→はい、助けます
こっちを怪訝そうに見ている彼は、たしかにシリル・アルトワだった。
「あの、シリル・アルトワ……さん、ですよね?」
シリルはわたしの言葉に、怪訝そうな表情を深めた。
「あ、別に怪しい者じゃないんです! わたし、わたしは……」
そこまで告げて、ハッとなる。ところでわたしっていったい誰だ?
慌てて見下ろした先は、ラルジュクレール学院の制服。どうやら生徒であることで間違いはないらしい。それから肩につくぐらいのブルネットの髪。うん、誰の特徴とも繋がらない。作中で出てくるブルネットの髪の女性といえば、名前も知らないモブの取り巻きぐらいしか心当たりがなかった。
「君はいったい……」
シリルの顰められた眉間に、余計に気が焦る。ヤバい、せっかくシリルに近づくチャンスなのに、ここで素性を疑われでもしたら彼の恋路を応援するどころじゃなくなる。
「あの、えっと! わたし、わたしは……その! あなたの恋のキューピッド、幸せなラブを届けるためにやってきた愛のエンジェルでっす!」
…………。焦りのあまり、とんでもないことを口走ってしまった。
案の定、目の前のシリルは凡庸なヘーゼルの瞳に、一気に疑いの色を深めている。
「……あの、そういうのは結構ですんで……」
「違う違う! 怪しい占いとかじゃないから!」
背を向けてそそくさと去ろうとしているセシルの腕を、とっさに掴む。
「わたしは純粋に、あなたとコゼットちゃんの恋を応援しようと思って……!」
その途端、シリルが勢いよく振り向いた。向けられた白い頬は、これでもかというほど赤く染まっている。
「だ、誰と誰の恋を応援するって?」
「あなたとヒロイン……その、つまり、コゼットちゃん?」
「うっそ……」
シリルはそう呻いたっきり、両手で顔を覆ってしまった。
「もしかして……俺の気持ち、見知らぬ君にもバレちゃってるってこと?」
いや君、あれでバレてないとでも思っていたのか?
「いや……誰がどう見てもバレバレでしょ……」
どれだけ一生懸命ヒロインを追いかけてると思ってるんだ。画面越しでも十分すぎるほど、伝わってきてたぞ。
「マジかぁー……」
シリルはそれっきり、うずくまったまま落ち込んでしまった。
落ち込むシリルをなんとか宥めすかして、わたしたちは近くのカフェへとやってきていた。
「で? 君は本当に誰なの?」
「だ、だから、恋のキューピッド、両思いになれるエンジェルだと……」
「別に名乗りたくないのならいいけどさ、でも正直、ラブとかエンジェルとかイタすぎると思うよ」
あのシリルにですらダメ出しをされて、恥ずかしさのあまり、目が泳ぐ。
「んー……まぁでも、じゃあアンジェとでも呼ばせてもらおうかな。それでアンジェは、俺が、その……コゼットに想いを寄せてるって知って、手伝いを申し出てきたってこと?」
それに頷くと、ますます理解できないって顔をされる。
「でもなんで? 申し訳ないけど、学校でも君の姿を見かけたことはないし、俺たち初対面だと思う。君にそんな申し出を受ける理由が思い当たらないんだけど」
どうしよう。まさか画面越しにあなたの当て馬っぷりに感服いたしましただなんて、言えるはずもない。
「……今、コゼットちゃんと一緒にいた人」
「ああ、レオナール殿下?」
「殿下にはたしか、婚約者がいるよね?」
「まぁ……いるね」
お約束だが、この乙女ゲームには悪役令嬢ポジションもいる。レオナール第二王子ルートでいえば、殿下の婚約者、マルリーヌ・モンフォーヌ公爵令嬢である。もう一度言う、公爵令嬢である。
そうなのだ、まさかの平民出身ヒロインコゼットちゃん、第二王子と結ばれるために、レオナールルートでは公爵令嬢に下剋上を起こすのである。
今考えると、あれでよくハッピーエンドを迎えられたよなと思う。むりやり感がなくもないとは言えなかったが、マルリーヌ様が典型的いじわる令嬢だったのと、周りが異様なまでにコゼットちゃんびいきだったおかげで、レオナールルートは王道のざまぁエンドで、大円団を迎えたはずだった。
「確認なんだけど、あなたは今、コゼットちゃんとレオナール殿下が二人連れ立って歩くのを見て、二人を諌めようとしてたんだよね?」
それにシリルは驚いたように、おずおずと頷いた。
だとしたら、まだレオナールルートは始めのほうなのだろう。おそらく、殿下との初めてのデートイベントだ。
たしか、コゼットちゃんが使っている文具を殿下が気に入って、彼女に市中のものだと聞いてお店を案内してほしい、とかなんとか……で、それを偶然街中で見かけたシリルはコゼットちゃんを咎めるんだけど、かえって二人を頑なにさせてしまうという。
なんにも考えずに殿下の顔面偏差値だけで最初にレオナールルートを選んだわたしは、せっかくの初デートでウキウキしていたのに、途中から割り込んできて水を差すようなことを言ってきたシリルに、うんざりしたんだった。
でも今思うと、シリルも当然のことを言ってたんだよな。
だって、殿下、婚約者がいるんだもの。
「わたし、モンフォーヌ公爵令嬢に、今回のこと言っちゃおっかな、って」
その途端、シリルはサッと顔を青褪めさせた。
「えっ……!?」
咄嗟に止めようとしてきたシリルを遮って、なおも言い募る。
「だって、婚約者がいるのにコゼットちゃんにちょっかいをかける殿下も悪いと思わない? 誘いに乗っちゃうコゼットちゃんもコゼットちゃんだけどさぁ、そこはさすがに殿下に誘われれば、断れないんだろうし。それでわたしたちが殿下に直談判したって、聞き届けてもらえる様子もない。だったら、モンフォーヌ公爵令嬢にお灸を据えてもらうしかないかなーって」
「お、お灸を据えてもらうって……」
「今ならまだ、取り返しがつくんじゃない?」
じっとこっちを伺っているヘーゼルの目を覗き込むと、その瞳が迷うように揺れる。
「シリルはこのままでいいの?」
そう問いかけると、曖昧に悩んでいた彼の顔が、徐々に強ばっていく。
「このままいくと、殿下だってただの気まぐれどころじゃなくなっちゃうかもよ? もしも殿下が本気になったら? それでもいいの?」
俯いたシリルは、わずかに首を振る。
「じゃあ決まり! これからよろしくね!」
素姓もよくわからない女に押し切られて、シリルはまだ戸惑いつつも、流されるように頷いた。