→はい、詰められます
後日、ロクサーヌに呼び出しを受けた。
「……あの、最近講義をサボらされることが多いんですけど」
「まあまあ、いいじゃん。たまにくらい」
わたしはたまにじゃないんですけど。
それでもロクサーヌのほうから誘ってきたということは、なにか話したいことでもあるのだろう。
連れ立って屋上まで来ると、ロクサーヌはうーんと伸びをして、直接地べたへと座り込んだ。
「アンジェでしょ、イヴァンをけしかけたの」
ロクサーヌに見抜かれていたことに、うっと言葉を詰まらせる。
「けしかけたって……」
「いい加減に目を逸らすのはやめなって、そんなふうにあたしに発破をかけてくれたのも、ずっと立ち止まってるのはあたしだけだって教えてくれたのも、アンジェだけだった」
ロクサーヌのポニーテールが風に揺れている。
いつも遠慮なく向けられてくるその視線は、今日はまっすぐに空に向けられたままだ。
「だから、イヴァンを焚き付けるようなお人好しな真似するの、アンジェぐらいしかいないのよ」
「……ごめん」
「なんで?」
ロクサーヌは乾いた笑い声をあげた。
「なんで謝るの? あたしはむしろアンジェに感謝してるのに」
ロクサーヌは視線を床に落とした。
「わかってはいたんだよ、イヴァンがとっくにあたしのことなんて見ていないこと。イヴァンにとってあたしは腐れ縁の幼馴染みで、気の合う仲間で、でもって将来のライバルで……それ以上でもそれ以下でもなかった。でも、あいつはあのとき、商会のためにあたしの婚約者になると決めた。いずれヴィクトル商会を背負うあいつが、この婚約を断れるはずがない。実際にそのとおりになって、そしてあたしはそれに胡座をかいていた」
しばらくぼんやりと床を眺めていたロクサーヌの視線が、こっちを向く。
息が止まりそうになるほど、鋭い視線だった。
「それに知ってた、イヴァンがあの子のことを見ていたことも」
今度はまっすぐにわたしに向けられた視線。
「でもどうせ、いつもの気まぐれだろうと思ってた。放っておいてもそのうち飽きたら戻ってくるだろうって。それでいいと思ってた。だって、そう自分に言い聞かせなきゃ、あたしが縋ったってイヴァンはますます離れていくだけだもん!」
強くなったロクサーヌの声は、宙にかき消えていく。
「イヴァンがあたしのことなんか見てないこと、とっくに気づいてたよ! それでも、イヴァンはあたしと結婚するしかないんだから、このままいけばイヴァンはあたしのものになるんだからって、あたしはそれでいいと思ってた、のに」
射殺されそうなほどの強い視線は徐々に力を失っていき、やがてロクサーヌは項垂れるようにまた視線を落とした。
「それでもイヴァンはあたしを捨てて前を向くつもりなんだってことが、あたしには悔しくて悔しくてたまらなくて、……そしてすごく悲しかった」
なにも言えなくて、わたしはただ唇を噛みしめることしかできなかった。
わたしがしたことが正しかったのか、わからない。
「……でも、あんなふうにイヴァンに真っ向から向き合ってもらえたの、ほんといつぶりなんだろう」
視線を落としたまま、ロクサーヌは自嘲するように笑った。
「はっきりと言われちゃった。僕は君と人生を歩んでいくつもりはないって」
ロクサーヌの声が震えた。辛い記憶を無理やり掘り起こすように、ロクサーヌの声は何度も震えた。
「……あたし、あたしとうとう言っちゃったの。そばにいてくれるだけであたしは幸せだったのに、って。でもイヴァンはダメだった。たとえそうやって夫婦になったとしても、本当の意味でそばにいることなんてできないって。はっきりと言われちゃったよ。あはっ……わかってたのに、あたし今さら失恋しちゃったよ」
ロクサーヌの自嘲気味の笑い声が徐々に大きくなって、それからいつの間にか泣き声に変わっていた。ロクサーヌは俯いたまま、何度も目を擦っては溢れ出てくる嗚咽を漏らしていた。
ほんとに、これでよかったのかわからなかった。いずれ通る道だとしても、こんなにもはっきりと突きつけなくてもよかったんじゃないかと――でも、あのシーンを思い出して思うのだ。長年そばにいた、誰よりも近くにいたはずの婚約者のその気持ちを、ぽっと出のほかの女に諭されたら?
いい加減に解放してあげてくださいなんて、まるで自分一人が悪かったかのように責められたら? ……だったらせめて、最後の終わりぐらい本人と真正面からぶつかってほしいなんて、こんなのただのわたしの余計なお節介の押しつけだけど。
ロクサーヌの嗚咽が止まるまで、わたしは黙ったままそばでその姿を見守っていた。これが自分のエゴを優先して動いた結果だと目に焼き付けるように、わたしはロクサーヌから目を逸らさなかった。
ロクサーヌは翌日から数日間の欠席を申請したようだった。
どうやらイヴァンとの婚約解消について、話をつける覚悟が決まったらしい。同時期にイヴァンも見かけなくなったので、きっと今はお互いその話でごたごたしているのだろう。
そして無事イヴァンルートに入ることなく、回避できたコゼットちゃんはというと。
「コゼットちゃん」
いつもの中庭のあのベンチとは違う、こじんまりとした裏庭に面したベンチ。
そこで談笑していたコゼットちゃんに声をかけると、彼女はバラ色に染めた頬をそのままに、不思議そうにわたしを見上げてきた。
「アンジェちゃん?」
コゼットちゃんと談笑していた相手はわたしに気づくと、わずかに顔色を変える。
「コゼットちゃん、あの……」
今日こそ言おうと思っていた言葉を口にしようとして、でも迷っていると、少し乱暴な力で腕を引っ張られた。
「コゼット、少し席を外すよ」
随分と愛想のいい笑顔を浮かべながら――ディートフリート殿下は立ち上がると、そのままわたしの腕を引っ張って隅のほうまで歩いていく。
「なんなんだよ」
さっきとは打って変わって、随分と薄暗い声だった。おまけにこれみよがしに舌打ちまでされる。
「この間からなにかにつけては話しかけてきて、いったいおまえはなんなんだ」
「殿下こそ。どうして最近コゼットちゃんと二人きりでいることが多いんですか」
「ぁあ? んなもん、向こうが近寄ってくるからに決まってんだろ」
そうだ、あの日イヴァンを追い払ったあとにコゼットちゃんに言われた言葉。
『わたし、本当はね……ディートフリート殿下をお慕いしているの』
あのとき風に浚われながらも届いた言葉が頭の中でリフレインして、思わず表情を歪める。
「本気ですか?」
「なにが?」
「コゼットちゃんのこと」
「はぁ?」
殿下は口端を歪めて笑った。
「関わるからには、本気で向き合おうとしているんですよね?」
「なにを突然言い出すかと思えば、おまえがそれを言うのか?」
殿下の自嘲気味の笑みは、まるで傷ついているかのようで。その先のことを尋ねるのには、さすがのわたしでも躊躇ってしまう。
「知ってるだろ? そもそも、俺は……」
殿下の視線が逸らされ、憂いたような漆黒のまつ毛が伏せられる。
「……それより、だ。近々レニエ家の屋敷に呼ばれるそうだな」
「えっ、どうしてそれを!?」
誰にも言ってない情報が殿下にはバレていて、思わず鳥肌を抑えるように腕を擦る。
「まさか、殿下ってわたしのストーカーだったんですか」
「おまえ……一度痛い目に遭わせないとわからないようだな」
一瞬真顔になった殿下に、慌てて話の先を促す。
「それで? それがなんですか」
「これを持っていけ」
殿下は懐から徐にハンカチを取り出すと、わたしの胸ポケットに押し込んできた。
「あのー、すみませんけどお触りは禁止なので、いくら殿下でもみだりに触れてほしくないっていうか、」
「あのなぁ!」
とうとうブチッと切れたのか、声を荒げた殿下に「やだぁ〜怖いですぅ〜」としなを作ると、これみよがしにまた舌打ちされた。
多少のおふざけは許してほしい。わたしだってこれくらいふざけていないと、とてもじゃないけどガチトーンの殿下なんかとまともに向き合えない。
今まで多大な犠牲を払ってレオナールルート、エドガールート、クロヴィスルート、イヴァンルート全部をギリギリ避けてきたのに。最後の最後でなにもアクションを起こしていないはずのディートフリート殿下にすべてを持っていかれるなんて。
「客室に入ったら窓の外に見えるように置いとけよ。わかったな」
殿下は半ば怒りを込めてわたしのポケットにハンカチを押し入れると、そのままコゼットちゃんに片手を上げてその場から立ち去ってしまった。
コゼットちゃんは立ち去っていくディートフリート殿下の後ろ姿を名残惜しそうに見つめていたが、やがてその姿も消えると、さっと立ち上がって自身も去って行こうとした。
「コゼットちゃん!」
慌てて呼び止めると、コゼットちゃんは後ろ姿のままで立ち止まる。
「コゼットちゃん……」
「アンジェちゃん」
いつになくコゼットちゃんの声は震えている。こうなってからずっとだ。殿下にはキレられ、コゼットちゃんにはなんとなく避けられて――ほんとにもう、踏んだり蹴ったり。
「アンジェちゃんがなんと言おうと、わたし、殿下を放っておくことはできないから……」
避けるように、逃げるように立ち去っていくコゼットちゃんの後ろ姿を見送る。
いったいどうしてこんなことになってしまったのかと、頭を抱えて蹲りたくなった。




