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→はい、準備をします

 

 就業時間中に隊長がいるタイミングを見計らってその机に向かうと、隊長はわたしの姿を見ただけでいやそうな顔をした。


「まだなにも言っていませんけど……」

「言われなくてもわかる。どうせいつもの“一生のお願い”だろ」


 隊長の積み重なる経験による決めつけに、思わず苦笑が漏れる。


「今度はなんのお願いだ。どうせ強制的に聞かされるんだ。もったいぶらずにさっさと言え」

「残念ながら違います。今日はお別れを言いにきたんです」


 隊長はガリガリと動かしていたペンを急に止め、勢いよくわたしを見上げてきた。


「どうやら目処が立ちそうなので。急に消えてしまう前に、お世話になりましたとありがとうございましたを伝えておきたくて」

「……。本当に帰れるのか」


 なんとも言えない顔をして見上げてくる隊長に、目をぱちくりする。


「本当の本当に大丈夫なのか。目処というのは具体的にどういうことだ」

「さすがに隊長に説明するにはちょっと小っ恥ずかしすぎるので、具体的な方法については伏せておきたいんですが……おそらくは。もう間違いないかと」

「その……」


 珍しい。隊長にしては本当に珍しく、戸惑うように言い淀んでいる。


「どうしたんですか? 隊長」

「いや、なんだ。なんでもない。ただ……」


 隊長はポリポリと頭をかいたあと、ぶっきらぼうに視線を逸らした。


「もしもダメなら、あちこちフラフラせずにすぐにここに戻ってこいよ。どうせ面倒を見なきゃならんのなら、あちこちに面倒かけられる前にさっさと引き取ったほうがまだマシだ」

「あらまぁ……」


 隊長の言い様に思わず声を上げると、隊長はだから言いたくなかったんだとでも言いたげに顔を顰めた。


「まさか隊長がそこまでわたしのことを想ってくれていただなんて……」

「おまえはそういうふうにいやにポジティブに捉えるから、本当は言いたくなかったんだ」


 追い払うようにシッシッと手を振られる。


「いいか、おまえを心配しての言葉じゃない。おまえに迷惑をかけられるのは俺一人で充分だって話だ」

「はいはい、もしも見当違いで帰れなかったら、また雇ってくださいね」


 それにヒラヒラと手を振り返して、元の席に戻る。


「……元気でな」


 なにか声をかけられたかと思い振り向いたが、隊長はもう書類に集中してしまったあとだった。








 それからわたしは任務に向かおうと詰所をちょうど出ようとしているシモンに声をかけた。


「シモン」

「なんだよ」


 シモンも隊長同様、わたしの顔を見ただけでいやそうな顔をした。


「任務前におまえに声をかけられたくないんだよな。予期しないトラブルに巻き込まれそうでさ」

「人をトラブルメーカーみたいに言わないでくれない?」

「立派なトラブルメーカーがなに言ってんだよ……」


 シモンは深いため息をついたあと、「で? なに?」と冷たく言ってきた。


「相変わらず冷たいな〜……ようやく帰れそうだからお別れの挨拶にきたっていうのに」

「あっそう。それはよかったね。だったら早く帰りなよ。バイバイ」


 相変わらず塩対応のシモンに思うところはあるも、最後くらいはと堪えて笑顔を保つ。


「わたしがいなくなったからって、エドガー暗殺計画を実行に移さないでよ」

「はいはい、わかってるよ」

「リタちゃんがあんまり可愛すぎるからって、構いすぎると逆に嫌がられちゃうからね」

「おまえに言われなくたって、リタちゃんのことは俺が一番わかってるの!」

「それからわたしがいなくたって、提出書類はちゃんと読める字で書いてよ? 隊長の残業の原因の一つにあんたの書類の書き直しもあるんだからね」

「げっ……それは気をつけまーす……」


 まだなにか言いたいことでも、とわたしを睨みつけるように見下ろすシモンに、ニッと笑いかけた。


「今までありがとう、シモン」


 シモンはしばらくわたしを胡散臭そうに眺めていたが、やがて視線を逸らすとモゴモゴと「ま、まぁね……」と気まずそうに去っていった。








 その後の足取りはというと、わたしは白昼堂々仕事をサボって、学園の門の前でとある人を待っていた。

 忙しければいいと一言添えてはいたけど、伝言を伝えられたその人は息を切らしながらすぐにやってきてくれた。


「アンジェ!」


 エドガーはわたしを見るなり、まるで逃さないとでも言いたげに両腕を掴んできた。


「お別れを言いにきたって……本当ですか」


 いつになく焦燥感を滲ませるエドガーに、コクリと頷き返す。


「それって……そんな、本当にあなたはここからいなくなってしまうんですか」

「違ったらとんでもなく恥ずかしいけどね」


 でも、わたしには確信があった。


「ただお礼も言わずに去ってしまうのはなんとも心地が悪いからさ。特にエドガーにはなんだかんだ色々と世話になったし、ここまで助けに来てもらってるしね。今までなにくれと気にかけてくれてありがとうございました! そしてわたしの突拍子もない話を信じてくれて、ありがとう」


 ニカリと笑顔で見上げると、エドガーは薄いアイスブルーの瞳を揺らして唇を戦慄かせた。


「……って言ったら、あなたは……」

「ん?」


 戦慄く唇から紡がれる言葉は聞き取りずらくて、聞き返そうと近寄る。そんなわたしの体をエドガーは思わずといったように抱き締めてきた。


「ここにいてほしいって言ったら、あなたは残ってくれますか」

「えっ、と……」


 エドガーの声が震える。


「今ここで行ってほしくないって縋ったら、あなたは思い留まってくれますか」

「エドガー……」


 縋るようにアイスブルーの瞳が向けられる。これほどまでに自分は好かれていたのか……と、嬉しいような申し訳ないような、妙な気持ちに、エドガーの腕に手を添えた。


「この体は返さなきゃ」


 みんなとお別れするのはわたしだって寂しい。居れるものならわたしだってここに居たい。

 だけどその度にあの子たちの寂しげな悲しい顔が頭を過って、このままじゃいけないんだって焦燥感に煽られる。

 だから。


「もしもまたここに来ることができたのなら」


 下からすくいあけるようにエドガーを覗き込むと、ガラス玉のような瞳がまた揺れた。


「そのときはまたよろしくね。体が違うからわたしのこと、わからないかもしれないけどね」

「……そう、ですか……」


 エドガーは視線を避けるように俯くと、しばらくしてから顔を上げた。そのときにはもうあの縋るような必死さは鳴りを潜めていて、今はただすべてを堪え飲み込んだような、いつもの冷静な仮面を纏ってしまっていた。

 そうやって表情を隠してしまったエドガーが見せてくれたのは、どことなく寂しげな笑顔だけだった。


「でも体が違っても、あなたの破茶滅茶ぶりを見ればきっとわかると思います」

「見分け方がなんとも微妙ですけれども」

「それがあなたの一番の特徴ですからね。まぁそれがなくたって、私があなたを見間違えることはないでしょうけど」

「どんだけわたしのことが好きなの、エドガーは……」


 エドガーはかすかに笑い声をこぼした。


「ええ、そうですよ。それほどまでに私はあなたをお慕いしているんですよ」


 その笑顔にドキリとした。エドガーは軽く冗談めかして言っているけど、さすがにそれを笑って流す度胸はなかった。


「……交代の時間がきているので、もう行かなければならないんです」

「そっか」

「こんなときでも職務のことが頭に過ぎる自分が、嫌になります」

「まぁ……」

「こんなときくらい、もう二度とあなたに会えないかもしれないときぐらい、なにもかもかなぐり捨ててあなただけにぶつかっていけたらどんなによかったでしょう」


 エドガーはふと手を伸ばしてわたしの頬に触ろうとして、でも直前で手を下ろした。


「でもそれがエドガーのいいところじゃん。そんなエドガーだからこそ相談する気にもなったわけだし」


 エドガーは儚く微笑んだ。しばらく彼はそうして佇んでいたけど、やがて一歩後退った。


「それでは、また……」


 エドガーがくるりと背を向けて、来たときと同様早足で去っていく。その後ろ姿にひらりと手を振る。

 彼は一度も振り返らなかった。








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