→はい、様子を伺います
「ロクサーヌ」
声をかけてきたのは、派手な赤髪に、薄い碧の目の軽薄そうなイケメン。彼の名はイヴァン・ヴィクトル。ロクサーヌの幼なじみで、婚約者。
とうとう、彼の番がやってきた。
イヴァン・ヴィクトルは自身の婚約者に二声三声、声をかけると、さっさと背を向け殿下やマルリーヌ様たちと談笑するコゼットちゃんの元へと行ってしまった。その後ろ姿をなんとも言えない表情で見守っているロクサーヌ。
イヴァンが頻繁にこの教室にやってくるようになったのは、ここ数日の出来事だった。
それまでは滅多にこの講義室に来なかった彼だが、ついこのあいだ、ロクサーヌに用事があったのか、ここに姿を見せた日。
「あっ、ごめん!」
ロクサーヌの元から立ち去るときに、ふとした拍子に人とぶつかって、イヴァンはコゼットちゃんの教材を落としてしまった。
――どうでもいいけど、君たち攻略対象者って順番にヒロインに引き寄せられる呪いでもかかっているのかな。なんでいちいちコゼットちゃんと関わってしまうんだろう。
「これ、落としちゃった。ごめんね?」
教材とともに落ちてしまった万年筆を拾いコゼットちゃんに渡そうとして、イヴァンは思わずといったように感嘆の声を上げた。
「えっこれすごい可愛い! ね、どこで買ったの?」
それは、あのときにシリルがコゼットちゃんのために選んで贈った万年筆だった。その万年筆を褒められて、コゼットちゃんは嬉しそうに破顔する。それを見てイヴァンもニッコリと微笑んだ。
……その出来事以来、イヴァンは頻繁にこの講義室にやってきて、とってつけたようにロクサーヌと会話したあと、さっさとコゼットちゃんに話しかけにいくようになってしまった。
「ねぇ、ロクサーヌ……」
二人が楽しげに会話する様子を、見るともなしに眺めているロクサーヌ。
「なに?」
声をかけると振り向いたロクサーヌは、別段変わったところはない。いつも通り飄々として少し毒舌で、でも構えたところがなくてフランクで。
でも、その内心ではどう思っているのだろう。あのイヴァンルートのシナリオのロクサーヌのように、彼女も心の中で葛藤しているのだろうか。
「あの人、ロクサーヌの婚約者だよね?」
「ん? ああ……まあね」
ここしばらく触れないようにしていた話題に、敢えて踏み込んでみる。いつものヘラリ顔を引っ込めたわたしに、ロクサーヌは苦笑を浮かべてみせた。
「まぁ一応は婚約者って扱いだけどね」
ロクサーヌは肩をすくめて、ちらりとイヴァンに視線を遣った。
「でも親が勝手に決めたことだから。多分、イヴァンは納得していないんだと思うんだよね。昔からあんな感じだし。もうどうしようもないって慣れてるよ」
言っても聞かないし、とロクサーヌが吐き出した言葉が虚しく宙を漂う。
「ま、気にしないでよ。どうせどう足掻いたって、結婚しなければいけないことには変わりないんだから」
ニコリ、と向けられた笑顔になんとか笑顔を返す。
婚約者におざなりに声をかけたあとは、頑なにこっちを向こうともしないイヴァン。
それがコゼットちゃんと二人きりであれば突っかかることもできたのに、彼はマルリーヌ様やその取り巻き、そしてレオナール殿下たちも含めてみんなとわいわいしているものだから、下手に口出しすることもできない。
楽しそうに響いてくる笑い声が恨めしかった。
お昼休み。
いつものようにロクサーヌと食堂に行く。いつものようになんてことない話をしながら、昼食をいただく。
でもそうやって普段通り振る舞おうとしてても明らかに食欲が落ちているし、ロクサーヌがどことなくうわの空であることは、さすがのわたしにでもわかる。
誤魔化すばかりの話は途中で止めて、一旦フォークを置く。
「……ねぇ、ロクサーヌはさ」
ぼんやりと中庭に続く窓の外に向けられていた視線が、こっちを向く。
「いつからあの人と婚約してるの?」
「うーん? いつだったかなぁ……」
思い出を辿る目が、テーブルに落とされた。
「元々幼なじみだったからね。物心ついたときから知ってたんだけど」
本当はシナリオを読んで知っている話を、ロクサーヌがポツリポツリと話すまま、黙って耳を傾ける。
元々、ロクサーヌとイヴァンは幼なじみだった。お互いレニエ商会のご令嬢とヴィクトル商会の跡取りということで、二人は気の合う仲間であり、そして将来のライバルでもあった。
その関係が一変したのは、この学校に入学する数年前。ヴィクトル商会の不正が明るみに出て、その名前が一気に地に落ちてしまったことがきっかけだった。貴族ではないが裕福な暮らしをしていたヴィクトル家は、たった一夜で失墜し、そしてイヴァンのラルジュクレール学院への入学も絶望的になった。
そこに昔からの顔なじみのレニエ商会が手を差し伸べたのだ。ヴィクトル商会の立て直しを手伝い、資金繰りを調達し、彼ら親子の当面の面倒と、イヴァンの学院への入学資金を提供した。
「その代わりにって、話なのよ」
ロクサーヌが自嘲的な笑みを浮かべる。
「将来的にね、イヴァンはレニエ家に婿に入ってもらって、そのタイミングで立て直したヴィクトル商会もレニエ商会に統合されるって。まあ、実際イヴァンは人質みたいなものなのかな」
顔が良くておまけに人当たりも良く、物怖じせずに誰とでも話せるイヴァン。彼のその屈託のない性格と人脈を広げる能力を見込んだロクサーヌのお父さんが決めたことだった。
「イヴァン的には不服だったみたいだけどね。でも、受け入れないと商会がどうしようもなかったから」
今までもないがしろにされているわけじゃなかった。ほかの女の子と仲良くなるのも、それも人脈を広げる一環だと言われればそれで納得するしかなかった。
今回だって、殿下やモンフォーヌ公爵令嬢とお近づきになるためだと言われれば、それで納得するしかない。別にコゼットちゃんだけを特別扱いしているわけではないし、今はまだ明確に彼女に好意を見せているわけでもない。
でもそれがもう時間の問題であることは、ロクサーヌも薄々気づいているようだった。




