→はい、割り込みます
そろそろかな。
そう思ってここ数日間通い続けている、ヒロインがいつもいるあの中庭の隅のベンチへと向かう。
コゼットちゃんは案の定一人で本を読んでおり、そこにちょうど通りかかったイヴァンが話しかけようとしていたところだった。
「コゼットちゃん!」
イヴァンの明るい声にコゼットちゃんが顔を上げると、彼はニコニコ笑顔で近づいていく。コゼットちゃんもニコリと微笑み返す。
「コゼットちゃんってよくここにいるね。それ、なんの本を読んでるの?」
ごく自然な様子でイヴァンは隣に座り込むと、コゼットちゃんに身を寄せてその手元を覗き込んだ。急に近づいた距離に、ふわりと微笑み返すコゼットちゃん。そんなコゼットちゃんの顔を見上げて、またニッコリと笑うイヴァン。
ムカムカムカムカと、胸の奥からなんともいえない感情が湧き出てくる。
どいつもこいつも……ほんっとーに、どいつもこいつも、だ。
せっかくいい雰囲気だってのに、ここ数日はまったくコゼットちゃんの前に姿を現さないシリルにもイライラしたし、婚約者がいながらその目の前で、ほかの女の子と平気でイチャつくイヴァンにもイライラした。
……それに、婚約者のいる男性に話しかけられても、ちっとも警戒しないコゼットちゃんにも。別にコゼットちゃん的には、そういった男性がまさか自分に好意を向けてくるなんて思いもしないのかもしれない。たしかにみんな異性の友だちくらい当たり前にいるから、むやみやたらと警戒する必要もない。それくらい私だってわかってる。
でもそれでも、婚約者持ちは不用意に近づいてくんな、失せやがれって一回くらい言えないかななんて、あー……随分と自分勝手な恨み言だ。
今回は余裕ないな、自分。コゼットちゃんに当たったって仕方がないのに。
二人はどうやら、コゼットちゃんが読んでいた本について話しているみたいだった。
「これ、自分を大切にしてくれない恋人に別れを告げて、新たな自分探しに出かけるって、そんな感じの物語でした」
「……そっか。なんかこの小説の主人公って、僕に似てるかも。気持ち、よくわかるよ」
「……?」
「いや、僕も似たような境遇だな、ってね」
寂しげに微笑んでみせているイヴァンに気づかれないように、二人の後方へと回る。そしてそっと忍び足で近づいた。
「僕もさ、なんていうか、その……婚約者とはもうずっと距離が開いたままでさ。今の彼女がなにを考えているのか、実はもうよくわからないんだ」
イヴァンは遠くを見つめながら、なおも寂しそうに呟いている。
「僕たちは所詮お金で繋がった関係だから、対等にはなれない。僕は一生彼女に頭が上がることはない。僕は彼女がそうしろって言ったことを、そうするだけ。……なんだか僕って、まるで人形みたいだよね。自分でもわかってるんだ。僕は金で買われたただのおもちゃだって。おまけにこんな投げやりな態度が彼女を辟易させているのもわかってる。はぁ……僕って、いったいなんのために生まれてきたんだろうって」
「そうなんですね……」
「なんか、他人事と思えなくて余計に感情移入しちゃったな。よかったら、コゼットちゃんが読み終わったら僕にも貸してくれない? この本」
「いいですよ、先に読んでもらっても」
「いや、いいんだ。まずは君に読んでもらって、君がどう感じたのか聞きたいから。コゼットちゃんの気持ちを聞かせてほしい」
イヴァンは笑顔を消して、真っ直ぐな視線でコゼットちゃんを見つめる。
「コゼットちゃん……」
イヴァンが顔を近づけて、コゼットちゃんの手を握ろうとした。
「ねぇ、お願いだ。……これからも、ここで僕の相談に乗ってくれないかな。こんなこと言えたの、コゼットちゃんが初めてなんだ」
「イヴァンさん……」
「ええ、ええ、いいですとも! そんなのコゼットちゃんだけと言わずに、どうぞわたしにも聞かせてくださいな!」
突然響いた無遠慮な声に、イヴァンは飛び上がらんばかりに驚いて振り向いた。
「わたしで良ければ、いくらでも相談に乗りますよ!」
ポッカーンと口を開けて呆気にとられているイヴァン。その隙にわたしはイヴァンを押しのけるように、二人の間に無理やり割り入って腰掛けた。
「それで?」
図々しくも座り込んで話しかけたわたしに、ドン引き状態の薄い碧の目が向けられてくる。
「どうぞ。話して?」
「……は?」
随分と間抜けな声だった。
「だから。なにがそんなに他人事に思えないのか。ロクサーヌとなにが対等じゃないのか。話してどうぞ」
「……いや、その前に……君、誰よ?」
衝撃から戻ってきたのか、イヴァンの声が硬くなる。誰にでも人当たりのいい彼にしては珍しい声音だった。
「誰って、そりゃあコゼットちゃんの友だちですよ。友だちの友だちはまた友だちってね。てなわけで、遠慮なくどんと話してみなさい!」
イヴァンの真似をして胡散臭くニッコリと笑いかけたわたしに、イヴァンは怒ろうかどうしようか迷っているような雰囲気だった。
きっと、コゼットちゃんがいなければ容赦なくキレ散らかしていただろうな。
だけど当のコゼットちゃんは不思議そうな顔をして、イヴァンを見上げている。コゼットちゃんの友だちを無下に扱うわけにもいかないと思ったのか、イヴァンは妙な顔をした。
「イヴァンさん、アンジェちゃんって今までもいろんな人を助けてくれて、もちろんわたしもいつも助けられていて、すごく頼れるお友だちなんですよ。よかったらイヴァンさんも話してみませんか」
キラキラした目のコゼットちゃんにまで促されて、イヴァンはますます変な顔になった。
「えっと……あまりおいそれとたくさんの人に話したくないっていうか、」
「まぁ言われなくても、聞こえてたんですけどね。ロクサーヌがあなたに辟易してるって? へぇー?」
イヴァンは呆けていた口を今度は閉じた。その目に浮かんだ不審感が強くなったことに、内心苦笑を浮かべる。
まぁ、聞いていようがいまいが、君がコゼットちゃんに言うことはすでに知っているけども。
「もしかしてあなた、こう言うつもりだったんじゃないでしょうね? 僕はもっと彼女と対等な関係を築きたかったんだ。今こうして君と無邪気に過ごしているみたいに。なんでも話せて、笑いあえるような関係を。……でも残念ながら、僕はもう君とじゃないと笑えないみたいだ」
情感たっぷりに音読してみせると、イヴァンの顔がサッと赤くなる。
「なーにが君の前でしか笑えない、だ。今まで散々、ほかの女の子の前でも笑い散らかしてきたくせに」
ポツリとこぼした言葉は、幸いにもコゼットちゃんには聞こえなかった。
「それで? 君はもしかして、君たちの問題にまさかコゼットちゃんを巻き込むつもりじゃないですよね? 純粋なコゼットちゃんの同情を誘って、ロクサーヌに君の気持ちを代弁してもらったりとか……そんなことはまさかのまさか、考えてるわけないですよね! もちろん、君の気持ちは既にないことをそれとなく匂わせて、それで罪悪感を感じたロクサーヌのほうから婚約解消を申し出てくれないかなぁ……とか期待しちゃったりとかさぁ? あとは借りたお金を返しさえすれば、僕は僕の想い人とゴールインしたって構わないよねーなんて? ま・さ・かねぇ!」
イヴァンのシナリオルートを簡潔に説明すると、今度はイヴァンの顔が青くなった。
まぁこれは計画ありきというよりも成り行きでなったことだから、現時点でそんなことは思い描いてもいないだろうけど。でも、おそらくそうなったら楽だなと思ってはいたのだろう。イヴァンの表情が段々と幽霊でも見たかのようなものに変化していく。
「ちょっとお話ししましょうか?」
小首を傾げてにっこり笑いかけると、イヴァンは薄気味悪そうに体を擦りながら身を縮こまらせた。




