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→はい、追いかけます

 

「シリル?」


 返事はない。どうやらシリルも怒っているようだった。

 シリルはそのまま黙ったまま、しばらく廊下を歩いていた。やがて到着したのは、学院にいくつかあるカフェテリアの一つ。そこまでやってきて、シリルはやっとわたしを掴んでいた手を離すと、ハァーッと盛大なため息をついてきた。


「あんなこと、モンフォーヌ公爵令嬢に言うなんて、なに考えてるんだよ……」


 俯いた先から覗く焦燥した表情に、思わず苦笑いを浮かべる。すぐに笑ってる場合じゃないと叱られた。


「そんなに心配しなくたって大丈夫だって。きっと彼女だって自覚はしていたことを、わたしは口にしただけだから。それに学び舎ではみな平等、なんでしょ?」

「君のその能天気さが、心底羨ましい……」


 シリルはぼやくと、疲れたから休もうと飲み物を注文をしに行った。場所取りを頼まれて、窓際のテーブルへと着く。

 そして何気なく窓の外を眺めて、わたしはなぜシリルがこのカフェテリアに来たのか、理由がわかった。

 窓の外に広がる中庭の風景。その一角、隅のほう。そこは、ヒロインが放課後になると、いつも訪れる場所だった。

 ヒロインは休み時間に、いつもそこで一人きりで読書をする。でも攻略対象との仲が深まってくると、彼らも休み時間にそこにくるようになったりして、ちょっとした会話をしたり、選択肢によってはプレゼントをしたりされたりできるようになる。

 シリルはきっと、いつもここからコゼットちゃんが攻略対象者と仲を深める様子を見ていたに違いない。ああ、なんて不憫な男なんだろう。


「……なに」


 戻ってきたシリルを見上げると、胡散臭そうに返されてしまった。両手には二つのカップ。


「はい、どうぞ」


 差し出されたカップをまじまじと見遣る。


「あれ? もしかしてココア、嫌いだった?」


 引っ込められそうになって、慌てて受け取る。

 まさか、奢ってくれるだなんて思ってもなかったから、ちょっと戸惑ってしまった。


「コーヒーでもなく、紅茶でもなく、ココア」

「悪かったな、子どもっぽくて」


 ぶぅと突き出された口に、笑ってしまう。


「ううん、いいと思う。シリルらしいね」

「俺らしい?」


 眉をひそめられたのに、首を振って苦笑を返す。


「ところで、あのベンチ」


 コゼットちゃんお気に入りの場所を指差すと、シリルはますます苦虫を噛み潰したような顔になった。


「ああ、そうだよ!」


 もはや、ヤケになったようだ。


「本当になんでも知ってるんだな、君は! そうだよ、女々しいことに、俺はいつもこっから見ていたよ!」

「そこまでは言ってないけど」


 本当に、コゼットちゃんが好きなんだな。

 少し切なそうに誰もいないベンチを見遣るその視線に、ちょっとだけ羨ましくなる。誰かにそんなふうに想ってもらえたら、きっと幸せだろうな。

 ちょうどそのとき、コゼットちゃんが殿下と連れ立ってベンチへとやってきた。


「コゼット……!」


 思わずといったように、シリルは立ち上がる。


「行こう! シリル!」


 シリルは視線をコゼットちゃんに固定したまま、一もニもなく頷いた。








 二人はいつものベンチに腰掛けて、どうやらお互いに読んでいた本の感想を聞かせあっているようだった。

 コゼットちゃんの楽しそうな声が聞こえてきて、それにシリルが辛そうに顔を顰める。

 シリルは周りの様子も目に入らないのか、一目散にコゼットちゃんの元に駆けつけると、すごい剣幕で捲し立て始めた。


「コゼット!」

「シリル?」

「何やってるんだよ……!」


 固く握られた手は、わずかに震えている。


「あんなに注意したのに……殿下と二人きりでいてはいけないって! 殿下には、モンフォーヌ公爵令嬢っていう立派な婚約者がいるんだよ!?」

「シリルったら、大げさね」


 それにコゼットちゃんはのほほんと笑って返している。


「もちろん、知ってるわ。でも、何度も言うけど、そんなに心配しなくても大丈夫。わたしたち、ただの学友だもの。ね、レオ様?」

「あ、ああ……」


 ……殿下、ちょっと気落ちしてません? わたしの勘違いならいいんだけど。


「コゼット!」


 シリルが硬い声を出した。それに一瞬、コゼットちゃんがビクリとする。そして眉をヘニャリと下げてしまって……ああ、これはいけない、止めなければ。


「あの!」


 殿下がシリルに声をかける前に、とっさに話しかけると、三人の視線が一斉にこっちへ向いた。


「こんにちは! 二人でなにしてたんですか? よかったら、わたしたちも入れてください!」

「君は……?」

「わたし? アンジェと申します! 殿下と同じ講義を受けてるんですけど、ご存知なわけないか」

「アンジェ? すまない、どうだったかな……」


 殿下は首を傾げて、わたしをまじまじと見た。

 殿下がわからないのも無理はない。わたしはコゼットちゃんの学院生活を彩る背景、ただの一女子生徒、モブ令嬢。その他大勢に埋もれる個性なき個体なのだ。

 そう、わたしはただ、場の空気を変えようと適当に声をかけただけだった。のだが、殿下はそういうわけにはいかないと思ったのか、必死に心当たりを探り始めた。


「そうだ、君は……たしかあのとき、ディートフリートと一緒にいた」

「え?」


 記憶にない話をされて、逆に戸惑う。ディートフリートとは、隣国の王子の名前だ。わたしがその王子と一緒にいた?


「そうか、ディートフリートの知り合いだった」


 なんか勝手に一人で納得されて、殿下は目映い笑顔で「久しぶりだな」と手を差し出してきた。


「あ、はい……」


 仕方がないので握ってみたが、驚くほど美しい手だった。白く滑らかで、それでいて男らしく形のいい手。

 感慨深く殿下の手を握っていると、シリルから白い目で見られていることに気づく。

 だって、さすが攻略対象者なんだもん。一番に攻略相手に選んだ人なだけあって、本当にため息が出るほど美しい。


「ディートフリートは元気か? 最近、あまり見かけないようだが」


 ……聞かれても、知り合いでもないので困る。


「……そうだ、コゼットちゃん!」


 キョトンとわたしのほうを見たコゼットちゃんに、一人感動する。

 この人が、わたしが操作していたヒロインかぁー。また別視点で見ると、印象が変わるなぁ。


「ちょっと、コゼットちゃんにしか頼めないお願いがあって。ね? シリル」


 振り返った先のシリルは、戸惑いながらもしっかりと頷き返した。

 多分、コゼットちゃんを殿下から引き剥がせれば、なんでもいいと思ったのだろう。

 モンフォーヌ公爵令嬢のことはあんなに恐れていたのに、殿下にはそんなぞんざいな態度をとるのか。

 ともかく、ここは一度離れてシリルに冷静になってもらわなければならない。


「レオ様、いいですか?」


 コゼットちゃんに上目遣いで伺われ、殿下は渋々頷く。

 すかさずシリルがコゼットちゃんの袖を引っ張り、その場から離れていく。


「殿下、それでは失礼します。また講義室で」


 殿下はしばらくのあいだ、シリルと談笑するコゼットちゃんの背中を見つめていた。








 先ほどのカフェテリアまでやってきて、やっとシリルの肩から力が抜けた。


「あの、アンジェさん」


 テーブルに着いたコゼットちゃんは、おっかなびっくりといった様子で聞いてくる。


「わたしに用って、なにかな……?」

「ん……? ああ、用があるのはわたしじゃなくて、こっち」


 なにも考えてなかったわたしは、シリルにすべてを押し付けると、テーブルには着かずにヒラヒラと手を振った。


「えっ!? 俺!?」

「そうだよー。あとはよろしくね、シリル。それとコゼットちゃん、同じ講義受けてる者同士、そんなかしこまらくていいからね!」


 嬉しそうにニコリと笑ったコゼットちゃんは、華奢な手を振り返してくれる。

 縋るような慌てたシリルのことは見ないふりをして、さっさとその場をあとにする。

 それでも、カフェテリアの入口で一度振り返ったときには、すでに二人で楽しそうに談笑し始めていたから。その姿に、ホッとしたような、微笑ましいような、ちょっと羨ましいようななんだか妙な気持ちを抱きながら、わたしは今度こそその場をあとにした。








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