→はい、接触を試みます
交換留学生の到着、当日。
その日は朝から、街中がどことなくザワザワと騒がしかった。港には隣国からの船はまだかまだかとたくさんの人々が押しかけており、常日ごろ事務仕事しかしていないわたしは押し合いへし合いにずっと圧倒されっぱなしで、あまりの使えなさに警備隊長から不審に思われるほどだった。
「もういい、おまえは裏で備品の見張りでもしてろ! もう表に出てくるな!」
そうがなりつけられて、渋々前線から離脱する。でも、こっちのほうがかえって動きやすいかもしれない。
誰にも気づかれずにこのまま彼らに近づけたら、あるいは――。
「船が見えたぞ!」
誰かの叫び声で、港が一気に騒然となる。遠くの水平線にうっすらと見えた船影は段々と大きくなり、やがてその姿をはっきりと現した。
騒がしい港でじっと待つこと、しばらく。
到着した船舶から立派な渡し板が降ろされ、やっと中から人影が現れる。
一団を率いてやってきたのは、レオナールの殿下の弟王子、ユリウス殿下。レオナール殿下によく似た眩い金髪にちょっと愛嬌のある垂れ目を可愛く笑ませて、一生懸命に手を振っている。その姿を受けて一気に港を埋め尽くす、黄色い歓声。あまりの大きさに思わず両手で耳を塞ぐ。
そのユリウス殿下を護衛するようにすぐ後ろに付き従っているのは、よく見知った人影、エドガーだった。
ユリウス殿下に負けず劣らず黄色い歓声を浴びているというのに、彼はツンとそっけなく澄まし込んでいる。だけどその冷たい様子がまた大人っぽい美貌に磨きをかけていて、そしてまた上がる、エンドレスの黄色い歓声。
その姿を眺めながら、わたしたちのときもこうだったのかなと思いを馳せる。もしもあのジーク隊長がディートフリート殿下の代わりに歓声を受けていたとしたら、そしてそれに笑顔で返していたとしたら。……想像だけで笑いそうになって、慌てて真顔を作る。ちょっとだけその姿を見てみたかったな。
エドガーの後ろからは次々とラルジュクレール学院の生徒たちが下船している。その中に目当ての人物を見つけて、心臓がドクリと音を立てた。
――シリルだ。シリルがいる。隊長の事前情報通り、シリルは交換留学生としてこの国にやってきた。隣にはコゼットちゃんもいる。
全員の下船が終わると、交換留学生たちは馬車に乗り移って、この国の貴族たちが通う国立アインホルン学園へと移動する。
そしてそこの講堂で壇上に登る、本物のディートフリート殿下。
「諸君、本日は長旅を耐え、よくぞ我が国へと来てくれた! 我々は君たちを歓迎する! 共に学び切磋琢磨し合って、互いの国の発展に貢献しようではないか!」
雰囲気が似ているといえど、隊長をよく知る者からすると、やはり二人は違う人物だと分かる。ディートフリート殿下は王族特有の堂々たる威厳を感じるが、ジーク隊長はただひたすらに陰気で、なのに切り裂くような鋭い気迫がある。
その堂々たる殿下の朗々たる演説を聞きながら、どうも様子のおかしいコゼットちゃんを見つめていた。
コゼットちゃんは一心にディートフリート殿下を見つめていたけど、心なしか顔色が悪くて、遠目に見ても表情が強張っているように見えた。シリルはシリルで、隣でコゼットちゃんの様子がおかしいというのに、やたらとキョロキョロキョロキョロ辺りを見回していて、演説に集中している素振りすらない。
そうこうやっているうちにディートフリート殿下のご立派な演説が終わり、留学生たちはこれからすごす学院内を案内されることになった。
各警備隊の案内に沿って、留学生たちが席を立っては連れ立っていく。
素早く出入口付近の警備の列に紛れ込む。さすが“アンナ・クロス”。持ち場でもない場所に居座っているというのに、誰もわたしの存在を気にする様子もない。両隣の警備兵がなにか言ってくることもない。
今だけはその存在の希薄さに感謝しながら、わたしは何食わぬ顔をしてそこに陣取った。
目の前をラルジュクレール学院の交換留学生たちが次々と通り過ぎていく。
可愛らしい微笑みを浮かべたユリウス殿下、どこか思い詰めた表情でまっすぐに前を見据えたエドガー、そして幾人かの生徒が続き、そのあとをそわそわと不安そうな表情のコゼットちゃんが通り過ぎる。そして明るい茶色の髪を跳ねさせて、曖昧なヘーゼルの瞳をキョロキョロと動かしながらシリルが近づいてくる――。
彼が通った瞬間、軽く咳払いする。何気なくシリルは視線をこっちに揺り動かして、そしてその視線の先。
わたしの胸元に留められているブローチに視線を留めて、シリルは瞠目した。
「っ……!」
シリルが信じられないような顔で視線を上げてくる。
視線は合わせない。ここでは人目が多すぎて接触できない。
シリルはそれでも歩みを止めて、束の間わたしを凝視していた。
「あの、どうかいたしましたの?」
「……えっ? あっいや……」
後ろのご令嬢にせっつかれて、シリルは我に返る。
シリルはそれでも何度も振り返りながらも、留学生たちの流れに逆らえず、そのまま学院内の施設案内へと続くべく講堂を出て行く。
後ろ姿を見守る。ついていくことはできない。わたしには予め指定された持ち場がある。
シリルがじっと見つめていた、胸元のブローチ。キラキラ光るアンティークガラスで作られた、可愛らしい太陽を象ったブローチ。
これはあの日、みんなで万年筆を贈りあった日に、いつも助けてくれるお礼だといってシリルがくれたプレゼントだった。
あとはシリルの行動力に賭け、次の持ち場についてじっと警備しながら待つことしばらく。
「あの、すみません」
ふらりとやってきたのは、予想通り複雑な表情のシリルとコゼットちゃんだった。
「ちょっとお手洗いに行きたくて……案内をお願いできますか」
「……では、こちらにどうぞ」
ようやく再会できたヘーゼルの瞳には、どこか責めるような色さえある。わたしはその視線には応えず、踵を返した。
なにかを言いたげなシリルとコゼットちゃんを案内しながら、わたしは化粧室までやってきた。
「こちらでございます」
正面から、二人のこれでもかというほどの疑問を湛えた視線を浴びる。それに応えたい苦悩と葛藤しながら、シリルの胸元に手を伸ばした。
「失礼……ご令息様のネクタイが歪んでおりましたので」
ネクタイを指し示す動作をしながら、その胸ポケットへ折り畳んだ紙切れを素早く押し込む。
シリルはそれでも追求したそうに口をモゴモゴさせてたけど、コゼットちゃんの目配せを受けてなにも言わなかった。
「シリル、早くお手洗いを済ませてきてね」
「コゼット、それはあの、俺は別に……」
「ほら、お願い」
コゼットちゃんに追い立てられ、シリルは納得が行かないような顔をしながらも渋々男性化粧室の中へと消えていく。
……ほんとはわたしに話しかける口実だったんだろうな。けどごめん。ここでは馴れ馴れしく話したりはできないんだよ。ここでのわたしはあくまでもただの一般警備兵だから。
「あの、もう一つお尋ねしたいことがあるんです」
「なんでございましょう」
わたしに向き合ったコゼットちゃんは、あの滴るようなピンクグレープフルーツ色の目を、今度は一心に注いできた。
「ディートフリート殿下は、今はどちらにいらっしゃるのでしょうか」
その目をまっすぐに見返す。
コゼットちゃんはきっとわかってるんだろうな。あの壇上に立っていた殿下は、コゼットちゃんが好きになったあの人ではないと。コゼットちゃんが一心になって追いかけてきたあの人を、コゼットちゃんは探しに来たんだ。
「……」
視線を逸らして深く警帽を被り直したわたしに、コゼットちゃんの視線が揺れる。
「ディートフリート殿下は、今はユリウス殿下のご案内に身を砕いている頃かと」
「でも……!」
「おまたせしました」
とそこで、随分と早くシリルが戻ってきた。
「では、戻りましょう」
踵を返して背を向けたわたしの背に、二人の視線が突き刺さってくる。でもわたしは有無を言わさず、元の場所へ戻るよう二人を促した。
――あとはシリルたちがメモ通りに動いてくれることを祈るだけだ。




