなんですけど、でも今はただ、わたしはさっきの二人を助けたかっただけで、こんなことがなければあなたに声をかけるつもりもなかったので」
「そう、ですか……」
「安心してください、これからも必要以上に近づくつもりはありません。どうぞ、エドガー様のほうもわたしたちの存在など頭から消し去ってくださいね」
そうはっきり告げるが、エドガーは信用できないのかまだわたしを観察し続けている。
「あなたのお名前は?」
「……アンジェです」
「アンジェ、ですね」
エドガーはおもむろに手を差し出してきた。
カサンドラを撃退した感謝の気持ちでも表したいのかと思ってその手を掴むと、逃がさないとでもいうようにキュッと力をこめられる。
「アンジェ、あなた、ルフェブル侯爵など怖くないと言いましたね」
「いえ、そこまで風呂敷を広げてはいませんが……」
「でもあなたはカサンドラなど屁でもないわけだ」
「いえいえ、もう関わり合いになりたくないと思えるほどには勘弁だと思っています」
「だったらわたしと契約しませんか?」
「だったら? 契約とは? あっいえ、詳しく話さなくても結構です! わたし今いっぱいいっぱいなので! 申し訳ないですけどほかをあたってください」
わたしにはシリルとコゼットちゃんのお守りで手一杯ですから。
「ほか? ほかとはいったい誰のことを指すのでしょう? 様々な女性と出会いましたが、あなたのように勇敢で向こう見ずで、その上貴族のお嬢さんをドン引かせるようながつがつした野性味のある方とは今まで出会ったためしがありません。あなたのほかにそのような方がいらっしゃるのなら、ぜひとも今すぐ紹介してほしいくらいだ」
「……わたしの力を借りたいと言うわりに、随分な言い様ですね」
思わず苦笑を返すと、握り締められた手ががっかりしたように力なく落ちていく。
「大変だなーとは思いますけど、わたしもわたしの事情で精一杯なんです。申し訳ないけど次からは自分でどうにか乗り切ってください」
多分エドガーにとってはカサンドラを回避できるかどうかは死活問題なのだろう。だけどわたしはエドガーを救いに来たのではない。シリルを幸せにするためにここに来たのだ。わたしはわたしでシリルが無事にコゼットちゃんと仲を深められたか、それだけで精一杯だ。
いつも間の悪い、当て馬役だったシリルのことだ。今回も逃げた先で別の邪魔が入ってコゼットちゃんを持っていかれているのではと気が気でない。
さっきのエドガーの件で一気に疑り深くなったわたしは、この目で確かめるまでは安心できないと、まだなにか言いたげなエドガーをその場に残して二人のあとを追いかけていった。