→はい、ケンカを売ります
午前の講義が終わり、お昼休み。
わたしはロクサーヌと昼食をとったあと、シリルがいるはずの講義室へとやってきていた。
さすが地味モブ令嬢なだけあって、わたしという関係ない生徒が入ってきているというのに、誰も気づく様子はない。そのままシリルを探しながら、キョロキョロと講義室のなかを進む。シリルも目立つほうではないから、なかなか探すのに苦労する。
彼だって、顔立ちが悪いわけではないんだけどな。大きめの垂れ目はヘーゼル色の瞳も相まって優しそうに見えるし、ニカッと笑う顔は愛嬌があって可愛い。――ただ、ほかの攻略対象者たちがみんな、軒並み顔面偏差値が飛び抜けているだけで。そのせいで相対的にシリルがモブ顔にみえてしまう。やっぱりなんだか、彼は不憫だ。
「……あ」
声をかけられた気がして振り向くと、友だちと談笑していたシリルと目が合った。どうやら向こうのほうが、先にわたしに気づいたようだった。
「アンジェ……?」
「あーいたいた、シリル」
「ちょっといい?」と声をかけると、周りの友だちたちがにわかに色めきたつ。どうやら告白目的で声をかけたと思われたみたいだ。
それを「そんなんじゃないって」と諌めながら、シリルは慌ててわたしのあとをついてきた。
「本当にいたんだ、この学院に」
キツネにつままれたような顔で、彼はそんなことを言ってくる。
「え? そりゃいるでしょ? この学院の制服を着てるくらいだし」
「それは、そうだけど……」
シリルはどこか腑に落ちないようだった。
「でも、一度も見かけたことがないんだよなぁ……」
「そんなことより、シリル」
あなたが今気にすべきことは、わたしの素性などではない。コゼットちゃんとレオナール殿下の親密度のほうだ。
「事態は思っているよりも、ずっと悪いかもしれない」
「えっ? マジで……」
シリルが顔を曇らせる。
「ねぇ、例の作戦はどう? さっそく声をかけてくれた?」
シリルはますます顔色を悪くした。
「それが……その」
「……シリル」
どうやら、シリルはこの後に及んで尻込みしているらしかった。
「そうやってモタモタしている今このときも、コゼットちゃんはレオナール殿下と仲を深めているかもしれないんだよ?」
「そ、それは……」
「もしそうなったらどうするの? シリルはコゼットちゃんを諦められるの? レオナール殿下には婚約者がいるのに、それなのに、そんな奴にコゼットちゃんを任せられる? それとも、殿下に直接文句を言いにいく? それともそれとも、レオナール殿下を差し置いてこっちを振り向かせる自信でもある? なら別に、悠長に構えててもいいんだろうけどさ!」
「そっ、そんな自信、あるわけないだろ!」
シリルは自嘲気味に突っ込んで、ハァとため息をついた。
「だとしても、おいそれとモンフォーヌ公爵令嬢に告げ口するだなんてことは……」
「なにビビッてんの? シリルだって貴族だよね?」
たしか、アルトワ伯爵の次男坊だったはずだ。
「……あのねぇ、相手はあのモンフォーヌ公爵令嬢だよ? 君ももちろん、知ってるよね? モンフォーヌ公爵家といえば、もっとも王家との距離が近い、格式高い貴族だって」
「それがどうした」
平然と言ってのけたわたしに、シリルは絶句した。
「この学び舎のなかではみな平等、そう学院もうたってるじゃない。事実、コゼットちゃんだって殿下と打ち解けて話してる。なにか問題でも?」
「あれはアレ、コレはコレだよ!」
シリルは素っ頓狂な声で、声を荒げる。
「気安い世間話をするのとは、訳が違う! あなたの婚約者がほかの女の子と仲良くしてますだなんて、そんなこと……」
「わたくしの婚約者が、なんですって?」
突如後ろから聞こえてきた冷たい声に、シリルはヒッと息を呑んだ。そして真っ青になる。真っ青を通り越して、もはやその顔は紙のように白い。今にも倒れてしまいそうだ。
「その話、今からでも詳しくお聞かせ願いたいものですわ、ねぇみなさま?」
噂をすればなんとやら、だ。ちょうどいいところに(シリルにとってはよくないか)、モンフォーヌ公爵令嬢と、その取り巻きたちがやってきていた。
空いている講義室へとつれてこられたわたしたちは、モンフォーヌ公爵令嬢とその取り巻きたちにズラリと取り囲まれていた。
一人だけ悠々とイスに座ったモンフォーヌ公爵令嬢は、口元を隠していた扇を畳むと、それをスーッとわたしのほうに向けてくる。
「それで?」
艶やかな声は美しいのに、同時に感じる圧もすごい。さすがは正統派悪役令嬢だ。迫力が半端ない。
そんな彼女に促されて口を開こうとして、緊張した顔のシリルに制された。どうやら彼が言うつもりらしい。変なところで律儀な男だ。
「モンフォーヌ公爵令嬢」
シリルは緊張を隠せていない硬い声で、訥々と話しだした。
「ユルバン・アルトワの次男、シリルと申します。その、わたしは先日、街で買い物をしておりまして、そのときのことなんですが……」
「レオナール殿下が、平民の女の子と仲良くデートしてたんです」
シリルが長ったらしい口上を述べ出したので、それを遮って単刀直入に言う。だって恐縮しきりで、全然話が進みそうにないんだもん。
ギョッとしたようにシリルが振り向いてきた。
「レオ様が平民とデート、ですって……?」
「はい。二人きりで、キャッキャと話しながら」
モンフォーヌ公爵令嬢が握っている扇が、ピシリと音を立てた。それにシリルが今度は公爵令嬢をギョッとしたように伺う。
「まぁ、デートというには語弊があるかもしれませんね。殿下はただ、一人で心細そうにしていた生徒に親切にしただけかもしれませんし、相手も殿下だから断れなかっただけだろうし」
「あら、そうね……レオ様はお優しい方だから」
シリルを見る圧が弱くなって、それにシリルが細く長いため息を吐く。
「でも、モンフォーヌ公爵令嬢。この際だから言わせてもらいますけど、今回の件は早めに対処されたほうがよろしいと思いますよ」
だってそこから、二人は恋仲に発展しちゃうんだもん。
続いて生意気にもアドバイスしだしたわたしに、シリルは再びギョッと目を剥く。
「相手のコゼットちゃん、言ったら悪いですけど、殿下のもろタイプですよ。女の子らしくて控えめで儚げで、おまけにとんでもなく美少女。高飛車で気難しいあなたとは大違いです」
「ア、アンジェ……!!」
隣でシリルが呻くような声を上げた。まるで今にも死にそうだ。そしてそれは周りの取り巻きも一緒だった。みながみな、触れてはいけないところに触れたわたしを、信じられないものを見るような目で凝視している。
「……おまえ、名前は」
モンフォーヌ公爵令嬢の声が変わった。サッと開いた扇で口元を隠したが、目には隠しきれない怒りが燃えたぎっている。
「アンジェです」
「おいっ……!」
この後に及んで偽名を使うわたしに、シリルが慌てて窘めてこようとする。その彼を片手で押しとどめた。
大丈夫大丈夫、どうせわたし、この世界の人間じゃないから。シリルがコゼットちゃんと無事に結ばれたら、元の世界に帰るんでしょ?
どれだけピピ・オデットの痕跡を探しても見当たらなかったわたしは、そう結論づけた。
このピピ・オデットっていう令嬢は、きっとわたしがシリルを助けるために作られたキャラなのだ。だから、名前以外の詳しい設定もなにも、詰められていないのだろう。
「アンジェ」
モンフォーヌ公爵令嬢は、いやに優しい猫なで声を出した。
「たとえそれが事実だとしても、どうしてわたくしがおまえのような、どこの馬の骨ともしれない者の言うことを聞かなければならないの」
「それは……たしかにそうですけど」
なんだかんだで、モンフォーヌ公爵令嬢だって殿下のことが好きだったはずだ。だから、殿下の心を奪われたことが許せなかったはずなんだ。
「でも、困るのはあなたですよ? 殿下の心が決まってしまえば、あとはなにしたって無意味なんですからね。あなたのやることなすことは、すべて裏目にでます。相手に引くように脅したところで、嫌がらせしたって、殿下があなたのところに戻ることは二度とない。断言しましょう。この先、あなたは殿下に見限られ、婚約破棄されます。真実の愛とやらに目覚めてしまったら、殿下はなにもかもを捨て去ってでも、彼女の元に行ってしまう。そしてそうさせるのは、まぎれもない、今のあなたの傲慢な気質のせいだ!」
「なに怪しい占いみたいなこと言ってんだよっ……訂正しろ!」
シリルは私の手を払って、今度は自分が庇うように前へと出た。
「大変失礼いたしました! モンフォーヌ公爵令嬢、こいつ今、ちょっと変な占いにハマっていて、それっぽいことばかり口走るというか……あの、この非礼をどう詫びれば……」
「おまえは黙っていて」
せっかく男気を見せてくれたのに、モンフォーヌ公爵令嬢にピシャリと返されてしまって、シリルは躊躇うように口を噤む。
「……そこまで言うのなら、いいわ。わたくしは優しいから、聞いてあげる」
モンフォーヌ公爵令嬢は、高飛車にこっちを見下ろした。
「そこまで不躾な物言いをするということは、もちろんなにか考えがあってのことなのでしょうね。言ってみなさい。このわたくしに言えるものなら」
「えーっと、だったら、コゼットちゃんと友だちになってください」
冷たく射抜くように向けられていた目が、驚くように見開かれた。
「同情が恋情に変わる前に、状況を変えましょう! かわいそうだから殿下の目が向くのなら、かわいそうでない状況を、つくるのです」
「なにを……」
「いじめたり、辛く当たったらダメですよ。ますます殿下の関心がコゼットちゃんに向いてしまう。優しく接するんです。もちろん、友だちだから対等。見下すのもダメ」
「そんなこと……」
「そんなあなたの姿を見れば、陛下も見直してくれるかもしれませんし。なにせ殿下は、心優しい人がタイプですもんね」
「それを、どこで……」
「それどころか、あなたのその激しい気性を、苦手にすら思っていますもんね」
「……っ」
容赦ないわたしの一言に、モンフォーヌ公爵令嬢は目を見開いたまま固まってしまった。
幸い、そうなってもいいと殿下が吹っ切れてしまうほどには、まだ愛は深まっていないはずだ。二人きりの世界が完成する前に双方に介入できれば、あるいは。
なおも言い募ろうとしたわたしを、シリルが強い力でひっぱった。
「差し出がましいことを申し上げました! 深くお詫びいたします!」
シリルの頬を、冷や汗が流れ落ちていく。
「……殿下がわたくしのそばを離れることなど、ありえない」
「本当に、そうでしょうか」
「レオ様はお優しい方だから、きっと同情しているだけよ」
「ええ、そうかもしれませんね。でも同情だけで、街への買い物にまで付き合うでしょうか? それも二人きりでですよ。誰かに見られれば、勘違いされる可能性もあるのに」
「……あなた、うるさいわね。それに不快よ。今すぐ消えて」
「モンフォーヌ公爵令嬢? 事実から、目を背けないでくだ……」
「アンジェ! 君、いい加減にしろよ……! 本当に、なんとお詫びしたらいいのか……失礼いたしました!」
その途端、シリルがこれ幸いといったように、わたしを引っ張って、あっと言う間に部屋をあとにしてしまった。あまりの速さに、モンフォーヌ公爵令嬢に釘を刺すこともできなかった。
シリルは電光石火の早業で講義室をあとにすると、それからわたしを引っ張ったまま、ずんずんと歩き出した。




