→はい、真実を知ります
あれから、ほぼ一年後。
わたしは今、こっちの国で隊長直属の隊の事務員として働いている。
あの日、ディートフリート殿下が話してくれた事情は、こうだった。
なんとディートフリート殿下は、じつはディートフリート殿下ではなくて、ただの影武者だった。
殿下の本名はジークフリート。王室所属特殊作戦工作隊とかいう長ったらしい名前の部隊の隊長という肩書きを持っている。
ジーク隊長もこの国の王族の血を引く方ではあるけれど、その立場は他の兄弟とは一線を画している。
というのも、ジーク隊長のお母さんはもともと、王宮に務める身分の低い女官だった。そのお母さんが在籍中に王に一方的に見初められ、強制的に縁を結ばされた。その結果生まれたのがジークフリート隊長だ。
ジーク隊長は母親の身分が低い故に後ろ盾も心許なく、他の兄弟からはその存在を軽視されている。特殊部隊というと聞こえはいいが、要は潜入・偵察任務やら秘密裏の破壊工作やらの、危険で旨味のない任務ばかり押し付けられている。
おまけにジーク隊長はディートフリート殿下と色味やら雰囲気やらが似ているからか、地味でパッとしない任務や、孤児院などを含む下々の者への訪問など、殿下が乗り気でない執務を影武者として肩代わりさせられることも多々あった。
もちろん、ジーク隊長には断るという選択肢もあっただろう。それを彼が選ばなかったのは、ひとえに王室内での彼の母親の命と立場の保証をディートフリート殿下が約束してくれたから、というのが大きな理由だった。
このジーク隊長直属の隊員には、貴族出身の者はほぼいない。中には“アンナ”やシモンのように、この国の底辺で生き抜いてきたような素性のわからない孤児もいる。
ジーク隊長はそんな問題児でも差別せず、有能な者は隊に取り立てたり、そうでなくても縁があれば孤児院を斡旋したりして、そうして下々の信頼を得ながら、一からこの部隊を作り上げたのだそうだ。
ちなみに、“アンナ”になんの才能を見出して取り立てたのか尋ねたら、「あまりに生気がなくて存在が希薄すぎたので、いっそ諜報活動に向いてんじゃないかと思って」とのことだった。
わたしが言うのもなんだけど、周りに溶け込むような圧倒的地味モブ顔だものね、アンナ……。まぁそうは言っても、彼女もれっきとした優秀な潜入捜査員であるそうだ。
……という事実、軽視され冷遇されている隊なので、とにかく仕事内容がハードでおまけに予算も慢性的に足りない。
そんな中、ちょうど一年前、国からジーク隊長に新たな指令が出された。それがあの『隣国の豪商、レニエ商会と我が国の貴族間に蔓延る闇取引についての調査』というものだった。
この隣国との共同での任務に当たって、ジーク隊長は部下たちを幾つかの班に分けた。そのうちわたしたちの班が隣国担当になり、一般生徒枠での交換留学生として潜入することになった。学院にはレニエ商会の一人娘、ロクサーヌが通っている。わたしはロクサーヌ経由でアプローチして、レニエ邸の詳しい内部構造――つまり、書斎の場所やその他にも機密を隠せるような怪しい場所はないか――などを情報収集する役だった。
それにジーク隊長も同行することで、ディートフリート殿下は自分の都合のいいときに学院の講義をサボったり、面倒くさい行事を隊長に押し付けたりもできる。ディートフリート殿下にとっても都合がよかったというわけだ。
「こんな目に遭わせてすまなかったな」
すべてを包み隠さず説明してくれたジーク隊長は、視線を落としながらもそう謝ってくれた。
「だが俺の力じゃもう、おまえを学院に入れたり、交換留学生に推薦したりはできないんだよ。今回はこの作戦があったから……特例なんだ」
「そ、そんな……」
「だが、約束する」
ジーク隊長は沈みきった視線を逸らしたまま、これだけは約束してくれた。
「いつかまた、俺が隣の国に連れて行ってやる。時間はかかるかもしれない。学院生としては到底無理だが、なんとかあの男の元までは届けよう。それまでの身の振り方も保証する。だから、今は待ってくれないか、“アンナ”」
あまりにも沈んだ声でそうジーク隊長に言われて、ほかに頼れる人もいなかったし、わたしは頷くしかなかった。
それ以来、わたしは引き続き“アンナ・クロス”としてジーク隊に所属していたわけだが、騒がしすぎる上にただの凡人なわたしは、もちろん潜入捜査などできるはずもなく、ジーク隊長の計らいもあって、今はこうやって誰もやりたがらない隊の事務仕事を一手に請け負っていた。
「それにしても、そろそろ交換留学生がやってくる時期かぁ……」
レオナール殿下に、マルリーヌ様、エドガーやロクサーヌ、コゼットちゃんにシリルも、みんな元気にやってるかなぁ。
隣国から何度かわたしに関する問い合わせがあったみたいだけど、病気やら退学やらとなにやら有耶無耶のままに煙に巻いて、どうやら存在を誤魔化されたようだというのは隊長からすでに聞いていた。
ロクサーヌからもシリルからも何度も手紙が届いていたらしいけれど、隊長がどんなにがんばっても、結局それらもわたしの手元に届くことはなかった。
「今年は誰がやってくるんだろう……」
いつまでこんな生活が続くのだろう。
相変わらずわたしはこの体を乗っ取ったままで、あの子たちにも“アンナおねぇちゃん”を返せていない。早く出ていかなきゃとは思うものの、心の中では半ば諦めているところもあった。
週に一回、休みの日。わたしはいつもあの教会の孤児院を訪問することにしていた。
「……あ、おねぇちゃん!」
庭でわたしを心待ちに待っていてくれたのは、一番小さな男の子、エミル。
駆け寄ってきた小さな柔らかい体を抱きとめて抱き上げると、エミルはキャッキャと笑い声を上げた。
「おねぇちゃん、今日も来てくれた……?」
扉から姿を見せてくれたのは、病気がちな妹のニーナ。
「ニーナ、これ、ディートフリート殿下から預かった薬だよ」
ニーナはどこかホッとしたような顔をして、わたしのために扉を開けてくれた。
ちなみに、隊長は各孤児院や教会を訪問するときはディートフリート殿下のフリをして、その名を使わないといけないらしい。ディートフリート殿下が民草にも心を砕いているアピールに繋がるからとかなんとか……なんじゃそら、って感じだけども。
なんでもかんでもジーク隊長の手柄を横取りするのは止めてほしいもんだ、ホンモノのディートフリート殿下は。
「……また来たのかよ」
扉の奥から顔を覗かせた一番上の弟、マイクは、わたしの顔を見るとすぐに背を向けてきた。この子だけは一年経ってもわたしに心を開いてくれることはなかった。それも仕方がないことだろう。なにせ外面は完全に自分の姉なのに、中身はまったくの別人だ。わたしがマイクだったら、気味が悪いったらありゃしない。
「はやくその体から出ていけよ。いつになったらねぇちゃんを返してくれるんだよ!」
“アンナ”のことが心配でたまらない気持ちが泣きたくなるほどに伝わってくるから、何回来てもここに来るのは覚悟を伴う。でも、それでも下の子たちが少しでもこの顔を見たいと望むのならと、わたしはできるだけここを訪れるようにしていた。
その日の帰り。
珍しくジーク隊長が教会に来ていた。
「待たせて、すまなかった」
茜色の夕陽が射し込む中、敷地から少し外れた先で佇んでいた隊長は、わたしの顔を見るなりそう口にした。
「なんとかおまえを今回の交換留学生の歓迎セレモニーの警備隊に捩じ込むことができた」
「……!」
その言葉に息を呑む。
「あちらからはおまえの知り合いも数人、参加するそうだ。今年の主賓はユリウス第三殿下だが、その護衛の一員にエドガー・メルシエの名がある。それと交換留学生の名簿に、シリル・アルトワの名もだ。……ようやく掴んだチャンスだ、どうか活かしてほしい」
シリルがこの国に来る。
これは、代わり映えのしない繰り返しの毎日に、光が差すような吉報だった。




