→はい、誘います
「なんの用ですか、隊長」
じとりと半目で見上げると、隊長がますます気まずそうな表情を浮かべる。
「邪魔するってわかってるのなら、もう少しあとから話しかけてほしかったんですけど」
「わかったわかった悪かった」
両手を上げて降参のポーズをとる隊長。彼を見るシリルの目はまだ少し厳しい。
「俺は先に帰る、ただそう言いにきただけだ」
「え、帰るって……」
「コゼットは?」
シリルの問いかけに、隊長は表情を隠すようにそっぽを向いた。
「悪いがおまえらで対応を頼む。これ以上俺にしてやれることはなにもない」
そう言うなり次の瞬間霞のように消えた隊長に、シリルはまんまるに目を見開いて驚いている。
「え、なにあの人……消えた!? 今消えたよね!?」
「あー気にしないで。隊長ってバツが悪いとすぐ隠れちゃうんだ。彼、恥ずかしがり屋さんだから」
「恥ずかしがり屋さんって……そういう問題!?」
驚いているシリルに、誤魔化すように笑いかける。さすがに隊長の正体まで暴露するわけにはいかない。
それよりもと、さっきまでの話はおいといて、一人取り残されたコゼットちゃんの元へと駆けつける。
案の定、コゼットちゃんは滴るようなグレープフルーツ色の甘い瞳にいっぱいの涙を浮かべて、一人静かに泣いていた。
「コゼット……」
心配そうにシリルが肩に手を置くと、コゼットちゃんは涙をこぼしながらも無理に笑みを形作った。
「大丈夫だよ、シリル。きっと受け入れてくれないだろうってことは、わかってたから」
隊長は小さい頃から、人間の汚い部分ばかり見て過ごしてきた。
地位、身分、後ろ盾。侮蔑、蔑み、利用価値、悪意。
そんなものから常に母親と自分を守らなければならなかった隊長は、その立ち場、身の上から、誰にも心を開かないで過ごしてきた。
自分のそばに誰も置かないし、誰にも心を許さない。それが隊長の処世術だった。そうやって彼は今まで生きてきたんだ。
だから隊長の心を開くのは並大抵のことじゃない。わたしやシモンは隠すような裏も頭もないから、隊長は比較的気安く接してはくるけれど、でもきっとその心までを見せてくれる日はこないのだろう。
でももしかしたら、コゼットちゃんだけは違うのだとしたら。
学院でのコゼットちゃんと話していたときの隊長。自然な笑顔で、ほんとは楽しかったのだとしたら。
あのときだけは隊長は、ディートフリート殿下の影武者でも、ジーク隊長でもなく、ただ一人の青年として彼女と心を通わせていたんだとしたら。
「でもそれを承知で、わたしはここまで追いかけてきたの」
強くなったなぁ、コゼットちゃん。
なにを思うでもなく、そう思った。
「わたし、あの人の本音を聞くまでは諦められない」
隊長は心の奥底に、あのときの時間、思い出を大切にしまっているのでは……。
そう思ったからこそ、わたしだってコゼットちゃんならあの硬い殻を破れるのではと期待したのだ。
「そうだね。うん、この国にいる限り、何度でも会いに行けるよ」
そうコゼットちゃんに笑いかけると、彼女はやっと泣き止んで微笑んでくれた。
カフェでお茶するって雰囲気でもなくなって、わたしは二人を学園まで送っていた。
「そういえば、さ」
「ん?」
「アンジェが無事にこの一年間過ごしていたことはわかったけどさ、だったらなんで手紙が届かなかったの? それにこの間、学園で再会したときは生徒じゃなかった。警備兵だったよね」
シリルの目が再び疑いに染まっているのに、ギョッとして身構える。
「それにあの人だよ。あのどことなくディートフリート殿下に似ている人。あの人はいったい誰? ていうか、もしかしてラルジュクレール学院にもいた……?」
「そうなの、シリル。学院で仲良くしてくださったのは、確かにあの人なの。でも自分は殿下ではないって、その一点張りで……」
「二人とも、ストップストップ、ストーップ!!」
核心に触れそうな爆弾をさらっと投下したシリルに慌てて飛びつく。その口を両手で必死に塞げば、シリルはゴニョゴニョと口ごもりながら頬を赤くして目を逸らした。
「あのね、世の中には知らなくてもいいことってあるんだよねぇ〜……わかるよね?」
笑ってないわたしの目に、今度はシリルの顔が青褪める。
「大事なことは隊長はわたしを保護してくれてるし、決して悪い人じゃないってこと!」
「そ、そう……? ならいいけど……」
「そうそう! あ、そうだ!」
いまいち腑に落ちてないシリルに、便乗して隊長の正体を今にも聞き出したそうなコゼットちゃんの雰囲気を察して、強引に話題を変える。
「次の休みに、遊びに来てほしいところがあるんだ」
「遊びに来てほしいところ?」
「うん、とある教会の孤児院なんだけど」
不思議そうな顔をした二人に、笑顔を返す。
「まぁ、気が向いたら遊びに来てよ。子どもたちも喜ぶだろうし、運がよかったら隊長とも会えるかもしれないし」
その言葉に、コゼットちゃんがパァッと顔を輝かせて一も二もなく頷く。その笑顔に思わず見惚れる。さすがヒロイン、みんなを魅了するような、思わず見惚れてしまうような、それはそれは素敵な笑顔だった。
そうやってこの一年間のことなんかを当たり障りなく話しながら帰っていると、あっと言う間に学園の門までたどり着いていた。
そこで佇んでいた人物に瞠目する。
「お久しぶりですね」
口元だけに笑みを浮かべた、目の据わったエドガーだった。
「この一年間、血眼になって捜したにも関わらず、ほんの欠片もあなたの情報など出てはこなかったというのに、覚悟を決めて来てみれば、こうもあっさりとシリルさんにはコンタクトをとってくるなんて……わたしのこの一年間の努力はなんだったのでしょうね?」
「ごめんなさい!」
エドガーがあまりにも据わった顔をしているので、思わず条件反射で頭を下げる。
「心配かけてほんとごめんね!」
エドガーはしばらく憮然としてわたしを見つめていたけど、やがて諦めたようにふぅと息を吐いた。
「まったく……あなたって人は、去ったあとまで滅茶苦茶にかき乱していくんですから」
エドガーは視線を伏せると、こちらへと近づいてきた。
「本当に心配しましたよ」
「うん」
「結局あなたは帰れなかったのですね」
「うん、そうなんだよ」
「この一年間、大変でしたね」
「うん、でもみんなが良くしてくれたから」
隊長も、シモンも、教会のフィンさんも、子どもたちだって色々と思うことはあるだろうに、この一年間わたしがここで暮らしていくために協力してくれた。
「知らない土地で生きていくのは大変だったでしょう……本当はあなたが元の場所に帰れていないことを悲しむべきだと思うのに、それでもまたこうしてあなたと会えて、嬉しいとそう思ってしまう私は……」
薄いアイスブルーの瞳を見上げる。彼はもうむくれてはいなかった。
「アンジェ、あなたに再び会えることができたのなら、今度こそ伝えようと思っていました。もしもあなたがここから帰ることができなかったのなら、そしてあなたがもうここで生きていく諦めがついたのなら、それならいっそこのままもうわたしたちと一緒に……」
「エドガー、それは……」
なにかを言いかけたエドガーに、そっと首を振る。エドガーは口を噤んだあとに息を吐いた。
申し出は嬉しいけど、わたしにはここにいる理由がある。
「……そうですか。そういうつもりですか、あなたは……」
どこか寂しげなエドガー。心が痛んだのか、シリルが励ますように横から元気な声を出してきた。
「メルシエ様、アンジェから次の休みに、縁のある孤児院に遊びに来ないかと誘われています。メルシエ様も来られます?」
「そうですね、なんとか都合をつけてみましょう」
エドガーは考え込んだあとに、ふいとわたしに視線を向けた。
「それからアンジェ、これから誘うときはシリルさんだけでなく、わたしにも直接声をかけてくださいね?」
そう寂しそうに微笑まれて、思わず瞬きを繰り返しながら頷きを返してしまう。
「ではアンジェ、次に会うときこそぜひゆっくりとお話を」
エドガーはさらに近づいてくると、おもむろにわたしの手をとった。
「必ずまた。……次も絶対に会えますよね?」
あまりにも真剣にそう囁いてくるものだから、学院のときのように軽口の一つも出てこずに、ただ頷き返すしかできなかった。
「アンジェ」
手を離すと寂しげな微笑みとともにお別れの言葉を口にしながら、エドガーは足早に立ち去ってしまった。その後ろ姿を見送っていると、今度はシリルが反対側の手を握ってきた。
「俺たち……メルシエ様と話し合って、お互い正々堂々アプローチしようって決めたんだ。どちらかがアンジェの情報を掴んでも、お互いに隠し事をしない。二人で協力して捜し出そうって。その代わり、アンジェがどっちを選んでも、例えお互いを選ばなくても……恨みっこなしにしようって。だから、今日アンジェと会うことも事前にメルシエ様に伝えてたんだ。でも」
シリルは静かに話しているのに、不思議と迫力があった。彼はまるで決意するように伝えてきた。
「だからといって譲ったりなんてするつもりは毛頭ないよ。俺はここにいられる間、俺の全力を持ってアンジェに気持ちを伝えるから。一年間なにもできなかった分を取り返せるように、俺、もう遠慮しないから」
シリルはしばらくわたしの表情をまじまじと眺めていたけど、やがてあのじんわり温かくなるような、ホッとするような笑顔を浮かべた。
「そういうことだから。じゃ、また次の休みね!」
連れ立って去っていくシリルとコゼットちゃんに手を振り返す。
シリルのあの温かな笑顔が久しぶりすぎて、なんだか目が離せなくて余韻に縋るようにしばらくその場に佇んでいた。




